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2 見つけてくれてありがとう

 捕らぬ狸の皮算用というやつで色々と考えながら早めに帰宅してしまったのが運の尽きだった。


「夕方まで帰ってくるなと言いましたよね?」

「ちょ、ちょっとだけ早いけど別に良いでしょう?」


 いつも通りに裏門から帰宅したら仕事をサボってお喋りしていたメイド達に捕まった。


「部屋の掃除はしなくて良いわ。もう部屋に戻るからそこをどいて」


 私には金貨200枚のスケッチブックを護衛するという使命がある。どうせ掃除なんかしてないでしょう、という気持ちでいつもよりも強気で立ち向かおうとしたらメイドの顔色が変わった。


「あっ、お荷物お持ちしますねぇ~」

「えっ!?」


 スケッチブックを入れていたバッグを奪われてしまう。抵抗したけど、普段から力仕事をしているメイドには敵わなかった。


「あら、ごめんなさ~い」


 少しもごめんだなんて思ってない事は私でも分かる。ニヤニヤと嫌な笑い方をしたメイドがバッグをひっくり返した。中に入れていたスケッチブックは当然のように地面へと落ちていく。


「なにこれ、汚いノート。感謝してくださいね、私たちが綺麗にしてあげますから!」

「やめてっ!」


 最悪のタイミングだった。

 私がいつも通りに夕方に帰っていれば。

 メイドたちがここで仕事をサボっていなければ。

 ここに、水が入ったバケツが無ければ――


「そ、そんな……」


 水をかけられたスケッチブックはあっという間にびしょ濡れになった。表紙に塗っていた絵の具が溶け出して下のページを汚していく……


「汚れ、落としてあげますね~」

「やめて! やめてよっ……!」


 ダン、ダン、と何度も踏まれた。

 靴跡が残るほど、強く、強く踏まれてしまった。


「やめてって、言ってるでしょ!」


 メイドを突き飛ばしてスケッチブックを拾い上げたけど、全てのページが水を吸ってふにゃふにゃになってしまった。ここからは時間との勝負だ。商談を反故にするわけにはいかないから出来るだけの事はしないといけない。


 自室に戻る途中、外に干してあったシーツと物置に溜め込まれていた新聞や板切れを確保した。


「出来るだけ水分を取らないと……」


 涙が溢れてくるけど、泣いている場合じゃない。

 シーツを使って1ページずつ丁寧に水分をふき取っていった。


「本当は白い紙が良いけど、とりあえず新聞紙を挟んで、板で押さえておこう」




――翌朝


 祈るような気持ちで板を外してみた。けれど、スケッチブックは波打った状態で乾いてしまっていて、とても金貨200枚で買ってもらえるような状態ではなかった。


 ここが前世だったらジッパー付きの袋に入れて冷凍庫に丸一日入れておけば何とかなったかもしれない。

 ここが前世だったらキッチンペーパーをページの間に挟んで吸水できたかもしれない。

 ここが前世だったら温度調整の出来るアイロンをつかってページにしわが寄るのを防げたかもしれない。


「あはは……なんにもないよ、だってここは、前世じゃないんだもん」


 物心ついたときから我慢してきた。お腹が空いても、喉が渇いても、日焼けの跡がヒリヒリと痛んでも、耐えてきた。

 知識があっても活用できないこと、描きたくても漫画が描けないこと、我慢してきた。

 誰からも愛されないことは分かっていた、自分を納得させてきた。


「だからせめて、大好きな漫画を描きたかったのに……」


 とめどなく溢れてくる涙を止めることは出来なかった。


「ジュリア様に、謝りに行かないと」




 ボロボロと涙を流しながら騎士団の演習場を目指した。待ち合わせの時間より少し早かったけど、ジュリア様が私を待ってくれていた。


「アイリス! どうしたの!?」

「き、昨日、いつもより早く、帰ってしまったんです……そうしたら、メイドに、スケッチブックを、めちゃくちゃにされて……」


 スケッチブックを包んでいた布を開いてみたけど中身の状態が変わることは無かった。水を掛けられたスケッチブックはゴワゴワと波打っていて、表紙には靴裏の跡がくっきりと残っていた。人前で泣いてはいけないと思うのに涙が止まらない。


「わ、私のスケッチブックが、っ……」


 今更ながら、メイドの犯行に怒りが込み上げてきた。ジュリア様が金貨200枚で買ってくれるって言ったのに!!! 金貨だぞ!!! 200枚だぞ!!!


