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カンダタの藁  作者: KEY
7/12

第六話 席田直倫

 

 蒼生との話しを終えた直倫がコミュニティセンターまで送ろうと言ってくれたので、棚田はその善意に甘えることにした。

 直倫の愛車は黒のランドクルーザーだった。やはり、彼もアウトドア派のようである。一月の左義長の時、みくは町内の真ん中を通って行ったが、直倫は南まわりの道を使うようだった。

 バスが走る町道からコミュニティセンターまでは畑が連なっているので、ほぼ農道に近い。アスファルトで固めてはあるが、道の両脇はむき出しのままで雑草が茂り、手入れが全くなされてない。側溝ではなく、向こうは畑なだけ恐怖心は薄まるが、それにしても道幅いっぱいいっぱいであることに変わりはなく、棚田は、身のすくむ思いで揺られていた。

 電車と併走するように走り続けたが、やがて、道を右に折れ、コミュニティセンターの前に出る道路に出た。みくの軽乗用車ですらギリギリ感満載だったのに、3ナンバーの大型車が爆走するのだ。突っ込んだら、いくらランドクルーザーであろうとも自力脱出は不可能だろう。スリル満点すぎて、棚田は蒼白になっていた。

「今回は、おしらさんの取材だってな」

「え? は、はい、よろしくお願いします」

「おう、お願いされたるよ。とは言うけど、おしらさんは取材対象になるような目立ったもんはないぞ? ご祈祷するだけだから」

「構いません、どんな小さな事でも、とても貴重なんです」

「そんなもんか。いつも見てるもんにとっちゃ、こんなもん、って感覚だけど。あ、そういや、蒼生の家、すげえ古い屋敷だったろ?」

「ええ、見応えがあって、すごく楽しかったです」

「楽しい、か。ちょっと、分かんねえな、その感覚は」

 興奮しながら答える棚田に、直倫は苦笑いした。

 実は、華子夫人が帰っていった後、棚田は蒼生に頼みこんで屋敷と敷地内を見せてもらったのだ。

 予想通り、仏壇を二階に避難させる『あげ仏壇』があり、屋敷の外で気になっていた建造物は、助命壇だった。助命壇は、洪水時の緊急避難場所である。急な増水時には、ここに登って難を凌ぐのである。

 貴重な仕組みを間近で見、カメラとビデオに収めることができた棚田はうっとりと、ほとんど夢見心地となっていた。しかし、お祭りだけでなく古民家も素晴らしいく貴重な文化財、お宝巡りのようだというのに、地元民にはそこらに落ちている石ころ同然の扱いになってしまうとは、寂しさよりも哀惜の念を棚田は抱いた。

「古ければ古いほど良い、って言うんなら、俺ん家は蒼生の家より、もっと古いぞ。何しろ、リフォーム入れた時に文久二年って文字が梁に見えたくらいだしな」

「そうなんですか!?」

 棚田の声が裏返る。

「それじゃ、水屋とか、井戸舟とかが、まだ残されていたりとかは」

「ああ、どっちもあるよ」

「本当に!?」

「うん、しかも現役」

 直倫は事もなげに答える。

 興奮しすぎて酸欠状態となっている棚田に気がついていないのか、直倫は首を左右に捻って鳴らしたりと、のんびりしたものである。

「あの、直倫さん」

「ん?」

「直倫さんのお宅も、取材をさせて頂けたら、うれしいのですが」

「俺ん家?」

「はい、是非」

「……まあ、良いけど」

「本当ですか!?」

「先に釘刺しておくけど、特別な物なんか何もないぞ?」

「有り難うございます!」

「マジで古いだけだぜ? 本当にそれだけだぞ?」

「それが良いんですよ」

 勢い、唾を飛ばしまくる棚田に、直倫は頭を掻きながら了解の頷きを返したのだった。


 ※


 ご祈祷の準備は夕方五時から、本祭は明日の朝八時からという事なので、棚田はコミュニティセンターで昼食がてら一休みすることにした。その後は、前回の取材のときにできなかった町内の散策を行うつもりでいた。

 この小さな町内にある全ての社を訪れたとしても、半日あれば充分、夕方のご祈祷準備には間に合うだろう、と目測をたてたのである。

 直倫の家には、祭りの後に取材させて貰うつもりだった。何しろ、現役の水屋を拝めるのである。水屋があるのだとしたら、当然、古い農機具なども、残されているに違いない。

 じっくりと時間をかけねば勿体ない。

 ――きっと、教授も喜ばれるだろうな。

 秘密のおもちゃ箱の在りかを知った幼児のような、わくわく感が止まらない棚田だった。

 勝手知ったる、とまではいかないが鍵を開けていると、横からクラクションを鳴らしつつ車がやってきた。見覚えのある軽乗用車である。みくの車だった。

「みくさん、ひなちゃんも」

「学者先生、久しぶりぃ」

「ご無沙汰してます、お元気でしたか」

「うん、お元気だったよお」

 みくは、窓を大きく開けて腕を突き出し勢いよく振っている。今日はリブ編みの淡いグレーの春物ニットにGジャンをはおっていた。

 ひなは助手席に座り、手の平を見せている。今日は学校ではないらしく、女児向けの愛らしいフリル付きのピンクのロングTシャツに、フード付き白の薄手ジャンパーという出で立ちである。

