16. 和尚とたまり
(和尚とたまり)
午後の昼下がり、和尚さんがわざわざ、こんにゃくを届けに来てくれた。
「薪などたくさんあるじゃろう……」
「……、そうですか? そろそろ、大木も無くなってきました。森で木を切らないと、先が不安です」
僕は、庭で斧を振り下ろして、薪を作っているところに和尚さんと出くわした。
「薪は土蔵の中にもあるじゃろう……」
「土蔵ですか? 」
和尚は、こんにゃくと酒とっくりの様なものを庇に置くと屋敷の西側に回って行った。
そこには薄汚れた小じんまりした漆喰が塗られた蔵が別棟で立っていた。
「いい蔵ですね……」
「仮にも国司だからな。かつては使用人が何人もいたよ」
和尚の後に続いて、低いが高床の上の木製の引き戸を開けた。中には蔵いっぱいに俵やむしろ袋が積まれていた。その横には、綺麗に切り揃えてある薪が天井近くまで積まれていた。
「こんなに薪があったんですね!」
「昔は、雪が積もるくらいの土地だったよ。薪がないと暮らしていけん。それに、炭も作らにゃならん」
「炭を作るんですか?」
「そんな大がかりな炭焼き小屋で作るわけにはいかないが、竈で少しの炭なら作れるからな」
「でも、もう何年たっても季節は変わらんよ……」
「……、そうなんですか?」
「人も死ねない。季節も変わらない。そして、何処にも行けない。出られない。それが、この村じゃ……」
「……、それは、良いことではないですか?」
和尚は、大笑いしながら蔵を出て行った。僕は後に続いた。
「あの婆さんたちを見れば分かるじゃろう……、毎日毎日、昼顔に追い立てられて、飯を作らされて食べている。死ねないんだから食べる必要もないのにな……、しかし、食べないでいると、ひもじさが体をぎしぎし音を立てさせ、食べ物を欲しがるのさ……、そして、食べてしまって、また生き返る……、愚僧も何度か試してみたからのう、よく分かるよ。そんな毎日が良いこととは思えんがな……」
僕は和尚の後ろから、話しかけた。
「……、でも、明日があるじゃないですか?そこには希望がありますよ」
和尚は、またも笑いながら振り返って僕をみた。
「希望かな……、お前さんこそ、前にいた世の中から逃げてきたんじゃないのかね?」
「……、逃げて来たつもりはないですが、帰りたくないと言う気持ちは本当かもしれません。でも、ここで希望を見つけました」
「月見のことかね……?」
「いえ、お金に頼らない生活です!」
「お金とは、銭や金かね?」
「あちらでは、銭や金が普通に価値を持って、庶民までも使って暮らしています。お金が無ければ生きていけない所なんです。それゆえ、お金に縛られ苦しんでいます」
和尚は、振り返り、また歩き始めた。
「……、それは、ここでも同じこと、働かなければ生きてはいけない。お前さんでも、斧を振るって薪を作っていたではないか」
「そうなんですけどね……、何かが違うんですよ!」
和尚は振り向きもせず、丸棺の前で止まった。
「あれが、お風呂かね……?」
「ええ、ありがとうございます。お湯を入れるのに苦労しましたけど、気持ちよく入れました。疲れがいっぺんに取れました」
「愚僧は、まだ入ったことがないが、お湯が沸く泉があると聞いたことがある。そこに湯屋があって、入ると病気が治るという。確かこの近くにも湯屋があったと思うが、しかし、この村からは出られないがな……」
「お湯を入れたら、和尚も入ってみますか?」
「いや、遠慮しておくよ……」
和尚は、もう一度笑って振り向き、庇の上のこんにゃくと酒とっくりの様な壺を持ち台所に入った。
「その壺の中は何ですか?」
「これかね……、これは醤だよ。味噌の樽の間から出てくるんだよ。味噌とはちょっと違った味で、こんにゃくに掛けて食べると、あっさりしていて美味しいんだよ。朱夏が好きだった……」
「そうだったんですね……、ありがとうございます。月見もきっと喜びます」
和尚は籔に入ったこんにゃくを鍋に移し水を足した。
「食べる前に、もう一度煮て、醤を付けて食べなさい」
「はい、こんにゃくの食べ方は心得ています」
「そうかね……、さっき言っていた明日の希望のこと……、何十年ぶりに、こんにゃくを作って思い出したよ。朱夏に食べさせようと思っていた時のことを……、確かに、明日に希望があったよ。朱夏を喜ばせたいという希望がな……」
「僕も同じです……、月見の喜びが僕の希望です」
和尚は、笑い顔を持ったまま、台所を出ようと歩き出した。
「明日かな……、明日がまたあるなら、また、何か作ってしんぜよう……」
「ありがとうございます……、月見も喜びます」
「……、その着物、似合っているよ」
「はい、昨日、月見が縫ってくれました。それで、疲れたのか、まだ寝ているんですよ」
和尚は、それには答えず、ただ笑って台所を出て行った。
「……、醤とは何だろう?」
和尚の姿が見えなくなってから、とっくりの様な壺の中みを手に取って舐めてみた。
「醤油、たまり……?」
その黒い液体は、舌の上に一瞬で広がり、しょっぱさの中に、熟成された豆の甘味と旨味が口の中にも溢れる様に広がった。
今まで味わったことのない美味しさ……
これさえあれば、どんな食材でも美味しくいただけると思った。
月見がこんにゃくが食べたいと言った理由が初めてわかった。




