記念SS 私だけの団長さん
「アイリスお嬢様、間もなくヴェルモンド家の馬車が到着致します」
「ありがとう、今行くね」
お出かけ用のバッグにスケッチブックと筆記用具をまとめた袋を入れると侍女のカリナが恭しく受け取ってくれた。絵が描かれただけのスケッチブックだけど、こうして大切に扱ってもらえる事がとても嬉しい。
「ベル義姉様、早く会いたいな」
「ふふ、すぐにお会いできますよ」
イザベル・ヴェルモンド様はホルト家の長男・ガルヴァンお義兄様、ことガル義兄様の婚約者だ。お義兄様たちの婚約者さんとは個別に顔合わせが済んでいて、とても良好な関係を築けているよ。
私の出身は下級貴族の最下層に位置するグレイシー家。上級貴族のルカ様に見初められた事をきっかけに、裏技を使用してホルト家と養子縁組をした。
上級貴族に望まれての養子縁組だけど、私個人に良い感情は持ってもらえないだろうと考えていたので『肖像画』という先手を打った。
顔合わせの日にプレゼント出来るように、それぞれのお義兄様の肖像画を描いておいたのだ! 愛する婚約者の肖像画、しかも、これまでの肖像画とは違って自然な笑顔を描いたものだ。将来のお義姉様たちは一瞬で私を義妹と認めてくれた。
その中でもイザベル様は次期当主の婚約者という事で、ホルト家には頻繁に顔を出しているのですっかり仲良しになった。最近では親しみを込めてベル義姉様と呼ばせてもらっている。
「馬車が見えてきた! お義母様、ベル義姉様と一緒に騎士団の見学に行ってきますね!」
「はいはい、楽しんで来なさいね。イザベルさんに迷惑をかけないようにするのよ」
「気を付けます!」
今日はヴェルモンド家の馬車に乗せてもらって白鷲騎士団の見学と、ルカ様のスケッチをする予定になっている。お義母様に挨拶をしてから玄関ホールを出ると私服を着たヴィクトルお義兄様、ことヴィー義兄様が立っていた。愛馬も一緒に待機していて、しっかりと手綱を握っている。
「ヴィー義兄様、どうしたの? 今日はお休み?」
「イザベル様と一緒に騎士団の見学に行くんだろ? ガル兄さんに護衛を頼まれたんだ。兄さんもルカ様と同じで心配性だからね」
「ベル義姉様は可愛いですからね、ガル義兄様が心配するのも当然です」
ベル義姉様は19歳、中級貴族ヴェルモンド家の次女だ。ゆるふわウェーブの金髪に、青空を写し取ったような碧眼。気品と知性を兼ね備えた女性で、ジュリア様みたいな雰囲気を持つ素敵なご令嬢だ。
「他にも護衛はいるけど、アイリスの事もちゃんと守るから」
「ふふ、頼りにしてますね、ヴィー義兄様」
うちのお義兄様たちは、突然できた小さな義妹を気に入ってくれているようで『お義兄様』と呼ばれる度に嬉しそうに微笑んでいる。大柄な男性に言ってはいけない言葉かもしれないけど、その様子がとても可愛らしい。
「アイリス、優しいヴィー義兄様がエスコートしてあげる」
「ありがとう!」
ヴェルモンド家の馬車が到着し、御者が扉を開けるとベル義姉様が笑顔で挨拶をしてくれた。ヴィー義兄様のエスコートで馬車に乗り込むと、そっと扉が閉められる。
「ベル義姉様、お迎えに来てくれてありがとうございます」
「いいのよ、お誘いしたのは私だもの。今日は楽しみましょうね」
「はい!」
騎士団の演習場に向かうまでの間はお喋りを楽しんだ。迎えに来てくれた御礼として、お昼寝しているガル義兄様のスケッチをプレゼントしたらベル義姉様は頬を染めながら喜んでくれた。もちろん、ガル義兄様の許可は貰っている。
家同士の交流があった為、ベル義姉様とガル義兄様は子どもの頃から婚約をしていたそうだ。4歳差の幼馴染婚か……なんだろう、ネタが降りてきそう……腐れ縁的に交流をしていたヒロインと婚約者(騎士)の二人。婚約した頃から少しずつ雰囲気が変わり、結婚式が終わって初夜を迎える時には婚約者から愛の告白をされて『あ……だめ、恥ずかしい、すこしだけ待って……』『この時が来るのを10年も待っていた。すまないが、これ以上は待てない』『あっ、あぁッ……』みたいな感じ、良いと思わない?