「ひなちゃんも、久しぶり、今日の服、かわいいね」

「……お気に入りなの」

 洋服を褒められたひなは、ぽっ、と頬を赤く染めた。照れている娘の横顔をにこにこしながら眺めた後、「ところでさあ」とみくは続けた。

「今日、明日は、おしらさんの取材なんでしょ? でも、ご祈祷するくらいで、あとはそんな、特別に見るようなとこなんて何もないお祭りだよ? 何するつもりなの?」

「あはは、それ、直倫さんにも言われました」

 咥えていたタバコを携帯灰皿で揉み消しつつ車から降りてきたみくは、助手席側にまわり、ドアを開いた。どうやら、チャイルドロックをかけているらしい。ロックをかけていると、内側からは戸を開けられない仕組みになっているのだ。

 ひなの膝に置いてあったコンビニのビニール袋を指さす。

「はい、今回のお弁当ね」

「わ、すみません」

「パンとかは、中に揃えといてあるから」

「助かります」

 ほら、とみくに促されたひなは、ビニール袋を棚田に差し出した。腰をかがめて、「ありがとう、ひなちゃん」と言いながら弁当を受け取ると、ひなは少女らしい、太陽のような満面の笑みをうかべた。

「学者先生、今日はこの後の予定あるの?」

「はい、今日はこの後、町内を一回りして、お社を写真に収めていこうと思ってまして。明日は、直倫さんのお宅の取材をさせて頂く予定なんです」

「直ちゃん家?」

「はい、水郷地帯特有の屋敷構成が未だに残されているのですから、取材しないなんて、バチが当たります」

「バチ当たるって」

 みくは腹をかかえて笑った。みくと手をつなぎながら、ひなも、くすくすと小さく笑った。

「道々、直倫さんに伺ったんです。すごいですね、水屋とか井戸舟が、まだ残されているんですってね?」

「うん、まあね。何しろ、直ちゃん家は、『席田様』だもん」

「席田様?」

 直倫の家は河間町一古い血筋だ、と言う蒼生の言葉を思い出した。

「西の席田様に東の護田様、って言われててね。昔からのお大尽様なのよ、直ちゃんと蒼生んとこ。護田も大元を辿れば席田の次家じげっていうか、新屋しんやなんだけどね。席田がこの河間町の大本屋おおほんやっていうか」

「次家? 新屋? 本屋?」

 うん、と頷きながら、みくは新しいタバコを取り出し、火をつけた。

「ここら辺の方言かな? 要は、二男三男が新しく興した家のこと、次家って言うの。席田や護田クラスのお偉いさんの家だと、新屋って言うけど。ま、分家って意味あいかな」

「本屋、というのは母屋って意味ではないですよね?」

「あ~……うん、何て言うか、お寺の総本山? みたいな?」

 言い得て妙だ、と棚田は大いに納得する。かなり独特な表現である。棚田は体温が上がるのを自覚しつつ、こういう言葉に出会えるからこそ、やめられないのだと呟いた。

「という事は、お二人とも、世が世ならお殿様ですか?」

「とかまでは言わないけど、大地主様っていうか、昔話とかに出てくる、あれよ、ほら」

「庄屋様?」

「そうそう、それそれ」

 さっすが、学者先生、と目を細めて笑いながら、みくは長く紫煙を吐き出した。

「じゃあ、かなりの実力者の家系だったんですね?」

「うん、蒼生のとこ行ったんなら分かるだろうけど、まあ、お金持ちなのよ、今でもね――あ、お社巡りするつもりなら、ここからなら近いし、英魂えいこんさんにも寄ってみたら?」

「英魂さん?」

「そう、ほら、五月にやる、『おえんさん』。お墓の側にある石碑を英魂さんって言うんだけど、どんどんなまって縮まって、最終的に『おえんさん』になっちゃったってわけ」

「はあ、なるほど」

 どういうなまり方をしたら英魂さんがおえんさんに縮まるのか、かなり謎である。

「記念碑祭りってのが本当なんだけどさ、誰も言わないのよね」

 深々とタバコを吸いながら説明してくれる、みくの言葉を聞きながら、ああどうしてこんな時にボイスレコーダーがないのだろう、と棚田は忸怩たる思いでいた。


 みくとひなが帰ると、棚田は早速、食事の用意をはじめた。

 リクエスト通り、カップ麺やロールパンなど材が用意されている。冷蔵庫の中にはバナナやミカンなど包丁がいらない果物に、ソーセージやゼリー、フルーツヨーグルトもあった。今回も、みくが食事の世話をしてあげようか、と申し出てくれたので、棚田は甘えさせて貰ったのであるが、しかし取材なので出来たらビールとおつまみはナシの方向で、ともお願いしておいたのだ。

