優先順位
小食堂で、朝食の準備がととのったテーブルを見て、サーニは首を傾げた。
いつもなら、ここで食事をとるのはふたり、つまり盟主夫妻だけだが、セットされていたのは4人分である。
あと2人は、リューと、黒の宮だろうか。
盟主夫妻は、ここの使用人と食事をともにすることに全く抵抗がない様子だが、さすがに人間の使用人もガーディアンの多くも、盟主との会食は避けていた。
彼は、良くも悪くも苛烈な人物だ。
この宮ではくつろいでいることが多いから、言わば素の状態の彼が観察出来る。
だから、人間とのハイブリッドとはいえ、神族の血が色濃いことはすぐにわかる。
人外の絶対君主であり、帝王。
全身から滲み出るその気は、馴れ合いからくる侮りを許さない。まるで燃え盛る恒星のような存在感だ。目が離せないが、見つめ続けると視力を失いかねない。
だから強すぎる光輝は、敬遠されがちだ。
その彼に、まるで仔犬のように懐いている、バルト少尉のような例外もいるが、少尉はそもそもドラゴンである。
しかも最強クラスの。
小食堂を通り抜けて、その奥にあるキッチンスペースに向かおうとしたサーニだが、背後から呼びとめられた。
「おはよう、サーニ。君は、今朝はこっちでお願いしたい。」
振り向くと、盟主の姿があった。
彼が指さす先は、テーブルセッティングされた席のひとつだった。
「おはようございます、龍一さま。」
一礼して、サーニは意外に思った。
「そのお召しものは。」
一見して何の変哲もない、白いシャツとダークグレイの細身のズボンなのだが、これは宮廷の高級技官の制服だ。
この上に、部署別の上着を着用する。
これは本当に、チート級だわ!ただの制服なのに、この方が着たら完璧なオートクチュール。誰でも見とれてしまう。
「野暮用だ。執務室へ行く前に、片付けることがある。」
「承知しました。」
あの件かしら?多分そうだわ。龍一さまも大変よね。うーん、すっごく嫌そう。
まあ、ムリないか。
その顔が罪ね。
あの件、とは。
盟主の素顔を知る人はごく少ないのだが、執務室近辺以外を訪問したい場合、盟主の仮面のままでは様々な不都合が生じるため、彼は上級医療技官としてのIDを使う。
非常勤だが、神原龍一名義の正規取得資格なので、当然住所登録もあった。
住所は、月の宮である。
神原龍一は、辺境の未登録人類居住圏出身で、盟主正妃の兄とされている。
本来なら、職員の住所その他は秘密扱いだが、彼の並外れた美貌に魅せられた連中は手段を選ばない。
結果、古式ゆかしいラブレターやプレゼントの山が送りつけられることとなる。
大抵のものは受け取りを拒否され、そのまま返送されたが、中には至って真剣な縁談の申し入れもあった。
上級医療技官ともなると、その優秀さは折り紙つきだ。数万倍と言われる競争を勝ち抜いた者だけが手にするIDには、ユニコーンのホログラムがあしらわれている。
試験など、盟主にとっては児戯にすぎないから、本人も気楽に受けただけだろう。
IDが取得できたらそれで良かったから。
が、全科目満点は、上級技官の歴史始まって以来、初の快挙だった。
つまり、極めて優秀な遺伝資源と公認されたわけだ。加えて由緒ある巫女の家系の当主ともなれば、家柄は申し分ない。
おかげで、上流貴族からの縁談が、降るように持ち込まれることとなった。不法侵入を試みて行方不明になったり、怪我を負ったりする者が続出する騒ぎも続いた。
「前からそんな感じだわ。私が彼の妻だと知ってても、縁談は来たもの。」
妃は淡々としていたが、サーニにとっては異常な事態としか思えない。
「失礼です。私が言うのも何ですが、リマノ貴族って、どこかおかしいですよね。」
