ネクロマンサー
「奴隷ですって?」
朝食の席にふさわしい話題ではないが、ラグナロクからの報告内容を聞きたがったのは盟主妃自身である。
彼女の座る椅子にもたれ、床に両脚を投げ出して座っていたコータローが、首を傾げる。
「ここではダメなんだよね、確か。」
「そうだ。奴隷制は、連邦では認められていない。労働力としては、アンドロイドやロボットの方が効率的だから、表だって奴隷制度をとっている加盟国はない。」
「裏じゃ、あちこちで普通にやってるよね、人身売買。僕だって売られかけたしさ。」
「お前は野生動物保護法の対象だ。」
「嘘だあ。ユニコーンなんかリストにあるわけないだろ。僕、神獣だもんね。」
盟主はニヤリと笑う。
「それがあるんだ。俺が追加したからな。今度ドラゴンも追加するか。ま、それはおいといて。」
暴君を粛清せよ!独裁者に死を!などと騒ぐコータローを無視して、彼はラグナからの報告内容を説明した。
時は少し遡り、前日の夕刻。
場所は外事2課の付属病院の個室である。
ベッドに上半身を起こした男と、ベッドサイドの椅子に座る女の姿があった。
リヒトは、奴隷であると自己紹介した。
目の前の女は、司法省の職員だという。
部屋に入ってきた時、ずいぶん背の高い女だと思った。
男としては中背の自分より少し高いかもしれない。つまり、あの女と同じくらいの身長か。
レティシアナ・ダルカス!
あいつは悪魔だ。
名前と顔を思い浮かべるだけで、腐臭で喉のどこかが詰まるような感じがする。
嫌な気分だが、それはこの女のせいじゃない。俺が臆病者だからた。
目の前の女は、アリス・デュラハンと名乗った。
公務員らしい地味なスーツ姿だが、華やかな美貌はいささかも損なわれていない。
奴隷なら高値で売買されるだろうな。
こんな外見なら、あくせく働くより、もっといい稼ぎ方がありそうなものだが、案外、地位のある男に取り入って、この仕事を得たのかもしれない。
資源を有効活用するのはいいことだ。
まあ俺には関係ないが。
しかし、見事なスロヴェシア語だった。
それに、質問が的確。
あながち無能なわけではなさそうだ。
それならありがたい。
俺はスロヴェシアでは逃亡奴隷、つまり犯罪者だ。
逃亡奴隷は、主人の財産(自分自身)を盗み、更に名誉まで傷つけたという重罪犯とされている。
だが連邦には奴隷はいないと聞いた。
表立っては、ということだろうが、その建前は大歓迎だ。
俺はここじゃ犯罪者じゃない。契約違反すら問われないのだから。
スロヴェシアでは、〝人権〟なんて、奴隷に認めない。ただのモノ扱いだ。
契約は人間同士じゃないと成立しない。
それと、奴隷ならば、連邦への亡命は認められやすいと聞いた。
忌々しいこの身体の傷は、迫害の確かな証拠でもある。
「はい。奴隷になったのは、13才の時です。奴隷狩りで、とらえられました。」
「奴隷狩りですか。それはどういうものなのですか?」
リヒトは、改めて、ここはスロヴェシアではないのだなと感じた。
彼の故国では、誰もが知っている、悪名高い制度。
「奴隷狩りを行うのは、地方領主であることが多いんです。天候不順や、事業不振などで領地からの収入が思うように伸びない時、自領の領民や、隣接した他領の領民を攫って金に換えるんだ。奴隷商はどこにでもいるので。」
「なるほど。」
アリスは淡々と頷いた。
「それからどうしました?」
「首都に連れて行かれて、競売に掛けられました。」
彼を買い取ったのは、首都に屋敷を構える貴族だった。
そこにはリヒトのように買われてきた奴隷と、賃金を貰って働く使用人とがいたが、御多分に洩れず、使用人たちは奴隷を目の敵にしていた。
ありとあらゆる苛めが行われたが、奴隷は主人の財産であるから、表立って傷をつけるわけにはいかない。
必然、その陰湿さは想像を絶した。
「主人に見えなければいいということだったでしょう。」
悲惨な死に追いやられる奴隷もいた。
男女問わず、殴る蹴るの暴力は当たり前だし、性的な暴行も日常的に横行していた。
妊娠して、強制的に堕胎されられた結果死んだ少女は、リヒトと同じ年齢だった。
だが、リヒトに限って言えば、奴隷狩りに捕まる以前の生活と大した違いはない。
奴隷狩りに捕まった頃、リヒトは天涯孤独で、村の住民の手伝いをしながら糊口を凌いでいたから。暴力や理不尽は日常生活の一部だったのだ。
だから、伯爵家の奴隷生活は今までと似たようなもので、耐えられなくはなかった。
「買われて半年と経たないうちに、主人である伯爵が失脚しました。王家の後継争いに巻き込まれだそうです。伯爵と一族は処刑され、俺たち奴隷は没収されました。」
使用人の中には、かなり末端まで、失脚した主人に連座して処刑された者もいたから、逆に奴隷で助かったのかもしれない。
