28. 三たび帰り道、夏子と二人で
(三たび帰り道、夏子と二人で)
朝、目が覚めると囲炉裏の側で寝ていた。
もうすでに、明るい日差しが土間の入り口から指していた。
台所には誰もいなかった。
今日は旅立ちの日、急がなければ、また日が暮れる。
「……、本当に帰れるのだろうか?前のように、またお椀の縁を回って帰ってくるのではないか?」
それは、それで良いのかもしれない。ここでぼろぼろ赤子を産んで暮らしていきたい。
「いかん!そんな事を思っていたら、また戻ってきてしまう。夏子のために帰るのだ。僕の娘、幸せにしないと……」
僕は起き上がり、渡り度を渡って居間に向かった。
「……、早いねー、今日、帰るのか?」
庭では、昼顔さんがお風呂に入っていた。
「……、そのつもりです。急いで支度します。夏子は……?」
「寝間で夕顔とまだ寝ているよ……」
「そうですか……、昨日はありがとうございました。お乳を飲ませてくれて……」
「礼には及ばないよ!今度、一緒に寝てあげよう!」
「……、またまた、もういなくなるので、そんな事を言うんでしょう」
「……、そうだねー、男に抱かれるのも、いいもんだよ!」
「そんな事を言われると帰れませんよ……」
昼顔さんは、お風呂の中で笑っていた。
話声で起きたのか、夏子が側にいた。
「さー、出かけよう……」
夏子は何も言わずに俯いた。
出発の準備は、前々から支度してあった。
後は、水を汲み弁当を持っていくだけだ。
夏子には、僕のTシャツを着せ、半ズボンを履かせた。それに、登山用の靴下と、屋敷に置いてあった、多分、朱夏さんの木靴を履かせた。
でも、岩場では危ないので、念のために草履も持っていくことにした。
僕は、シャツを着て、下は月見が縫ってくれた馬乗り袴を履いた。後は、登山靴。
これで、少しは現代人に見えるだろう。
でも、異界から出られたところで、真冬だったらどうしよう。遭難してしまう……、心配事は絶えない。
「さー、出発だ……」
「……、おかしな格好だね……」
昼顔さんがひやかす。
「……、いつでも、帰ってきていいのよ……」
夕顔さんが白小袖をはだかせて言う。
「夏子、父さんをしっかり守っておやり……」
昼顔さんが、夏子を励ます。
「……、夏子は、賢い子だからね……」
夕顔さんも夏子を励ます。
「わかっているわ!まかしておいて……」
夏子は、笑顔で胸を張って言った。
「……、あのー、玉手箱はもらえないんですか?」
僕は恐る恐る訊いてみた。
「この男は、あたしの乳を吸っておきながら、まだ何か欲しいのかねー」
昼顔さんが、僕を睨んで言った。
「いえ、それは、それで……、色々お世話になりました……」
僕は、逃げるように夏子の手を取って屋敷を出た。
途中、御神木の楢木に挨拶した。
「……、月見を生み出したという楢木よ。僕たちを元の世界に帰しておくれ……」
楢木に向かって二人で深々とお辞儀をした。
思い起こせば、楽しい事ばかりだった。
和尚、なれない土地で色々教わった。
月見、君に会えて幸せだったよ。
婆さんたちも、お世話になりました。
昼顔さん、夕顔さん、天女様ですか?
観音様ですか?一生忘れません。
また、必ず逢いたいです。
御神木のある森を抜けると見晴らしのいい峠道が続く。きた時と変わらない風景だ。遠くに山々が見える。そして、また深い森……、そして、また歩く、歩く……
「夏子、疲れてないかい……?」
「……、ぜんぜん、平気よ!」
でも、夏子の顔から笑顔がない。
それから、二時間も歩いたような気がする。少し開けた所に出た。
「……、湿原だ!広い湿原に来た。これで、帰れる。異世界から出られたんだ!」
湿原に辿り着いて、木道を歩く。雪がないと言うことは、季節はいつだろう。
「……、でも、良かった真冬でなくて」
空は青く、雲が出ていた。
風が爽やかに吹いている。
湿原の草花は少し茶色くなっている。
湿原も乾いているようだ。
「秋が近いのか……?」
ロープウェイの入り口に着いたのはお昼過ぎだった。途中湿原の中の椅子とテーブルのある休憩場でお昼ご飯を食べて来たからだ。
「……、人がいるのね……」
夏子が、不思議そうに言う。
「ここは、まだ山の上だから、少ない方だよ。下に行けば、もっともっと、たくさんの人が住んでいるんだ」
それでも、十五人くらいのお客が下のロープウェイを待っていた。
異邦人のように何気なく、カレンダーを探した。
「あった、あれからちょうど一年しか経っていない。たった一年の事だったのか……」
季節のない異世界で、月見と暮らし、夏子が生まれ、夕顔さんや昼顔さんと暮らし、畑を作り、お風呂を沸かし、かがり火でお風呂に入り、豆腐やこんにゃくを作り、笑ったり、お乳を飲んだり、そんな楽しい日々が、たった一年の事とは思えない。
浦島太郎は、竜宮城で数日過ごし、帰ると何百年も経っていたという。
でも、僕の場合は、何年もの歳月が、異世界から戻ると、たった一年の月日になってしまう。
こんな事でいいのだろうか。
実家に帰って、何と言おう……、でも、真っ先に帰らねば、夏子の服がない。
とりあえず、街に出てズボンとパンツと靴を買おう。