「アイリス? アイリス? ぼんやりしているけど、どうしたの?」
「はっ! な、なんでもないです!」
「具合が悪いわけではないのね?」
「元気です! ルカ様を見たらもっと元気になります!」
「ふふ、そうね。私もガルヴァンを見たらもっと元気になれそうだわ」
お互いの婚約者について惚気ているうちに馬車の停留所に到着した。
馬車を降りるとヴェルモンド家の護衛が二人、ホルト家の護衛が二人、ヴィー義兄様、お付きの侍女が二人ずつという大所帯になった。
「行きましょうか」
「はい!」
演習場の見学スペースに移動し、ちょうど良い場所にあるベンチを確保することが出来た。いつも私がいた隅っこに視線を送ると、当然ながらそこには誰も座っていない。懐かしいあの場所に行きたい気持ちもあったけれど、それは今の身分が許さない。中級貴族として相応しい場所に座り、ルカ様のスケッチをする事にした。
「あ、ルカ様がこっちに気付きました」
私のスキルは遠くのモノがハッキリ見えるだけの『遠見』なので、ルカ様がこちらを凝視しているのに気がついた。手をフリフリしてみるとルカ様も返事をしてくれた。
「手を上げていらっしゃるわ」
「はい。ちょっとだけ笑ってます。嬉しそうです」
「ふふ、相変わらず仲良しね」
次はガル義兄様を探してみよう。
「あ、ガル義兄様、あっちにいます」
「そうなの?」
「はい。いま水飲み場から出てきますよ」
水飲み場は離れた場所にあるから普通の人の視力では確認ができないだろう。演習場の真ん中まで戻って来たらガル義兄様もベル義姉様に気が付くはずだ。
「イザベル! 来てくれたのか!」
ほら、気が付いた! しかも演習場と見学スペースを区切る柵のギリギリまで走って来た!
「ガルヴァン、今日はアイリスと一緒に来たのよ」
「そうか! お、ヴィーもちゃんと来ているな」
「兄さんに頼まれたからね」
仕事中の騎士様は外部の人間と接触しないという決まりがあるけれど、家族や婚約者は別なのだ。こうして柵越しに会話をしている騎士様とご令嬢を見て羨ましく感じていた事を思い出す。
『団長さんと柵越しにお話できたらいいのになぁ』
ただ、遠くから見ているだけだったあの頃、身分に不相応な願いを考えたりした事があったっけ……
「アイリス、おいで」
ガル義兄様に名前を呼ばれて柵の方に近づくと、ベル義姉様とヴィー義兄様が横に移動して場所を開けてくれた。
「ガル義兄様」
「寂しそうな顔して、どうした? 今日は護衛が多いから安心だろう?」
「うん! 今日は護衛の皆だけじゃなくてヴィー義兄様も居るから安心だよ。ガル義兄様、ありがとう」
隣に立つヴィー義兄様の服を少し引っ張ってみると、二人のお義兄様にポフポフと頭を撫でられた。
「……距離が近いようだが」
突然聞こえてきたルカ様の声に驚いてピョンと飛び跳ねてしまった。さっきまで演習場の真ん中にいたのに、いつの間にここまで移動したの!?
