落ちて来た男
リマノは巨大な都市である。
惑星ひとつの陸地のほぼ全てがリマノという大都市であるが、そこには農地や森林、山地もまた存在していた。
惑星リマノの居住人口は数十億人規模だが、このうち3割近い人数が、ビジネスなどで必要な期間のみ居住している、流動的な人口だ。
したがって、目的が政治的または商業的であるとを問わず、大半が行政府の近くに集中している。
そのためか、人跡未踏、とまではいかずとも人里離れた場所は存在していた。
誰もが移動ゲートを使える訳ではなく、航空管制を担う連邦メインAIの思惑もあってのことなのだが。
さて、そんな過疎地域の一角。
北半球の中緯度帯からやや赤道に寄ったあたりに、細長い草原がある。
背後の山脈と、前面の海に挟まれたその場所は、到達するのが難しいため、居住者はほとんどいなかった。
狭い砂浜は絶えず潮に洗われ、そこここに波によって丸く磨かれた、大小の石や流木が転がっている。
美しいが、荒涼とした光景だった。
こんな場所に住んでいるとすればそれは、余程偏屈な世捨て人でもあろうか。
海と山と草原しか見えないその場所に、無粋な人工物が一つ置かれていた。
テントである。
設置に何ら手間も技術もいらない、簡便なタイプだ。
その前に、流木らしい丸太が置かれ、1人の少女が掛けていた。彼女の前には火が焚かれている。
長い三つ編みを背に垂らし、顔は麦わら帽子に半ば隠れていた。
暑くはないが、日差しはわりに強い。
焚火の反対側には、1人の男の子。
帽子はなくて、砂に直接座っている。
両手を後ろにつき、細めた目でぼんやりと海を見ていた。
ひどく疲れているようだ。
2人とも木綿のシャツにジーンズ姿で、裸足だった。
「遅いよー。腹減った。」
少年が、つま先で砂を蹴り上げる。
「お魚食べたいって言ったの、コータローじゃない。退屈なら、一緒に捕りに行けば良かったのに。」
「塩水ってさ、ベタベタして苦手。」
「じゃ、我慢しかないね。」
「うー。」
少年は両方の踵を砂に打ち付ける。
「…ん?」
ふと、動きが止まった。
「なんか来る。」
「そうね。何だろ?」
2人の視線の先、波間に、何か見える。
泳いでいるひとりの男の姿が、すぐにはっきりしてきた。
だが、彼らの言う何かは、彼ではない。
視線は、海面よりもう少し上に固定されているようだが…
「開く。」
「だね。」
なんのことやら。
彼らは、動かない。
泳いでいた男は立ち上がった。胸から上が
海面上に出る。
そのまま、海岸に向けて歩き出した。
立ち止まりはしなかったが、砂浜の2人が言う何か、に気付いていない訳ではないようだ。
腰のあたりまでが水から出た。
上半身は裸だが、色褪せたジーンズを穿き、肩に担いでいるのは、巨大な1匹の魚である。
彼は、面倒くさそうに、空いた手を空に向け軽く振った。
少女が呟く。
「コータロー。」
「うん。」
少年が立ち上がって、両手を空に向けた。
「どこに置く?」
「海はダメ。」
「了解、聖女さま。」
数秒後、ドサッと砂浜に転がされたのは、まだ若い1人の男だった。
生きてはいるが、気を失っているようだ。
あまり見慣れない着衣は、どこかの民族衣装だろうか。
丈の短い貫頭衣と、膝丈のズボン。
いずれも粗末なもので、その上相当にくたびれていた。
汚れてはいないが、着心地は良くないだろう。
さらに男は、ひどく痩せている。
衣類から出ている部分には、複数の傷跡が見て取れた。
新しいものもあれば、旧いのもありそうだ。
海から上がって来た男は、意識のない客をチラッと見た。
「栄養失調は間違いない。それとその傷は、拷問やろ。」
「拷問って…」
「あんまり洗練されたやり口やない。情報を引き出す目的ていうより、拷問のための拷問に見える。それと、自由を奪おうとしたんか、手足の腱が片方だけ切断されているようや。せやけど衛生面には気い使とるようにも見える。傷跡に感染症の痕跡なし。栄養状態が悪いのに、褥瘡もない。矛盾が多いな。」
淡々と所見を述べ、神原龍一は、手近な流木の上に魚を置いた。
右手を軽く振ると、金属製の短い棒のようなものが現れた。
それは見る間に変形する。
ナイフの形に落ち着いたところで、彼は無造作に魚の鱗をひきはじめた。
「それ、神剣じゃないの?そんなことに使っていいのかな?」
と、呆れ顔のコータローてある。
「刃物には違いないやろ。」
「剣が嫌がってるけど?」
「知らん。こいつの主人は俺や。」
グサっと突き刺し、魚の腹を裂く。
「エグ…」
嫌悪感丸出しの少年に向かって、盟主正妃こと神原千絵がため息を吐いた。
「コータロー、言うだけ無駄だよ。」
「だって聖女さま、何でこんな男と結婚したのさ?趣味悪すぎ。」