「私の絵、ジュリア様が、買って下さること、凄く嬉しかったのに、ご、ごめんなさい……!」


 家を買ったら好きなだけ絵を描けたんだ!! 私は自分のイラストで栄養補給できる自家発電タイプだから体格差エロ漫画をたくさん描いてニマニマしようと思っていたのに!!!


「まだ1日経っていないわね? アイリス、大丈夫よ」


 手を引かれて馬車に乗せられ、連れて行かれた先は美しい装飾が施された建物だった。


「ここは修復を専門にしている商会なの。対象物を1日前まで戻すことができるのよ」


 侍女さんが私のスケッチブックを持って馬車を降りると5分もしない内に戻ってきた。そして、スケッチブックも綺麗に元通りになっていた。


「す、すごいです、こんな事が出来るなんて、知らなかったです!」

「ふふ、だから大丈夫って言ったでしょう?」

「でもお高いのでは……?」


 物の時間を巻き戻すというスキル、しかも順番待ちせずに修理してもらったからかなりの金額を支払っているはずだ。


「気にしないで。スケッチブックを元に戻したいと願ったのは私だもの」

「女神……ジュリア様の絵も描きたいです」

「それは改めて依頼するわ。ねぇお兄様、見て、この絵とても素敵なの」


 そういえば護衛の他に正装した男性が居た気がする。金貨200枚が泡となって消えたことがショック過ぎて、それどころじゃなかったんだ。


「これは……素晴らしいな」

「え! 団長さん!?」

「あらやだ、アイリスったらいま気づいたの?」


 目の前に座っているのは団長さんだった! 今日もかっこいい! ……え!? ジュリア様のお兄様って団長さんなの!?


「スケッチブックにお兄様の絵がたくさん描かれていたから、アイリスにお兄様を見せてあげたくて……騎士団の仕事は休暇を取ってもらったのよ」

「わ、わざわざありがとうございます……?」

「私はルカ・ヴァレスティンだ。君はここ4~5年で毎日のように訓練の見学に来ていた子だろう? 騎士団で知らない者は居ないぞ」


 12歳で学園に入学して、美術クラブの活動日以外は毎日のように通っていた。さすがに認識されていたか……


「カイゼル様が『癒しの子リス令嬢』って呼ぶから気になっていたのだけれど、本当に子リスみたいに可愛くて驚いたわ」

「ジュリア、止めなさい。内輪の事とはいえ女性にあだ名をつけるなど……不快な思いをさせてすまない」

「いいえ、平気です。家族に嫌われていたせいかご飯も満足に食べられなくてこんなサイズになっちゃいましたが癒しだと言って頂けて嬉しいです」


 次の瞬間、馬車内の温度が下がった気がした。


「この国が貴族の血を大切にする国で良かったです。そうでなければとっくに栄養失調になっていたと思います」


 国を称えるような明るい話題にしたつもりだったけれど更に温度が下がった気がする。下級貴族グレイシー家の長女として届け出がされているから不審死なんてことになったらグレイシー家は罰を与えられていただろう。私が生きのびてこられたのは血統至上主義のおかげだ。 


「あっ、あのー、もうすぐ到着します! 私は正面玄関を使ってはいけないことになっているので裏口の方に馬車を停めてください」


 この空気を何とかしたいと思っているのにジュリア様もルカ様も真顔だ。怖い。


「狭い部屋ですみません……」


 ジュリア様とルカ様、護衛の男性二人が入ると部屋はいっぱいになってしまった。ジュリア様は一つだけ置かれている粗末な椅子に座ってもらって、男性陣は立ったままという状態だ。私はベッドに座ろうかなと思ったけど、ベッドには靴の跡がついていた。昨日突き飛ばされた腹いせにベッドの上でタップダンスでもしたのかな?