「あっ」

 一番奥に、いちごミルク味の三角キャンディが置いてあるのを見つけた棚田は、思わず吹き出してしまい、ついで頬を赤くした。

 移動手段が公共交通機関である以上、荷物は少なめにしたいのは人情というものであるが、そういう窮地に自然と手を差し伸べるだけでなく、さりげないユーモアをも示してくれる。こういう愛嬌に、棚田は生まれてこの方触れたことがないので、免疫がないのだった。

「ありがとうございます」

 呟きながら、棚田はそれらの食材に手を合わせた。

 ――今日の昼は、お弁当にしておこうかな。

 夕方までガッツリ動き回り、夜は取材の整理をしながら寝落ちることを予測して軽めにカップ麺で済ませることにした方が良さそうだ、と踏んだのだ。こういう計算は大分慣れてきたと、棚田は自分でも感じていた。

 レンジで唐揚げ弁当をチンして、カップ味噌汁をつくり食べ始める。デザートには腹持ちの良いバナナを一本そえた。

 普段の自分の食事風景からは考えられない豪華さだ。いつもは自炊といっても、田舎の祖父母が送ってくれた米を大量に炊いて安いレトルトカレーやシチューをかけてひたすらかき込む料理もどきであるし、それも出来ないくらいに困窮すると、近くのスーパーの見切り品の豆腐や天かすをご飯にのっけて醤油をかけて丼物モドキにしてしまうからだ。

 テーブルの上に地図を広げ、食べながらチェックをする。これも、ここでのスタイルになりつつあった。祖父母に知られたら行儀が悪いと大目玉を食らうが、幼少からの教えに背いているという背徳感も病みつきになりそうだった。

 不作法ついでに握り箸で一点を指先で突いた所には、鳥居のマークがついていた。

 ――左義長の時に教えて貰った、おぐんじさんに行ってみようかな。

 町の一番東、通称、下田にある郡司神社を出発点として西に上っていくと、町内のほぼ中央にある地蔵像と灯籠にぶち当たる。

 七月のおあけさんは灯籠のことで、八月のお地蔵さんはこの地蔵像のことだとは以前の取材で得た情報であるが、左義長の時に改めて詳しく調べてみたいと思いつつ出来なかったので、今回こそはと目論んでいた。

 地蔵像から町道を南に折れて下がっていくと、南の端ギリギリの場所に英魂さんがある墓場につく。墓場から少しいくと堤防と三輪川にかかる橋があって、そのまま堤防を伝って西に歩いて行くと、おしめさんの社に到着する。

 こちら側の堤防が陸閘になっていないのは、南側に流れている奈河川との関係性もあるのだろう。

 途中で村の中に降りて田んぼを突っ切り、おしらさんまで行き、その後、村の中央にある泉田家のそばの小さな神社まで見てまわるのが一番時間と距離を節約できそうだった。

 ――でも、なぜ、わざわざ英魂石碑を見てこいだなんて。

 みくが、わざわざ口にした英魂さんが棚田のなかで、指に刺さったとげのように気にかかって仕方がない。よいしょ、と一度立ち上がった棚田は、「あっ」と声を上げた。

 みくに、敷地内の神社の話しを聞くのをすっかり忘れていた。

 迂闊さに、棚田は額を一発、軽く叩いた。


 ※


 お弁当の箱とお味噌汁のカップを流しで軽く洗ってから、ゴミ捨てのペールに分別して捨てると、棚田はビデオカメラを片手に愛用のデイパックを背負ってコミュニティセンターを後にした。

 鍵は、相変わらず開閉しにくい。六回目のチャレンジで、やっと閉められた。指定の場所に鍵を置くと、ポケットに忍ばせておいたいちごミルクキャンディを頬張りながら、棚田は西の方角にむかって歩き出した。

 目指す『おぐんじさん』は、コミュニティセンターから距離にして一キロほどである。

 ――郡司神社の祭神さん、結局、分からなかったな。

 この二カ月弱の間に、大学の図書館でデジタルアーカイブを駆使してみた。土井教授の論文集や似たようなテーマの卒論や博論などを調べてまわってみたのである。が、徒労に終わり、不明だった。明治時代初期の廃仏毀釈と神仏分離の大嵐の渦中において、うやむやのうちに祭神が失われた社も少なくないが、それがこの河間町にも存在しているというのは、意義が深い。