「団長、小さな義妹の頭を撫でるのはよくある事では……?」
「ルカ様、これぐらいはどの家庭でもやると思いますよ」
ガル義兄様とヴィー義兄様が軽く抗議をしたけれど、ルカ様はそれを完全に無視して私の名前を呼んだ。そして、ちょっと不満そうにしているガル義兄様を押しやって私の目の前に来てくれた。
「アイリス、来てくれたんだな」
「はい! ベル義姉様と一緒に来ました! 今日は護衛がたくさん居るから安心でしょう?」
私が騎士団の演習場に来るときはホルト家から護衛が二人か三人はついてきてくれるんだけど、ルカ様はそれが不満なようで『最低でも四人は必要だ』といつも言っている。
「そうだな、最低でもこのぐらいの人数が居たら安心できる」
「ふふ、ルカ様は心配性ですね」
「団長! いつまでそうやっているつもりですか。もう訓練を始める時間ですよ」
今度はカイゼル様がルカ様を迎えに来た。呆れたような表情を浮かべているけれど、この場にジュリア様がいたら絶対にカイゼル様も立ち話に参加していたと思う……。ちなみに、ガル義兄様はベル義姉様に挨拶をして既にこの場を離れているので注意はされなかったみたいだ。
「アイリス、ゆっくりしていってくれ」
「うん! あ、ルカ様、お耳を貸してください」
手招きをすると、ルカ様が私の身長に合わせて腰をかがめてくれた。
「あのね、こうして柵越しに団長さんとお話するのが憧れだったの。夢を叶えてくれてありがとう」
こしょこしょと内緒話をするような声量だったけど、ルカ様の耳には届いたみたいだ。
「……アイリス」
「団長! 何してるんですか! もう行きますよ! 婚約者だとしても柵越しに令嬢に触れたらダメですからね!」
私を抱き締めようとするルカ様。
それを阻止しようとするカイゼル様。
ルカ様はハグこそ諦めてくれたけど、その日は帰る時間になるまで私の事をチラチラと見ていて、その度にカイゼル様に怒られていた。
――帰宅後
「できた!」
「ん? 帰ってから熱心に何か描いていたけど……見ても良い?」
ベル義姉様に自宅まで送ってもらった後から団欒室でスケッチブックに絵を描き続けていたけど、ようやく完成した。記憶が新しい内に描きあげられて良かったよ。
「ヴィー義兄様、見て」
「おわっ! すご! あの瞬間を切り出したみたいだ……」
騎士団の演習場で柵越しにお喋りしているガル義兄様とベル義姉様のスケッチだ。鉛筆描きだからキャンバスに描き直して色を塗っても良いけど……鉛筆描きの方が臨場感があるんだよね。
「もう一枚描いてガル義兄様とベル義姉様にプレゼントしようかな」
「絶対に喜ぶよ! でも、ちゃんと対価を貰うようにね」
「でも、ヴィー義兄様、私が勝手に描いたものだし、鉛筆描きだし……対価を要求するのは……ちょっと言いづらいです」
「アイリスは自分の絵の価値が分かってないからなぁ」
ヴァレスティン家やホルト家の皆、お義兄様の婚約者さん達も、こうして絵のプレゼントをすると何らかのお返しを贈ってくれるので、それを対価だと思うことにしている。
「今度は翠馬騎士団の演習場にも見学に来てよー! アマリエと一緒の所を描いてほしい!」
「あははっ、分かりました、と言いたい所だけど……平民街だから護衛が何人いればルカ様は許してくれますか?」
「アマリエも一緒だと考えると……ルカ様的に10、いや、15人は必要かな……」
そのような大所帯で見学に行けば注目されるし、翠馬騎士団の迷惑になりそうな気もする……
「アイリスぅ、頼むよぉ~!」
ガル義兄様は体育会系で、ロド義兄様は寡黙な騎士という感じなんだけど、ヴィー義兄様はお調子者なところが末っ子っぽい。翠馬騎士団でも年上の騎士様から愛されているのだろうなと予想が出来る。
「それなら、アマリエお義姉様とのお茶会に招待してくれますか?」
「もちろん! アイリス画伯、ありがとうございます~!」
後ろから肩をモミモミされて二人で笑っていると、団欒室の扉が勢いよく開いた。
「距離が、近すぎると、思うのだが?」
「ルカ様!」
「ルカ様!」
突然登場したルカ様に、私とヴィー義兄様の声が綺麗に重なった。
「ルカ様、お仕事は……あ、もう夕方だ! 絵を描いていたから気が付かなかった……」
「着替えてからここに直行した。先触れも無しにすまない」
ルカ様の背後に執事のベリアルがいて、小さく苦笑いを浮かべている。どうやら団欒室に案内する前に強行突破されたみたいだ。
「それじゃ……私も寮に戻ろうかな」
またルカ様に『距離が近い』と注意される気配を察したのだろう、ヴィー義兄様がスーッと移動し始めた。
「ヴィクトル、アイリスを護ってくれてありがとうな」
「いえ、当然です。今日はガル兄からの依頼でしたが、護衛ならいつでもお声がけください。みんな、下がっていいよ」
ヴィー義兄様は使用人の皆に声を掛けて退出を促すと、団欒室の扉を少し開けた状態にして自分も退出していった。これでルカ様と二人きりになれたけど……婚約中の男女が二人きりって、本当は駄目なんだよね? 扉は開いたままだし、家族から信頼されていると思えば良いのかな?
