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月の宮異聞  作者: WR-140
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螺旋

オルタの真剣な眼差しを、医師は柔らかく受け止めた。

「だが、時間的に猶予はない。そうなんだね?君がわがままを言う人でないことは、俺も分かっているつもりだ。」

オルタは頷いた。

その通りだ。

説明は下手だけど、オルタにははっきりと呪いの構造が見えているのだ。

呪いの螺旋が閉じるまで、もう時間があまり残されていない。

螺旋が閉じる時、彼は死ぬ。

一番乱暴で、一番早い方法は、螺旋を閉じようとする者、つまりその聖女という名の悪魔を今すぐ殺すこと。

螺旋は、断ち切られ、いますぐに閉じることはなくなる。

そしたら、時間には余裕ができる筈だ。

ただし、それは解呪ではない。

複雑に編み上げられた過去は、やがて螺旋を閉じようとするだろう。

そうならないように、少しばかり螺旋を解くことで、リヒトさんが生きている間くらいなら特に問題は無くなるはずだ。

時間をかければ、完全な解呪も可能だし。

そう、一刻も早く螺旋を断ち切らないといけないのは明白。

だけど、それだと赤ちゃんは…!


「リヒト。君はどうしたいのかな?」

医師は静かに問いかける。

俯いたリヒテンシュトールは、左右に首を振った。

最初は微かに、次第にはっきりと。

「望んだ子供ではありません。それどころか、この世に産まれたところで、あの女の糧とされるだけだ。あの聖女の…!」

オルタが、キョトンとした表情でリヒトを見た。

「せいじょさま…?」

「オルタ、彼の言う聖女とは、彼の国の宗教でいうもので、君の知っている聖女ではないようだ。」

「そうなんですね。ブリュンヒルデ様とは違う聖女さまって、一体どんな人なんですか、リヒトさん?」

リヒトは顔を上げた。

「ブリュンヒルデさまって?…ああ、確か、盟主正妃さまですね。とても美しく慈悲深いお方だとか。その方とは多分、全く違う。」

リヒトは、「慈悲」などという言葉が存在しない日常を生きて来た。

口調に苦さが混じる。

それ以上に、押し殺すことの叶わぬ憎悪が溢れて、舌を滑らかに動かした。

「あの女は、悪魔だ。自分の父親と共に大勢の人を殺して来た。俺の兄弟姉妹と、それにあの女の実の兄弟まで。」

「どうして、そのひとはそんなことを?」

「教義のためなのか、他の理由があるのかはわかりません。俺は、10歳のとき、双子の妹と一緒に住んでいた家で殺されかけて、どうにか逃げ出した。妹は死んで、俺は田舎に隠れていたところで奴隷に売られたから、王城やその近辺で何が行われていたかはあまり詳しくないんです。その後、あの女に捕まった。あの悪魔にね。」

「君の手足。その女か?」

「そうです。…笑いながらね。刃物やムチを人の体に振り下ろすのが、楽しくて仕方ないらしい。」

「君を監禁しつつ対外的には王という体面を維持する。君の国は、国王が人前に出ることは稀だが、しかし、外せない行事はある。君が置かれた現状を知られるわけにはいかない。楽しみだけで行うには、いささか面倒なのでは?」

「生け贄だから、でしょう。双頭の蛇、つまり名前のない神に捧げるための供物と聞いています。後継者が生まれれば、俺は用済みだ。生け贄には王家の血が最上だとか。だから…」

そのために、妹は殺された。

顔も名前も知らない、他の兄弟姉妹達も。

そしてあの女は、リヒトから精を搾り取った。

殺し過ぎたから、王家の血を引く男は、他に生き残っていなかったのだ。

「聖女と呼ばれているその悪魔は、レティシアナ・ダルカス。腹の子は、特に血が濃いんです。そのために…無理やり。」

あまりの情けなさに、ククっと妙な笑いが込み上げた。

客観的事実を述べるなら、リヒトはあの女によって陵辱されたのだ。

手足の腱を切断され、強制的に、あの女の力を使われて、交わりを持った。

愛も、欲望も、慈悲もない行為を繰り返し強要された。

精を得るだけならば人工受精とか、他に方法があったはずなのに、あの女はリヒトの憎悪と絶望を楽しんでいたのだ。

思い出せば、自分自身に対する嫌悪感が全てを飲み込みそうになる。

おぞましく穢れた体を引き裂いてしまいたいと、何度思っただろう。


「血が濃い?つまり、その女は王家に連なるものでもあるわけか。」

「その通りです。代々、王の後継者以外の大抵の王族は殺されましたが、例外は、唯一の公爵家の後継者となったものだけです。つまり、あの悪魔は俺の従姉妹に当たります。」

ぞっとするが、それが事実だ。

5つ年上の従姉妹。

身内だとか血縁だとか、ただの一瞬たりとも感じたことはないけれども。

リヒトが今まで生きてこられたのは、ひとえにあの女への憎悪のお陰である。

それだから命懸けの亡命も実行した。

どんなに成功確率が僅かであっても、あの女の奴隷でいるよりはましだから。

「レティシアナは、ダルカス公爵の庶子ですが、母親についてはよくわかっていません。旅の踊り子だとも、魔女だとも言われていますが、レティシアナ自身、強力な魔力の持ち主です。」