 春のうららかな日差しの中、棚田は子犬のように歩いて行く。

 風はまだ冷たいが、一月の時のような身を苛むような厳しいものではなくなっていた。その証拠に、そこここの家の垣根や庭木の蕾がほころび、その枝の端々から春の鳥の鳴き声が流れ、日当たりの良い場所ではタンポポやつくし、クローバーや犬ふぐりが葉を広げ、花を膨らませている。

 ――なんか、遠足みたいだな。

 ペットボトルのお茶を飲みながら、つい頬がゆるむ。

 おおよそ五百メートルほど、地蔵像と灯籠まで歩いたところで棚田は小休止して撮影に入った。一月の寒々とした空ではなく、三月の明るい空気の下だからだろうか、地蔵像も灯籠も、生き生きとしているように見える。ビデオカメラとデジカメにそれぞれを撮り、その場でチェックをしてから、また歩き出す。

 このまま、蒼生の家を通り過ぎて更に東に下っていけば郡司神社につくはずである。例の航空写真を見ると、東の端に敷地が一反は軽くありそうな民家があったが、今現在の地図上では、大きな車庫のようなものとなっていた。

 ――個人でこれだけの大きな車庫を持っているのだとしたら、それこそ『お大尽様』だな。

 地図上では真っ直ぐな道だと思っていたが、実際に歩いてみると緩やかに湾曲しているのが分かる。

 蒼生の家を通り過ぎて数軒すると、周辺は一気に田一色になった。いわゆる、『田おこし』と呼ばれる、稲作の一番はじめの作業を行っているトラクターがボツボツと点在していた。減反政策でどんどん耕作地が狭められている昨今なのに、トラクターの出動稼働率はかなり高い方だろう。

 遠くから風にのって、「お~い、おお~い!」と呼ぶ声が聞こえてきた。辺りを伺うと、トラクターの一つから、身を乗り出すようにして、手を振っている人物がいた。棚田も、手を振りかえした。

「直倫さん」

「学者先生、ご苦労さん」

 知り合いの顔と出会うと、やはり、ほっとする。棚田はそのまま、道端でトラクターがやってくるのを待った。爆音を轟かせている大型トラクターを、直倫はいとも容易く操って、棚田の側で停車させた。

「どこに行くん?」

「あ、はい、郡司神社まで、ちょっと」

「げ、コミュニティから、おぐんじさんまで歩くんか」

 脇に置いてあったスポーツドリンクに口をつけながら、直倫は東方をチラ見した。

「いやその情熱は、どこから来るんや」

 呆れ果てる直倫に、いやあ、と棚田は照れ笑いで返した。

「直倫さんは、家のお手伝いですか?」

「え? いやいや」

 一瞬、ポカンとした直倫だったが、ペットボトルの蓋を閉めながら声を立てて笑った。

「これ、俺の仕事。まだ、利益出るか出ないかのラインなんだけどさ」

「えっ? 仕事?」

「俺と蒼生とで、農作業の何でも請負業みたいなのやってんだよ。一応これでも、俺も蒼生も取締役なんだぜ?」

「ええっ、取締役!? す、すごいですね?」

「いや、あはは、威張って言ったけど、取締役が自ら仕事しなくちゃまわらない程度の規模だけどな」

 そういえば華子夫人が、蒼生と直倫とで事業を立ち上げた、と言っていた。元の仕事から、事業といえばIT関係だったりとかするのだろと勝手に思い込んでいたが、まさかまさかの農業系だったとは。

 驚く棚田をよそに、直倫は熱っぽく語り始める。今度は、棚田の方がぽかんとする番である。

「こないだの左義長見てりゃ分かるだろうけど、限界集落もいいとこなんだよ、この村。ここらで田んぼの稼ぎ専業だけで食っていくには最低でも十町、兼業で、せめてアシ《・・》が出ないだけの稼ぎを望むには二町は作付けしないといけない。けど、一件あたりの田んぼの持ち数は良くて八反から一町、大抵が五反そこそこの広さでさ。そこに、減反政策とかで作付けは減っちまうだろ?」

 直倫は、今まで自分が耕してきた田を指さしてみせた。

「なのに、一連の農作業に対して必要な農機具の値段ってのは、家が一軒平気で建っちまうくらいかかるからね。中古市場も高騰してるから、年金生活だと、とてもじゃないが手が出ない。何か一つ、機械が壊れたら、そこで離農するしかなくなっちまう。けど、先祖代々伝わってる田畑を手放すことは、恥さらしだからできない。だけど機械がないと田は荒れるばかりになる。荒れ田を晒すのはもっと恥だ。そうなると、誰でも良いから誰か代わりに作業してくれ、金なら出すから、ってなるんだ。十年二十年スパンで見たら、機械を買った方が安くなるとか言われちまうかもだけどさ、作業の手間と大変さを考えると、金出してやって貰った方がトータル的に得、ってなっちまうんだよ。やっていけない、やってられない、やりきれない、やりたくない、やらせたくない、なんだよ、今の第一次産業というか、稲作農業ってのは。俺と蒼生は、そういうのに一石を投じたい、というのは大げさだけど、地元の土地をできれば生き生きとさせていけたら、ってんで、ま、色々と暗中模索してるってとこなんだな」

