2 ジュリア・ヴァレスティン
4話『イケメンは正義』から少し後ぐらいのお話です
上級貴族の中でも筆頭とされる我がヴァレスティン家には優秀な兄が二人いる。
貴族らしさを凝縮したような性格、笑顔の裏で常に何か良からぬ事を企んでいるようなエリックお兄様。
幼い頃から騎士としての才覚を見せ始め、『剣聖』というスキルを授かったルカお兄様。
エリックお兄様は25歳、ルカお兄様は24歳。
次男のルカお兄様と私は年齢が8歳も離れている。貴族社会では珍しい高齢出産をした母のメリッサはスキル『美容』のおかげで今でも輝くほどの美貌を保っている。
父のクロウリーは美しい母に惚れ込んで結婚を申し込んだ。恋愛結婚で結ばれて約25年が経った今では母の尻に敷かれつつも溺愛を続けている。
そんな家族の中に誕生したのがこの私、ジュリア・ヴァレスティン。
両親が待望した女の子、年齢の離れた末っ子という条件が重なって大変に愛されたが、同じような条件で産まれた第1王女が王家総出で甘やかされた結果とんでもないワガママ娘に成長したのを目の当たりにしたおかげで私はまともに育つことが出来た。決して口には出さないが、あれは良い反面教師だった。
ちなみに、王家には王妃の他に夫人が二人いて、家族構成はこのようになっている。
第1王子(25歳)と第1王女(16歳)は王妃の子
第2王子(24歳)と第3王子(22歳)と第2王女(13歳)は第2夫人の子
第3王女(11歳)は第3夫人の子
第1王女はハニー様。家族全員の愛しい人という思いを込めて名付けられたそうだが、あまり見ないタイプの名前だ。ハニー様は『キラキラと輝くような美しい名前でしょう?』とご満悦だった。
同じ学年になるのでお仕えするのは苦労するだろうなと思っていたところ、第3王女のエメリア様が7歳で学園に入学してきたのだ。エメリア様は第3夫人に似てとても優秀な方で、既に学園で学ぶ内容のほとんどを家庭学習で終えられていたそうだ。急いで入学する必要はないのに前例のない方法を使ってまで入学してきたのはハニー様のお目付け役という仕事があったからだろう。
ハニー様が学園で大暴れしそうになるたびにエメリア様が釘を刺してくれたおかげで在学中はとても穏やかに過ごせた。そういえば、入学してすぐに起きたあの騒動……
『ねぇ皆、聞いてちょうだい、1学年上の下級貴族におかしな令嬢がいるのよ! その者はね……』
『まぁ、王族が大切な民の事を面白おかしく話すなんてどういうつもりかしら。それに、大勢の前で他人の噂話などして何が楽しいのかしらね。下品だわ』
まだ幼い第3王女に指摘された事でハニー様は顔を真っ赤にして黙り込んだ。学園では上級貴族と下級貴族では教室どころか棟そのものが別だからお見掛けする事は無かったけれど、今思えばあれはアイリスお義姉様の事だったのかもしれない。
ちなみに、第3王女のエメリア様とは手紙のやり取りをする程度には仲良くさせて頂いている。
私もようやく16歳になって成人を迎える事が出来た。結婚式まで1年半という準備期間があるけれど、そんなものはあっという間に過ぎていく。カイゼル様と一緒になれる日が楽しみで仕方ない。
カイゼル様は私より年上の22歳、シュートレット家の後継者だ。シュートレット夫人はカイゼル様を産んだ後で体調を崩したためにそれ以降の出産はしていない。一人っ子という事は小姑に悩まされる事が無いので安心して嫁ぐ事が出来る。
婚約が決まったのは私が11歳になった時だった。ヴァレスティン家は上級貴族の中でも最上位に位置しているから王家に嫁いでも問題はないのだけれど、私と年齢が釣り合う王子が居なかったためにカイゼル様と婚約を結ぶことが出来たのだ。
エリックお兄様は腹黒、ルカお兄様は脳筋。そんな環境に現れた優しいカイゼル様を好きになるのは当然だった。
カイゼル様はお兄様が率いる白鷲騎士団に大剣持ちの騎士として所属をしている。一見、軽薄そうな態度に見えるのだけれど、騎士団内の緩衝材のような役割を果たしてくれるおかげで助かっている、とお兄様が紹介してくれた。
同じ上級貴族、長い歴史がある家門、柔軟性のある性格、私との相性も良い。そのような理由から私とカイゼル様の婚約は正式に結ばれた。