「それ、リマノだけの話じゃないわよ。貴族だの財閥一族だのって、正気じゃ、やってけないんでしょ、たぶん。」
サーニとしても、同意するにやぶさかではない。特権階級の人間には、どこか一般の人からかけ離れた意識の持ち主が多いだろう。そして、その財閥一族がらみの事件が、ちょっと厄介だったのだ。
リマノの新興財閥、ロッシ家の一員であるガートルードという娘が、本宮秘書課に勤めていたのだが、たまたま数度見かけた医療技官、神原龍一に恋をしたのだ。
最初は遠くから見つめる程度だったが、それだけではダメになったのだろう。
ストーカーまがいの行動は徐々にエスカレートしていった。
だが、彼に相手にされるはずもなく、一方的な恋心はつのるばかり。
絶望した彼女は、死のうとした。
幸い未遂に終わったものの、その事実がスキャンダルとして広まってしまったのだ。
噂が噂を呼び、尾鰭がついて、あることないことが流布された。
弄ばれた挙句、男に捨てられた馬鹿な娘。
男好きのアバズレが、狂言自殺をやらかしたが、捨てられた、などなど。
彼女にとっては、耐え難い屈辱だ。
これに、烈火のごとく怒ったのは、彼女の祖父だった。
一代で財閥を築いた実力者で、各界に豊富な人脈を持っている彼は、愛する孫娘を追い込んだ男について、徹底的な調査を行ったのである。
神原技官の出自や現住所はすぐに判明した。
辺境にあるその故郷は、神族によってサンクチュアリに指定されているため、立ち入り自体が困難である。調べは難航を極めたが、情報のカケラだけでも、彼が卓越した経営手腕の持ち主であることは明白だった。更には、彼に妻がいることも。
ある意味、とんでもないわよね。
結婚している男性を、離婚させてまで孫娘の夫にしようだなんて。
優先順位がおかしいわ。
だから、龍一さまが直接お断りに行かれる羽目になったんだった。
穏やかに終わるといいけど。
「どうした、サーニ?」
盟主に聞かれて初めて、彼女は自分がぼんやりしていたことに気づいた。
「僭越ながら、龍一さまも、大変だろうなと。」
我ながらストレートすぎるもの言いだが、盟主はこんなことでは怒らない。
「ああ。そうだな。厄介ではある。」
彼は苦笑して続ける。
「千絵に、嫌な思いをさせたくない。」
あら、やっぱりそこなんだ。
「おい、龍一、なんだって千絵の部屋に結界なんぞ張る?」
突然、不機嫌な声が響いた。
サーニは入り口を振り向いて、絶句する。
だ、誰?このイケメン?
それは、背の高い、若い男だった。
少しウェーブのある、プラチナブロンド。
白すぎる肌に、銀色にも見える不思議な色の目。
淡いグレイのシルクのシャツと、ダメージジーンズ。
あら?この人、龍一さまに似てる?
「虫除けの結界ですが、何か?」
盟主の声は冷たい。
「なら、俺は入れるだろうが。」
侵入者はそう言うと、空いた席に掛けた。
「おはよう、サーニ。眠れたか?」
こ、この方は!
「な、7代陛下?!ご無礼を。」
慌てて立ちあがろうとしたサーニを、黒の宮は身振りで制した。
「レヴィでいい。周りはそう呼ぶ。
龍一、俺はしばらくここに居るからよろしくな。」
「俺に拒否権はないんだろ。好きにしろ。家主は叔父貴で、俺は居候だし。」
「分かってんなら、もう少し家主に敬意を払え、居候。」
「害虫に払う敬意は持ち合わせない。」
実の叔父上なのに、すっごくイヤみたい、龍一さま。それにしても、お二人とも、昨夜よりずいぶん砕けた口調だわ。
あー、見れば見るほど、目が喜ぶツーショット!眼福って、こういうことよねー。
美的環境、最高の職場バンザイ!
