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月の宮異聞  作者: WR-140
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予感

その夜。

「そうね。多分答えてくれるとは思う。だけど、アビスプリンガーに何を聞けばいいの、龍ちゃん?」

「さっき話した公爵令嬢のルーツが誰か知りたい。仮に地位ある魔族ならば、然るべき対応が要る。」

「それはそうかも。でも、その人、リヒトさんに酷いことした人よね。それに亡くなったのは自業自得でしょ?」

亡くなった、は、婉曲な言い回しである。

実際には殺された。

殺害したものは目の前にいる。

大体のところはカイから聞いて知っていた。

その女が使用した魔法についてもだ。

人を殺そうとしたのだから、反撃されても仕方ないが、この場合相手が悪過ぎた結果である。

リヒトから聞いた彼女の今までの所業については、とっくに裏付けがとれていたが、それも氷山の一角に過ぎないだろう。

その死によって、隠された部分が暴かれるのは時間の問題だった。

それなのに。

「何故?何を気にしてるの、龍ちゃん?」

「…そう見えるか?」

「うん。」

盟主は、黙って目を閉じ、一気にグラスを呷る。透明な酒は度数の強い蒸留酒だ。

帰宅後、夕食も摂らずに彼は呑み始めた。

酔うことはない。

だが、食欲はないらしい。

食事がわりに呑んでいる。

「あの女。」

「ん?」

「混ざりものだ。」

「そう。」

会ったことすらなかったけれど、推測はしていた。

魔族の血を引くもの、又は、魔の影響を強く受けた者ではないか、と。

だから、正妃はリヒトを「復讐者」と呼んだのだ。リヒトは人間だが、彼の内面は既にボロボロに喰い荒らされていたから。

残っていたのは、復讐を糧とする人格の残渣だけだ。


耐え難い悲劇に見舞われる人間は多い。

立ち直れなくなる人もいるだろうが、心の傷は、大抵少しずつ癒えてゆく。

何一つ忘れることはできなくとも。

生きてさえいれば、そう、生きていくことて、人は自らを癒やすことができる生き物なのだから。

生き延びた罪悪感も、あまりに辛い記憶も、取り返すことの叶わない、絶対的な喪失感さえも。

だが。

魔と呼ばれる存在に影響を受け続けると、人はしばしば修復不能なダメージを負う。

ここで言う()は、()()とは違う概念だ。

魔族は、神族と同じく、ある次元に棲む生命体の呼び名に過ぎない。

是非善悪とは、何ら関係ない呼称である。

生命体であるから、彼らは繁殖し、さまざまな活動を行う。

社会秩序も当然存在するし、個人の考え方も人間と同じく千差万別である。

生存本能と、知性を持つ生物は、収斂(しゅうれん)進化の概念に当て嵌まるであろう。

つまり、別種であり隔離された場所で進化しながら、人間と相当に似通っているということだ。

彼らの世界は、この世界に比較的近い場所にあり、時折り行き来が可能な通路が出現する。

月の宮のゲートキーパー、無数の触手とウロコを持つ巨大な貝のような生命体であるアビスブリンガーは、ほんの稚貝の頃、魔族が住む世界からやって来た。

かの世界では、それはただの野生生物であったかもしれない。

だがこの次元転移のせいで、アビスプリンガーは知性と永い寿命、両方の世界を行き来する特殊能力まで手に入れたらしい。

あちらからこちらへと来たものに具わる、ギフトと呼ばれるこの力は、しばしば一人歩きすることがある。

アビスプリンガーの場合にはそんなことはなかったが、力が独立した存在として本体から分離した場合、人間にとっては、致命的な災いとなる事例が多かった。

次元を越えた結果として、分離した特殊能力。

これを、()と呼ぶ。

姿形は、決まっていない。

それは稀に、そう、極めて稀に人の中で生き続けることがあるのだ。

致死性の毒のように働くことも多いから、世代を越えて子孫にまで受け継がれることは更に稀なのだが、例がない訳ではない。

これを、混じりものと呼ぶことがある。

更に、直接魔族そのものの血を継ぐ場合でも混じりものと形容される。

こちらは、前者より稀有なケースだ。


「何故叔父上が神原の先祖に、自分の遺伝子を植え付けたか。普通の人間なら、即死したはずだ。そうならなかった理由が魔族の血だ。」

盟主妃は淡々と頷いた。

「叔父様は、勝算のない賭けはなさらないでしょうね。」

「知っていたのか。」

「何かあるとは思ってた。今更どうでもいいし。で、その人も直接魔族の血を?」

「そこまではわからない。直接か間接かなど知る必要もないことだった。」

事実がどうであれ、彼女を生かしておくつもりはなかったということだろう。

「ただ、知っておく必要がある情報もある。外交上の必然として。」

現在、魔族の世界との正式な国交はない。

しかし、万が一公爵令嬢が魔族そのものと血縁関係があった場合には、問題が起こりうるだろう。


「どう聞けばいいの?」

「サンプルを渡す。それをアビスブリンガーに喰わせて意見を聞いて欲しい。」