オルタが慎重に頷いた。

魔女、というより、もう少し暗く瘴気に満ちた何者かの影を感じる。


その時、ドアがノックされた。

長身の美女、アリス・デュラハンは、入ってくるなりリヒトに話しかけた。

「あなたに、面会希望の女性が来られましたが、会われますか?」

女性の面会希望者?

リヒトは蒼白になる。

早い。早過ぎるが、あの女以外、面会者の心当たりはない。

「あ、会いたくないです。」

それは心の奥底から出た悲鳴だ。

たぎる憎しみを凌駕するほどの恐怖。

それに、嫌悪。

しかし、会いたくないと言って引き下がる相手ではなく、この病院にはあまり魔法防御のための力が感じられない。

多少の魔力があれば、簡単に突破出来るだろう。

連邦では、魔法はかなり廃れているとは聞いていた。

そしてあの女は、強力な魔女なのだ。

今にも押し入って来るかもしれない。

そうしたら、この人たちに迷惑がかかる。

どうすれば?!

半ばパニックのリヒトを痛ましげに見つつ、オルタは入って来た女に強く興味を惹かれていた。

こんな存在、初めて見た。

生き物じゃないのは一眼でわかったけど、でも、単純なアンドロイドとかの機械じゃない。

綺麗な顔。

まるで、魔法人形みたいな存在感。

「アリス、その女性は何と?」

医師の問いかけに、彼女は(うっす)らと笑った。

「本名を名乗られていますわね。()()でワープ魔法に巻き込まれた使()()()を保護していただき、ありがとうございます、ですって。」

「ははは。中々強かそうなレディだな。」

「いかがいたしましょう、マスター?」

「追い返せ。名目は任せる。」

「御意。ですが、アッサリ引き下がる相手とは思えませんわ。今始末した方が。」

実に物騒なセリフをさらりと吐いて、アリスは嫣然と笑った。

「ま、待って下さい!あの女は、我が国で最強クラスの魔法使いです。極めて危険な存在なんです!」

「リヒト、心配いりませんわ。私、魔法はまだ学習中ですが、あの程度ならば。」

ほほほ、と笑うアリスを、信じがたいものを見る目で眺めるリヒトである。

いや、無理だろう。

この女性からは何ら魔力を感じないし、無論医師からも何も感じ取れない。

オルタからは繊細で優しい魔力のような波動が感じられはするが、戦闘向きではなかろう。

それに引き換え、あいつは、あの悪魔レティシアナは…!

「リヒト、何ヶ月かわかるか?」

突然医師に尋ねられ、リヒトは全く訳がわからなかった。

「はい?」

「子供だ。魔女の腹の。」

「あ…。あの、あと4ヶ月で生まれるとか話していましたが…」

この非常時にする質問ではないだろう!

彼らは、事態がわかっていない!

リヒトの焦りを他所に、医師は頷いた。

「アリス、至急カイを呼べ。新生児集中治療準備も頼む。」

「先生!赤ちゃんは助かるのですか?」

「ああ。そのつもりだよ、オルタ。どんな血を引いていようとも、その子に罪はないだろ。」

「はい!」

オルタの顔が輝いた。

「リヒト。いや、リヒテンシュトール・アルカナリア・デイオス。今から君の発言は公的に記録されるから、慎重に答えよ。君は、君に対する虐待と、多くの人々に対する殺害その他の行為について、レティシアナ・ダルカスを告発するか?」

「それは、勿論です。彼女の所業は、どれひとつとして許容できるものではありません。」

「よろしい。では、君は見届けろ。オルタは、少し席を外しなさい。君が見るものではないからね。ああ、来たかカイ。」

どこから入ったのか、トコトコと床を踏んで来たのは、1匹の小さな黒猫である。

それは、医師の足元に座って一礼した。

「事情は理解したな?宜しい。アリス、オルタ嬢を頼む。」

「はい。どうぞこちらへ。」


オルタを見送って、医師は立ち上がる。

「さて。三文芝居の開幕といこうか。」


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