 直倫の熱弁を、棚田は複雑な心境で聞いていた。

 蒼生は国立大から一流企業に就職したばかりでなく、今の自分と同じ年齢にはもう、直倫と共に事業を興そうと奮起邁進していたのだ。

 翻って自分はどうだ。大学院生として日々、学業に邁進していると言うと聞こえは良いが、ただの親のすねかじりである。

 人格的にも社会的にも、何もかもに、歴然と差がついてしまっている。

 ――学生だからと気ままに、いつまでも子供の気分でいる自分が恥ずかしい。

 棚田が小さくなっていると、「そんな、学者先生が小さくなるなよ」と直倫は気遣った。

 もう一度、ペットボトルの蓋を開けてスポーツドリンクを喉の奥に流し込みながら、直倫は、西の堤防の前にある立派な建物を指さした。

「もうちょっと先の、ほら、ここからでも見えるだろ、あの大きなベージュっぽい建物、そこの敷地内に郡司神社はあるから」

「は、はい」

 実際に視界に入ってきた建物は車庫とか倉庫とかなどというかわいらしいものではなく、工場のようにしっかりとしており想像以上に立派だった。

「実は、俺たちの農作業請負屋の、事務所兼作業場兼倉庫兼車庫なんだよ」

「えっ?」

「元々はさ、蒼生の爺ちゃん婆ちゃん家なんだよ。結構広くて二反四畝もあるんだ」

「それは、かなりの面積ですね」

「そうだろ」

 祖父母が農業をしているので、二反四畝の規模がどのくらいであるのか、棚田はすんなり頷くことができる。

「破れ家であろうとも家屋があると、税金がすごくなるだろ? 遊ばせておくくらいなら、そんならいっそ・てなもんで、建てたんだ」

「……はあ、成る程」

 それならいっそ、の一言で巨大な倉庫を建てる資金をポンと捻出出来る方が恐いが、となると、蒼生さんは実家の一反以上の土地家屋に加えて、こちらの二反四畝の事務所兼車庫までも管理して税を納めている事になる。

 ――一体全体、どこまで甲斐性持ちなのだろう。

 棚田は目眩を覚えずにいられなかった。


 ※


 直倫と手を振って別れてから、二十分程歩くと東の堤防の陸閘前に建つ、事務所兼作業場兼倉庫兼車庫に到着した。陸閘を越えても河間町、例の下田と呼ばれた土地であるが、ほぼ全てが農作地だ。

 首を伸ばして、堤防との端境に立ってみる。向こう見える奈多川の堤防まで一キロ弱、その間にも田は広がっていた。

 田は一反分、正方形の形に畦道で仕切るのが普通であるが、こちらに広がる田は、二反、三反を纏めて細長くしてあった。昔と違い、機械が大型化しているため、その方が作業効率が良いのである。

 ――これだったら、大型機械の腕の見せどころになるな。

 その他に目に付いたところと言えば、浮島のように畑に転作された土地があるなという程度で、大きな建築物は見受けられない。携帯電話の中継局が一本、杉か松の木のように伸びているのを除けば、ただただ、農地が広がるばかりだった。

 ――市街地調整区域とかに指定されてるのかな?

 水郷地帯とはすなわち、水害地域である。地層的に液状化現象が起こる可能性が大きければ有り得る話である。

 ビデオとカメラに写真を収め、引き返そうとした時、棚田は不思議なことに気が付いた。

 ――……あれ?

 つま先に視線を落としながら、棚田は首を捻った。

 東側の堤防は、南と北の陸閘、そして西にある八幡神社の後ろにある堤防よりも広いのである。普通の堤防は、車が互いに通り抜けできる程度の広さだが、陸閘の南側の広さは大型車ですらUターンが楽に出来、子供がサッカーや野球を楽しめるくらいのスペースがある。

 ――元々、何かがあった土地なのかな?

 土井教授の取材では、その辺りの情報は得られていない。しかし、八幡神社にも駐車場は作られていたので、おぐんじさんにもあるのだとか、その程度の理由で、深い意味はないのかもしれなかった。

 時間の都合もあり、とりあえず郡司神社の取材を敢行することにした。入り口のゲートにはチェーンも鍵もかけられていなかったので、ちょっと身を乗り出しつつ首を伸ばす。作業場は、アスファルトとコンクリートがうってあり作業がしやすいようになっていたが、入り口ゲートから社までは、手が加えられていなかった。