奴隷はモノだから、連座なんてないのだ。
「それから、俺はあの女に所有されました。」
「あの女というのは?」
「レティシアナ・ダルカス。ナリス公爵の庶子で、聖女です。」
その後、言葉が続かない。
アリスは、リヒトを見つめる。
彼の動悸が早くなり、額にジワリと嫌な汗が浮いたことを見てとった。
ラグナロクのバイタルモニター感覚は、彼が長年激しいストレスに直面してきたと推測していた。
「聖女、とは、何ですか?」
リヒトは、口渇感を覚えた。聞きたくもない単語だ。口にしたくもない。
「あ、悪魔だ。俺にとっては…」
「では、あなた以外の人にとってはどうですか?」
「聖なる力をもつ女…」
「それは具体的に、どのような能力を指しますか?」
リヒトはため息と共に、目を伏せた。
「あの女は、墓場から死者を蘇らせる…。」
「それって、聖女じゃなくない?だって、聖女さまは死者の声は聞けても、死んだ肉体を蘇らせるなんてできないよね。」
「気味の悪い話ね。」
「そうだな。あえて言うならば、聖女ではなくネクロマンサーか。」
コータローが床の上で首を竦める。
「アイツら、臭いんだ。」
「コーちゃん、会ったことがあるの?」
コータローは、跳ね起きた。
目が輝いている。
「わあ、コーちゃんて、僕だけの愛称だよね。あ、でも、〝龍ちゃん〟とお揃いみたいで、ちょいフクザツ。」
「うるさいぞ駄馬。あのな千絵、こいつこう見えて100年以上は生きてるんだ。まあ歳のわりに中身は進歩しちゃいないが。」
「嫉妬かよ、龍一。だっさ。了見せまくね?」
「お前に嫉妬だと?そんな世迷言を口走れないように、首を斬り落として剥製にでもするかな。」
「あ、こいつったらマジだよー。助けて、聖女さま!」
「ハイハイ。で?」
じろりとコータローを睨んだ正妃の目付きが、かなり冷たい。
「で…って?あ、ああ、ネクロマンサーに会ったことね。うん、あるよ。」
「嫌な感じ?」
「うん。アイツら腐った肉みたいに臭うんだ。普通の人間には分かんないと思うけど、聖女さまや、あのオルタって見鬼の娘なら一目でわかるはずだよ。」
「そうなんだ。」
コータローが首を傾げる。
「でもさ龍一、何でネクロマンサーなんて穢らわしい存在が〝聖女〟と呼ばれてるの?」
「穢らわしいかどうかは知らないが、ラグナによれば、スロヴェシアの国教が原因らしい。死と再生、それを司るものを聖別する教義の一神教だそうだ。」
「死と再生…?なら、死神が主神でもおかしくないわけね。」
「当たりだ、千絵。主神の化身とされているのが双頭の大蛇らしいな。片方の頭が死を、もう片方が蘇りを司る。だが、その役割は時々入れ替わるという。」
正妃は考え込み、コータローが首を左右に振った。
「なんかおぞましい感じ。ネクロマンサーが蘇らせた死体ってね、空っぽだったり、生前とは別の存在が入ってたりするからさ、双頭のヘビのどっちの頭も、死と関係が深いのかもね。」
珍しく穿った意見を述べるコータローだ。しかし、ネクロマンサーを相当嫌ってもいるようだ。
死体を操る邪術は、そもそも神獣ユニコーンと相性が良くない。
「双頭の蛇は、死毒を振りまく毒蛇でもあるらしい。あまり遭遇したくはないな。」
「死をもたらす毒ヘビが御神体か。それ、ロクな宗教じゃなさそうだね。」
「そうでもないぞ。蛇は再生とか医療、知恵のシンボルとされることも多い。」
「龍一ヤケに蛇の肩持つじゃん。さすが〝蛇神〟だね。」
じろりと睨まれたものの、取り合う気はなさそうだな、とコータローは思った。
うん、本気で怒らせるのはヤバいけど、龍一を揶揄うのは面白い。
「さて、出勤するか。」
「いってらっしゃい、龍ちゃん。また聞かせてね、あの人のこと。」
瞬間、盟主の表情が気遣わしいものに変わる。
「…?どうした?」
「どう、って程じゃないんだけど、何か気になるの。」
「ま、まさか、ああいうのが好みなのか、千絵?」
「はあ?おかしいんじゃないの、龍ちゃん。熱でもある?」
「昨日、聖女さまに好みじゃないって言われて、根に持ってんじゃない?やだねー、嫉妬深い男ってサイテー。」
「…よほど剥製になりたいようだな、この駄馬は。」
「あーもう。さっさと出勤して!」
素早く彼女にキスして、彼は転移ゲートを開いた。
その後ろ姿を見送って、コータローが珍しく真面目な表情になる。
「龍一も気づいてると思うよ。あの男には何かあるって。」
「そうね。…何か良くないことが起きなければいいけど。」
コータローは、チラッと彼の聖女さまを見たが、無言だった。
彼にも聞こえていたのだ。
不吉な何かの足音が。
お付き合いいただき、ただもう感謝しかありません。
次回もよろしくお願いします。