復讐の虜囚
結果的に。
ユニコーンは、リヒトを襲うことはできなかった。
男まで蹄があと10センチのところで、ピタリと動きを封じられたのだ。
青い宝玉の目が、ギョロリと拘束者を見下ろした。
「アホか。やめとけ。」
コータローの長いタテガミを片手で掴み、反対側の手は焼き串を握ったままの彼は、立ち上がりさえしていない。
そのまま淡々と続ける。
「だいたいなあ、聖女って何やねん?意味がわからへん。まあ、千絵のやらかしのせいで妙なブームになったが、そもそもの定義すら曖昧すぎる。座れ、コータロー。」
ユニコーンはフン、と鼻を一つ鳴らしたが、彼とて逆らってはいけない相手くらいはわきまえている。
大人しく座った時には、少年の姿に戻っていた。
「定義って言うか、聖女さまは聖女さまなんだよ。理屈じゃない。会った瞬間からわかるんだ。」
薄茶色の髪に片手を突っ込み、わしゃわしゃとかき回している。
理屈があまり得意でないのが、ユニコーンの特性なのか、コータローの個人的な性格なのかはよくわからない。
「ねえ、あんたは何でそんなに聖女が嫌いなのさ?」
と、まだ固まったままのリヒトに問いかけた。
相手はコータローを凝視したまま動かない。目の前で少年がユニコーンに変わるなどという体験をしたら、大抵誰でもこうなるだろう。
何らかの錯覚若しくは、自分自身の狂気が見せた幻覚なのか?
コータローは彼の態度に、かなりイラついた様子だ。
美の審判者とも呼ばれるユニコーンは、美しい者には目がないのだが、どう見てもモブ顔のリヒトには容赦ない。
リヒトはそれなりに整った外見で、醜くこそないものの、痩せぎすて地味なのは否めなかった。
物語ならばその他大勢の立ち位置か、ヒーローの引き立て役がせいぜいだろう。
「ねえ龍一、コイツ蹴っちゃだめ?」
「お前に蹴られたら即死や。」
「だって、僕の聖女さまのこと、悪魔って言うんだ。やっちゃっていいだろ、こんなやつ。ここなら誰も見てないし、死体は魚のエサにしたらいいし。」
リヒトはすでに蒼白だった。
ジリジリ後退りはするが、足場が悪すぎて立ち上がることができない様子だ。
立ち上がっても、どうせ走ることは出来ないだろうが。
「アホ。まあ、兎に角メシが先や。」
「わかったよ…。ねえリヒト、とにかくメシ食おう。龍一がアンタを殺しちゃダメって言うから、殺さない。コイツって、綺麗な顔してるけど、逆らうと怖いんだ。」
「アホ。さっさと食って帰るで。」
「僕の名前は〝アホ〟じゃないし。」
「じゃあ、駄馬だ。」
「ううう…。」
ここまで黙って見ていた〝聖女〟が、低く呟く声は、龍一とコータローには聞こえたが、リヒトには聞き取れなかっただろう。
仮に聞き取れても、意味はわからないだろうが。
「恐怖。憎悪。苦痛。悲しみ。喪失感。」
「聖女さま…?」
戸惑うコータローを目で制して、龍一は魚を切り分ける。
彼女は、相手の感情を読むのだ。
「…復讐。彼は復讐者ね。」
それが結論らしい。
「なるほど。だが、まずは身体を何とかすべきやな。精神面はどうにもならんやろが、亡命申請が認められたら手足は治療できる。コータロー、これを彼に。」
コータローは、受け取った魚の皿をリヒトに渡した。
「僕、そっちの大きいのがいい!」
「わかってるて。」
普通なら、おとな5人前はあろうかと思われる量だが、コータローにはまだ足りないだろう。
彼は皿に顔を突っ込むようにして食べ始めた。
「んまい!」
「こら、がっつくな。ほんまに野生やな、おまえ。」
「だって!龍一料理うますぎる!このハーブも僕大好き♡」
幸せそうなコータローを、呆気に取られて見ていたリヒトだが、ここにきて自分の空腹を思い出したようだ。
手にした皿に目をやり、恐る恐る一口。
あとは止まらない。
