黒い城
「なあ、何の話だよ、オルテア?この嬢ちゃんを知ってるのか?」
「そうですね。彼女の叔父上にはお会いした事があります。面白い方で、音楽や学問に造詣が深く、上下貴賤には全く拘られませんでした。」
「あー、そりゃハナシがわかりそうな御仁だが、ここじゃ出世できそうもないな。」
オルテアから渡されたカップを両手で握り、千絵はガラムを見上げる。
立っていても座っていても、2人の体格差は相撲取りと小学生以上である。
「ここって、どんなところ?」
ガルムは、4本の腕で腕組みし、考え考え答える。
「そうさな、まあ、生まれで全てが決まっちまうってのが、一番分かりやすい説明かもな。」
「生まれって、家柄とかそういうこと?」
「まあ、それもあるが、要は実力っつうか、腕っぷしっつうか…」
「戦闘力がもっとも重視されますね。」
「おう、それだ。」
「戦闘力…。」
千絵は首を傾げた。
「生まれつきの戦闘力ってこと?そんなに単純なの?」
「単純っておめえ、まあ、そうかもな。分かりやすくはあるが、持って生まれた力が全てってことだから、俺みてーのは一生下働きってこった。」
「でもさ。ガラムさん、すごく強そうじゃない?」
「あ、いや、俺なんぞ。おい、オルテア?説明してくれや。」
何故か頬の辺りを少し赤くして、ガラムはオルテアに助けを求めた。
オルテアは苦笑して、自分のカップをテーブル石に置く。
サラサラした長い金髪が着衣を滑って、輝く光の帯が幾重にも重なった。彼も魔族である筈だが、その姿は神話のエルフに似ている。
耳の形を除いて、だが。
「戦闘力は色々ありますから。力がいくら強くても、大規模な殲滅魔法の前では無力でしょう。」
「そうそう。とんでもねー魔力持ちがわんさかいてな、俺みたいなのは瞬殺されちまう。つまりそういうこった。」
「我々は、姿形もバリエーションが豊富です。人間に酷似した者もいれば、かけ離れた姿のものもいる。ガラムさんはまだ人間に近いですが、昆虫や爬虫類にしか見えないものもいますよ。」
「そうなのね。楽しそうだわ。」
「…あなたにとってはね、巫女姫。しかし、滞在していただくのはいいのですが、知っておいていただきたいことも多いのです。この世界はね、人間、ことにあなたのような能力を持つ人には危険なので。」
「そうだぜ、千絵。だから急いでここに連れて来たんだ。」
「どういうこと?」
「大抵の魔族にとって、あなたは大変魅力的なのです。食用としてね。」
「……。」
彼女は、黙って2人を見つめた。
「それだけじゃねえ。怪しげな実験やら、売春宿やら、おまえを捕まえて売り飛ばす先はいくらもあるだろ。」
「だから、あなたはこの岩屋から出てはいけません。この世界があなたにとってどれほど危険な場所か、叔父上から聞いてはいませんでしたか?」
「聞いていました。だから、ここに来たのは最後の手段でした。」
「おめえ、そこまでして一体何から逃げてるんだ?」
ガルムが心配そうな視線を向ける。
界を越えた命懸けの逃亡は、単なる家出と言うにはあまりにも常軌を逸している。
「…夫から。」
「は?夫婦喧嘩か?い、いやそれより、おめえ結婚してたのか!」
「そこそんなに意外?兎に角、夫から逃げてここまで来たんです。どうしてもそうしないといけなかったから。」
決意を目に込め、彼女は昂然とガルムを見返した。
「賢明な選択です。」
と、オルテア。
「だけど、彼は…。ごめんなさい、迷惑、ですよね。」
「迷惑だなんてとんでもない。この場所は特殊なので、そう簡単には見つからないでしょう。しばらくはゆっくりと身体を休めて下さい。」
彼は柔らかく微笑んだ。
「おー、そういやオルテア、この場所なんだけどよ、大丈夫か?」
「何がですか?」
「いやあのな。ここって、〝黒の岩山〟の地下だ。ってことはよ、この上にはあの大層な城が乗ってるわけだ。」
「お城?」
「おうよ。でっかい黒曜石の岩山を削って造った城でな。俺はその城の門番なんだ。中に入った事はないが、とんでもなくキラキラしい城だってウワサだ。でよ、でっかいってことは、重たい。そうだろ?」
「まあそうなりますね。」
「でよ、この岩屋、あんまり頑丈そうには見えねーわな?それなのに、広い。とにかく広い空洞だあな。その上に、あのでっかい城だぞ?おかしくねーか、何で崩れないんだ?基礎工事とかどうなってやがる?普通よ、鉄骨かなんか打ち込んで造るだろうが?」
物理法則はあちらとこちらでそう変わらないなら、当然そうだろう。
ガルムはなおもぶつぶつ言いながら、うす気味悪そうに天井を見上げる。
釣られて千絵も天井を眺めた。
この上に、城?
