3 ヴァレスティン家でのお茶会
「アイリスお嬢様、そろそろお支度の時間ですよ」
「え? はい、分かりました、あっ、分かったわ」
侍女のカリナに声をかけられたので手に持っていた筆を筆洗器に入れて一息ついた。養子縁組をして2週間が経過したところだけど、侍女やメイドにお世話をされる生活に慣れなくてぎこちない態度になってしまう。
カリナは下級貴族の娘で行儀見習いに来ているらしいので下級貴族の最下層に居た私よりも身分は上のはずだ。ルカ様と結婚するまでの中継ぎのような形で中級貴族のホルト家に住んでいるけれど、義両親も侍女も優しく接してくれるから少し落ち着かない。
「それにしても本当に素敵ですわ……」
カリナは頬を赤らめて悩まし気な溜息を吐いている。見つめる先には私が先ほどまで色を塗っていたキャンバスがあった。
「可愛らしく微笑んでいる奥様、そしてその奥様を優しい眼差しで見つめる旦那様……まるでお二人の時間をそのまま写し取ったような……はぁ、いつまでも見ていたい」
「そんなに凄いかな?」
「えぇ、私の実家ではたくさんの絵を飾っておりますけれど、このように素晴らしい作品はお目にかかった事がございません。アイリスお嬢様にお仕え出来て本当に光栄ですわ」
侍女達が優しい理由が分かった。よくある肖像画は真面目な顔ばかりで必ず目が合う仕様になっているけど、私の絵は日常の風景を描いた自然な物だから珍しいのだろう。目の肥えたお嬢様にも認められてホッとした。鉛筆書きのラフ画であんなに喜んでくれたのだから、きっとお義母様もお義父様もフルカラーになったらもっと喜んでくれると思う。
「入浴の準備が出来ております。その後、マッサージ、お着替え、お化粧、ヘアセットをさせて頂きますね」
「お願いします……あっ、頼むわね」
まだ結婚の日程は決まっていないけど、それまでの間に使用人の皆さんの絵も描いてプレゼントしたいな。感謝の気持ちを込めた贈り物だ。賄賂じゃないよ。
――数時間後
「まぁ、可愛らしいこと! アイリス、よく似合っているわ」
「ありがとうございます、お義母様」
侍女達によって磨かれた私は義母のシェリーナ様に褒められていた。ホルト家は子ども達が家を出てしまったばかりで、シェリーナお義母様は空の巣症候群になりかけていたらしい。私の事を歓迎してドレスや宝石を買い与えようとしたのだがルカ様によって『私だってアイリスに贈りたいのだぞ!』と、待ったがかけられている。
私が持っている服といえば平民が着るようなワンピースだけだったので、シェリーナお義母様には既製品のドレスを何枚か買ってもらった。今日はそのうちの1枚である薄紫色のドレスを着ている。ルカ様の瞳の色だ。
「お化粧が出来なかったことが悔やまれますわ……」
「小麦色の肌はアイリスの個性だもの。まだ若いのだから口紅だけで十分よ、とっても可愛いわ」
こんがりと日焼けをしているせいでファンデーションの色がどれも合わなかったのである。それも当然だろう、貴族のお嬢様の肌は雪のように真っ白というのがこの世界の常識なのだから。
メイク担当の侍女が残念そうに眉を下げていたけれど、シェリーナお義母様が『個性』と言ってくれたおかげで納得したようだ。ホルト家の皆さんは本当に優しいなぁ……
「お義母様、新しいスケッチブックと画材をたくさん用意してくださってありがとうございます!」
「ふふ、いいのよ。足りなくなったら言ってちょうだいね」
ジュリア様が私のスケッチブックを金貨200枚で買ってくれたので画材屋さんに行きたいと言ったら『わざわざ行かなくても良いのよ』と、画材屋さんを呼んでくれた上に支払いまでしてもらえた。
自分のお金で払うつもりで爆買いしたからシェリーナお義母様が『請求はこちらに』って言いだした時はちょっと焦った。そのまま押し切られて支払いを任せることになったのだけど、本当に良かったのだろうか……
「あら、スケッチブックも持っていくの?」
「はい。ルカ様に見せようと思って」
「きっと喜んでくれるわよ」
新しいスケッチブックには妄想で描いたルカ様やジュリア様、ホルト家の義両親、屋敷で見つけた猫や鳥などのスケッチが描かれている。ルカ様に褒めてもらえるかも、という下心全開である。
「本当に一人で行ける?」
「はい。今日は紹介するだけって言ってましたから!」
今日はルカ様のお父様とお母様に紹介してもらうことになっている。ジュリア様も同席してくれるみたいだし、晩餐じゃなくて簡単なお茶会だから気負わずにおいでと言われていた。シェリーナお義母様はちょっと心配そうにしていたけど『楽しんできてね』と納得してくれた。
「奥様、アイリスお嬢様、間もなくヴァレスティン家の馬車が到着致します」
執事に声を掛けられたのでシェリーナお義母様と一緒に玄関ホールでお出迎えをした。
「アイリス、今日も可愛らしいな。そのドレスも良く似合っている」
「ルカ様、ありがとうございます」
