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月の宮異聞  作者: WR-140
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逃亡

最初、異変に気付いたのは誰だったのだろう?

今朝はいつもと同じ朝、そうだったのは間違いない。

だが。

「マスター。バルト少尉から緊急連絡です。」

執務中だった盟主は、ラグナロクを介して異例の連絡を受けた。

「妃殿下が行方不明」と。

直ちに帰宅した盟主は、不気味なほど静かな職員達に出迎えられた。

青ざめ表情を失ったサーニは、立っているのがやっとの様子で、夫であるリューに支えられている。

そのリューもまた青ざめて、目の焦点が合っていない始末だった。

白金竜バルト少尉であるところの黒猫は、悄然と首を垂れたまま動かない。

どうかすれば、自身の影の中に溶けてしまいそうなほど、存在感をなくしてしまっている。

黄金竜ルイ・デュボア大佐は人間に擬態していたが、硬い表情で沈思黙考中。

不吉な予感が巨大な化鳥の翼となって、離宮全体を覆っているかの如くである。

盟主は一同を見回した。

「カイ。説明を。」

黒猫は、ビクッと震えた。

主君の静かな声が、却って嵐の底知れなさを予感させる。

顔を上げなければ、と、自分自身を鼓舞するが、あまりの事の重大さに筋肉が固まってしまったようだった。

「ご報告します。」

震える声でそう告げて、少尉は事態発覚までの経緯を述べ始めた。

と言っても、内容は僅かである。

朝、彼女は確かにいた。

そして、昼食時には居なくなっていた。

短い報告を終えて、少尉は耐え難い沈黙の中、何処かに飛びそうな意識を必死でつなぎ留めていた。


そこは、何処なのだろう。

岩屋の内部?