「とにかく、千絵には手を出すな。」
「全く、お前はいつでも千絵ファーストだよな。兄貴といい、神原の巫女は神族キラーか。俺としちゃそんなつもりじゃなかったんだがなあ。」
「あんたが言うか。ミイラ取りがミイラになりかけてるだろうが。恥ずかしくないのか、姪を口説くとか?」
「朝っぱらからそう噛みつくなって。俺には、しおりがいる。優先順位は間違えないさ。あいつは、怖い女だが、あれでも結構可愛いからな。
お?フランツ、来たか。」
サーニは、どきりとした。リュー!
予期してはいたのだが。
「おはようございます、皆さん。」
形だけは全員にあいさつしたものの、彼の目は、ただ真っ直ぐサーニだけを見つめていた。
「おはよう、フランツ。まあ、座れ。」
着席するまでも、してからも、彼はサーニから目を離さない。
「また分かりやすい奴だな。」
からかい半分、黒の宮が口にした言葉すら聞いてはいないようだ。
リューも、サーニも。
サーニは、彼が現れた瞬間、彼の目から、視線を逸らせないでいた。
フサスグリの赤。
目に映るのはただそれだけ。
大好物である超絶美形たちも、文字通り眼中にない。
どうしても、彼から目が離せないから。
2人はただ無言で見つめ合う。
「でな、こいつも暫くここに住まわせるつもりなんだが。」
黒の宮は、小声で甥に告げた。
「良いんじゃないですか。熱心で優秀な、魔獣生態学者と聞いてるし、ここなら、研究対象に事欠かない。」
「しかし、今の彼の優先順位1位は、学問ではなさそうだが。」
「そのようです。」
至近距離で交わされる会話も、全く2人の耳には入っていない。
自動配膳車が仕事を終えても、元盟主と当代盟主が食事を終えても、彼らは上の空だった。機械的に食事はしているのだが、何を食べているかすら、よくわかってはいないだろう。
「サーニ、聞こえてるかい?おーい?」
彼女の注意を引くには、数回は呼びかける必要があった。
「は、ハイ、何でしょうか?」
「出かける。千絵は、ゆっくり寝かせてやってくれ。」
「はい。行ってらっしゃいませ、龍一さま。」
型通りの挨拶をして、サーニは、ちょっとだけ我に返った。
わ、私、何してるんだろ?
どうかしてる。絶対。頭がどうにかなっちゃった。馬鹿じゃないの、私。
何でこうなるわけ?
ま、まさか。
いえ!そんなはずないわよね。
私が、リューに?いいえ、まさか!
心臓が破裂しそう。
どうしたらいいの?
「サーニ、僕はしばらくここでご厄介になるんだ。よろしくね。」
「え?こ、ここに住むってこと?」
リューは、晴れやかな表情で頷いた。
「宮さま方のお許しが出たんだよ。元々僕は、ここの生き物なんかの調査に来て、あんなことになったんだけど、君がえーと、その、助けてくれたし。だから、ここでフィールドワークを続けられるなんて、最高なんだ。
これからよろしくね、サーニ。」
差し出された手を握ったサーニは、耳の付け根まで真っ赤になった。
「こ、こちらこそ。でも、あの。」
そこで口籠もる。
「でも?」
聞かなきゃ。今、いま聞くの!
しっかりして、私!
「待ってるひとがいるんでしょ?」
「家族は大丈夫だよ。連絡したし。ここで頑張ってこい、ってさ。」
「それ以外は?こ、恋人とか、婚約者、とか…。」
リューは、キッパリと首を横に振った。
「いないよ。そういう人はいない。いままで、研究一筋だったから。それに僕は、ずっと君のことが気になっていたから。」
サーニは、またまた絶句した。
どうしよう?
恋人も婚約者もいないって、ホント?
それは、嬉しい。すごく嬉しい。
だけど、いたたまれない!
心臓がもたないわ。夕べ眠れなかったから。ええ、そうだわ、きっと寝不足のせい。
「じ、じゃあ、私は用事があるから、これで。」
ギクシャクと立ち上がり、彼女は脱兎のごとく食堂から飛び出した。
「あ!サ、サーニ?あの…。」
取り残されて、肩を落とすリュー。
彼とサーニから完全に無視されていた黒の宮は、無言でため息をついた。