カイゼル様と私の縁を繋いでくれたお兄様に恩返しがしたかったから、アイリスお義姉様の件ではかなり頑張った。表面上は何でもないようにすまし顔を浮かべていたけれど、本当に頑張ったのだ。そこに気付いてくれたカイゼル様は『偉かったね、さすがジュリアだよ』と褒めてくれた。
お兄様とアイリスお義姉様の婚約が調って、家族への紹介も済んで、これから結婚式の準備を始めるという段階になってヴァレスティン家の家族が緊急招集された。
この場に集まったのは両親、エリックお兄様と奥様のソフィアお義姉様、ルカお兄様、カイゼル様、私の7人だ。
私の婚約者であるカイゼル様は同席しているのに、何故かルカお兄様の婚約者になったアイリスお義姉様は同席していない。
「お母様、どうしてアイリスお義姉様を呼ばないのですか?」
先日のお茶会で甥っ子マティアスの肖像画を描いてもらう約束をしていたくせに結婚前から嫁いびりするつもりか、と眉をひそめそうになった。
「そのアイリスさんに関わる話をするからよ」
お母様の一言に場が静まり返った。
この部屋には窓がなく、床には全ての音を吸収するほどに分厚い絨毯が敷かれている。ここは、ヴァレスティン家の人間が大切な内緒話をするために作られた場所だ。
「私が同席しても良いのですか?」
「カイゼルにも関わってくる話だ。聞いておいた方が良い」
「分かりました」
「ここで聞いた内容は他言無用よ」
お母様の言葉に全員が頷いた。
「まず、ジュリアが成人を迎えたので伝えなければならない事を話します。一度しか言わないからしっかり覚えておくようにね」
「他の皆様は知っていらっしゃるの?」
「そうよ。カイゼルさんも成人の時にシュートレット家のご両親から説明を受けているでしょう。『女神様の愛し子』について……」
女神様の愛し子? 女神様は身近な存在だけれど『愛し子』という言葉は初耳だった。
「私達は命を終えた時、女神様の花園で魂を休める事が許されているわ。ジュリアも知っているわね?」
「もちろんです」
魂の休息を終えると、また別の命が与えられる。
それはこのカルディア王国で生きる者たちにとっての常識だ。
「女神様の花園より以前の記憶を持つ者、そして、誰も知らなかった知識や技術をもたらしてくれる者を『女神様の愛し子』と呼ぶの」
誰も知らなかった知識、誰も知らなかった技術……
「まさか……アイリスお義姉様が?」
「その可能性は高いわ。でも、本人が言い出すまでは決して触れないようにね」
「母上、アイリスの絵は確かに素晴らしいですが……本当にそうなのですか?」
お母様はルカお兄様からの質問にはすぐに答えなかった。
しばらく黙っていたけれど、お父様に手を握られた事で決心したのか、再び口を開いた。
「胸の中にあった塊が消えたの」
その言葉に全員がハッと息をのんだ。
胸や首といった場所の皮膚の中に塊ができると、高確率で死に至る。お母様の胸に塊が出来ていたなんて知らなかった。恐らく、父にしか話していなかったのだろう。
「これは、王族と一部の上級貴族が成人した時に必ず伝えなければならないとされている言い伝えだ」
女神様は『愛し子』に試練を課す
これを克服せし『愛し子』には祝福がもたらされる
その恩恵は『愛し子』に縁ある者へと広がるだろう
されど、命惜しき者は深く戒めよ
『愛し子』に手を出せば天の報いを免れぬ
お父様が口にした言葉を頭の中に刻む。
決して、忘れる事のないように。
「言い伝えによると、これまでの『愛し子』は皆、平民か下級貴族に生まれているらしい。試練を乗り越えたとされる『愛し子』は例外なく寿命が長かったそうだ。しかも、それが『愛し子』の周囲にまで影響する」
「はっきりとした理由は分からないけれど、恐らくは『愛し子』だけが生き残る事で寂しい思いをさせないように、だと思うわ」
「そこまでは分かりました。では、なぜ 命惜しき者は深く戒めよ と繋がるのですか?」
その後で教えてもらった記録は、先日アイリスが披露してくれた紙芝居『末っ子セリオの騎士物語』のように不思議な内容だった。
「400年ほど前、当時の王族が王命を使って『愛し子』を無理やり召し上げた。その当時は『愛し子』の傍にいると病気をせずに寿命が延びるという事だけ分かっていた」
『愛し子』が幸福を感じている事が前提条件だとしたら。
