表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/34

31. 夏子の戸籍

(夏子の戸籍)


 月曜日……、……

 朝早く、夏子を連れて、東京のアパートに行く……

 管理会社に連絡して、実家に帰ることを告げた。

 当たり前なのだが、部屋は山へ出て行った時のままだった。大学時代、ファストフード時代、九年いた割には綺麗だと思った。

「……、九年か……、あれから……」

 長いようで、短い、日々の暮らしが目に浮かぶ……

「……、何やっていたんだろう……」

 感傷に浸っている場合じゃない。荷物をまとめて引越しだ。

 荷物は思ったより多かった。細々した物があちらこちらに転がっている。

 九年間いた割には、少ない方だと思う。

 夏子も、段ボールに細々した物を詰めてくれた。

 午後から、宅配の単身引越しパックが届いて、荷物を送り出した。

「さー、帰ろう……」

 便利な都会の生活ともお別れだ……

 空を埋め尽くす高層ビルも、イルミネーションの風景も僕には似合わない。

 役所に行って、転出届……

「三年間しかいませんでしたが……、実家に帰るんです」

 係の人に言わなくても良いことを言った。

 新しい生活への決意表明だ。

「……、お子さんですか?」

 その言葉にハッとした。夏子の戸籍がない。

 何故、もっと早く気がつかなかっただろう。

「……、いえ、……、いえ、……」

 言葉を濁して、その場から消えた……

 実家への帰り道、車窓から流れる風景は、何一つ目に入らなかった。

「こんな紙切れに何の意味があるんだ。夏子はここに存在して生きている。それだけでいいじゃないか……」

 でも、戸籍が無ければ、この世界では生きていけない。

「いや……、世界では、戸籍がない国の方が多いはず……、四角四面に拘る日本の方が可笑しいのだ!」

 今更そんなことを言ってもしょうがない。

「帰ったら、夏子の戸籍を作ろう……」

 夏子が生まれた日、季節の無い異世界で、何月だったか分からない……

 それに、一か月も経たないうちに、食べて、歩いて、話すなんて有り得ない。

 夏子の歳は幾つですかと訊かれても、「まだ一か月なんですよ」と言っても誰も信じないし、自分の正気を疑われる。

「夏子……、幾つになった……?」

「何、それ……、……?」

「年齢だよ……、人は生まれて一年経つと一つ歳を取るんだ」

「ととさんは幾つなの……?」

「俺か……、二十八才かな……」

「じゃー、私も二十八才でいいわ……」

「いや、夏子は生まれたばかりだから、二十八才じゃ可笑しいよ」

「それなら、幾つがいいの……?」

「そうだなー、十才くらいかな……、……」

「じゃー、十才でいいわ……」

「……、いや……、十才じゃー可笑しいな?俺が十八の時の子供になる。ちょっと早いな……、せめて二十歳くらいでないと……」

「いい加減なのね……、……」

 夏子にまで言われてしまった。

「そうなんだ……、この世の中、どうでもいい事で溢れているよ。そんなどうでもいい事なんだけど、八才でいいかな……?」

「もちろん、いいわよ、八才ね……」

 夏子は、年齢の意味を分かっているのだろうか?

 そうだよな……、夏子がいうように、年齢なんか、どうでもいい事なんだよな。

 一年づつ年を数えた年齢が、その人の年齢とは限らない。運動も健康も気にしないで、好き勝手なことをして、ぐうたらしてきた人が、老化が加速する五十歳代、気がついてみると筋肉は痩せ細り、血管はボロボロな八十歳くらいの心体なのかも知れない。

 それに比べて、運動もし健康にも気をつけて、貯筋に若返り法など努力してきた人は、まだ三十歳代の若さの持ち主かも知れない。

 年齢とは、人それぞれの相対的な人生の縮図であり生活習慣の結果なのだ。

 そうしてみると夏子は、もうすでに幼児を超えている。

「誕生日は、いつにしようか……?」

「……、誕生日って?」

「生まれた日のことだよ……」

「覚えているわけないじゃん!」

「……、そうだな……、夏子だから、5月5日にしよう。立夏の日だ。夏子の始まりの日だ……」

 これで、役所に届出をだそう……


 実家に着いたのは、夕方だった。

 お店はまだ、営業中だ。

「暇そうだね……」

「さっきまで、忙しかったよ!遅かったね……」

 母が嬉しそうに言う。

「引越しだから、色々あるんだよ。明日は手伝うから……」

 それだけ言うと、玄関に急いだ。この時間なら姉貴が帰っているはず、子供の時から難しい相談事は、母より姉貴に相談していた。両親はもちろん、お店で働いていたので、普段は近寄りがたく、子供心にも面倒を掛けてはいけないと思っていた。

 その代わりに姉貴が、いつも僕の面倒を見てくれていた。その頃は、姉貴に張り付いていて、まるで子分のように扱われていた。つまり、使いっ走りの子分だ。でも、それが嬉しかった。

 二階に上がり、姉貴の部屋のドアをノックした。

 返事がなかった。それでも、ドアを開けて中に入った。姉貴はもこもこのパジャマセットを着てベッドで寝ていた。

 夏子は、寝ている姉貴を見るなり、ベッドに飛び乗った。

「お乳……、お乳……」

 夏子は、姉貴の横に寝るとパジャマの裾を捲り上げ、乳房にしゃぶりついた。ブラジャーは着けていなかった。

「……、なっちゃん帰ってきたの?」

 姉貴は、まだ半分眠っている様子で夏子を抱き寄せ、体を横に向けて腕枕をして乳を飲ませた。乳が出るわけでもないが……

「……、お姉ちゃん、……、相談があるんだけど……」

 思いっきり甘い声で迫った。

「……、なーにー、あんたもお乳が欲しいの……?」

 おいおい、まるで夕顔さんのようなことを言う。

 姉貴は夏子を抱いて、目を瞑って寝ている。

「今日、役所に行って気づいたんだけど、……、夏子の戸籍が無いんだ。山の上のお寺だったし、彼女はいなくなるし、後は山の上の日々の暮らしに追われて、役所に行くのを忘れていた……」

「……、えー、そんなバカなことはないでしょう。奥さんが出しているわよ……、何処の病院で生まれたの……?」

「……、それが、病院ではなくお寺で、そこにいたお婆さんが取り上げてくれたんだ……」

「じゃー、そのお婆さんはどうしたの……?」

「……、彼女と一緒にいなくなった」

 嘘は言っていない。これも本当のことなんだ。

「じゃー、夏子はどうするのよ……」

「……、どうすればいい……?」

「……、えー、分からないわ……、机の上にパソコンがあるでしょう……、調べてみなさいよ……」

 姉貴は相変わらず寝たまま、上の空で答えている。

「……、そうだ、忘れていた。ネットで検索すれば良いんだ。僕と同じようなケースはあるはずだ」

 早速、姉貴のパソコンは使わず、机の前の椅子に座って、自分のスマホで検索してみた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