ルカ様は馬車が停まるとすぐに駆け寄ってきてくれた。可愛らしいと言ってもらえた事が嬉しくて頬がニマニマしてしまう。
「少しアイリスを借りる。夕方までには送り届けよう」
「えぇ、義娘をよろしくお願いいたします」
シェリーナお義母様と使用人の皆さんに見送られてホルト家を出発した。ちなみに、ルカ様と会うのは1週間ぶり。養子縁組についての書類や手続きは全てルカ様が担当してくれたから、騎士団の仕事もあって忙しくしていたみたいだ。
「アイリス、元気にしていたか?」
「はい! ホルト家の皆さんが良くしてくれるので、毎日が楽しいです。スケッチブックも買ってもらったんですよ」
褒められたくてしょうがないので会話もそこそこにスケッチブックを取り出してみるとルカ様も嬉しそうに笑って一緒に見てくれた。
「これは、あまりにも美化しすぎではないか?」
「私の目にはこう映っていますよ?」
パーキンス家から救い出してくれた日のように正装したルカ様を描いたのだけどキラキラさせ過ぎたかもしれない。ルカ様がちょっとだけ照れていた。
「これはジュリアだな。カイゼルが欲しがるだろう」
「本当ですか? プレゼントしようかな?」
「ちゃんと対価を貰うようにな。アイリスが描く絵には価値があるのだから」
「ふふっ、分かりました!」
他愛のない会話を楽しんでいるとヴァレスティン家に到着したようで、ルカ様にエスコートされてお茶会の場所まで移動した。今日はルカ様のご両親とジュリア様が参加するっていう話だったけど……
「母上? どういうことですか?」
「“家族”の顔合わせですもの。全員が揃っていた方が良いでしょう?」
会場にはルカ様のご両親とジュリア様だけでなく、一組の男女が居た。もしかしたら次期当主のお兄さんとその奥様かな?
「あなたがアイリス・グレイシーさんね?」
「アイリス・ホルトです! 養子になりました!」
「そ、そうだったわね」
そういえば戸籍ロンダリングって一握りの上級貴族だけが使える裏技だった気がする。堂々と言わない方が良かったかもしれない。
「アイリス・ホルトと申します。養子として迎えられました」
今度は小さな声で挨拶した。ジュリア様が扇で顔を隠してプルプル震えている。もしかしたら養子の事は口にしない方が良かったかもしれない。
「家族を紹介しよう」
ルカ様が一人ずつ紹介してくれた。
まずはヴァレスティン家の当主、クロウリー・ヴァレスティン。ルカ様のお父様だ。身長は180cmぐらいで顔つきはルカ様とよく似ている。優しそうだけど少し威圧感がある。
そしてルカ様のお母様がメリッサ・ヴァレスティン。3人の子どもがいるとは思えない美貌の持ち主だ。メリッサ様がジュリア様と並ぶとお顔がよく似ているのが分かる。
ルカ様のお兄様はエリック・ヴァレスティン。顔立ちはお母様のメリッサ様に似ている。華奢な感じだけど目が鋭くてちょっと怖い。常に笑顔を浮かべているけどお腹が真っ黒な文官って感じ。
エリック様の奥様はソフィア・ヴァレスティン。5歳になったばかりの息子さんが居るので、あとから紹介してくれるらしい。ソフィア様はジュリア様みたいに美しくて、上級貴族オーラ半端ねぇなって思った。
自己紹介が済んでようやくお茶会がスタートしたのだけど、それと同時に戦いのゴングが鳴り響いた気がした。
「まずはルカ、アイリスさん。婚約おめでとう」
「父上、ありがとうございます」
「えっ」
慌てて口を塞いだ。
私、いつの間に婚約したっけ? 養子縁組のときにたくさんの書類にサインしたからそのうちのどれかが婚約についての書類だったかもしれない。全部ルカ様任せだったけれど、ちゃんと目を通しておけば良かった。あの怒涛の日々は正直あまり記憶が無い……
「ルカ、あなたに婚約を考えているご令嬢が居たなんて知らなかったわ。アイリスさんは私たちに隠しておきたいほど大事な人なのね?」
これは私でも分かる。『親の承諾なしに婚約? 舐めてんのか?』って言いたいのだと思う。
「それも下級貴族のご出身だとか。グレイシー家、でしたかしら?」
兄嫁のソフィア様が援護射撃してきた。 『グレイシー家? 聞いたことないけど? 養子縁組してまでヴァレスティン家に迎えるメリットある?』って言いたいのだと思う。ヴァレスティン家は嫁姑問題が無さそうで安心したよ。貴族は家と家の結びつきだから嫁いびりとかは無いのかも。
「ソフィア、アイリスさんはホルト家と養子縁組しているからホルト家の出身だよ」
「あら、ごめんなさいね」
「いいえ、下級貴族に生まれた事は事実ですから」
たぶん、ごめんって思ってなさそう。でも、会話してもらえる事が嬉しい。学生時代は貴族カーストの最下層に居たから誰にも話しかけて貰えなかった。憧れていた貴族っぽいやり取りに思わず頬が緩みそうになる。
「良い歳なのだから早く結婚しろとせっついていたのは母上ではありませんか。それに私もアイリスも成人しているので婚約に親の承諾は不要です」
ルカ様とメリッサ様が火花バッチバチ! この麗しき対決を見開きページで描きたい!
