7 たくさんの大好きを伝えたい
美術クラブではしゃいだから呆れさせちゃったかなぁと思いながら、シュンと肩を落として自分の行いに落ち込んでいたけれど、しばらくすると馬車が停まって『到着致しました』と声が掛けられた。
「アイリス、行こう」
ルカ様のエスコートで馬車を降りると、そこは庭園だった。花壇には色とりどりのお花が咲き乱れている。その間を縫うように設置されている小径にはレンガが敷き詰められていて、とても可愛らしかった。
「素敵……」
「ヴァレスティン家が所有している庭園だ。この先にガゼボがあるから一緒に行こう」
いつものスケッチブックを持ってきて良かった。許しを貰えたらルカ様の絵を描かせてもらおう。
ガゼボに到着するとティーセットと焼き菓子などのおやつが用意されている。先発隊が準備をしてくれていたようだ。ヴァレスティン家の使用人は本当に行動が早いし、洗練されている。
「アイリス、私は心が狭い」
「え? そうですか?」
「彼はアイリスの恩人だ。頭では分かっているのに、二人の親し気な様子を妬ましく思ってしまった……」
カルバス様は50代の男性で、孫どころかひ孫もいるから世間的には『おじいちゃん』だよ!? もしかして、さっきの馬車でルカ様が黙り込んでいたのは嫉妬していたから……?
「カルバス様は私にとっておじいちゃんのような存在なんです。でも、ルカ様が気にしているなら、今後は態度を改めますね」
「いや、すまない。いつも通りにしていてくれ」
隣に座るルカ様にそっと身体を引き寄せられて、私の肩にかけられていたルカ様の手がゆっくりと頭を撫でてくれた。
「串焼きの資金源は絵の代金だな?」
「はい! ……ん? なぜ、知っているのですか?」
串焼き屋のおじさん、匿名で差し入れしたって言ってたけど、どうしてルカ様が知ってるんだろう……?
「さすがに食べ物の差し入れを匿名で受け入れるという訳にはいかないからな」
ルカ様は苦笑いを浮かべている。
……そうだ、すっかり忘れていたけど貴族には毒殺の危険があるのか!
「串焼き屋の主人から『本人は匿名を願っておりましたが、あの隅っこで絵を描いている娘からの差し入れです』と告げていたぞ。たまたまカイゼルも一緒に居たから知られてしまったが、団員には匿名と伝えてあるから安心していい」
「そうだったんですか! ルカ様とカイゼル様には知られていたんですね」
ほかの騎士さん達には内緒で配ってくれたなら安心だ。
「アイリスも知っていると思うが王城には5つの騎士団があるだろう?」
5つの騎士団については名前だけ知っている。学園周辺の警護を担当しているのがルカ様率いる『白鷲騎士団』だ。
「騎士団の団長は家門の格で決まるのが習わしだ。20歳の若造が団長になることに内心納得していない者がいるのも事実だった」
「そういえばルカ様は私が学園に通い始めた頃から団長と呼ばれていましたね」
そのせいでルカ様だけお名前が分からなかったんだ。前世でもあったよね、学校を卒業したばかりの幹部候補生が配属されていきなり役職つきになるみたいな制度……
「アイリスが定期的に差し入れをしてくれたおかげで騎士団内の空気が変わったんだ」
「串焼きの差し入れで?」
「あぁ。カイゼルが『団長のファンからの差し入れです。皆さんで頂きましょう』と声を掛けてくれたんだ」
カイゼル様ってチャラそうな雰囲気だけど、場の空気をコントロールしたり調整したりするのに長けているのかもしれない。ルカ様が騎士団長として受け入れてもらえるよう動いてくれたんだと思う。
「騎士団はほとんどが貴族の出身だが遠征先で様々な食事をする事に慣れているんだ。アイリス風に言うなら『美味しいは正義』だな」
「あの串焼きは本当に美味しいです! 美味しいは正義です!」
「しかし、差し入れの度に絵の代金を全て使ってしまったんだろう? 本当に欲しい物が手に入らない生活では辛い決断だっただろうに……」
ルカ様はまるで自分が同じ経験をしたかのように、顔を歪めて悲しそうな表情を浮かべている。
「手に入れたお金を取り上げられた方が辛かったと思います。それに、騎士団の皆さんが美味しそうに食べているところを見ることが出来て私は嬉しかったんです。スキルを使って、ルカ様が食べているところもちゃんと見ていましたよ!」
思わずストーカーみたいな発言をしてしまったけれど、ルカ様は優しく笑って『そうだったのか』と言ってくれた。それはさすがに気持ち悪い、とか拒絶の言葉を言われなくて良かったよ。
「ねぇルカ様、お願いがあるんです」
「なんだ? アイリスの願いなら何でも叶えるぞ」
「ふふ……あのね、ルカ様の絵を描かせて頂けませんか?」
そう告げてみるとルカ様は不思議そうな表情で首を傾げていた。あんなにたくさん描いていたのに? と考えているのかもしれない。
「今まではスキルの遠見を使って盗撮……盗み見? みたいな絵ばかり描いていたから、ちゃんと目線をもらった肖像画を描いてみたいんです」
「あぁ、分かった。何枚でも描いていいぞ」
隣り合わせに座っていたけれど、お互いに少しだけ身体の向きを変えて向かい合うように座ってみた。これでルカ様のお顔が良く見える。
