秘密
「完了しました。全てご命令通りに。」
「ご苦労。」
盟主執務室である。
カイは人間の姿だが、珍しく盟主近衞の伝統的な制服を着用の上、ご丁寧にも佩剣までしていた。
このご時世にこれは、まるで時代劇だが。
「似合うな。」
笑いを含んだ主君のコメントに、少尉はうんざりした顔を隠さない。
尤も知らない人から見れば、いつも通りの
無表情に過ぎないだろう。
「公爵令嬢の随行員は10名。侍女が2名で、他は護衛でしょう。全て、神皇家東宮紫の宮に対する暗殺未遂に関係したとして拘束いたしました。」
「東宮?ははっ、なんやそれ?」
「事実ですが。名目はお任せいただきましたので。大体こんな大時代なコスプレ、意味あったんですか?変な注目を浴びましたが?」
「正式使節ではないが、非加盟国の公爵令嬢一行。ならば、捕縛責任者として、お前の身分とやらを明らかにするのが国際法上必要だ。しかし、随分と高圧的な連中らしいな?」
「それはもう。彼らが滞在していた高級ホテルは、リマノに来る度宿泊している常宿でして、常に何部屋かリザーブしていました。金払い最高の上客ですが、従業員の評判は最悪ですね。ご命令通り、できる限り仰々しくかつ合法的に…」
「出来れば、プレスの前で、な。」
「はい、すべてご命令通りに。しかし龍一さま、何故ここまで手間を?自ら処断された以上、相手が非加盟国の貴顕と言えど戦争の当事国でもありますから、盟主特権でどうとでも。」
「少し気になることがあってな。」
「はい?確かに、人間としては強力な魔法使いではありましたが、所詮あの程度ですよね?」
「背後が気になる。あの女、混じっているだろう?」
少尉は頷いた。
「人外の血は非常に薄いですが。しかし仮に、魔族の末裔であるにしても、魔族自身が興味を持つほどの器ではないのでは?」
魔族、と呼ばれる存在は実在する。
だが、通常人間社会とあまり接点を持つことはなく、彼らの世界の中で完結していて、たまたまその影響が人間界に顕現したとしても、それは大海に漂う少し変わった分子一握り程度のオーダーだ。
人間が考えるほど、魔族は人間に興味は持たないのが普通だが…。
「まあ、杞憂であるならそれで良い。引き続き対応してくれ。」
「御意。では、これで。」
カイが出て行った後も、盟主は少しの間想いに耽る。
「マスター?」
なまめかしい声はラグナロクだ。
「知っているか、ラグナ。月の宮に棲むゲートキーパー、アビスプリンガーは、魔界出身だ。質問に答えてくれるといいが。」
「意思疎通は可能なのですね?」
「ああ。俺は嫌われているが。まあいい。何とかなるだろう。」
「そう。良かったわ。」
一口の紅茶を飲み下して、彼女は視線を逸らした。
奇妙に静か、というよりいつもの生気がない。
「姫様?お加減が優れませんか?」
気遣わしげなサーニの表情。
「いいえ。ちょっと考え事をしていただけよ。」
今サーニから聞かされたのは、カサンドラ率いる傭兵団のその後だった。
カサンドラだけならば、連邦正規軍への復帰は容易だったはずだか、彼女の部下たちの大半は、正規軍の軍人として生きるには無理がある。
いかに優秀であっても、組織からはみ出し、やがては野垂れ死するしかない連中である。
彼らには行き場がない。
戦時中ならともかく、終戦後の世界では、ますます疎外され爪弾きされかねない。
それに、彼らの強い団結力も問題だ。
皆がお互いからも、指揮官であるカサンドラからも離れたくないと強い意思を示していた。
少人数ずつならば、いくらでも再就職の口はあったのだ。
だが、40人を超える大所帯を丸ごと抱えられるような民間企業となると、どこも既にそれなりの人材を抱えている。
「でもさ。引き取り手があって良かったじゃん、聖女さま。」
いつものように、彼女の椅子の足元の床に座っていたコータローが言った。
