22.夕顔と夏子と僕と
(夕顔と夏子と僕と)
夏子が泣いている。
「お乳かな?おむつかな……?」
夏子はよく泣く子だ。昼顔さん、朝が来るまで出てこないのかな?
仕方なく、夏子を抱きかかえた。
抱いたところで、お乳が出るわけでもない。
「泣いているわね……」
その声の聞こえる方を、僕は振り返って縁側を見た。
「昼顔さん……、……?」
裸の女の人がこちらに近づいてくる。
髪は長く銀色に輝いていた。
顔立ち背格好は、まるで昼顔さんだ。違うのは髪の色だけだ。
僕は思わず昼顔さんと呼んでしまった。
「私は、夕顔……、昼顔ではないのよ!」
「初めまして、挨拶にも行かずに、すみません……、噂は、皆さんから聞かされています……、赤い寺院の天女様のような人だと……」
夕顔さんは、僕のすぐ横まで来た。
「それより、赤ちゃん、お乳が欲しいのよ……、私にかしなさい」
僕は、裸の夕顔さんに夏子をそっと渡した。
夏子は大きな乳房を掴み、夢中でお乳を飲んでいる様だった。
「夕顔さんもお乳が出るんですね……」
「……、貴方も飲みたいの……? いいわよ……、もう一つあるから、赤ちゃんと一緒に飲んでみたら……」
「い、い、いえいえ、そんなこと……、僕はいいですよ!」
「……、遠慮しなくてもいいのよ……、二つ付いているのだから……」
「いえいえ、僕は大丈夫です。赤ちゃんではないので……」
「……、そうかしら?男の人は誰でもおっぱいを欲しがるものよ……」
「いえいえ、それはまた、別の話で……、でも、昼顔さんにお乳、飲みたいと言ったら、叩かれました……」
「あの子らしいわね。あの子は昼顔だから……」
「私は夕顔……、だからお乳を飲んでも、じゃぶってもいいのよ……、夜はそう言う時だから……」
「……、あ、会ったばかりで、赤ちゃん抱いて誘惑しないでください……」
「じゃー、あとでね……、……」
「いえいえ、そう言う問題ではないですが……、でも、一つ聞いてもいいですか?」
「何かしら……?」
「……、月見は、もう帰ってこないのですか?」
「月見はここにいるじゃないの……」
「……、ここにって、夏子のことですか? やっぱりそうなんですね……」
「あなたの言う月見は、今、夏子となって、あなたの側で、生きているわ」
「……、でも、夏子は夏子で、やっぱり月見じゃないですよ!」
「それは、見方の違いよ。あなたの愛した月見は、もう何年も前に死んでいるのよ。でも、貴方の力で、今、夏子となって生きているんじゃないのかしら」
「でも、夏子は僕の娘です……」
「……、それでも、いいじゃないの、いずれ大人になる。月見と同じになるわ」
「そんな、そんなことできませんよ!夕顔さん、怖いことを言うんですね!」
「あら、何をするのかしら、私は、大人になるって言っただけよ……」
「もうー、お乳をあげながら、からかわないでくださいよ」
夕顔さんは、微笑みながら夏子を見た。
「あら、赤ちゃん、もう寝ているわ……」
夕顔さんは、そっと夏子を布団の上に寝かせた。
「……、じゃー、今度はあなたの番ね……、寂しいんでしょう……」
夕顔さんは、座ったまま、手と足で猫のように這って、僕のところに歩み寄って来た。
「い、いえいえ、順番なんか待っていませんよ」
僕は座ったまま、夕顔さんから逃げるように仰向けに仰け反った。
「あら、昼顔のおっぱいなら良くて、私のは駄目なのかしら……」
「……、そうじゃなくて、和尚さんが、夕顔さんは観音菩薩の化身と言っていました……」
「だから、何なの……」
僕は、さらに仰向けで、後ろに這う様に逃げた。
「だから、だから、菩薩様に変なことできませんよ!」
