螺旋
オルタの真剣な眼差しを、医師は柔らかく受け止めた。
「だが、時間的に猶予はない。そうなんだね?君がわがままを言う人でないことは、俺も分かっているつもりだ。」
オルタは頷いた。
その通りだ。
説明は下手だけど、オルタにははっきりと呪いの構造が見えているのだ。
呪いの螺旋が閉じるまで、もう時間があまり残されていない。
螺旋が閉じる時、彼は死ぬ。
一番乱暴で、一番早い方法は、螺旋を閉じようとする者、つまりその聖女という名の悪魔を今すぐ殺すこと。
螺旋は、断ち切られ、いますぐに閉じることはなくなる。
そしたら、時間には余裕ができる筈だ。
ただし、それは解呪ではない。
複雑に編み上げられた過去は、やがて螺旋を閉じようとするだろう。
そうならないように、少しばかり螺旋を解くことで、リヒトさんが生きている間くらいなら特に問題は無くなるはずだ。
時間をかければ、完全な解呪も可能だし。
そう、一刻も早く螺旋を断ち切らないといけないのは明白。
だけど、それだと赤ちゃんは…!
「リヒト。君はどうしたいのかな?」
医師は静かに問いかける。
俯いたリヒテンシュトールは、左右に首を振った。
最初は微かに、次第にはっきりと。
「望んだ子供ではありません。それどころか、この世に産まれたところで、あの女の糧とされるだけだ。あの聖女の…!」
オルタが、キョトンとした表情でリヒトを見た。
「せいじょさま…?」
「オルタ、彼の言う聖女とは、彼の国の宗教でいうもので、君の知っている聖女ではないようだ。」
「そうなんですね。ブリュンヒルデ様とは違う聖女さまって、一体どんな人なんですか、リヒトさん?」
リヒトは顔を上げた。
「ブリュンヒルデさまって?…ああ、確か、盟主正妃さまですね。とても美しく慈悲深いお方だとか。その方とは多分、全く違う。」
リヒトは、「慈悲」などという言葉が存在しない日常を生きて来た。
口調に苦さが混じる。
それ以上に、押し殺すことの叶わぬ憎悪が溢れて、舌を滑らかに動かした。
「あの女は、悪魔だ。自分の父親と共に大勢の人を殺して来た。俺の兄弟姉妹と、それにあの女の実の兄弟まで。」
「どうして、そのひとはそんなことを?」
「教義のためなのか、他の理由があるのかはわかりません。俺は、10歳のとき、双子の妹と一緒に住んでいた家で殺されかけて、どうにか逃げ出した。妹は死んで、俺は田舎に隠れていたところで奴隷に売られたから、王城やその近辺で何が行われていたかはあまり詳しくないんです。その後、あの女に捕まった。あの悪魔にね。」
「君の手足。その女か?」
「そうです。…笑いながらね。刃物やムチを人の体に振り下ろすのが、楽しくて仕方ないらしい。」
「君を監禁しつつ対外的には王という体面を維持する。君の国は、国王が人前に出ることは稀だが、しかし、外せない行事はある。君が置かれた現状を知られるわけにはいかない。楽しみだけで行うには、いささか面倒なのでは?」
「生け贄だから、でしょう。双頭の蛇、つまり名前のない神に捧げるための供物と聞いています。後継者が生まれれば、俺は用済みだ。生け贄には王家の血が最上だとか。だから…」
そのために、妹は殺された。
顔も名前も知らない、他の兄弟姉妹達も。
そしてあの女は、リヒトから精を搾り取った。
殺し過ぎたから、王家の血を引く男は、他に生き残っていなかったのだ。
「聖女と呼ばれているその悪魔は、レティシアナ・ダルカス。腹の子は、特に血が濃いんです。そのために…無理やり。」
あまりの情けなさに、ククっと妙な笑いが込み上げた。
客観的事実を述べるなら、リヒトはあの女によって陵辱されたのだ。
手足の腱を切断され、強制的に、あの女の力を使われて、交わりを持った。
愛も、欲望も、慈悲もない行為を繰り返し強要された。
精を得るだけならば人工受精とか、他に方法があったはずなのに、あの女はリヒトの憎悪と絶望を楽しんでいたのだ。
思い出せば、自分自身に対する嫌悪感が全てを飲み込みそうになる。
おぞましく穢れた体を引き裂いてしまいたいと、何度思っただろう。
「血が濃い?つまり、その女は王家に連なるものでもあるわけか。」
「その通りです。代々、王の後継者以外の大抵の王族は殺されましたが、例外は、唯一の公爵家の後継者となったものだけです。つまり、あの悪魔は俺の従姉妹に当たります。」
ぞっとするが、それが事実だ。
5つ年上の従姉妹。
身内だとか血縁だとか、ただの一瞬たりとも感じたことはないけれども。
リヒトが今まで生きてこられたのは、ひとえにあの女への憎悪のお陰である。
それだから命懸けの亡命も実行した。
どんなに成功確率が僅かであっても、あの女の奴隷でいるよりはましだから。
「レティシアナは、ダルカス公爵の庶子ですが、母親についてはよくわかっていません。旅の踊り子だとも、魔女だとも言われていますが、レティシアナ自身、強力な魔力の持ち主です。」
オルタが慎重に頷いた。
魔女、というより、もう少し暗く瘴気に満ちた何者かの影を感じる。
その時、ドアがノックされた。
長身の美女、アリス・デュラハンは、入ってくるなりリヒトに話しかけた。
「あなたに、面会希望の女性が来られましたが、会われますか?」
女性の面会希望者?