他のことはとりあえずどうでも良かった。
「あ、ほんとおいしいよ、龍ちゃん。このハーブって、サーニが育ててるあれ?」
「せや。地球のローズマリーに似てるけど違う。この世界のもんやないな。」
「ふーん。それじゃ、育つ場所がかぎられちゃうね。コータロー、もうサーニの菜園を荒らしちゃだめよ。」
「わかった。美味しいから気をつける。」
「うふふ。」
食後、4人は帰路についた。
「…なるほどな。」
盟主執務室のティータイムである。
茶器を並べていたのは、いつもの汎用アンドロイドだ。
手は多いが、本体は単なる円筒形で、顔はない。
「つまり、剣と魔法の国というわけか。」
「左様です。連邦を先進技術の国とするなら、価値観は真逆と言えましょう。」
「ふむ…。」
「政治形態としては旧態依然。封建君主制に宗教が絡む形です。見せかけだけの議会はありますが、機能しているとは言えません。現在スロヴェシア王国の国王はマトリョシファカ王朝の22代目で、統治歴はおよそ8年。」
位置、面積、人口、産業構成などを聞きつつ、盟主は何か考えている様子だ。
「マスター、何か気になることが?」
「転移魔法陣は、追跡可能だ。」
転移魔法陣。
リヒトがリマノに転移した方法である。
「ああ、そうなのですね。私の転移ゲートは追跡不能です。未加盟国からリマノに侵入するものがあれば、私の監視下に置きますわ。いつも通りに。」
「そうしてくれ。リヒトの悪魔という言葉と、千絵のリーディングが気になる。それと、転移魔法陣の出発点は?」
「至急特定します。悪魔、とは、魔族と呼ばれる者たちのことでしょうか、マスター?」
「わからない。魔族そのものが動くとは考えにくいが、剣と魔法の国から来た復讐者となると、それなりの背景がありそうなものだ。」
リヒトは、間違いなく何者かによって囚われていた。彼の状態からは、その何者かのどす黒い悪意が垣間見える。
戦争絡みで、他者に蹂躙され理不尽に生命を脅かされたものは数多く、強い復讐心を抱く人間はありふれていた。
だが、人はそれでも生きているのだ。
生命体は変化する。生きていく以上、変わらないものなどない。
しかし。
妃は、「復讐者」と形容したのだ。
汎用アンドロイドは、盟主の言わんとするところを察して、肯定の意を示した。
「承知しました、マスター。リヒトは現在、外事エリアの第2病院に入院中です。私が警護を続けます。」
「頼む。」
魔法はラグナロクの得意分野とはいえないが、ラグナはそれでも日々学習して進化しつつある。
魔法の国から招かれざる介入者が来た場合には、外事2課の保安体制より遥かに頼りになるだろう。
連邦非加盟国の国民は今も多数リマノに滞在していて、政治亡命を求める者は多い。
常時数万人以上の数だろう。
彼らを追跡しあわよくば殺害しようとする者たちもまた沢山いる。
だから、外事2課の管轄である第2病院には、常時それなりの警備体制が敷かれていた。
だが、それでは足りないこともある。
「引き続き報告も頼む。」
「承知いたしました。スロヴェシア語に詳しいエージェントは少ないので、〝アリス〟を呼び戻しましょう。」
アリス・デュラハンは、連邦司法省の監察官という、歴とした身分を持っているが、その実体は人間ではなく、ラグナロクの戦闘端末だ。
「エドと休暇中では?」
「一緒に戻りますわ。エドはワーカホリックですから。」
「お前との休暇など、通常業務よりハードだろうな。」
「お褒めいただき光栄です、マスター。」
「褒めてない。まあ、帰って来た方が、エドも休めるだろうさ。」
ほほほ、と、華やかな笑い声が弾ける。
端末の形はどうあれ、艶かしい声はラグナのオリジナルボイスである。
「では、早速手配いたします。」
「任せる。」
翌朝。
出勤前に最初の報告が届いた。