 あと、皆さんを部屋に通した後でメイドに『お客様が来たからお茶を持ってきてほしい』とお願いしたけど鼻で笑われた。


「本当は応接室があるんですけど、私はこの部屋から出ないように命令されているんです。せっかく来てくださったのに、お茶も出せなくて、こんな対応で……すみません」


 ――ビキッ


 漫画の話だけど、女の子を抱きかかえるときの男性の腕とか手の甲とか、キレてる描写で額とかこめかみ辺りに筋を描くことがあるんだよね。皮下の静脈の血流が増えることで浮き出た血管、青筋を表現させる手法なの。


 それが今、ジュリア様とルカ様のこめかみに浮き出てる。超怖い。


「アイリス! 人を連れて来たって聞いたわよ! 勝手な事を……」


 ガチャッ! と、勢いよく扉を開けて怒鳴り込んできたのは愛人のエイダ。この家の住人は基本的にノックをしない。


「無礼者! 彼女はこの家の女主人だろう! その態度は何だ!」

「ああっ! ルカ様おちついて! 乱暴は駄目です!」


 素早い動きだったから目で追えなかったけど、ルカ様がエイダの腕を捻り上げた。


「エイダはオリバー様の子どもを妊娠中なんです!」


 貴族男性が愛人を持ったり、妻以外の女性に子どもを産ませたりする事は珍しい話ではない。その子どもは平民との間に出来た子だとしても婚外子として届け出をする決まりだった。


「その子どもを私との間に産まれた事にするって言ってました!」


 あぁいけない、漏らしたらいけない情報がお口から零れていったけど、オリバーに殺されたら困るから今のうちに全部バラしちゃえ――――!!


「エイダに何かあったら私はオリバー様に殺されるかもしれません! だから乱暴は駄目です!」

「ぎゃあああっ」


 ルカ様が恐ろしい顔でエイダを床に押さえつけた。あれっ、私、乱暴は駄目って言ったよね?


「婚外子を実子と偽ることは重罪だ! 覚悟しておけ!」


 ……エイダとオリバーの人生が終了しました。


「簒奪の計画と夫人への虐待を確認した! この屋敷の者を一人残らず拘束せよ!」


 ルカ様の言葉を受けた護衛のうちの一人が部屋を飛び出していった。残りの一人はエイダを取り押さえている。


「騎士団を呼んでおいて正解でしたね、お兄様」

「あぁ。ジュリアから聞いた話だけでも夫人が虐待を受けている事は明白だったからな」


 ジュリア様とルカ様は最初からこうするつもりだったようで、その後の流れはスムーズだった。


 まず、白い結婚と虐待の事実が認められたおかげでオリバーとの婚姻は無効になった。グレイシー家に戻らないといけないな、と考えていたらヴァレスティン家の寄子である中級貴族ホルト家の養子になるようジュリア様に勧められたので二つ返事で了承した。パーキンス家にも実家にも私の荷物は無かったので、身体一つでホルト家に向かったけれど温かく迎えられて拍子抜けしてしまった。


 ホルト家は子ども達が既に巣立っているのでお義父様とお義母様と私の三人で楽しい毎日を過ごしている。相変わらずエロ漫画は描けていないけど、たくさんの画材を準備してくれたので手始めに二人がお喋りしている様子の絵を描いてみたら予想以上に感激されてビックリした。


 オリバーとエイダは牢に入れられ、婚外子による爵位の簒奪を計画したことへの尋問が行われた。結果的にパーキンス家は取り潰しとなったのでオリバーは平民として王都を追放された。

 エイダは平民なので凌辱系エロ漫画にも出てくるような手加減なしの尋問が行われ、計画を洗いざらい吐き出させた後でオリバーと共に王都を追放されたそうだ。

 

 ちょっと可哀相だと思ってしまったけれど……ゆくゆくは『容姿を変えるスキル』を持っている者を探して、私を亡き者にした後でエイダが『アイリス・パーキンス』に成り替わる計画があったと知って意見を改めた。ぜんぜん可哀相じゃないわ。


 エイダは学生時代にとても優秀な成績を残したのに、平民生まれのせいで差別されていたことがコンプレックスだったようだ。貴族の愛人になれば気持ちが晴れるかもしれないと考えて婚約者のいない男子生徒に声をかけ続けた結果、エイダのプロポーションにまんまと釣られたのはオリバー・パーキンスだけだった。

 その優秀さを活かしてパーキンス家の財政状況を把握すると使用人に金を握らせて自分だけの城を作り上げた。お飾りの妻を探し出し、オリバーの両親を田舎に引っ込ませた所までは順調だったのだ。


 エイダはお飾りの妻と顔を合わせた瞬間、貴族の愛人になってもコンプレックスが解消されなかった事を悟った。学園を優秀な成績で卒業し、中級貴族の嫡男と身も心も結ばれて、美しいプロポーションを持つ自分が、こんな粗末な服を着た女に負けるのか、たまたま貴族の家に産まれただけのみすぼらしい女より、私の血が劣るというのか――


