4 可愛いは正義
「騎士団の正装にはマントがつくので、こうして……」
「うわわ、わわ……!」
マントをなびかせて勇ましく立っているマティアス様の騎士服バージョンが出来上がりだ。そんなに描きこんではいないけど、鉛筆描きならではの良さがあるのではないだろうか。うーん、自画自賛!
「はわわ……きゃーー!」
「うっ、耳が!」
子ども特有の高音叫び声を至近距離で浴びた私は耳が死んだのかと本気で思った。マティアス様が上げた歓喜の叫びに反応したのか、ソフィア様とエリック様が真っ先に駆け寄ってきた。それからルカ様を先頭にして他の皆さまも生垣の傍に集合してきた。
「マティアス! 何があったの!?」
「おかあさま! みて! アイリスさまがぼくをきしにしてくれた!」
ルカ様とジュリア様はいつもと変わらなかったけど、他の皆さまはスケッチブックを囲んでザワザワしている。もしかしたら私が絵を描くことを知らされていなかったのかな……?
「金貨20枚で買うわ」
真っ先に正気を取り戻したのはメリッサ様だった。
「お義母様! マティアスは私達の子なので私が買います! アイリスさん、金貨25枚でどう?」
「可愛い初孫の肖像画ですよ! 私が買います! こんなに素晴らしい絵は見たことがないわ! 絶対におばあちゃまの私が買います!」
メリッサ様とソフィア様が言い争いを始めた!
仲の良い二人だと思っていたのに私の絵が原因で嫁姑戦争が勃発したら大変だ!
「あのう、良かったらあと2枚描きますよ。マティアス様も自分のお部屋に飾りたいと思うのです」
同じ絵を2枚描くと言ったら言い争いがピタリと止まった。これで安心だ。
「うん! ぼくもほしい! アイリスさま、おかねは、おとうさまにおねがいしてみるから……」
「これは私がマティアス様にプレゼントしたくて描いたものだからお金は頂けません。プレゼントしても良いですか?」
「ありがとう! おとうさま、もらってもいい? いいよね?」
マティアス様がぴょんぴょんと飛び跳ねて全身で喜びを表現している。エリック様もそんなマティアス様が可愛いのか、笑顔で頷いてくれた。
「アイリスさん、素晴らしい絵を描いてくれてありがとう。対価となるものを後ほどお渡ししよう」
「いえ、あの、本当にお金は……」
「アイリス、遠慮しなくて良い。馬車の中でも話したがアイリスの作品には価格がつけられないほどの価値があるんだぞ」
ルカ様に頭を撫でられて、嬉しさのあまり頬がニマニマしてしまう。
「こほん。皆さま、お茶を淹れ直させましたのでテーブルに戻りませんか?」
ジュリア様の声かけで全員が元の場所に戻ると、そこにはマティアス様の席も用意されていた。さすが上級貴族。使用人の仕事が早い。
「お父様、金貨200枚で購入した美術品をここでお見せしても良いかしら?」
「そういえば絵を買ったと言っていたな。2週間前だったか?」
「えぇ。家族が揃ったときにお披露目しようと思っていたの」
いつの間にか絵を飾るためのイーゼルが運び込まれていて、その上にはツヤツヤした布がかけられていた。金貨200枚ということは、あの下にあるのは私のスケッチブックかな?
布がめくられた瞬間、絵の具で汚しまくったスケッチブックの表紙がお目見えした。誰も口には出さなかったけど『汚いな……』と思っただろう。妹のチェルシーに触られないよう、敢えて絵の具で汚しておいたのだ。
「めくってちょうだい」
メイドが表紙をめくった瞬間、ハッと息を飲む音だけが聞こえた。1ページ目は上半身だけ描かれたルカ様だ。
「ルカおじさまだ! かっこいい!」
それから時間をかけて全てのページをめくり終えるまで、マティアス様以外の全員が口を噤んでいた。マティアス様はどのページを見ても『すごい』『じょうずだね』『かっこいい』と評価してくれたからとても嬉しかった。
「金貨200枚にふさわしい美術品でしたでしょう?」
「ジュリア、まさか……この作者は……」
クロウリー様がそこで言葉を区切ると、全員の視線が私に集中した。正直怖い。
「アイリスが描いた絵だが?」
それがどうした? と言わんばかりにルカ様が私の肩を抱き寄せてくれた。真顔で見つめられて怖かったから安心したよ……
「こんなに素晴らしいスキルを持っているなら最初から説明しなさい。無駄に怖がらせてしまったじゃないの。アイリスさん、ごめんなさいね」
「私も下級貴族の娘がルカ様を籠絡したと思って強く当たってしまいましたわ。アイリスさん、申し訳ありませんでした」
メリッサ様とソフィア様が謝ってくれた。これは心がこもった『ごめん』だった。
「貴族社会では格が重要だと思うので、警戒するのは当然だと思います。気にしていませんよ」
「何か勘違いしているようですがアイリスのスキルではありませんよ。この才能はアイリスが長い時間をかけて努力を続けた結果、身に着けたものです」