その手は、器用にナイフを弄んでいる。
まるでペン回しでもするかのように、ナイフはヒラヒラ、クルクルと動いて、止まる時がない。
だが、盟主妃のショートパンツは、太ももの半ばまでしかない。そして組まれた剥き出しの素足から、刃先までは数センチもなかった。
サーニとしては、さっきから気が気でないのだ。
「危ないわよ、コータロー。いい加減それをしまいなさい。」
「大丈夫。僕を人間なんかと一緒にしないでよね、サーニ。」
「龍一さまがそれで納得なさるかしら?」
「う…!」
痛い所をつかれた。さすがのコータローも、あの男に逆らおうとは思わない。
「龍一はさあ、おかしいよ。過保護かと思ったら、必要な訓練とかの時は超スパルタだしさ。ついてく聖女さまも聖女さまだけど。ねえ、ほんとなんであんなのと!って、聞いてる、聖女さま?」
「聞いてる…。」
やはりどこか上の空だ。
これは、おかしい。
コータローとサーニはアイコンタクトして、どちらからともなく頷いた。
「あの、カサンドラさんたちが、ロッシ財閥に雇用された件、ご不快でしたか…?」
「え?なぜ?」
「何故って、それはもう、あんなこともありましたし。」
あんなこと。
ロッシの孫娘が、ここ月の宮に侵入して、正妃を悪し様に罵った言葉を、サーニは後からカイに聞いた。
とんでもない暴言だ。
怒りで、血液が逆流しそうな気分になったのは、記憶に新しい。
が、正妃はキョトンとした顔だ。
そんなこと、気にしてはいないらしい。
「意見は人それぞれよ。いちいち取り合っていたら、キリがないわ。」
サーニとコータローは、再度目を見交わした。
原因がその件ではないとすると?
「龍一と噂になってた、ルビア皇国の皇女ってさ、能力的には聖女様とは比較できないくらいお粗末なんだよね。ユニコーンの僕が言うんだから間違いないさ。」
「そうですとも姫様!その程度で側室に名乗り出るなど、身の程を知るべきです!」「そんな人がいたのね。全然知らなかったわ。」
正妃は、首を傾げて、2人を見た。
「まあ、よくある話だけど。あ、サーニ、カイが何か話があるらしいの。急ぎではないと言っていたけど、探してみて。」
「あら、そうでしたか。参りますわ。」
サーニは部屋を出しなに、チラッと正妃を振り向いた。
やはりおかしい。伏せた目は、何も見ていないようだ。
姫様のこと、頼んだわ。
コータローにそっと目配せした。サーニの意図に気づいて、彼は微かに頷く。
彼なりに心配しているのだ。
「…どうしたのさ、聖女さま?」
「何?」
「ヘンだよ。何をそんなに気にしてる?」
彼女は、答えない。
「言いたくないんだね。言わなくていいよ。何かを恐れているのはわかってる。」
「コーちゃん…」
彼は立ち上がった。
「僕にできることがあったら、何でも言ってね。僕は聖女さまのものだから。」
「…ありがとう…。」
「そんな顔しないで。似合わないよ。」
寂しげに笑って、コータローは部屋を後にした。
暫くの後。
「どうしますか、千絵さん?」
言葉と共に、白い光の帯が天井から降りてきた。
それは床につくと、ただの光線から、ずしりと重量感のある実体に変化した。
巨大な白い蛇。
ずりずりと這う音につれ、うろこはホワイトオパールの光沢に千変万化する。
大蛇は彼女の座るカウチの周りをふた巻きし、更に頭をもたげて、正面から彼女を見た。
今日の目は、ウロコよりやや強い光をはなつホワイトオパールだ。
「サルラ…」
「秘密の説明は要りません。あなたがどうしたいか、それだけ言いなさい。」
正妃の目から、涙が溢れてほほを伝う。
最終章に突入しました。
残り何回になるかはわかりませんが、10回以上にはなりそうです。最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。