25. 夏子と平安の異世界
(夏子と平安の異世界)
思った通り、一か月もしないうちに、夏子は歩くようになった。
歩くようになれば、走るのも、言葉を話すようになるにも、そんなに日にちはかからなかった。
作物の成長も早ければ、赤子の成長も早い。
この世界はどうなっているんだ。
「夏子! 走ったら危ないよ! 着物を着なさい……」
夏子は庇の上を裸で走る……
「あたし、お風呂入りたい……」
「駄目だ!一人で入ったら溺れて死んじゃうよ」
台所でお粥を食べていた昼顔さんが、お椀と箸を持ったまま母屋に出てきた。
昼顔さんも、いつの間にか僕と食事をするようになった。
今は、夏子を入れて三人で食事をしている。
そして夜は、夕顔さんが来て、また三人で食事をしている。
「いいよ、私がお風呂に入れるから……、お湯を持っといで……」
昼顔さんは、庇の上にお椀と箸を置くと、その場で着物を脱いだ。
「……、お湯ったて、そんなに早く沸きませんよ」
「大丈夫だよ、夏子にお乳をあげているから……」
夏子は、ご飯が食べられるようになっても昼顔さんと夕顔さんのお乳を飲んでいる。
「夏子、お乳だよ……」
「……、お乳、お乳……」
夏子は、走って裸の昼顔さんに飛び付いた。
そして、しばらくお乳を飲んでいると寝てしまった。あのお乳には眠り薬が入っているのかと思わせるくらいだ。
そう言う僕も、夕顔さんのお乳を飲んでいると、すぐに寝てしまう。
このまま、もう一ヶ月もすれば、夏子はどうなるのだろうか?
「……、十歳……、……」
もう一ヶ月もすれば、十五歳、月見と同じ年になる。
でも、もし、夏子が大人になっても、この村には、男がいない。いるとすれば僕だけだ。
「……、確かに僕だけなんだ……」
夜、綺麗な満月が出ていた。確か、夏子の産まれた日も満月だった。
そう言えば、僕が道に迷い、この村に来た日も満月だった。あれから、何度も満月を見ていた。
毎日が日曜日で、会社にも行く必要もなく、カレンダーなど要らない。おまけに時間に追われることもない。そんな生活だから、この村に来て何日経ったのか考える必要もなかった。ただ一日を充実して過ごしていた。
でも、夏子が産まれ、夏子の成長が気に掛かると、月の満ち引きも気に掛かる。
僕は、庇の戸に持たれかけ満月を見ていた。
もう寒くなってもいい年月なのに、ここでは季節が変わらない。
「……、夏子は、貴方の子よ。一緒に暮らしていけばいいのではないかしら……」
夕顔さんが白小袖をはだかせ僕の横に座った。
「もう、夏子は寝たの……?」
「今度は、貴方の番よ……」
僕は、あれから毎日、夕顔さんのお乳を飲んで寝ている。
夕顔さんは、僕の考えている事が分かるようで、僕の思う事を叶えてくれる。
でも、この問いかけだけは、いつも同じ答えをする。
「でも、僕が死んでから、夏子の事が心配なんです。この村には夏子しかいなくなる……」
「大丈夫よ……、もう時期、夏子も赤子が産めるようになるわ……、たくさん子供を作ればいいじゃないのかしら……」
「……、もう、そんな事はできませんよ。僕の娘なんですから……」
「あら、何をするのかしら……?」
夕顔さんは、澄ました顔で、本当に子供の作り方を知らないように言っている。
僕は大きな溜息をついて、夕顔さんの大きな胸に顔をつけた。
「……、でも、僕は、ここから出ていかなければ、駄目だと思っているんです……」
「夏子のために……?」
夕顔さんは、僕をしっかり抱きかかえてくれた。
「僕は、夏子の父親だから、夏子が幸せに暮らしていけるようにしなければならない……」
「夏子はここにいる方が、幸せじゃないの……?」
僕は、夕顔さんから離れて、夕顔さんを見つめて訊いた。
「……、夏子は人間ですか?人ですか?……、それとも、もののけですか?」
「……、さー、何かしら……? それが問題なの?」
「僕の前にいた世界では、肌の色や背格好の違いで、それに国や宗教の違いで、差別されたりいじめられたりするんです」
「だから、何なの……?」
「……、だから、僕の前にいた世界に戻って、夏子が上手くやっていけるのか心配なんです」
「……、心配なら、ここにずうっと居ればいいじゃないの……? そんな詰まらない世界に帰らなくても……、それで、たくさん赤子を作って賑やかに暮らしましょう」
「だから、夏子は僕の娘です……」
「……、でも、貴方は男よ!」
「だから、男でも娘は駄目です」
「じゃー、私とならいいのね……」
夕顔さんは、座ったまま白小袖を肩から背中に滑らすように脱いで、僕を抱き寄せようとした。
「駄目ですよ!昼顔さんに止められています」
僕はその場を離れて立ち上がった。
「昼顔は、何も知らないわ。夜のことは……、男と女が何をするのか……、私、貴方の赤ちゃん、欲しいわ」
夕顔さんは、僕の両足を抱きかかえ、頬ずりしながら、悲しそうな目で僕を見る。
その表情は、憂いを持って、叶えられない思いを抱く少女の様に見えた。
僕は座りながら、夕顔さんを抱き寄せて、その憂いに満ちた唇に口を付けた。
「何やっているんだい! あんた、死にたいのかい!」
突然、昼顔さんが現れて、夕顔さんを背中から抱きかかえて、僕から引き離した。
「……、何で夜なのに昼顔さんがいるんですか?」
「ご挨拶だねー! あんたが、夕顔とちぎりを結ぼうとするから、止めに来たんだよ!」
「ちぎりだなんて……! ……、そんなこと思っていませんよ……」
「……、あら、私ならいいのよ……、貴方の思いを叶えても……」
「それが良くないから、来たんだよ!」
「昼顔には、この思いは、男と女の思いは分からないわ……」
「……、もういいよ!私が四六時中、夕顔を見張っているから……」
「それなら、四人で暮らしましょう」
「でも、昼顔さん、夜の昼顔の花は萎んでしまうんでしょう……?」
「それも、あんたと一緒に暮らしているうちに、人の生活が身についちゃったんだよ!」
「じゃー、私も昼間も一緒にいましょう……」
「夕顔さんも、昼顔さんも、そんなこと言って、みんな一緒なら、僕は誰と寝ればいいんですか?」
「それなら昼顔は、夏子と寝てあげて、私は貴方と夜を過ごすわ」
「何を言っているんだい!夕顔には指一本触れさせない。あんた、一人で寝るんだよ!」
「そんな……、僕のお乳……、……」




