1 ルカ・ヴァレスティン
演習場の見学スペースに現れた令嬢の存在にはすぐに気が付いた。自分の身体が大きいせいだろうか、物心ついた時から小鳥や子猫などの小さな生き物が好きだったのだ。
私が触れたら対象物を壊してしまいそうで、怪我をさせてしまいそうで。見るだけ、触らない、というルールを徹底していた。
(あの女の子、小さいな……)
身長は150cmぐらいだろうか。茶色の髪を一つにまとめているのだが、あまり手入れはされていないようで毛先をクルンと巻いたような癖がついている。
(まるで子リスのようだ)
その子リスは騎士団が訓練をしているとほとんど毎日のように現れた。最初は見ているだけだったのが、いつしかスケッチブックを持って熱心に何かを描いている姿を見かけるようになった。週に一度か二度は来ない日もあるがそれ以外は頻繁に見学に来ているようだった。
「あの女の子、また来ていたな」
「隅っこの子?」
「そうそう」
毎日のように見学に来る上に、日傘をさしていない令嬢というのはかなり珍しい。団員の間でも話題にのぼる事が多々あった。
「いつも日差しを浴びているから平民か?」
「恐らく平民、スケッチブックを持っているから裕福な商人の娘といったところか?」
「顔は可愛いよな。うちの弟にどうかと思ったけど平民じゃ無理だな」
騎士団の中では『隅っこで絵を描いている女の子は平民である』という結論が出ていた。ここで私は一度目の失恋をした。ヴァレスティン家は兄が継ぐとはいえ、私も次期当主のスペアとして最低限の教育を受けている。貴族のしきたりとして、平民と結婚することは許されていないのだ。
子リスの事が気になるけれど、こうして騎士団長という仕事を任されている以上は上級貴族としての誇りを汚すような真似はできなかった。
(今までのように『見るだけ』なら許されるだろうか)
私が騎士団長を務めているのは学園の周辺を警護する白鷲騎士団だ。
ここカルディア王国には5つの騎士団がある。白鷲騎士団の他に、王城の周辺や王族を警護する金獅子騎士団、貴族街を警護する青鹿騎士団、商業地区を警護する黒狼騎士団、平民街を警護する翠馬騎士団だ。
王城騎士団はそれぞれの持ち場を警護するという仕事や王都周辺の魔物を討伐する仕事があるので日ごろの訓練を何よりも大切にしている。
先代の団長が怪我を理由に引退したあと、家格が一番上だった私が騎士団長になったがそれをよく思っていない者がいるのも事実だった。母上からは『結婚して孫の顔を見せてほしいわ』と何度も結婚をせっつかれている。仕方なく何度か見合いはしたが、威圧感があって怖いとか、鋭い目が怖いといった理由をやんわりと伝えられて、最終的には騎士団長の妻になる自信がないという表向きの理由で断られた。
散々な言われようだったが私にだって好みはある。あの、子リスのような可愛らしい女性が好みなのだ。母上には見合いのセッティングはしないでほしいと頼んでおいた。渋々だったが承諾してくれてホッとした。
何もかも上手くいかない日々、私を癒してくれたのは子リスの存在だけだった。ある日、カイゼルから取次があり、何故か近所で店を開いている串焼き屋の店主と面会することになった。
「差し入れ?」
「はい。本人は匿名を願っておりましたが、あの隅っこで絵を描いている娘からの差し入れです」
「そ、そうなのか」
「あの子、ただの平民だと思っていましたが商家のご令嬢だったのかもしれないですね」
「銀貨5枚分を用意してあります」
……銀貨5枚? それだけあれば新しいワンピースや日傘を買えると思うが……本当に良いのか?
「食べ物の差し入れなんて珍しいですね」
「そうだな。だが訓練の後は腹が減るから皆喜ぶだろう。店主、有難く受け取ろう」
「あの娘は騎士団長に憧れているようです。皆さんで食べてもらえるならきっと喜ぶと思います」
子リスが……俺に、憧れている……?