「わかった。じゃ、サンプルちょうだい。それと、龍ちゃんは来ないでね。アビスブリンガーは龍ちゃんがいたら出てこないから。」

「ああ。これを。」

小さく透明な袋に入っていたのは、頭髪の束だ。

無造作に束ねたそれは、小指程度の大きさである。

「不思議な色。綺麗だわ。」

わずかに紫がかったそれを光に透かし見て、彼女は首を傾げた。

「あ、だから調べてみようって思った?」

「まあ、それもあるな。確率は低いが最悪の場合を想定しなければならないから。」

「え?」

「こういうことだ。あの世界の情報は、わずかずつだがこの世界にも伝わってくる。ここよりも個体差が大きく、個人の力が重要視される世界だ。しかし、魔王と称される絶対統治者は魔族最高齢でもあり、今は引退している。彼の下には、12人の配下がいて、それぞれが大きな権力を持つが、実力は拮抗していて、抜きん出た者はいない。そしてそのうちの1人の髪色が濃紫らしい。まあ、その程度の話ではあるが、気にはなる。」

「魔王って、まるでロープレね。」

呆れたように肩をすくめる彼女に苦笑を向けて、盟主はグラスを満たした。

「ゲームならいいが、仮に…ああ、確定していないことはどうでもいいな。」

冗談めかして、失言をはぐらかす彼を、盟主妃は鋭く見た。

「何があったの?」

静かに問う。

こうなると、彼女は答えを聞くまで引き下がらない。

舌打ちしたい気分で盟主はグラスを軽く上げた。乾杯の仕草、つまり、降参だ。

「昔の話だ。ルージュヘリオの惨劇という話を聞いたことがあるか?」

「えっと、確かルミダス星系のどこかに隕石が落ちて、都市が消えたって、あれのことよね?100年くらい前だっけ?」

「そうだ。天災とされているが、そうじゃない。あれは報復だった。」

「…は?」

「12人のうち1人の眷属が、ルージュヘリオの統治者に殺された。」

「えっ、だってそれ…無茶苦茶よ?」

盟主は頷く。

「巻き添えになった市民はおよそ20万。だが、どこまでが相手の意図したことかはわからない。次元を越えて力を振るうと、しばしば予期しない結果が出来(しゅったい)する。事故であった可能性もあるが、少なくとも、悪意が引き起こした事故ではあるだろう。」

悪意。

悪意の連鎖。

そのために奪われる命。

罷り間違えればその悪意がどこに降ってくるかは、彼にも知りようがないのだ。

しかし、対策の立て方はあろう。

リマノが直接攻撃に晒されるなら、逆に問題はない。ラグナロクの防空管制は完璧である。

異界へ自由に転移を行える特殊生命体、ドラゴンもいる。

有力者の外見的特徴などという、細かい情報が入ってくるということは、こちらの情報もまたかなり相手に伝わっている可能性が高いだろう。

ならば、どのような実力者でも、正面切って戦争を仕掛けはするまい。

どちらの世界にとっても、全面戦争などもってのほか、百害あって一利なし。

だが、ゲリラ戦や、テロを仕掛けられたらかなりまずいだろう。

だから、情報が必要だ。

「それってシミュレーション?まんまゲームなのね。しかも龍ちゃんが王様なんかやってる時点から大きな間違いだわ。」

「お前が王妃だから尚更だな。」

「ほんと!ミスキャストだらけね。」

彼女は、笑い捨てて立ち上がる。


「行ってくる。」

「頼む。カイを連れて行け。」

「大丈夫だよ。アビスブリンガーはいい子なの。」

「しかし…」

巨大なオウム貝もどきは、頑丈な貝殻を持ちつつその足の部分には鱗をまとい、頭部からは、自在に動く多数の触手を生やすという、奇妙な生き物だ。

地球のオウム貝と、スケーリーフットと呼ばれる巻貝、更にはイカを合わせた姿形は、どう見てもこの世界のものではない。

性別の有無は誰も知らない。

何でも食べる悪食で、そのしなやかな触手というか触腕は、数トンの重量のあるエサを確実に引き寄せる強靭さを持つ。

()()に餌付けされた()

シャレにもならないが、連邦最強の情報将校カイによって、アビスブリンガーは非常に高い知性と戦闘能力を有するはず、と分析されていた。

つまりは、大変に危険な存在にもなり得るということだ。

立ち去ろうとした彼女の手首を掴み、彼は真剣な表情になる。

アビスブリンガーが脅威と感じた訳ではない。アレには生存本能と高い知性がある。自殺行為をするはずはなかった。

カイがそばにいなくても、そのシールドは24時間彼女を包み守っている。

ただ、名指しがたい何かが、彼の心臓の辺りでざわついた。

「明日でも…」

呟く自分の声が、少し震えていることに気付き、狼狽する。

これは何なんだ?

「明日でいい。頼む。絶対無茶はしないでくれ。」

「なんて表情(かお)してるの!」

華やかに笑って、彼女はするりと手首を引き抜いた。

「どうかしたの?おかしいよ。龍ちゃんが酔う訳ないのに。」

「ああ。そうだな、疲れているんだろう、多分。」

「そんなに心配なら、カイと行くわ。それでいい?」

「頼む。」


呼び出された黒猫と共に、彼女は庭園へと向かった。


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