 エイダが必要以上に、執拗に虐待をしたから私はジュリア様とルカ様に救われた。エイダがお飾りの妻への加虐心を抑えていれば拷問の末に王都を追放されることは無かっただろう。

 屋敷で働いていた者たちは『お喋りしたくなるお薬』をたくさん飲まされて夫人に行った虐待についての自白調書を取られたようだ。使用人達にはそれぞれの身分に合わせた罰が下された。


 実家のグレイシー家についても過去に遡って虐待の調査が行われ、両親には多額の罰金刑が命じられた。罰金を支払った後はギリギリ生活していけるかな? ぐらいの生かさず殺さずの金額だった。それが全て私の懐に入るというので有難く受け取らせてもらった。

 妹のチェルシーは親の教育が悪かったことを理由にお咎め無し。けれど、家族ぐるみで長女を虐待していたことは噂になっているのでまともな縁談は望めないだろう。




 戸籍ロンダリングみたいな抜け道を使って中級貴族の仲間入りをした日、ルカ様は騎士団の制服に身を包み、私の目の前で片膝をついた。


「いつも訓練を見学に来るアイリスを可愛らしく思っていた。実は、アイリスを子リスと呼び出したのは私なのだ……」


 ちっちゃい物が好きなルカ様は、私を見つけたときにボソッと『今日も子リスが来ているな』と呟いてしまった。たまたま近くにいたカイゼル様にそれを聞かれていて、あっという間に拡散し、騎士団内で子リス令嬢というあだ名が定着したらしい。


 日焼けを気にせず粗末な服ばかり着ている子リス令嬢は平民であるというのが騎士団内で出された結論だった。貴族と平民の結婚は認められていない。そこでルカ様は一度目の失恋をした。私が学園に通い始めて2年目だから13歳、ルカ様が20歳の時だ。前世だったらロリコン扱いされるところだけど、この世界ではそういった概念は無い。家門を繁栄させるための歳の差結婚は当たり前だった。


 ジュリア様の活躍で私が貴族の娘だということが判明して喜んでいたら既に人妻である事が同時に判明して二度目の失恋をした。


 しかしジュリア様に『まだ分からないわ。使用人から虐待されていそうな雰囲気だったから婚姻の無効が狙えるかも』と励まされ、一晩で出来るだけの調査をしたら私が下級貴族グレイシー家の長女という事が分かって三度目の失恋をした。抜け道はあるけれど、爵位を飛び越えて結婚をすることは法律で認められていないのだ。


 ここでまたジュリア様が活躍した。ヴァレスティン家の寄子である中級貴族ホルト家に私を養子として迎えるよう打診し、見事に承諾させていた。私のスケッチブックを見せたら即OKだったらしい。

 ちなみに、この戸籍ロンダリングは王族や一握りの上級貴族だけが使える裏技なのだとジュリア様から教えてもらった。


「ヴァレスティン家は兄が家督を継ぐ。私は騎士団長として一生を終えるだろう。アイリスは面倒な社交はせずに好きなだけ絵を描くと良い。私はそんなアイリスの隣で生きていきたい。どうか私と結婚してくれないか?」


 何度も妄想のお相手をしてもらったお気に入りの騎士様は騎士団長で、上級貴族ヴァレスティン家の人で、遠い世界にいる人だと思っていた。


 その憧れの人が差し出してくれた手を、しっかりと握りしめる。


「はい! 喜んで!」

「ありがとう、アイリス……生涯をかけて、君を愛し続けると誓う」


 優しく抱きしめられて、幸せで胸が押しつぶされてしまいそうだった。


(これが、憧れの体格差ハグ!)


 いつになるか分からないけれど、この世界で私が体格差エロ漫画を描く時がきたら、絶対にこのシーンを入れようと心に決めた。


「ルカ様、私を見つけてくれてありがとう」


 ハードモードな人生を用意してくれた女神様。

 あなたのことちょっと嫌いだったけど、こうして幸せになれたから、今度は教会にも寄付をします。いつか、天寿を全うして女神様の花園に行く日が来たら改めて御礼をさせてくださいね。

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エイダに拷問!? 妊娠中のしきゅうにすんごい事しちゃう系のアレですか!? そんな鬼畜なのらめだと思った。 マジけしからん抜群のプロポーションのエイダをそんなけしからん!
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