「団長凄いですね、もうファンがついているじゃないですか!」
私より2つ年下のカイゼルは11歳になった妹のジュリアと婚約をしたばかりなのだが、こうして明るい性格をしているので団員との距離を調整してくれることがあり、正直かなり助かっている。
演習場に串焼きが詰まった箱を持っていくと、近くに居た団員たちが不思議そうな顔をしてこちらを見ているのに気が付いた。
「皆、差し入れの串焼きだ。温かい内に食べてくれ」
大きな声で伝えると団員が嬉しそうな表情で集まってきた。
「団長のファンからの差し入れです。皆さんで頂きましょう」
カイゼルがそう付け加えると『おおっ!』とあちこちから冷やかすような声が上がった。
「団長も隅に置けないですね~!」
「それでは幸せのお裾分けを頂きましょうか」
「俺にもファンつかないかな」
「お前まだ入団して2年だろ? ファンがつくなら俺が先だ」
少し、団員の雰囲気が変わった気がした。
貴族の食事は提供されるまでに熱が冷めてしまう。
騎士団の遠征先では粗末な食事で済ませることもある。
だからこそ、まだ温かくて焼き立てだという事が分かる串焼きは格別の旨さだった。
(子リス、ありがとう。君のおかげだ)
子リスは演習場に通い始めてからの5年近くもの間、定期的に串焼きの差し入れをしてくれた。そんなある日のこと……
「今日も子リスが来ているな」
「え? 団長、いま何て言いました? 子リス?」
しまった! 子リスに集中していたせいで後ろにカイゼルが居る事に気がつかなかった!
「え? あの女の子の事を子リスって呼んでいるんですか?」
「うるさい」
「可愛いですもんね。子どもみたいに小さくて、リスみたいですもんね」
「黙れ、ぶっとばすぞ」
カイゼルは『おー怖い』と笑いながらこの場を離れたが、このとき奴に口止めし忘れていた事を早々に後悔する事になった。
「子リス令嬢、今日も何か描いているな」
「かわいそうに、令嬢とは呼べないほど日焼けしているじゃないか……」
「日傘を贈りたいけど勤務中に部外者と接触するのは禁止だからなぁ」
『癒しの子リス令嬢』を省略した『子リス令嬢』という呼び名が騎士団内に広まってしまったのだ。
それからしばらくすると、子リスが姿を消した。学園の卒業式が行われていた時期を最後に、忽然と姿を消したのだ。
私は絶望した。
心の拠り所だった子リスを見ることが出来なくなって、人生に絶望し始めていた。
「ねぇカイゼル様、お兄様の様子がおかしいのよ」
「あぁ、癒しの子リス令嬢が居なくなっちゃったからだね」
「おい、カイゼル。黙れ」
子リスが姿を消してから1ヶ月が経過しただろうか。自宅でジュリアとカイゼルと私の三人でお茶をしていたらカイゼルが余計な事を言い出した。
「癒しの子リス令嬢って?」
「ジュリアもたまに見た事があるだろう? 演習場の見学スペースで何か描いている女の子」
「日傘もささずに端の方で座っている子どもの事かしら?」
子リスは子どもではない。身長が伸びていないから子どものように感じるけれど、5年は演習場に通っていたのだから。恐らく16歳か17歳にはなっているはずだ。
「あの子、団長のお気に入りだったんだよ」
「お兄様は昔から小動物がお好きだものね。もっと早く分かっていたら私が話し掛けましたのに」
「子リス令嬢は平民だと思うよ。度々、差し入れをしてくれていたから裕福な商人の娘かもしれない」
「そんなに気に入っているなら誰かに取られる前に囲ってしまえば良かったではありませんか。お兄様、あなたは何をやっていましたの?」
大切に思っている子リスを『愛人』という影のような立場にはさせたくなかった。しかも、いずれは本妻を迎えなければならない。愛人を持ったり娼館に通い詰めたりする貴族の話はたまに聞くが、あまりにも不誠実ではないか。
「私も来週辺り見学に行こうかしら、その子リス令嬢とやらが戻ってくるかもしれないでしょう?」
「ジュリア、私の応援に来てくれるの?」
「ふふ、もちろんですよ」
目の前でイチャイチャし始めた二人を放っておいて自室に戻った。……子リス、もう君に会うことは出来ないのか?
――1週間後
子リスが! 来た!