リヒトは蒼白になる。
早い。早過ぎるが、あの女以外、面会者の心当たりはない。
「あ、会いたくないです。」
それは心の奥底から出た悲鳴だ。
たぎる憎しみを凌駕するほどの恐怖。
それに、嫌悪。
しかし、会いたくないと言って引き下がる相手ではなく、この病院にはあまり魔法防御のための力が感じられない。
多少の魔力があれば、簡単に突破出来るだろう。
連邦では、魔法はかなり廃れているとは聞いていた。
そしてあの女は、強力な魔女なのだ。
今にも押し入って来るかもしれない。
そうしたら、この人たちに迷惑がかかる。
どうすれば?!
半ばパニックのリヒトを痛ましげに見つつ、オルタは入って来た女に強く興味を惹かれていた。
こんな存在、初めて見た。
生き物じゃないのは一眼でわかったけど、でも、単純なアンドロイドとかの機械じゃない。
綺麗な顔。
まるで、魔法人形みたいな存在感。
「アリス、その女性は何と?」
医師の問いかけに、彼女は薄らと笑った。
「本名を名乗られていますわね。事故でワープ魔法に巻き込まれた使用人を保護していただき、ありがとうございます、ですって。」
「ははは。中々強かそうなレディだな。」
「いかがいたしましょう、マスター?」
「追い返せ。名目は任せる。」
「御意。ですが、アッサリ引き下がる相手とは思えませんわ。今始末した方が。」
実に物騒なセリフをさらりと吐いて、アリスは嫣然と笑った。
「ま、待って下さい!あの女は、我が国で最強クラスの魔法使いです。極めて危険な存在なんです!」
「リヒト、心配いりませんわ。私、魔法はまだ学習中ですが、あの程度ならば。」
ほほほ、と笑うアリスを、信じがたいものを見る目で眺めるリヒトである。
いや、無理だろう。
この女性からは何ら魔力を感じないし、無論医師からも何も感じ取れない。
オルタからは繊細で優しい魔力のような波動が感じられはするが、戦闘向きではなかろう。
それに引き換え、あいつは、あの悪魔レティシアナは…!
「リヒト、何ヶ月かわかるか?」
突然医師に尋ねられ、リヒトは全く訳がわからなかった。
「はい?」
「子供だ。魔女の腹の。」
「あ…。あの、あと4ヶ月で生まれるとか話していましたが…」
この非常時にする質問ではないだろう!
彼らは、事態がわかっていない!
リヒトの焦りを他所に、医師は頷いた。
「アリス、至急カイを呼べ。新生児集中治療準備も頼む。」
「先生!赤ちゃんは助かるのですか?」
「ああ。そのつもりだよ、オルタ。どんな血を引いていようとも、その子に罪はないだろ。」
「はい!」
オルタの顔が輝いた。
「リヒト。いや、リヒテンシュトール・アルカナリア・デイオス。今から君の発言は公的に記録されるから、慎重に答えよ。君は、君に対する虐待と、多くの人々に対する殺害その他の行為について、レティシアナ・ダルカスを告発するか?」
「それは、勿論です。彼女の所業は、どれひとつとして許容できるものではありません。」
「よろしい。では、君は見届けろ。オルタは、少し席を外しなさい。君が見るものではないからね。ああ、来たかカイ。」
どこから入ったのか、トコトコと床を踏んで来たのは、1匹の小さな黒猫である。
それは、医師の足元に座って一礼した。
「事情は理解したな?宜しい。アリス、オルタ嬢を頼む。」
「はい。どうぞこちらへ。」
オルタを見送って、医師は立ち上がる。
「さて。三文芝居の開幕といこうか。」
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