広い床と壁、上下を繋ぐ柱のような石柱の全ては、白っぽい大理石に似た石と見えるが、何処にも鑿の痕はなく、床のみ人工的に平らに磨かれている。

一方向は壁と、木のドアがみえるのだが、残り3方向には壁らしきものは見えない。

空間の先は闇に沈んでいた。

ただこの付近一帯だけが、光源不明の光に照らされているのだ。

低い天井もまた、ゴツゴツした剥き出しの岩である。

石の床からニョキニョキと突き出ているのは、石筍だ。

形は様々で、大部分には人の手が加わった様子はない。

床のそこかしこには、平らに切断されたらしい岩が置かれ、幾つかには敷物が置かれている。


ふと、弦が爪弾かれた。

最初の単音は、細くきらめく金糸の流れとなり宙を漂う。

長く透明な余韻。

次の音は一つではなく、和音。

小型の竪琴の音色は、楽器の大きさからは想像も出来ないほど豊かだ。

続くアルペジオは空気の層を成して、七色に共鳴する。

奏でるのは、1人の若者。

華奢で優しげな風貌の持ち主だが、奏でる音楽は、繊細なだけではなく、力強い。

その目は閉じられている。

彼の手がふと止まって、音楽の波濤が宙に砕けた。

誰かが来たようだ。

顔を上げたが、やはり目は開かない。

見えない視線の先で、ダミ声と共にドアがノックされた。

「おい、オルテア!開けてくれ!」

男は竪琴を置き立ち上がった。

「開いてますよ、ガラムさん。」

「おお。」

ドアが開かれ、来訪者が入ってきた。

異形の者。

ダミ声の主は、身長2メートル半を越える化け物である。

筋骨隆々たる体躯は、最低限の布で部分的に覆われていた。

肩から直接頭部が生えている。

つまり、首はない。更に頭髪もない。

逆に過剰にあるのが腕。

どこかの世界の、ゲーム好きの子供なら一眼でこう断じただろう。

4本腕のオーク、と。

実際頭部は、無毛のイノシシに似ている。

長く伸びた口吻、上下に突き出た牙。

彼は困惑した表情で、2本の腕に抱えた荷物を見下ろした。

「…その人は?」

「倒れてた。岩山の扉の前で。助けてくれよ、オルテア。」

「そこに寝かせて下さい。診てみましょう。」

「頼む。」

表情を輝かせて、4本腕のオークは荷物をそっと平らな岩に置いた。岩の上には白い毛皮が敷かれている。

ベッドかソファとして使われているらしい。

オルテアと呼ばれた青年は、注意深く傍に膝をついた。

「人間の女性ですね。」

彼の言葉に、ガラムは頷いた。

「やっぱりな。人間なんて、三百年生きてきて初めて見た。しかし、あんなとこに置いといたら、何が起こるかわからねえし。で、どうなんだ、生きてはいるんだろ?」

「大丈夫、深く眠っているだけです。界渡りのショックのようですね。」

「そうか。」

ガラムは見るからにほっとした様子で、傍の剥き出しの石筍にどっかと座った。

上部が平らになっていて、形は丁度高いスツールに似ている。ガラムの、いつもの席だ。

まもなく傍の平たい石の上に、湯気の立つ茶碗が置かれた。

オークの体躯に相応しく、厚手で大ぶりにできている。

「お、すまねえな、いつも。しかし、ここんところ、色々と妙な事が起こるとは思わねえか、オルテア?」

「例えば?」

「この人間の娘っこもそうだが、よその世界からやって来るモノが増えてる。あとなぁ、この辺りはそうでもないが、カシュケントやドノド辺りを歩くと、なんとなく妙な臭いがするんだ。」

「嗅覚に特化したあなたが言うならそうなんでしょうが、それは私にも分かるほどのものですか?」

「うーむ。今はまだわかんねえだろな。けど、時間の問題だぜ。段々強くなってっからよ。それにこの頃、お偉いさんたちの小競り合いが多かねえかい?なんかキナ臭えんだ。まあなぁ、この〝黒の岩山〟界隈じゃ滅多なことは起こらんだろが。」

ガラムは、一息つくと、飲みものを一気に流し込む。

彼は見かけによらず猫舌だが、オルテアはいつも適温の飲み物を出してくれるから、火傷の心配はない。

「…客人が目を覚ましたようですね。」

「おっ、大丈夫か?」

うっすらと彼女が目を開けた。

その上から、ガラムが顔を覗きこむ。

「いゃー、綺麗な娘だなあ。形はオルテアみてーだが、なんともいい匂いがする。」

彼女は、目をしっかりと見開いて、オークの顔を見た。至近距離だ。

普通なら、驚愕で再度気絶してもおかしくないほどの異相だが、彼女は何と微笑んだのである。

「ここは?」

言葉は通じないはずだが、なぜか彼女の言わんとするところは普通に聞きとれた。

「ここは、〝黒の岩山〟の地下だ。俺はガラム、門番だ。こっちはオルテア。吟遊詩人で、治療師。」

彼女は少し体を起こして、周囲を見回す。

興味津々、といったところだ。

その目がオルテアを見た。

彼の目は閉じられたままなのだが、正確に彼女の視線を感じたらしく、優雅に一礼する。

「よろしく。あなたのお名前をお聞きしても?」

「はい。私は神原千絵と言います。」

「そうですか。では千絵さん、とお呼びしてもいいですか?」

「はい、オルテアさん、それにガラムさん。助けていただいたんですよね。本当にありがとうございます。」

「いいってことよ。しかし何でまた?ここがどこだか、あんた知ってるのかい?」

「私たちの言いならわしでは、〝魔界〟。それで合ってますか?」

「ああ。そうなるだろな。俺らは〝世界〟と呼んでるが。そうすると、あんたらのとこは、人間界、ってことになんのか。」

「ええ。そうですね。」

と、彼女は笑った。

黙ってやり取りを聞きながら、飲みものを淹れていたオルテアが問う。

「それで、何故自ら界渡りを?」

何気ない言葉だが、彼女はハッとした。

自ら、と彼は言った。オークのガラムは、キョトンとした顔つきで首を傾げる。

「おいおい、なんでまた…」

「自分から来られたのは間違いないからですよ、ガラムさん。お忘れてすか、ここがどういう場所なのか。」

「…ああ。そういうことか。うん、確かにな。あそこで倒れてたってことは、例のゲートを通って来たってことだよな。あそこには確か、おっかない門番がいる筈だ。」

彼女は2人を交互に見つめて、はっきり言った。

「私、家出して来ました。」

「はあっ!?い、家出って、いや、いくら何でもここまで来るか?」

「ここまででも十分ではないんです。だって彼は…」

唇を噛み言い淀む彼女に閉じた目を向け、オルテアはふっと笑った。

「そうかも知れませんね。お会いしたことはありませんが、噂には聞いていますよ。龍一さん、でしたか?」

「はい。私、叔父からあなたのことを聞きました。一先ずあなたにお願いしろと。理由は…」

「わかっています。大丈夫、しばらくここで過ごして下さい。」

「ありがとうございます。」

彼女の目から、一筋の涙が溢れて頬を伝う。サルラの前で、この前流した涙と違って、そこには僅かだが希望の光が含まれていた。


よろしければ最後までお付き合いください。

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