 敷地の北東の位置に、こぢんまりとした社が目に入った。

 ――これが、郡司神社。

 町内は東へ行けば行くほど土地が低くなるため、小さな社は堤防とほぼ変わらない高さの石垣の上に鎮座していた。社までの道筋には、きちんと手入れされた砂利が引いてある。蒼生たちがこの社を日々、大切に手入れしているのだろう。

「……お邪魔します……」

 直倫に許可を得てきたとはいえ、一応、気持ち的に挨拶をしつつ中に入る。建物の一部に事務所と覚しき場所があり、使われていない道具や機械が入っている倉庫は、さすがにシャッターが降りていた。

 ビデオカメラとデジカメを、再びデイパックから取り出して紐を首に引っかけると、あれからもっと分厚くなったメモ帳を手に、砂利道を歩いていった。

 神社の前に立つと、写真を撮る前にメモを取り始めた。

 分社なので、大きさとしては八幡神社の前にあった白鬚神社と同じくらいである。狛犬はないが、灯籠はあった。

 しかし灯籠は明らかに昭和の、それもかなり後の方なってから作られており、奉納者名が記されていないので、共同名義でのものなのだろう。

 神社は戦争の被害にも遭わずにいるのは、教授の取材で分かっている。江戸時代前期成立の古地図には、郡司神社との記名はないが、すでにそれらしき存在が見て取れるので、遅くとも江戸時代以前には建造されている筈である。

 建築様式の特徴からは、やはり、かなり古い時代の影響が見て取れた。となると、八幡神社と同程度の歴史はあるものと思って良いだろう。

 ――それにしても、蒼生さんのおばあさんの家だったなんて。

 母方祖父母の家系が神主だったりしたのなら、蒼生たちなら教えてくれているだろう。それがない、という事はつまり、一般家庭の敷地内に社があったのだ。

 ますますもって、普通では考えられない。

 今回の取材だけでは、全容を知るのは無理だろう。しかし、一年を通して通ううちに、なにか糸口だけでも掴めたらと思いつつ、棚田はぐるり全体をビデオカメラに納めてから、次の目的地、英魂石碑へ向かって歩き始めた。

 地蔵像から南に向かって歩いて行くと、再び堤防にぶち当たる。途中、ゆるやかな坂道となった。

 西に向かってしか土地が高くなっていないと思っていたが、南側も海抜が高い区域があるようだ。JRの高架下を通り、バスのUターン箇所を抜ける。北から町内に入る時と同じように陸閘があり、その手前に英魂石碑があり、小道を挟んで村の昔からの霊園というか墓地があった。

 墓地は、背高のっぽの蒔垣根でぐるりと四方を覆われており、中はどのようになっているのかは伺いしれない。 

 中央辺りに、丁寧に枝葉を刈って整えてある松の木が伸びているのが見えるくらいだ。北からの入り口付近には、共同の水道や片付け用の用具入れが覗いて見えた。

 英魂石碑は、一種の慰霊碑と言えるだろうか。

 ――かなりの高台に作られているな。

 墓石にカメラを向けるのは気が引けたため、メモ帳を片手に近づいていく。大きさは、畳一畳分ほどと、かなり巨大である。

 ――英魂……。

 英雄の魂が眠る、という率直な意味合いのものなのだろうが、英雄としてどのような活躍があったのだろう、と棚田は興味が湧いた。

 東を向いている方が正面の扱いで、『英魂慰霊の碑』と立派な書体で書かれている。碑は、一般の墓碑のように、水鉢や花立てに香炉、蝋燭立てと拝石と荷物台もある。両手を合わせて拝んでから、綺麗に敷き詰められている砂利を踏んで裏にまわった。

 裏手には、墓誌のような小さな石碑があった。しゃがんで覗き見てみると、昭和の後半か平成生まれと覚しき人名と年齢が刻まれていた。


 席田行人 享年九

 泉田紅葉 享年十

 宮田緑里 享年七


 享年、と言うことは数え年である。つまり満年齢で五~九歳だ。親が一番、我が子が可愛らしく思える年齢であろう。

 ――親御さん、いたたまれなかっただろうな。

 日本でも、今から百年程前までは七歳までは神様預かりの子と言われて通用していたように、この年齢までは病気や突発的な事故で亡くなる例は酷く多かった。

 だが今は、現代社会である。三人ともが、小学生高学年にもなれず亡くなっているとは、亡くなった年が刻まれていないので分からないが、続いていたのなら、少々異様である。

 再び手を合わせ、そして視線を横にずらす。と、そこには、真新しい掘られたばかりの文字で『護田満夫 享年六十八』とあった。

「えっ!?」

 ――どうして、蒼生さんのお父さんの名前まで、彫られているんだろう?