「……、あら、変なことって何なの? でも、貴方は初めから勘違いしているわ」
「何が勘違いなんですか?」
「……、私は、菩薩なんかじゃないわ。ただの夕顔よ!」
「でも、僕には観音菩薩様に見えますよ」
「それが、初めから違うのよ!菩薩も仏も、人の心の有り様を示したものよ。人々の外にある者ではないのよ。貴方の心の中にも観音菩薩はいるわ」
「でも、ここは夕顔さんと昼顔さんが作った世界ではないのですか?それだから、お婆さんや和尚が消えても、夕顔さんと昼顔さんは消えないでいる……」
「……、世界……? 貴方は世界を知っているの?」
「はい、この地球のことです。その外には宇宙があります」
「……、地球、宇宙……? 何でも知っているのね。それなら、お話ししなくても分かるでしょう?」
「いえ、分かりません!月見がどこえ行ったのか?どうしていなくなったのか?」
「それなら、教えてあげられるわ。簡単な事よ……、貴方の言う世界も地球も宇宙も、泡粒みたいな物で、幾つもの泡粒の一つなのよ。その泡粒が寄り集まり、それぞれの世の中を作っている……」
「多元宇宙論、マルチバースですね……、僕は、その泡粒の壁を通り抜けて、別の泡粒の世界に来てしまった……」
「そんな難しい言葉で言わなくても、何処にでもある事なのよ。それで、貴方が望んだ事で、自然の成り行きなのよ。それから月日と共に、ここで月見と暮らし、思い出を残して、月見が居なくなったのも自然の成り行き……、そして、赤ちゃんの夏子がいる……、それも、自然の成り行きなのよ」
「前に昼顔さんに言われた事があります。僕が望めば、この村から出られると……」
「貴方はこの村から出て行きたいの?」
「いえ、僕はここが好きです。一生、死ぬまで、ここで暮らしたいと思っています」
「それは、よかったわ……」
「でも、それは月見と、夏子と一緒ならと言うことです。観音菩薩様なら、月見をもとに戻せますよね! 幽霊でも、もののけでもいいから、月見に逢いたい……」
「……、だから私は観音菩薩ではないのよ!ただの花の夕顔なのよ……、でも、でも……、本当に貴方が望めば、月見に逢えるかも知れないわ」
「本当ですか! どうすればいいのですか?」
「簡単なことよ。月見の居る泡粒の壁を通り抜ければいいだけのことよ……、でも、赤ちゃんの夏子を置いて行けるの……? それとも、一緒に連れて行くの……?」
夕顔さんは、相変わらず微笑んで、僕の前にお尻をつけて座り直した。
「……、言っていることが分かりました。僕が間違っていました。夕顔さんの言っていることは、死んだ人の世界に行くと言うことですね」
「そんな大袈裟な事ではないわ。自然の成り行きなのよ。貴方が寂しいのなら、私を抱いてもいいのよ。そのために私がいるのだから……」
夕顔さんは、また両腕を床につけて、這う様に僕の側まで来た。
「そんな、そんな裸で迫らないでください!」
「あら、裸が気になるのね……、でも、お花が着物を着ていてはおかしいでしょう?」
「そんな、僕にはお花に見えませんよ!裸の女の人に見えますよ」
「だからいいじゃないの?男の人は皆んな好きなんでしょう……」
「いえ、男の人が好きなのは、着物から見える白い肌です……」
「そうなの……、知らなかったわ」
夕顔さんは、立ち上がって月見が着ていた白小袖を羽織って、振り返って僕の前に立って見せた。
「これでいいかしら……?」
張り裂けそうな襟元が張り出した胸元をいっそう白く際立たせていた。
美しい、美しいとしか言えない立ち姿の夕顔さんを目の前にして……
「僕、ちょっとトイレに行ってきます」
「……、トイレ?」
「かわやの事ですよ!」