「団長! 子リス令嬢が来てますよ!」
「分かってる!」
騎士団でも子リス令嬢の行方を心配していた者が多かったのでちょっとした騒ぎになった。いつまでもガヤガヤしているわけにはいかないから訓練を開始したが、つい子リスを目で追ってしまう自分が居る。
「今日はジュリアが見学に来ます。名前ぐらいは聞き出してくれると思いますよ」
「うるさい、訓練に集中しろ」
ジュリアは確かに子リスの名前を聞き出してきた。
「アイリス・パーキンスという名前ですって。名前にリスが入っていてビックリしたわ」
晩餐の後でジュリアと二人で話していると衝撃の事実が発覚した。
「彼女、平民ではなくて貴族の生まれだそうよ」
「本当か!」
勢いよく立ち上がったせいで椅子が倒れた。突然の物音に驚いたのか、扉の外で待機していた護衛が突入してきたが『椅子を倒しただけだ』と告げて退室してもらった。
「でも残念ね。1か月前に中級貴族のオリバー・パーキンスと結婚したみたい」
終わった。結婚できる可能性があると思って喜んだのも束の間、子リスが人妻だということが判明した。二度目の失恋だ。
「まだ分からないわ。使用人から虐待されていそうな雰囲気だったから婚姻の無効が狙えるかも」
詳しい話を聞いてみたところ、子リスは自由に出来る金を持っていない、家の者に嫌われていると話したそうだ。
「スケッチブックを買い取ってほしいと言ってきたの。自宅だとメイドに捨てられるかもしれないからって」
「メイドに?」
使用人が、女主人の私物を捨てるだと?
「お兄様、落ち着いて」
「落ち着いているさ」
「そのテーブル、そんなに強く掴んだら割れてしまうわよ」
ジュリアからの指摘に、フーッと息を吐いて力を抜いた。確かにあのままでいたら怒りに任せてテーブルを真っ二つにしていたかもしれない。
「金貨200枚で買い取ると言ってあるから他に渡すような真似はしないでしょう。でもね、出来る限り調べてみたら……彼女の生家は下級貴族のグレイシー家だったのよ」
終わった。婚姻の事実を無かった事にしたとしても、上級貴族と下級貴族では結婚ができない。三度目の失恋だ。
「大丈夫よ、お兄様。一部の上級貴族だけが使える例の裏技があるわ」
「ジュリア……お前、すごいな」
「上級貴族ならこれぐらい当然よ。お兄様、明日の仕事はお休みしてくれるわね?」
その質問にはすぐに頷いてみせた。ジュリアに言われるまで完全に忘れていたが、ある事情があって上級貴族と下級貴族の結婚を可能にする裏技が存在していたのだ。
ジュリアと作戦会議をした結果、子リスは虐待されている可能性が高いので騎士団を動かしてパーキンス家の人間を捕える事にした。
――翌日
待ち合わせ場所で待っていると街道をトコトコ歩いてくる子リスの姿が見えた。彼女とこんなに近くで会うのは初めてだった。緊張して心臓が早鐘を打っている。
「様子がおかしいわ」
「泣いているのか……?」
子リスは大粒の涙をボロボロと零していた。
「アイリス! どうしたの!?」
「き、昨日、いつもより早く、帰ってしまったんです……そうしたら、メイドに、スケッチブックを、めちゃくちゃにされて……」
子リス改めアイリスが取り出したスケッチブックは水に濡れたようでゴワゴワと波打っていた。表紙には靴裏の跡がくっきりと残っている。
「わ、私のスケッチブックが、っ……私の絵、ジュリア様が、買って下さること、凄く嬉しかったのに、ご、ごめんなさい……!」
涙を流して必死に謝罪を繰り返すアイリスを見ていると胸が締め付けられそうだった。拳を握り締めて黙って見ている事しか出来ない自分が不甲斐なかった。許される事なら、今すぐにでも抱き締めてやりたい……
「まだ1日経っていないわね? アイリス、大丈夫よ」
馬車に乗って移動した先は修復の専門店だ。ここならスケッチブックも元に戻るだろう。
5分後に戻ってきたスケッチブックは元の姿に戻っていたようでアイリスは大きな目を更に丸くして驚いていた。
「す、すごいです、こんな事が出来るなんて、知らなかったです!」
「ふふ、だから大丈夫って言ったでしょう?」
「でもお高いのでは……?」
「気にしないで。スケッチブックを元に戻したいと願ったのは私だもの」
「女神……ジュリア様の絵も描きたいです」
「それは改めて依頼するわ。ねぇお兄様、見て、この絵とても素敵なの」
可愛らしいアイリスを眺めていたらジュリアに『ねぇお兄様』と呼ばれ、スケッチブックを見せて貰うことが出来た。熱心に何を描いているのだろうと思っていたが、そこに描かれていたのは騎士団の騎士たちだった。しかも、嬉しい事に、圧倒的に私の絵が多い!
