30. 朝子と夏子
(朝子と夏子)
僕は玄関に放り投げてきたリュックを居間まで下げて来た。
夏子の絹の白小袖が四枚、月見が縫ってくれた物……、その思い出に持って来た。あとの物は、荷物になるので置いてきた。
元の世界に帰れば、要らなくなると思っていたからだ。
「今日は、これを着て寝るんだ。明日、おねえちゃんみたいなパジャマを買ってこよう」
夏子は上手に、裸の上から白小袖を着た。
「何、これ、上等なシルクじゃない……」
姉貴が、もう一枚の白小袖を持って言った。
「そ、そうだね……、お寺に寄進された物だから、上等だと思うよ……」
夏子は、着物が着れて上機嫌だった。
「……、お乳、……」
それでまた、姉貴の足に絡んで、お乳を催促した。
「えー、またお乳なの……、お風呂上がりなので、牛乳を飲みましょう」
姉貴は、ダイニングに夏子を連れて行って、コップに牛乳を入れて渡した。
「……、……、まじぇい……」
夏子は吐き出せんばかりの渋い顔で言った。
「あら、そう……、じゃーお砂糖を入れましょう」
コップにお砂糖をひとさじ入れてかき混ぜた。
「……、うん、おいちい……」
「良かったわ……」
夏子は、満足そうに飲んでいた。
「僕もお乳、欲しいなー」
「……、あんたが言うと気色悪い……、自分でやんな!」
「それなら、お風呂入ってからにするかな……」
「……、早くお入り……、疲れているだろう……、詳しい話は、また明日聞くから……」
母の優しい言葉、いつもながら身に染みる……
「……、お乳……、お乳……」
夏子は、牛乳を飲み干すと、また姉貴の足に絡み付き、お乳をねだった。
「えー、まだ欲しいの? でも、あまり飲むとお腹壊すから、明日にしようね……」
「……、お乳……、お乳……」
「じゃー、今日はお姉ちゃんと一緒に寝ようか?」
夏子は、大きく笑顔で頷いた。
「すっかり、朝子に懐いちゃったね……」
母が嬉しそうに言う。
「仲良くなってくれて嬉しいよ……、でもお姉ちゃん、オナペットにしないでよ!」
「するわけないでしょう……、でも分からな……」
二人は手を繋いで二階へ上がって行った。
ここには、昔と変わらない家族の団らんがある。
たった四人家族だけれど、心が和み、落ち着ける。
「何故だろう……、……」
一人暮らしの時は、ただ寝ることだけを考えていた。後は何も要らなかった。
全て自由であったが、それなりに不自由でもあった。食事の支度も後片付けも、お風呂を沸かして、浴槽を洗うことも、毎週のゴミ出しも、時には部屋の掃除もしなければならない。
自由でありながら家事に束縛されている。
おまけに、仕事までしなければならない。
それに、異世界にいた時は、もう一生ここで住みつき生涯を終えたいと思っていた。両親のことは考えずに……
でも、実家に帰ってきて、母がお茶とたこ焼きを持ってきてくれた。お風呂は沸かしてくれた。
僕はここに座っているだけで、全ての用事が済んでいく。
もちろん、それは母のお陰なのだけれど、僕はそれに癒されている。
昨日までの僕は、実家を煙たがり、連絡もしないで、身勝手に生きていた。最後に連絡したのはよく覚えている。三年前、就職が決まった時だった。
それからも、連絡しようと思えばできたはずなのだが、仕事の愚痴を言いそうで、返って嫌な思いをさせてしまいそうで、遠慮してしまった。
でも、子供のことを心配しない親はいない。
確かに、夏子のことが一秒たりとも頭から離れない。そんな思いを両親にさせていたのかと、今、心に罪悪感が沁みる。
少しでも連絡すれば良かったと反省をする。
翌日は日曜日……、朝から両親は忙しく、お店を切り盛りしている。
「……、俺も手伝うよ……」
今までの反省か罪滅ぼしか、何か役に立ちたかった。
たこ焼きは、中学、高校と、この店でバイトしていた。大学に入って東京に出て、ファストフードのお店でバイトするようになったのも、この店が影響している。
まだ腕は鈍ってはいないだろう。たこ焼きは、誰でも簡単にできそうで、できない。熟練技が必要なんだ。言わば、技術職、技能職、職人芸なのだ。
「お前、朝ご飯食べたのかい?」
母が父親の横でたこ焼きを焼きながら訊いた。
「う、……、あまり食欲ない……、さっき、牛乳とシリアルがキッチンにあったから食べたよ」
「なっちゃんは、……?」
「まだ、姉貴と寝てんじゃないかな……?おとなしいから……」
「……、じゃー、お店、見ていておくれ、家の方を見てくるから……」
たこ焼き屋は10時開店だ。持ち帰り専門で、開店までに、三十箱は焼き溜めておく。
「少し焼いてみるか……?」
父親が言う……
「いいよ……!」
たこ焼きの隣で、たい焼きと団子も焼いているが、こちらは、注文を受けてから焼いている。
「……、ずいぶん値上げしたんだね。前は三百円だったのに……」
「……、物価高のご時世だからな、それでも利益は変わらんよ……」
「……、でも、この値段で売れているならいいじゃん!」
「お陰様で、常連さんが多いからな……」
「ありがたいことだね……」
朝10時……、開店と同時に作り溜めておいた三十箱のたこ焼きは、瞬く間に売れてしまった。
それでも買えないお客様が列をなして待っている。
「ととさん、お姉ちゃんとパン食べた……」
「お、良かったね……、……」
「……、あたしも、てつだう……」
夏子が僕の横まで来て言う……
姉貴と夏子がお店の様子を見にきていた。
「偉いねー、早速、店の手伝いかい……」
姉貴が冷やかす。
「あー、日曜日だからね……」
「じゃー、あたしは手伝わなくて良いよね……」
「いいけど、今日、夏子の服を買いに行こうと思っていたから、お姉ちゃんが夏子を連れて買いに行ってくれたらいいけど……、女の子の洋服だから、お姉ちゃんの方が適任だよ。後でクレジットカード、渡すから……」
「いいよ……、じゃー、なっちゃん、今日はお洋服買いに行こう……!」
「……、お洋服買いに行く!」
「出かける時に言ってよ、カード渡すから……」
「そんなのは要らないよ!無職のととさんからもらえないからね……」
「あ、そう……、よろしく頼むよ……」




