第七十八話『女中評定、崩壊す』
──理想が灯を掲げるとき、
その影には必ず、揺れる不安と反発が付き従う。
「最下層の者にも“火を持つ権利”を」
そう語った糸の言葉は、多くの者の胸に火を灯した。
だが──
その“火”に焼かれたくない者たちも、また確かに存在していた。
***
「私たちが何年、ここで血を流してきたと思ってるの」
「火なんて言葉で下働きを平等扱い? 冗談じゃない」
「“努力をした者が報われる”という仕組みすら、否定するの?」
広間の中央。
中臈・千歳の声が鋭く響いた。
「糸。あなたは理想を掲げているつもりでしょうが、
それは、積み上げてきたすべての階を無視する行為です」
周囲がざわめく。
それは“保守派”の反発だった。
上位女中たちの中には、下から這い上がってきた者も少なくなかった。
その彼女たちにとって、最下層からの“抜擢”は、
過去の努力の否定に等しかった。
糸は、立ち尽くしていた。
小夜の笑顔、澄音の励まし、
そして篝火の残した言葉──
(火はすべての者に灯る。名を持たずとも、想いがあれば)
「……わたしは、否定したいのではありません。
むしろ、積み重ねた者こそ、その“灯”を届けてほしいのです」
「最下層の者が灯を知り、
それを今度はまた誰かに渡していく。
そうして、火は巡っていくのではないでしょうか」
だが──その声は届かなかった。
千歳が静かに扇を閉じる。
「……残念です。
本日より、我々はこの“女中評定”から退席いたします」
それは宣戦布告だった。
十数名の女中たちが、次々と席を立ち、音もなく退室していく。
誰も制止できなかった。
誰も──止めようとしなかった。
評定は、瞬く間に“崩壊”した。
***
「……火は、やっぱり……」
その夜、糸は澄音のもとで肩を落としていた。
「わたしの灯し方が、間違っていたのかもしれません」
「違う。火は、正しい。
でも、火がすべてを救うわけじゃないのよ。
焼け跡ができてしまうことも、あるの」
澄音の声はやわらかかった。
だがその目は、微かに翳っていた。
「……澄音さん?」
「今朝、香調べに来た子がいたの」
「香調べ?」
「“調香室の外で、焦げたような香の匂いがした”と。
……わたしも確かめた。
あれは、……間違いない。“毒香”の残り香よ」
糸は息を詰めた。
「まさか……また、あれが……?」
「ええ。明らかに、意図的に焚かれたもの。
部屋の外に仕込まれ、薄く扉から漏れ出していた。
そして、報告を聞いたのは──あの、離れていった評定の者たちではなかった」
つまり──
毒香の存在に気づいたのは、まだ“火”を信じている側の者たちだった。
「敵は、静かに動き始めています。
火を守るには、もう“灯している”だけでは足りません」
糸は、拳を握った。
火を知る者しか語れないなんて思わない。
だが──火を知らぬ者が、火を踏みにじることは、決して許せない。
「評定が崩れても、わたしは……やります」
「“火の評定”が燃え尽きる前に──
火が、刃として振るわれる前に」
***
その夜。
一通の匿名の書簡が、女中頭のもとに届いた。
「再び“香を毒に変える者”が現れました」
「そして、“火を操る者”が生まれようとしています」
署名はない。
だが、その文の最後には──
かすかに、紅梅の印が押されていた。
──つづく。