どんな城か知らないが、かなりの重量物であるのは間違いない。
だが、オルテアは1人平然たるものだ。
「まあ、大丈夫じゃないですか。」
「な、何でだよ?」
「ここは地下牢として使うために作られた空間です。特殊な場所、と言う理由は、この世界にありながら別の場所にも存在している、隔絶された空間という事なので、上物の重量は関係ないんですよ。」
「そ、そうなのか?うーむ、わかったようなわからんような…。」
「内陣の闇みたいな…」
「そうです。」
「あら、ご存じなのね。ても、ここにはあそこみたいな禍々しさはないわ。むしろとても清らかな場所に見えます。」
「制御系統の違いだけですよ。本質は同じものです。」
「魔力と聖力みたいに?」
オルテアは頷いた。閉じられたままの目の、長いまつ毛が一瞬きらりと光を彈く。
聖画に描かれた天使さながら、それはこの場所同様、清らかな姿だった。
そもそも、魔だの何だのと形容する事自体が片手落ちである。
この世界には、多彩な姿かたちと能力をもつ住人がいるだけの話で、聖邪の分類は無意味なのだ。
聖力も魔力、呪力も、発現系統が異なるものの、全て精神の力に由来する。
だがらリヒトの国スロヴェシアで、あのネクロマンサー、レティシアナ・ダルカスが聖女と呼ばれていたのも、あながち的外れではない。
問題は力そのものではなく、使い手の人格と、いかにそれを制御するかがより重大でなのだ。
「制御…。」
ポツリ、と彼女は呟いた。
あの、力。
神族としてさえ破格の力を制御するため、彼は物心がつく前からどれほど過酷な環境に耐え続けたのだろう?
あの異常な執着心もまた、その産物であると知っていたが、彼女は結果からいうと、彼を裏切ったことになる。
そんなつもりはなかった。
しかし、他に方法はなかったのも確かだ。
「辛いですか?」
彼女は、黙って首を縦に振った。
「大丈夫です。龍一さんを信じなさい。彼はそんなに弱い人ではありません。」
面識はない筈。
しかし、魔族オルテアのその言葉は、何故か彼女の心を優しく包む。
だが。
「そうだ、龍一さんに飽きたら私の妻になるのはいかがですか?彼以上の快楽は保証しますが?」
半ば本気であることは、彼女の感覚が告げている。
さすがに叔父から聞いた通り、捉えどころのない人ではあるが、このタイミングでこう来るとは。
確かに、私は彼に慈悲を請わねばならない立場ではある。
だけど。
余りにも失礼でしょ?そうよね。
ならば、反撃あるのみ。
「冗談はやめて下さい、地下牢の番人さん。」
彼女は、すっと立ち上がった。
オルテアに向かい合って優雅かつ厳粛な一礼をする。
スパルタ式に叩き込まれた、神皇家の礼法である。人間の身体能力を無視した動きの習得は厳しかったが、演技にはかなり役だった。
「太陽と黒曜石の君であらせられる、いと貴き御方へ。神皇家内親王、千絵ブリュンヒルデがご挨拶申し上げます。」
オルテアは、柔らかく微笑んだ。
「ご挨拶をお受けしましょう、姫。」
「ありがたき幸せにございます。」
再度軽く礼をする。
彼女は、少しほっとした。
予期してはいたが、オルテアは全く気分を害した様子はない。
だが、困惑する者もいた。
「あのー、今のはどういうこった?」
ガラムは、2人を交互に見ながら、一本の手で顎の辺りを掻いていた。
「彼女は、本物の姫君だということですよ、ガラムさん。」
「ああ、そうなんだな。そこは何となく分かったんだが、さっきの、ホレ太陽と何だかのアレって、むかーしどっかで聞いたような。何だっけか?ムウ、思い出せねー。千絵、そりゃ何だ?」
彼女はとぼけることにした。
「地下牢の番人さんに会ったらそう言えって、叔父が。」
これは、嘘ではない。
ただし全面的に真実でもない。
「まあ、符牒みたいなものですよ。そんなものなくても、一目で分かりましたが。あの方の血に繋がる姫君であることは。」
一目でといいながら、彼の目はずっと閉じたままである。
「そうか。んじゃ、俺仕事に戻るわ。ごっつぉーさん、オルテア。」
2本の右手を軽く上げて、ガラムは返っていった。