見鬼と血の呪い
「何を…?」
咄嗟に意味がわからなかった。
呪い?
「それは、あなたの体に深く埋められています。」
と、彼女はさらに続けた。
明るい琥珀色の目は揺るぎもしない。
「あなたの血が、呪いの糧です。」
「血…?俺の?」
全身がざわつく感触。何かがチカっと閃いた気がした。
ひょっとしたら…。
だが、はっきりとはわからない。
思い当たる節が皆無というわけではないが、理解できているとはとても言えないから。
しかし。
「オルタ、なぜ彼に会いたいと?」
医師の質問に、少女は少し黙り込む。
話すのがあまり得意ではなさそうだ。
「見えたから。」
そう言うと、困惑した様子で、再び黙り込んだ。言葉をさがしあぐねる様子である。
「そうか。彼を助けようとしたんだね。」
それは質問ではない。
少女は、ぱっと顔を輝かせて頷いた。
「だが、危険ではないか?」
少女の表情が曇る。
「でも、先生。大神官様が仰ったんです。助けられる人は、助けないといけないって。そのための力だって。」
「…そうか。」
「そうです。陛下と同じです。」
医師の目元が微笑んだが、彼は何も言わなかった。連邦には、陛下と尊称される人物なら無数にいる。リヒトには意味のわからない会話だったが、少女の言葉の足りない部分は、医師には自明であるらしい。
「紹介がまだだったね、オルタ。彼の名はリヒト。正確にはリヒテンシュトール・アルカナリア・デイオス、スロヴェシアの国王陛下だ。そうだね、リヒト。」
全身の血が逆流するとは、こんな感覚をいうのだろうか?
そして、一瞬遅れて来た激しい羞恥。
国王と言われれば、確かにそうなのだが。
「しかし、何の力もない奴隷です。」
掠れ声で告げる。
そう、それが真実だ。だが、何故この医師が知っているのだろう?
「何故ご存知なんですか、先生?」
「何故、か。そうだなぁ、俺には医者の他にも仕事があってね。連邦加盟国全てと、非加盟国のうちかなりの国の元首の顔と名を知っているからかな。」
「…あり得ないでしょう、まさかそんな?数万人、いや、もっとだ。」
リヒトは、呆気に取られた。馬鹿にしているのか?
まさにあり得ない。
しかも、なぜそんなとんでもないホラ話て煙に巻こうとするのかがわからない。
が、彼がリヒトの素性を正確にいい当てたのは確かだった。
これは、亡命申請に関して、困ったことになったのかもしれない。
「あの、肩書きがあると、亡命は難しいんでしょうか?」
「いや。それはあまり関係がない。実際、亡命申請が受け入れられた元国家元首は大勢いる。君がかなり困難な状況に置かれていることは、初めから明白だったしね。で、まだ紹介が終わっていないから、続けさせてもらうよ。彼女は、オルタ・サバラン・トリニア嬢。エルトリニア帝国の大神官の筆頭従者で、ご家族でもある。」
オルタは、ペコリと頭を下げた。
エルトリニアの名は、リヒトも聞いたことがあった。
連邦加盟国で、それなりの大国である。
「さて。紹介は終わりだ。説明して欲しいな、オルタ?」
彼女は頷いたが、どこから話せばいいか迷っていた。
医師が助け舟を出す。
「彼を救おうとした。彼の名さえ知らなかったが、君には彼の抱える呪いが見えた。
そこまでは俺にもわかった。でも、どうやって救う?」
「血、です。絡まっている。古い古い呪い。だから、解いて、解します。」
「彼の血統にまつわるものなんだね?」
「そうです。沢山の血が流されました。昔から今までずっと。沢山のひとが不幸になりました。だけど、こういうのはもう、終わりにしないといけないのです。」
リヒトは、沈黙したまま、2人のやりとりを聞いている。
その顔からは表情が欠落していたが、内心は嵐の海の小舟さながら、激しい感情に翻弄されていた。
呪いというならそうなのだろう。
確かに思い当たることは多々ある。
あり過ぎて、溺れてしまいそうなほどだ。
リヒトの周りには、常に死が満ちていた。
スロヴェシアの王は、代々数多くの子を成してきた。
それは、神聖なる義務とされている。
多くの妻妾をハーレムに蓄えて、あまたの王子王女を産ませるだけでなく、たまたま見染めた女ならば誰にでも情を掛けて子を得ることもまた、国王の聖なる義務とされてきたのだ。
リヒトは、神殿に仕えていた端女を母として誕生した。
双子の妹、アリーヤと共に。
生まれた時すでに、彼らには十数人もの兄弟姉妹がいた。
その時生存していた人数だけで、だが。
しかし、今では誰1人として生きてはいない。アリーヤも。
後に生を受けた、彼らの弟妹に当たる者たちも同じく。
表向きは、双頭蛇である神に愛されて、召されていった、神聖かつ無垢なるもの、と言い習わされていたが、事実は違う。
彼らは、殺害されたのだ。
皆、10歳前後の年齢で。
「頭が、二つの、蛇。」
オルタが呟く。
リヒトは、言葉もなく、彼女を見返した。
「それが呪い。そして、呪いの糧です。」
「双頭の蛇は、スロヴェシアの国教の神だね。血が呪いの糧、そしてそれも双頭の蛇ということか。となると、俺としてはDNAを連想するな。血統、即ち遺伝子か。」
オルタは少し首を傾げた。
DNAというのはよくわからないけど、先生がそう言うならそういうものなのだろうと思う。
頭が2つある蛇が神様って、なんだか変わってるし、それに少し、気味が悪い。
オルタは、別に蛇が嫌いなのではないが、リヒトというこの人に絡んでいる蛇の影は好きじゃなかった。
蛇じゃなくて、蛇みたいな何か、という方が正しいのかもしれない。
「聖邪を司る2つの頭は、時々役割が入れ替わるそうだよ、オルタ。」
オルタは頷いた。
それはよくわかる。
オルタが感じた通りだ。
それを神様、と崇めるひと達がいるのかもしれないけど、やっぱり良くないものだ。
ただ、力があるから、困る。
ひとは、簡単に力に魅せられてしまうことが、オルタにはよくわかっていた。
願っても願っても叶わないことを、何か強いものに託したくなってしまうのだ。
大神官様がそうだったように。
その結果は、大抵よくないことになる。
そんなこと、大神官さまみたいに頭のいい人が気付かないはずないのに。
叶わない願いは、人を狂わせてしまうことがあるのだろう。
「誰か、この呪いに関係した人が、リヒトさん以外にもう1人います。」
「関係とは?」
「蛇の、もう一つの頭です。だけど…」
オルタの表情が曇る。
澄んだ蜂蜜にも似た、琥珀の目が、初めてリヒトから逸らされた。
この先はいいたくない。だけど、言わなければいけない。
「その人は、自ら進んで呪いの一部になってしまっています。だから、もう…」
医師が頷いた。
「救う事は出来ないか。仕方ないだろ、オルタ。君のせいではない。何故そう悩んでいるのかな?」
オルタは、医師を見た。
「…呪いを解くなら、その人の命か、リヒトさんの命が、どちらか一つしか助からないでしょう。だけど、その女は、妊娠しています。リヒトさんの赤ちゃんを。」
次回も宜しくお願いします。