「描きながら話せるのでお喋りしてて大丈夫ですよ」
しばらくの間、ガゼボにはスケッチブックに鉛筆を走らせる音だけが響いていた。
「私ね、初めて騎士団の演習場に行ったときにルカ様を見てビックリしたんです」
「ビックリした? それは何故だろう」
「……素敵な人だったから」
恥ずかしくてスケッチブックから顔を上げる事が出来なかった。
「背が高くて、身体が大きくて、声もカッコよくて、私の理想を詰め込んだような人だったから」
「それは嬉しいな。アイリスも私と同じように一目惚れだったのか?」
「……はい」
鏡を見なくても顔が真っ赤になっているのが分かる。ルカ様の方は見れなかったけど、声の感じから喜んでいる様子が伝わってきた。
「家にも学園にも居場所がなくて憂鬱な毎日だったけど、騎士団の演習場に行けばルカ様を見る事が出来るし、スケッチブックに絵を描く事が出来るし……」
これまではルカ様が気持ちを伝えてくれる日々だった。私も同じように気持ちを伝えたかったけれど、上手く言えなくてごまかしてしまう事ばかりだった。
「えっと、だから、だからね……」
思い切って顔を上げてみると、穏やかな笑顔を浮かべたルカ様と視線がぶつかった。
「私も、ルカ様が大好きです」
「アイリス……」
「恥ずかしくて、あ、愛してるって、スムーズに言えなくてごめんなさい」
「構わない。これからいくらでも時間はあるのだから」
スケッチブックをテーブルに置いてルカ様の方に近づいてみると、左側の頬に手を添えられた。その大きな手に私の手を重ねて、大好きなルカ様の顔を見上げてみる。
「アイリス、私もアイリスが大好きだ」
「嬉しいです……」
ルカ様の肖像画を描く事を中断して、時間が許す限りその広い胸に抱き締められていた。
そして、私は今……
「もうお腹いっぱいです」
ルカ様の膝の上で餌付けされている。
ジュリア様とカイゼル様と一緒に午後のお茶の時間を過ごす予定になっていたから急いで帰ってきたんだけど、なぜルカ様の膝の上に座らされているの……?
「お兄様、アイリスお義姉様との結婚式が楽しみね」
「団長が子リス令嬢を捕まえたと聞いた時は驚きましたけど、結婚が決まって良かったですね」
ジュリア様と、その婚約者である大剣持ちのカイゼル様も楽しそうに笑っている。
プロポーズを受け入れてから1ヶ月が経過したけれど、幸せな毎日が続いている。
ホルト家ではたくさんの絵が描けるし、ジュリア様は絵を買い取ってくれるし、騎士団の見学とスケッチをする時はホルト家の侍女さんが日傘を差してくれるのだ。今はまだこんがり日焼け肌だけど、結婚式をする頃には少しでも白くなっていると思いたい。
「ルカ様、本当にお腹いっぱいです。これ以上食べたらドレスが破れますよ」
「それは困るな。そろそろ止めておくか」
私の口元に運ばれていたケーキがルカ様の口に消えていった。ケーキが無駄にならなくて良かった。
「ねぇ、次はどんな絵を描くの?」
「体格差エロ漫画……」
「タイカックサ? エロマ? ンダ?」
「あっ! 今のは気にしないでください!」
危なかった!!
この世界の人類にエロ漫画はまだ早すぎる!!
「次回作はジュリア様をモデルにした女神の絵を描きたいです」
「まぁ! どんな絵になるのかしら……楽しみだわ! アイリスお義姉様はお兄様と結婚するのだから私の事は呼び捨てで良いのよ?」
「そ、それは結婚したら呼ばせて頂きます。まだ慣れなくて……」
結婚後に専用のアトリエが与えられた事で我慢が出来なくなった私は、登場人物の姿をルカ様と私に寄せた体格差エロ漫画を描き上げた。今までの鬱憤を晴らすべく、私の性癖を『これでもか!』と詰め込んだ超大作を完成させた。
「で、できた……タイトルは『虐げられていた令嬢が人嫌い閣下の婚約者になりましたが、ちっちゃいモノ好きな閣下に毎日溺愛されて身体が持ちません!』だよ!」
原稿用紙に近い厚手の紙、Gペンも丸ペンも無いから何本も取り寄せて試してみた万年筆、曲線を描くのに役立った建築用の定規……漫画を描くために必要なものは代替品を探して何とか書き上げた。アナログもデジタルもやってて良かった。本っっ当に良かった。
「ヒロインの名前はリリス。人嫌い閣下の名前はルカリオン。私だけのエロ漫画だからビジュアルも思いっきり寄せちゃった!」
モノクロで24ページ。トーンが無いから背景とか集中線は自力で描いた。字も頑張って丁寧に描いた。
「描き上げた満足感がやばい……めっちゃ眠い」
前世の締め切り明けには近所の焼肉屋に行ってたなぁ、なんて事を考えながら机の引き出しに漫画を仕舞って長椅子に寝転んだ。このアトリエに入れるのはルカ様と私が招待した人だけだから漫画を見られる心配はない。夕食の時間まで一眠りしよう。
――コンコン
「アイリス? 注文していたインクが届いたぞ。執事から受け取ってきたが……アイリス? 寝ているのか。インクは日光に当てると劣化するようだから机の引き出しに入れておくか。ん? ……これは……?」
「ふわぁぁ……よく寝た」
紙がこすれるような音がして目が覚めてしまった。もしかして、窓が開けっ放しだったのかな?