「二人とも落ち着きなさい。アイリスさんが驚いているだろう……それにしても、ちんまりしているな。ちゃんと食べているか?」
「はい。ホルト家ではお腹いっぱい食べさせてもらっています」
シェリーナお義母様がシェフと協力して美味しいものをたくさん用意してくれるから、しばらくの間は常にお腹がぽんぽこりんだった。ドレスが着られなくなりそうだったので今は食べる量を調整してもらっている。
ここまでの様子から判断して父親のクロウリー様と長男のエリック様は概ね歓迎モードと見ていい。母親のメリッサ様と長男嫁のソフィア様は『下級貴族出身で変わり者と噂の令嬢がヴァレスティン家の嫁? 私まで笑われてしまうじゃない』という具合で社交界での評判を危惧しているものと思われる。
「ジュリア様、あっちに男の子がいます」
「え? お兄様のところの長男で名前はマティアスというの。今日はお部屋で勉強しているはずだけど……抜け出してきたのね」
生垣の下から小さな男の子がこちらをジッと見つめている。5歳ぐらいだろうか。
「ご挨拶してきても良いですか?」
「そうね、こちらがまだ落ち着きそうにないし……」
ジュリア様と一緒に立ち上がったけれど、ルカ様とメリッサ様のやり取りがヒートアップしている事と、ジュリア様が一緒だったからか引き止められる事も無く席を離れることができた。
「マティアス、また抜け出してきたの」
「ジュリアおばさま! なんでわかったの!?」
「ふふ、何故かしらね?」
マティアス様は近くで見ると母親のソフィア様にそっくりで可愛らしい顔立ちの男の子だった。
「こちらはルカお兄様の奥様になるアイリス様よ。ご挨拶できる?」
「マティアス・ヴァレスティンです、おあいできてこうえいです」
よろめいていたけど紳士の礼を披露してくれたので、私も淑女の礼をして自己紹介をした。
「アイリス・ホルトです。マティアス様、よろしくお願いします」
「アイリスさまはなんさい? ぼくは5さい。こどもがふえてうれしいな」
「うっ、私は17歳です。小さいけど大人ですよ」
会話を始めたことで安心したのか、ジュリア様が『ゆっくりしていてね』と声をかけてお茶会のテーブルに戻っていった。あの場所から遠ざけようとしてくれたのかな?
「アイリスさまはしっていますか? ルカおじさまは、きしだんちょうです。すてきですよね」
「はい。素敵ですよね。とてもカッコイイと思います」
マティアス様は、ふぅーと小さなため息をはいてその場に体育座りをしてしまった。手入れのされた芝生だからそんなに汚れないだろうと思ったので私もその隣に腰を下ろしてみた。
「ぼくも……きしになりたかったな」
「駄目なのですか?」
「ぼくはヴァレスティンの“あととり”だから、きしにはなれないんです」
貴族の子どもには生まれた順番に応じてそれぞれの役割がある。長男は家を継ぎ、次男はスペアとして勉強をしながら当主の補佐や王城の文官、騎士など別の道を探さなければならない。ルカ様が家を継ぐことが出来ないのと同じように、マティアス様が騎士になることは出来ないと決まっている。
「それじゃあ、騎士団の服だけでも着てみますか?」
「え? でもこどもは……」
近くに立っていたメイドにお願いして私の荷物からスケッチブックと筆記用具の入った袋を持ってきてもらった。
「アイリスさま、えをかくのですか?」
「私の特技なんです。見ててくださいね」
スケッチブックを開いたら、まずは柔らかめの薄い線で全身のアタリを取る。マティアス様の可愛らしいお顔をキリっとさせて、少しだけ左肩を引いて身体を斜めにした状態の堂々とした立ち姿にしてみた。騎士団の制服なら目を瞑ってても描ける(つもりだ)から、あっという間に仕上がった。