「これは……素晴らしいな」
「え! 団長さん!?」
「あらやだ、アイリスったらいま気づいたの?」
アイリスはスケッチブックの事で混乱していたせいで私が居る事に気が付いていなかったらしい。
「スケッチブックにお兄様の絵がたくさん描かれていたから、アイリスにお兄様を見せてあげたくて……騎士団の仕事は休暇を取ってもらったのよ」
「わ、わざわざありがとうございます……?」
「私はルカ・ヴァレスティンだ。君はここ4、5年で毎日のように訓練の見学に来ていた子だろう? 騎士団で知らない者は居ないぞ」
違う、5年だ。気持ち悪がられるかと思って少なめに言ってみただけだ。アイリスが5年間も通ってくれた事は私が良く知っている。
「カイゼル様が『癒しの子リス令嬢』って呼ぶから気になっていたのだけれど、本当に子リスみたいに可愛くて驚いたわ」
「ジュリア、止めなさい。内輪の事とはいえ女性にあだ名をつけるなど……不快な思いをさせてすまない」
「いいえ、平気です。家族に嫌われていたせいかご飯も満足に食べられなくてこんなサイズになっちゃいましたが癒しだと言って頂けて嬉しいです」
実家でも酷い目に遭っていたのか……
まだ見ぬグレイシー家を徹底的に調べて重い処罰を食らわせる。絶対にだ。
「狭い部屋ですみません……」
アイリスは正面玄関を使ってはいけない事になっていると申し訳なさそうに説明し、裏口から自室へと案内してくれたのだがその部屋は屋敷の端にあった。日当たりが悪く、狭い部屋。下働きでも使わないような粗末な小屋のような場所だった。
こんな、このように酷い場所で、1ヶ月以上も暮らしていたというのか?
「本当は応接室があるんですけど、私はこの部屋から出ないように命令されているんです。せっかく来てくださったのに、お茶も出せなくて、こんな対応で……すみません」
――ビキッ
自分のこめかみの辺りから音が聞こえた。
こんなに頭に来たのは久しぶりだ。
「アイリス! 人を連れて来たって聞いたわよ! 勝手な事を……」
ノックもせずに部屋に飛び込んできた若い女を即座に拘束した。メイド服を着ていないから使用人ではない、豪華なドレスに宝飾品をつけているがパーキンス家の先代夫妻は既に田舎に引っ込んでいるから家族でもない。つまり、愛人か。
「エイダはオリバー様の子どもを妊娠中なんです! その子どもを私との間に産まれた事にするって言ってました!」
女の腕を掴んで床に押さえつけた。
アイリスを虐げた罪は重い。
「簒奪の計画と夫人への虐待を確認した! この屋敷の者を一人残らず拘束せよ!」
こいつがアイリスを苦しめていたんだよな。
このまま首の骨を折って殺してしまおうか。
「騎士団を呼んでおいて正解でしたね、お兄様」
ジュリアが私の考えを読んだのかもしれない。あえて明るい声で話題を振られた事でハッと我に返った。
「あぁ。ジュリアから聞いた話だけでも夫人が虐待を受けている事は明白だったからな」
その後の流れはスムーズだった。
ジュリアの提案でアイリスはホルト家の養子として迎えられ、中級貴族の仲間入りを果たした。これで上級貴族の私と結婚が出来るようになる。アイリスへのプロポーズが成功した時は歓喜の叫びを上げそうになったが、グッと堪えて冷静に振舞った。
「ブラン、グレイシー家の調査は終わったな?」
「はい」
執事見習いのブランは、私とアイリスが結婚した後で住む予定の別邸で執事を任せる事になっている。
「生かさず殺さずで良い。アイリスへの慰謝料を搾り取っておけ」
「そのつもりでございます」
「パーキンス家の方はどうなった?」
「オリバーの調査は終了しましたがエイダの方が口を割らないようで少々手間取っています」
アイリスへの虐待を主導していた女だ。オリバーは言いなりになっていただけだからエイダの方が罪は重い。
「腹の子が流れなければ何をしても良い。なるべく苦しませてから吐かせるよう指示を出せ。責任は私が持つ」
「仰せの通りに」
私の子リス。
大切なアイリス。
君を害した者には私が罰を与えよう。
君が笑って暮らせるように、
幸せに暮らせるように、
生涯をかけて、君を愛し続けると誓うよ。
上級貴族らしい残酷さも兼ね備えているところを書きたかったです。
脳筋寄りのルカはアイリスに対して激甘ですし過保護にしていますが、アイリスに他人が絡んでくると軽率にヤンデレへとジョブチェンジします。
追記:子リスが月面着陸に成功しました。