「ルカ様……」
やばい、嬉しすぎて泣きそう。
「ジュリア、お前……本当に良い性格をしているな」
クロウリー様は苦笑いを浮かべているけれど、ジュリア様はキラキラと輝くような笑顔を浮かべていた。
「ふふ、何のことでしょう。私はただ手に入れたばかりの美術品を披露しただけですよ」
楽しそうに笑うジュリア様が従僕に目配せすると、大き目な封筒がクロウリー様に手渡された。クロウリー様は封筒から取り出した書類っぽいものを1枚、また1枚と読み進めていき、メリッサ様に手渡していた。そして盛大な溜息を吐いた。
メリッサ様からエリック様、エリック様からソフィア様へと書類が渡り、それがルカ様に手渡されたけれど、ルカ様は内容を知っているようですぐに封筒に戻してしまった。
「グレイシー家とパーキンス家の処罰が終わったようですね。これでスッキリしたわ」
グレイシー家で行われていた実子への虐待、パーキンス家の婚外子による簒奪計画と夫人への虐待についての調査と処罰についての報告書だったらしい。ルカ様にお任せしたら私が知らない間に全部終わったようだ。
「ルカ、情報は早めに寄こしなさい」
「父上、それはジュリアに言ってください。ジュリアに口止めされていたのです」
「私のところにも情報が入ってこないとは……」
「婚外子による簒奪は重罪ですからね。確実に裏が取れるまでは情報が漏れないよう規制していたのです。この書類が一番早いですよ、兄上」
「ジュリア、お前……本当に良い性格をしているな」
クロウリー様、それ、さっきも聞いた。
「アイリスお義姉様のためですもの」
このときの会話がよく分からなくて、あとになってからジュリア様に確認したところ『アイリスの事を下に扱ったあとで色々と判明したら罪悪感を煽れるからアイリスが優位に立てるようになる』『アイリスは貴族の会話や、言葉に込められた悪意を体験する』という狙いがあったようだ。有難かったけど、ジュリア様が家族にも容赦なくてちょっと震えた。
それからは新しいスケッチブックに描いていたルカ様やジュリア様の絵を見せたり、マティアス様の絵を描いてみせたりして和やかな雰囲気のままお茶会を終える事が出来た。
最初はどうなることかと思っていたけど、ジュリア様とルカ様のおかげでヴァレスティン家の皆さんと仲良くなれそうな気がしてきた。
「アイリス、疲れてないか?」
「いいえ、とっても楽しかったです!」
帰りの馬車の中、ルカ様と二人きりになれたので隣に座るルカ様の手をちょんと触ってみると手を繋いでくれた。繋いだ手にギュッと力を入れてみたら、優しく握り返してくれた。至福の時間だ。
「母上と義姉上はマティアスの絵で手のひらを返したな。見事だった」
「可愛いは正義です。これはどの世界でも共通ですよ」
「可愛いは、正義……?」
聞きなれない言葉にキョトンとしているルカ様が可愛らしい。成人男性、しかも騎士に使っていい言葉ではないけど、ルカ様の素の表情がとても可愛かった。
「可愛いというだけで何でも許せちゃう、可愛いというだけで何よりも価値がある、可愛いものは最高、という意味です!」
「なるほど。アイリスのためにあるような言葉だな」
こめかみの辺りに軽いキスを落とされて少しだけ頬が熱くなる。ルカ様は真面目な騎士だから結婚式までキスはしないと勝手に思い込んでいたけど、突然のスキンシップに心臓が早鐘を打っている。
「アイリスは可愛いから何でも許せるし、アイリスは可愛いから最高だ」
「ルカ様に可愛いって言われると照れちゃいます……」
嬉しくて、恥ずかしくて、頬が緩んで変な顔になってしまいそうだ。
「可愛いアイリス。私だけの子リスだ」
ルカ様に『子リス』って呼ばれるとソワソワしちゃう。ルカ様らしい、独特の愛情表現だからかな?
「早く結婚したいな」
「はい、私も……」
結婚したらアトリエを作ってもらえることになっている。そうしたらたくさんの画材を買って、たくさんの絵を描こう。
様々な絵を飾っておけば急な来客があっても視線が分散する。体格差エロ漫画をこっそり描いていてもバレないはずだ! 気合い入れて描きまくるぞ! 名付けて『木を隠すなら森の中、体格差エロ漫画を隠すなら絵画の中』作戦だ!
「ルカ様、学園の美術クラブに恩返しの寄付をしに行きたいんです。ルカ様のお休みの日があれば一緒に来てもらえませんか?」
「あぁ。予定を合わせてお供しよう」
馬車はもうすぐホルト家についてしまうけど、もう少しこの時間が続いてくれたら良いのになと思わずにはいられなかった。
ルカ様は騎士団長の仕事があるから頻繁に会う事は出来ない。でも、私から会いに行くことは出来る。騎士団の演習場に見学に行こう。日傘を差して、スケッチブックを持って、大好きなルカ様に会いに行くね。