「ルカ様、お疲れ様でした」
優しく抱きしめられて、頭をポンポンと撫でられた。子ども扱いされているような気がするけど……まぁいいか。
「ん、ルカ様、石鹸の匂いがする」
「本当は仕事上がりでそのまま向かおうとしたのだが、カイゼルに『汗臭いと子リス令嬢に嫌われますよ』と言われてな。確かにその通りだと思ったからサッと汗を流してきたんだ」
「そんな事で嫌ったりしませんよ、汗の匂いはお仕事を頑張った証拠じゃないですか」
思った事を正直に伝えるとルカ様は『アイリスは優しいな』と言いながら私を抱っこして、ソファに腰を下ろしてくれた。今日は背中を預ける座り方ではなく、横抱きにされている。
「アイリス、大丈夫か?」
「え? どうして?」
「いや……演習場に来てくれた時、表情が少し曇っているように見えた。私の勘違いだったらすまない」
昔の事を思い出してしまったのは本当に少しの時間だったのに、ルカ様がその僅かな変化に気が付いてくれた事がとても嬉しかった。
「えっと、あの、ルカ様と柵越しに話せて嬉しかったんだけど、その前に……昔の事を思い出しちゃったんです」
遠くから見ているだけだったあの頃。
憧れの団長さんに心をときめかせて、色々と妄想していたあの頃。
「柵越しにお話ししている騎士様とご令嬢を見て、いつも羨ましいと思っていたんです。私も、憧れの団長さんとお話できたら良いのになぁって……」
私が演習場に通い続けた5年間、ルカ様はただの一度も柵越しに誰かと話をしていた事は無い。
「騎士団では名前で呼び合っているから皆さんの名前は知っていたんです。でも、ルカ様は団長って呼ばれていたでしょう?」
「そういえば、そうだな。気にしたことはなかったが……」
「だからね、私はルカ様の事を心の中で『団長さん』って呼んでいたの」
団長さん、今日も素敵だな。
団長さん、かっこいいな。
団長さん、もう少し近くに来ないかな。
団長さんの婚約者ってどんな人なんだろう。
団長さんと柵越しにお話しできたらいいな。
「ルカ様は私の団長さんになってくれたんだよね……?」
「アイリス、その通りだ」
「ふふ、私だけの、団長さん」
「そうだ。アイリスだけの団長さんだ」
「ルカ様と柵越しにお話しできる、婚約者になれて、嬉しいよ」
自分の言葉に、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
ぽろぽろと、大粒の涙が零れ落ちた。
とめどなく溢れてくる涙が、私の頬を伝い落ちていく。
「アイリス、私はここに居る。これからもずっと一緒だ。絶対に離れる事はない。だから……どうか、泣かないでくれ」
「うん、大丈夫だよ、これは嬉しい涙だから……」
ルカ様の大きな手が私の頬を包み込み、そっと涙を拭ってくれた。
「ルカ様、大好きだよ」
「ありがとう。私もアイリスの事が大好きだよ」
「ふふっ……ルカ様、ありがとう」
それからというもの、演習場に見学に行くたびにルカ様が声を掛けてくれるようになった。他の騎士さん達も『団長の真似です』と笑いながら婚約者のご令嬢と柵越しにお話をするようになったので、空き時間の見学スペースは華やかな賑わいを見せている。
「アイリス、見学に来てくれたのか!」
「はい! 今日もたくさんスケッチしますね!」
ルカ様は白鷲騎士団の団長さん。
私の心を温めてくれる、私だけの団長さんだ。
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