「あれっ、ルカ様! 起こしてくれたら良かっ……うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ルカ様が!
私の漫画を読んでいる!!
アイリス先生の最新作『虐げられていた令嬢が人嫌い閣下の婚約者になりましたが、ちっちゃいモノ好きな閣下に毎日溺愛されて身体が持ちません!』を! 読んでいる!
「アイリス、これは……」
「ひ、ひぃ……これは、これはぁ……!」
過呼吸になりそう。
むしろこのまま息が止まってほしい。
「落ち着け。大丈夫だ」
大丈夫じゃないよね!?
この状況で落ち着けるわけがないよね!?
「これはアイリスが描いたものだな? 紙芝居の絵柄と良く似ているからすぐ分かったぞ」
詰んだ。もう言い逃れできない。
「その、良く描けていると思う」
「ありがとうございましゅ」
噛んだ。むしろこのまま舌を噛みたい。
「しかしだな、その……アイリスは私と初夜を過ごした時は確かに乙女だった。それなのに、なぜこうも……」
言わないで!
それ以上は言わないで!
「行為が具体的というか、ルカリオンの身体も、その……」
だってこれ商業誌じゃないから!
修正の必要がないから!!
「ちちちち違うんです! 私、前世で漫画家だったんですよね! 自分で言うのもアレですけど売れっ子の漫画家だったので! こういうの描くの得意だったんですよね! こうして好きなだけ絵を描ける環境になったから性癖を詰め込んでしまったんです!!」
パニックになった私は何もかも話してしまった。ルカ様の質問に答える形で前世の事を洗いざらい話してしまった。
「なるほど。アイリスは女神様の花園より以前の記憶があるという事か」
「やけにあっさり受け入れましたね……」
一気に上がった血圧が急激に下がったせいでめまいが起きた。今はルカ様の膝の上に横抱きにされている。
「あぁ、王家や一握りの上級貴族にしか知らされていないが女神様の花園よりも以前の記憶がある者のことを『女神様の愛し子』と呼ぶんだ。そう呼ばれる者たちは素晴らしい発明をする事があるのだが……アイリスが使っている鉛筆や万年筆などの筆記用具もその内の一つだな」
「そうだったんですね……」
「アイリスが描く絵も素晴らしい発明として後世に名を遺すだろう」
転生者が受け入れられている世界で良かったし、ルカ様がその情報を知っている上級貴族で良かったよ……
「この作品を『漫画』と呼ぶのか?」
「はい、その通りです」
「この漫画にはアイリスの希望が詰まっていると言っていたな。その希望は全て叶える。楽しみに待っていてくれ」
「ち、違うんです、これは性癖を詰め込んだだけであって、私がされたいと望んでいるのではなくてですね……そ、そうだ! 現実の事ではないんですよ、演劇と同じようにフィクションという新しい表現方法で……」
「遠慮しなくて良い。今まで辛い思いをした分、アイリスには幸せになってほしいのだ」
ルカ様が慈愛に満ちた表情で私を見つめてくるけど、本当に違うのだ。妄想と現実は別物だという事は、プロの漫画家だった私が一番よく分かっている。
「しかしな、庭師の男と会話をしただけでリリスの尻を叩くとは……ルカリオンは狭量すぎないか?」
「ルカ様やめてぇ、講評しないでぇ……」
「それに、リリスの胸が……」
ルカ様が気まずい表情で私の胸元に視線を送ってきたけど、漫画の中だけでも大きいおっぱいになりたかったんだよ……
「私の両手に収まるアイリスの胸、好きだぞ?」
「は、はい、ありがとうございます」
「まずは初夜の場面から再現してみよう」
とても楽しそうに漫画を読んで勉強しているルカ様を止めることは出来るのだろうか、と考えていたら心臓がドキドキしてきた。この胸の高鳴りは緊張から来るものだろうか、それとも――
「ルカ様、無理はしないでくださいね」
「フフ……私の子リスは心配性だな」
「私の身体、大丈夫かなぁ……?」
ハードモードな人生をプレゼントしてくれた女神様、あなたの愛し子はこの世界でちゃんと幸せになるので安心してくださいね!
子リス令嬢にお付き合い頂きありがとうございました。
評価を頂けると嬉しいです。
なにか思いついたら番外編として更新していきたいと思います。