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26. 旅立つ時

(旅立つ時)


 あれから、一週間ほど四人で暮らした。

 昼顔さん、夜でも頑張って現れているが、でも暗くなると寝てしまう。

 僕は、その隙に昼顔さんに隠れて夕顔さんのお乳を飲んで寝ている。

 でも、その反対に夕顔さんは、昼間寝ている。

 楽しい、日々を暮らしているが、夏子は日々成長している様に見える。

 もし、本当に元いた世界に戻れるなら、早い方がいいに決まっている。

 でも、この四人の生活からも離れがたい。

 でも、迷っている暇はない様だ。

 今日も天気が良く風もなく、いつもと変わらない昼下がり、高床の蔵の奥に押し込めていた、あの頃のリュックを持って来て、庇の床に広げてみた。

 隠す必要も無いのだが、この世界には合成繊維と派手な色合いは似合わない。

 自分もいつの間にか、麻の着物が好きになっていた。

「ととさん、何しているの?」

「旅の支度だよ……」

「たびってなーに?」

「ここを離れて、遠くに行くことだよ」

「ととさん、どこかに行っちゃうの?」

 夏子の顔が一瞬悲しい顔になって、また戻った。

「遠い遠い所、(とと)さんのお爺ちゃんやお婆ちゃんが住んでいるところだよ。……、夏子も一緒に行くか?」

「あたしも、行く……、かかさんも行くの?」

 夏子は、リュックを見ても、洋服を見ても驚かなかった。

(かか)さんは、行けないんだ。(かか)さん達は、この家とこの村を守っているから、離れられない。でも、だから、夏子も、父さんも、いつでも帰って来られるんだ……」

「それなら、行くわ……、すぐに戻ってくるのなら……」

「いや……、すぐには戻ってこられないんだ。そこで、しばらく暮らして、また仕事をして、お金を貯めて、食べ物を買うんだ。ここでは、苦労もなく食べ物ができるが、これから行く世界は、お金と交換しなければ手に入らない。不便な所だ」

「そんな不便な所なら行かなければいいじゃない……」

「そうなんだけれど……、待っている人がいるんだ」

「どんな人……?」

(とと)さんのお婆ちゃんやお爺ちゃんもいるし……、きっとたくさんの悲しく寂しい人達が待っていると思うんだ……」

「どうして、待っているの?」

「みんな幸せになりたいんだ……、ここでは、この村では、人はたった四人しかいないけれど、これから行く世界は、何十万人も人がいて、憎しみや悲しみを持って、ぐちゃぐちゃになって暮らしている。その中で幸せを求めているんだ」

「なんか、悲しい世界ね。みんな、ここに来ればいいのに……」

「そうだね……、でも、皆んながここに来れば、何十万人も来れば、やっぱりぐちゃぐちゃになって、憎しみと悲しみが生まれるんだ。だから、ここに来てはいけない。ここは、(かか)さんたちが夏子が幸せに暮らせる様に守っている所だから……」

「だから、私、幸せなのね……、私、ここ、好きよ!」

(とと)さんも好きだよ……、でも、いつか、稲穂が実り枯れていく様に、父さんも枯れていくんだ。母さんもいなくなる。夏子一人になってしまう。だから、もっと人の多い世界に行って、そこで、共に生きて行く人を探すんだ。それが幸せな家族になる。一緒に生活をし、寂しくならない様に友達も作ろう……、憎しみや悲しみに悩んでいる人がいれば、寄り添って、夏子の幸せを分けてあげよう……、(かか)さんたちの様に……」

「どうして、ここには私たち四人しかいないの?」

「……、それが、定めなんだ……」

「定って……?」

「昔は、この村にも、たくさんの人が住んでいた。でも、山火事や不幸な出来事で村人は死んでいった。でも、この村の人たちは、この村から出て行かなかった。そして、年老いて死んでしまったんだ。最後に残ったのが、(とと)さんと(かか)さんと夏子だけになってしまった……」

「……、怖いお話ね……、でも、どうして、村から出ていかなかったの?」

「それが定めと思っていたんだよ……、それに、とても住み良い所だから、離れられなかったんだろうね」

「……、その気持ち分かる気がするわ」

「だから、(とと)さんと夏子も、いずれここから出ていかなければ、死に絶えてしまう。だから、例え定めを破ってでも……」

「あたし、一人は嫌よ……」

(とと)さんも嫌だよ……、だから、不幸な醜い世界でも、何十万人も人がいれば、中には良い人もいるだろう。そんな人を見つけて友達になろう……、たくさんの良い人が集まれば、楽しく幸せに暮らしていける」

「でも、でも、でも、(かか)さんたちから離れたくない!」

「……、それは、(とと)さんも同じだよ……、でも、夏子を一人ぼっちにはできないから……、新しい世界に出るんだ」

 夏子の後ろに、いつの間にか昼顔さんが立っていた。

「いっといで、(かか)さんは、ここで待っているから……、夏子が帰ってくるまで、ずーと待っているから……」

 昼顔さんの後ろに、いつの間にか夕顔さんが、白小袖をはだかせ横坐りでこちらを見ていた。

「……、夏子、行かなくてもいいのよ。ここで、(とと)様と暮らして、赤子を産めばいいのだから……、たくさん産めば、賑やかになるわ……、なんなら私も(とと)様の赤子を産むわ……」

 夕顔さんは、そう言って立っている昼顔さんの足を両手で抱きしめた。

「そんな事、出来るわけないだろう!」

 昼顔さんが突き飛ばすと、夕顔さんは、床の上に仰向けに転がった。

「かかさん、……」

 それを見て夏子が夕顔さんに駆け寄り、はだけた小袖から、お乳にしゃぶり付いた。

「……、どこにも行かなくていいのよ。(とと)様がきっと赤子を産ませてくれるわ」

 夕顔さんは、そう言って夏子を抱きしめた。

 それを見て昼顔さんは、夏子を無理矢理引き離して抱きかかえて言った。

「ここにいては、駄目だ。夏子は新しい世界へ(とと)さんと行きな。たくさんの人の中で、いろんな人の中で、人と言うものを学んでくるんだ」

 夏子は抱かれながら昼顔さんの襟元をはだけさせ、お乳を出して、それを口に咥えた。

「でも、これから行く新しい世界には、お乳はあるの?」

「もちろん、あるよ!でも、お乳を飲ませてくれる人は少ないよ。もともと赤子のものだからねー」

「でも、ととさんも飲んでいるわ……」

 今、白小袖をはだかせお乳を出して横たわっている夕顔さんに近づこうとしたところで、昼顔さんの目に止まってしまった。

「お前、まだ夕顔の乳を飲んでいるのか!」

 昼顔さんは、夏子を抱いたまま、僕を蹴飛ばした。

「……、それは自然の成り行きと言うもので、同じ屋根の下にいるので……」

 夏子は面白がって笑っている。

「あちらの世界には、(とと)さんみたいな男がたくさんいるから、気を許してはいけないよ」

「いたらどうすればいいの……?」

「簡単さ!今みたいに蹴飛ばしておやり!」

 夏子は、また笑った。


 僕は本当にこの幸せな世界から出て行けるのか?

 アダムとイブは、楽園から追放されると分かっていながら、何故イブを愛したのか?

 愛とは、過酷な世界の入り口なのかもしれない。

 それでも、人は愛を求めている。


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