その恩恵は『愛し子』が愛した者だけに与えられるという条件があったとしたら。
「王族は一人残らず原因不明の病に罹った」
「『愛し子』を無理やり召し上げた事が女神様の怒りに触れたと考えたのでしょうね。『愛し子』はすぐに元の場所に戻されたの」
「病に侵されていた王族はその翌日に全快した。400年前から家門が続いている上級貴族だけがこの言い伝えを代々引き継いでいる、という事だ」
『愛し子』の存在が広まれば幼少期から洗脳をして悪用しようと考える者がいるかもしれない。エリックお兄様のような腹黒に捕まれば幼子などひとたまりもないだろう。
「ジュリア。何か言いたげだね?」
「エリックお兄様、何でもないわ」
これまでの記録では平民か下級貴族に『愛し子』が産まれていた。だからこそカルディア王国では貴族と平民の結婚を禁止して、下級貴族は中級貴族としか結婚ができないようにしたのだろう。
私欲にまみれた王族や上級貴族によって『愛し子』が悪用される事を防ぐため、『愛し子』の周辺に悲劇を起こさせないため、そして何よりも『愛し子』を巡って国が荒れるのを防ぐために。
この言い伝えを伝承する義務を負わせる代わりに、下級貴族と結婚したい場合は養子として中級貴族に戸籍を移すことで結婚を認めるという裏技が作られたのだろう。
これらの情報が、王族と400年以上の歴史がある上級貴族だけに伝えられているという事だった。
「念のため、王にはアイリスさんが『愛し子』である可能性が高いと伝えておいた。ルカが先走って婚約を済ませたせいで説明が面倒だったがな……」
ルカお兄様が結婚したい相手が下級貴族の娘だった。この場合、ヴァレスティン家は言い伝えを繋ぐという義務を果たしているので裏技を使って婚約することが許される。しかし、偶然にもアイリスお義姉様が『女神様の愛し子』である可能性が浮上してきた為にカルディア王への説明が大変だったみたいだ。
「結果的にはアイリスと婚約する事が出来たのですから良かったではありませんか。原因不明の病に罹る事を信じないという愚か者が横やりを入れてくる可能性もあったのですよ」
「養子の裏技は上位に位置する家門だけの特権だと思っていましたけれど、このような事情が隠されているとは思いませんでした。私も、カイゼル様との間に出来た子ども達には必ず伝えます」
「お、おぉ、そうか……数人は産むつもりなのだな」
娘が嫁ぐ事が寂しいのか、お父様は微妙な反応だった。
「母上の病が消えたのは喜ばしい事です。それに、あと50年はアイリスと共に生きられる。良いことばかりだな」
ルカお兄様は相変わらず脳筋だ。
もしかしたら、そういうところが『愛し子』と合うのかもしれない。
「私たちがアイリスお義姉様を大切にすれば何も問題はないのでしょう?」
「そういうことだ。皆、あくまでも言い伝えだ。あまり気にしすぎないようにしてくれ」
お父様の言葉を合図にして解散になったけれど、ソフィアお義姉様は少し涙ぐんでいた。
「実は、マティアスを産んだ時にお尻側の骨を折っていたの。ずっと違和感があったのだけれど最近それが無くなっていて……」
アイリスさんに意地悪しようとしていたのに、好意を持ってくれていたなんて……と涙をこぼしていた。
「実は私も腱鞘炎が無くなったんだ」
ソフィアお義姉様の肩を抱いてなぐさめていたエリックお兄様にも変化が起きていたみたい。
「実は私も腰痛がきれいさっぱり無くなりました」
「剣の構え方が悪いんじゃないのか?」
カイゼル様が挙手して申告したけれど、ルカお兄様は的外れな事を言っている。
「アイリスお義姉様の周りにいる私たちが健康で長生き出来るなんて嬉しいわ。ルカお兄様は本当に幸せ者ね」
「それもこれもジュリアがアイリスとの縁を繋いでくれたおかげだな。ジュリア、ありがとう」
ルカお兄様に御礼を言われて悪い気はしなかった。これからも出来る事はサポートしてあげようと誓った。
「どういたしまして。お兄様、この後どうするの?」
「アイリスに会いに行く」
「まぁ。私も行こうかしら? アイリスお義姉様にお会いしたいわ」
わざとそう言ってみるとルカお兄様の眉間に皺が寄った。家族の前だから油断しているのかもしれないけれど、上級貴族ならもっと上手く表情を隠さないと駄目だろう。