当の〝こんな男〟は涼しい顔だ。
「そらもちろん、外見やろ。」
うっ、と言葉に詰まるコータローである。
反論するには、余りにも美しすぎるのは確かだ。
だが彼の妻は、バッサリと切って捨てた。
「龍ちゃんのルックス、全然好みじゃないんだよね。」
「ほう?俺よりエエ男がおるって?」
「聖女さま、それはちょっと難しいんじゃない?この人、外見だけは完璧だもん。」
「ほらな?美の審判者、ユニコーンのお墨付きやで。」
手早く魚を処理しつつ、彼は笑う。
上半身の筋肉は見事だった。しなやかだが力強く、大型肉食獣の優美さをそのまま体現している。こんな場所で、しかも半裸で巨大魚の処理作業をしている姿までが、一幅の絵画だ。
ワタを抜いた魚を持って立ち上がり、波打ち際まで歩くその動作は、まるで芸術的なダンスを見るようである。
「あれ、あの人気がついたみたい。」
「せやな。」
砂の上の男が、呻いた。
コータローが男の顔を覗き込む。
うっすらと、男の目が開いた。
ひどく眩しそうだ。
「気分は?」
魚に、どこからか取り出した串を突き刺しながらの質問は、連邦標準語だった。
コータローの権能のひとつは言語に特化しており、何語で話しても問題はない。
つまり、さっきまでは日本語でも用が足りたが、落ちて来た男はどこの誰ともしれないのだ。
すぐには答えがなかった。
「…通じてないよ、龍ちゃん。でもこの人、話しかけられたことは分かってる。」
「そうか。コータロー、腹が減ってないか聞いてみろ。」
「うん。」
男をじっと見て、コータローが話しかける。その言葉は、神原夫妻には普通に意味がわかるが、実際には連邦標準語でも日本語でもない。
「あんた、誰?腹減ってない?」
「¿∂⚪︎✖︎+…」
「ここは、リマノだよ。あんた、どっから来たの?」
男の目が大きく見開かれた。
驚いた表情で、跳ね起きようとしたが果たせず、彼は再度砂に転がった。
コータローを見て何が呟く。
「宮殿はどこかって?こっからだとかなり遠いなあ。あんた、外国人?」
男は頷いて、慎重に起き上がった。右手首と、左足首に、すっかり塞がった大きな傷跡がある。
縫合されはしたようだが、縫い方はかなり荒っぽい。
「リマノはね、惑星全部がリマノって大都市だからさ、宮殿はここから1000キロはあるんじゃないかな?」
龍一が頷いた。
「大体そんなもんやろな。」
起き上がった男は、ちらりと神原夫妻を見た。普通なら、初対面の人間は例外なく龍一を二度見するところである。
だが、彼の視線を釘付けにしたのは、焚き火の上で焼けている魚だ。
じゅうじゅう音を立てて、溢れたあぶらと水分が火に落ちる。
焚き火サイズよりかなり大きいが、龍一は器用に串を操って、魚の表面は満遍なくこんがりと炙られていた。
「持病がないか聞いてくれ。」
「うん。あんた、持病はない?」
男は首を左右に振る。
視線は、魚から離れない。
「まずは腹ごしらえだな。名前だけ教えてくれ。俺は龍一、こっちは千絵。」
コータローの通訳に、男は頷き、名乗る。
「リヒト」
そう聞こえた。
「リヒトか。」
再び頷いて、男は更に口を開いた。
コータローがすかさず通訳する。
「スロヴェシアから来たって。」
「龍ちゃん、それってどこ?」
「連邦には加盟していないが、人類居住圏としては旧い方だ。俺たち同様、ここじゃ外国人てことだな。よろしく、リヒト。」
コータローの通訳に、リヒトは頷いた。
「あんたたちも外国人なのかって。宮殿に行くにはどうしたらいいか知ってるかってさ。」
「宮殿は広い。どの部署へ行きたい?」
「亡命希望だってさ。」
「非加盟国からなら、まずは外事2課だな。まあ、どうせ俺たち帰るから、送ると言っといてくれ。」
コータローが頷いて通訳する。
男の顔がパッと明るくなった。
「感謝するって。」
「あーあ。も少しここにいちゃだめなの?半日しか休めないなんて。」
「かなり無理したんだぞ。」
「まあいいけど。乗馬が出来るなんて思ってもいなかったし。ありがとね、コータロー、楽しかった。」
「聖女さまなら、いつだって大歓迎。けど、この人酷すぎない?散々僕を乗り回してさ。」
リヒトがギクリとした表情で、麦わら帽子の〝聖女〟を凝視した。
「どうかした、リヒト?」
「▲♯★×!」
「え?何で?」
「▲⚪︎∂¢○×…」
「この人は僕の聖女さまだ。あんたのとこの聖女がどんな人かは知らないけど、僕の聖女さまを侮辱するのは許さない。」
いい終わらないうちに、コータローの姿が変わる。
変化は一瞬だった。
リヒトは驚愕のあまり動くことすら出来ない。
無防備な男に、巨大な青のユニコーンが殺到する…!
次回もよろしくお願いします。