 それだけではない。

 自分のうっかりさ加減を、護田満夫の名前で気が付かされた。刻まれた子供たちの名を見る限り、彼らは少なくとも、直倫やみくと関係がありそうな苗字ではないか。

 親戚が多いという話しだったので、そこまで深い関係がるわけではないのかもしれない。だが、棚田はどうしても気になった。何度も首をひねりつつ墓誌を睨むようにして深く見詰めた。

 ――どうして、この子達の名前は刻まれているんだろう。

 気になる。気になって仕方がない。知らぬうちに、棚田は貧乏揺すりをしていた。

 共同墓碑に名を連ねるのは、事故の犠牲者が相場として思い当たる。

 最後に墓誌に名を連ねている護田満夫は、側溝の伏せ越し工事が行われていなかったせいで亡くなったのだから事故の犠牲者と言えなくもない。

 ――となると、この子達も、何かに巻き込まれた?

 どういう基準で刻まれているのであろうか。本当に、全くの謎である。

「うぅん」

 幾ら考えても埒が明かないので、墓誌のことは後でまた直倫や蒼生たちに聞くことにし、棚田は石碑の裏を見上げた。

 碑の裏には、江戸時代の水抗争にまつわる逸話が掘られてあった。淡々と事実のみが書かれているせいで、より、切々と訴えてくるものがある。

 要約すると、堤防を作り上げるための隣村との水利抗争の顛末が書かれていた。最後に、この争いを勝利に導いた人物の功を子々孫々にまで伝えるとして碑文は結ばれ、数名の名が刻まれていた。


 席田伝右衛門

 護田次郎左衛門

 宮田惣兵衛

 泉田喜助


「えっ!?」

 棚田は驚きのあまり、ペンとメモ帳を落としそうになった。

 英魂石碑に刻まれていた先祖の名は、またしても、直倫とみく、そして蒼生の関連性のある名字だったのである。

 ――何かある。

 絶対にある。

 これで因縁めいた何かがない方がおかしい。

 そうとしか、棚田は思えなくなっていた。


 ※


「うわっ?」

 ふと、携帯の時計を覗き見た棚田は頓狂な声を上げていた。

 夢中になってメモ帳にスケッチを描いていたら、なんと、英魂石碑に三十分以上居座っていたのだ。郡司神社との取材も合わせると、小一時間は消費してしまっている。

 ――しまった、これじゃ全部回れなくなってしまうぞ。

 慌てて取材を終えて堤防に上がると目の前に、例の橋に現れた。意外にしっかりとした造りの、いかにも古い造り橋の欄干の銘は、かすれており読み取れなかったが棚田は大いに興味をそそられた。

 近づいて触れてみると、窪みがわずかばかり、残っている。どうやら、平仮名のようである。

 ――いつの時代のものかな?

 コンクリート製ではあるが昭和初期の頃の橋でも健在の場合もあるし、その時分のものも欄干だけ残して土台を入れ替えたりもしているし、何よりも橋自体がいつ頃から存在していた者なのか。例えば地蔵や燈明と同時代からあったのだとしたら、名称にもそれなりに由来があると思ってよいだろう。

 窪みに指を当てて、なぞってみる。指を動かしながら、文字を拾っていく。

「い・そ・べ・は・し」

 ――磯辺橋、かな?

 短絡的に思い浮かんだ漢字だが、しかし間違いであったとしても、曲がりなりにも『いそべ』いう名称が残っているは、もしかしたらここは、古い時代には船着場だったのかもしれない。となると、庚申講云々もあながち間違った視点ではないかもしれず、棚田は自分の着眼点に少々自信が湧いてきた。

「これも写真に納めておくか」

 そのまま、西に向かって歩く。

 下田の時と同じように一キロほど先にある奈河川にかけられた堤防との間にも田と畑は広がっており、ため池のようなものも点在していた。

「ここら辺も大軒なのかな」

 額に手でひさしを作り、目を細める。ため池が反射する太陽光が、意外と眩しいのである。

 三輪川は石ころまみれの川底が見えてしまっていた。点在する泥濘の水溜まりに生き残った小魚をさらう為に弧を描いて飛翔している鳥がいた。飛び方からして、燕だろう。

 ――水が見えない。

 こんなに水枯れしているのに、本当に水害に怯えて暮らしていたのかと疑いたくなるが、護岸用の石やコンクリートに苔が付着していないし、生えている草も背が低い。おまけに、自然に堆積したと覚しき砂礫の抉れ具合も凄まじい。手入れがされていない川岸には天然の雑木が定着するものであるが、それも僅かばかりである。