「わぁ、団長、すっげー嫌そうな顔」
「うるさい」
「うふふ。カイゼル様、私たちも二人きりでお茶でも飲みましょうか。結婚式の打ち合わせもしたいですわ」
「分かったよ、ジュリア。そのお誘いを喜んでお受けします」
カイゼル様に手を取られると頬に熱が集まってしまう。私も、もっと上手く表情を隠さないといけないと思うのに、カイゼル様の前では素顔の自分が出てしまう。
「ジュリア。侍女を傍に置くか、扉は開けておくようにな」
「うわぁ、信用ないなぁ」
「ご自分はアイリスお義姉様を文字通り独り占めにしていらっしゃるのにねぇ」
ルカお兄様は『私とアイリスは結婚するから良いのだ』と意味不明な言い訳をして本邸を後にした。きっとホルト家に行ってアイリスお義姉様に餌付けをするのだろう。己の膝に座らせて。
「カイゼル様、ガゼボにお茶を用意させますわ。エスコートしてくださる?」
「こちらへどうぞ、私のお姫様」
庭の花々を楽しみながらガゼボに移動すると既にお茶と軽食の準備が整っていた。
「結婚式が半年も伸びるなんて予想外だったなぁ」
「そうですね……でも、細部までこだわる事が出来そうで嬉しいですわ」
私とカイゼル様の結婚式は1年後の予定だったけれど、ルカお兄様とアイリスお義姉様の結婚式を先に執り行う事になった為に半年遅らせる事になった。妹と兄を比べた時に兄を優先するのは当然だし、ルカお兄様の結婚式を予行演習だと思って微調整が出来るから個人的には有難い。
「団長が羨ましい」
「まぁ、どうして?」
「だって団長は子リス令嬢をよく膝に乗せているだろう? 私がジュリアに同じ事をしようものなら侍女か侍従がすっ飛んでくるじゃないか」
カイゼル様は少し唇を尖らせて不満顔。
「ふふ」
「えっ、ジュリア!?」
悪戯心がうずいてカイゼル様の膝に座ってみたところ、確かに侍女が駆け寄ってきた。
「ジュリア様、まだ婚約中なのですから……」
「いいの。私がこうしたいのだから、しばらく待っていてちょうだい。ルカお兄様には誰も注意していないのよ。私だけ注意されるのは不公平だわ」
ルカお兄様が誰にも、それこそホルト家でも注意されないのはアイリスお義姉様の見た目が幼いからだ。ルカお兄様の身長が高すぎて、アイリスお義姉様の身長が低すぎるせいか、遠目で見ると大人と子どものように見えてしまう。誰も注意をしないのはそういった理由があるからだろう。
「ふわー……ジュリア、やわらかい、良い匂い……俺このまま死ぬのかな」
持ち場に戻った侍女は動かない。カイゼル様の小さな呟きが届いたのは私の耳だけだった。普段は『私』と言っているカイゼル様が自分の事を『俺』と言ってしまう瞬間が大好きだ。カイゼル様の素顔が垣間見えたようで嬉しくなってしまう。
「カイゼル様に死なれたら困りますわ」
「あっ……もっと座っていて良いのに……」
その堅い膝から降りて元の場所に戻るとカイゼル様はあからさまにションボリしていて可愛らしかった。
「お膝で抱っこ、またして下さいね」
侍女に聞かれないよう、カイゼル様の耳元で囁いてみると、コクリと頷いてくれた。……その耳は少しだけ赤く染まっている。
「ねぇ、カイゼル様」
ガゼボのベンチには背もたれがついているから腰の辺りなら侍女からは見えないようになっている。隣に座るカイゼル様の手をそっと握りしめると、ゆっくりと手を解かれてしまった。
この行動に最初はショックを受けたけれど、実は違うのだ。
カイゼル様はそれぞれの指を絡めるようにして手を繋ぎ直してくれる。こうされたくて、最近はわざと掌を重ねるようにして手を繋いでいるくらいだ。
「結婚式が楽しみですね」
「そうだな、早くジュリアと一緒に暮らしたいよ」
大好きなカイゼル様と結婚できる。
大好きな家族と一緒に長生きできる。
アイリスお義姉様、ありがとう。
私もアイリスお義姉様のことを大切にするわ。……でも、ルカお兄様に『私の子リスだぞ』ってヤキモチを妬かれない程度にしておくわね。
ジュリアは大人びていますが年上のカイゼルと釣り合うように少し背伸びしています。努力もしています。カイゼルはそんなジュリアを可愛く思っているので二人きりの時は思いっきり甘やかしています。
現在の年齢まとめ
ルカ24歳
アイリス17歳
カイゼル22歳
ジュリア16歳