 つまり、一度大雨となれば一気に水位が上昇し、全てが鉄砲水に押し流されてしまうという生きた証明がこの地形なのだった。

 汗を拭きながら見上げると、周辺の上空には他に鷺や鳶と覚しき鳥がしきりに飛翔していた。奈河川には、水の流れが存在しているのだろう。

 鷺の存外に低くドスの利いた鳴き声を聞きながら、棚田は講義で聴いた内容を唐突に思い出した。

 ――そう言えば、この辺りは日本武尊の臨終の地に近いんだった。

 実際、県内各地で越冬している白鳥のコロニーが観測されている。この時期はもう居ないが、もしかしたらここにも白鳥が飛来して来ているかもしれない。

 古代の伝説の人物が見ていたかもしれない風景、ここに、まだまだ同じような営みを続ける人がいる。

 そう思うと、俄然、やる気が湧いてくる。

 周辺を適当にビデオカメラに納めてながら歩くこと三十分、九月の祭りの主役である『おしめさん』に到着した。

 おしめさんは巨大な木の根元のうろにあり、『おぐんじさん』よりも更に小さな社だった。太い幹を利用して、立派なしめ縄が張ってある。

「これが、おしめさんかあ」

 名は体を表すではないが、主となるのは社よりもしめ縄の方のようだった。

 社の小ささに反比例して、しめ縄は巨大であり、うねっている姿がまるで大蛇のように見えてくる。

 これぞビデオカメラとデジカメの出番だと、棚田は興奮気味に電源を入れる。

 土井教授の事前調査では、ここは江戸時代半ば以降の記録から判明しているだけでも実に十回以上、頻繁に決壊を起こしている箇所だった。

 何度補修工事をしても決壊するため祈祷をしたところ、山にある木を植えれば結界となり二度と堤防は崩れないという神託を受けたので、村人数人が山に向かった。果たして、神託の通りの苗木を発見した為、その木をもらい受けて移植したという事だった。

 以後、決壊事故は起こらなくなった。

 これが明治時代の話であるそうだ。

 苗木の霊験あらたかであるとして治水の社が築かれ、やがて、鎮守祭が行われるようになった。つまり、ざっと百年前からで、むらでは比較的、新しい祭りに分類されると言えるだろう。

 ――でも、江戸時代から明治までって、えらく間空いてるよなあ。

 常識的に考えれば、直ぐにでも手直しすべきである。

 ビデオとデジカメの撮影を終えたところで、携帯が震えた。見ると、相手は直倫からだった。

「もしもし?」

「おう、学者先生、今、どこら辺におる?」

「あ、え~と、『おしめさん』の前にいます」

「ゲッ、マジで『おぐんじさん』から『おしめさん』まで歩いてったんか?」

 トラクターの爆音をバックに、直倫の声が驚きに裏返っている。

「すんげえな、俺は歩く気しねえよ」

「……あの、直倫さん、何かご用でしたか?」

「あ、ごめんごめん、学者先生、肉とか野菜とかでさ、好き嫌いってある?」

「はい?」

「いや、俺ん家を見てみたい、つって言ってたじゃん? なら、どうせだし、明日の昼、家の庭でバーベキューしようと思ってさ。メンバーは俺と蒼生、みくとひなちゃんで。どや?」

「い、良いんですか?」

「お、そういう言い方は、オッケーってことだよな? よし、そんなら用意するわ」

 直倫の声に被さるようにして、「どうせだから、高い肉リクエストしとけよ、学者先生」と蒼生の声が聞こえてきた。

 直倫からの電話を受けた時点で、すでに四時近かったこともあり、棚田はすっぱりとそれ以上の取材を諦めて、再び郡司神社へ向かって歩き始めた。

 陽が傾きだしているのにも関わらず、未だ、そこここでトラクターが唸り声を上げている。しかし、直倫が駆っていたような、大型のものは見られない。

 自身も田舎の出である棚田は知っている。個人所有の農機具というものは、十年どころか二十、三十年でも平気で現役戦士になるので、当然、動きはチマチマギクシャクしたものになり、見た目の壮観さと反比例して、はかどらないのである。

 ――そりゃ、こんな差を見せつけられたら、頼んでしまうよな。

 直倫の大型トラクターであれば、一反、いわゆる田んぼ一枚の広さも、ものの二十分程度でできる作業である。

 が、旧型の、しかもガタがきている小型トラクターでは一時間以上かかってしまう。田んぼまでの移動でも、大型のものは安定して自動車並みのスピードが出せるが、古い小型のものはフルスピードで走行させても、下手をすると自転車にも追い抜かれる。効率は、雲泥の差なのである。

 堤防からも顔が判別できる、濃いオレンジ色のトラクターのハンドルを握っている人物に見覚えがあった。

 ――ええと確か、良はおじっさの代わりに瀬古代表になった、席田和成さん。

 つまり、直倫の父親である。

 直倫が今年、年男なのだから、和成もすでに還暦以上の年齢である筈だが、タバコをくわえつつ、まだまだ余裕たっぷりの表情で、キビキビとトラクターを運転している。堤防の上の棚田に気がついたのだろう、和成がペコリと頭を下げてきた。慌てて、頭を下げ返す。

「ご精が出ますね」

 返事がくると思ってなかったのか、トラクターの唸り声の中、和成はくわえタバコでキョトンとした顔をしてみせた。



第七話:席田和成

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