贖罪の時間②
「妃殿下に申し上げます。」
ようやくまともに声が出たが、顔を上げることもできない状態は変わらなかった。
目も開けられはしないし、関節は言うことをきかない。
その原因が、少し離れた床の上でじっと見つめる黒猫にあるなどとは考えもしなかった。そもそも、何一つ見えてさえいないのだから。
これでいい。自分のような人間には更なる苦痛が与えられるだろう。
ただ、オルタがあまり苦しまないで逝ったのなら、自分はどうなってもいい。
「お聞きしましょう。」
柔らかな声が降ってくる。
何の力も感じ取れはしなかったが、彼女こそが聖女であるという確信は揺るがない。
「私の、あなたに対する所業に興味がないとの仰せでしたが、私のしたことが明るみに出れば、どのみち家族も罪に問われます。私の唯一の家族も、死罪を免れない事はわかっています。ユニコーンをあなたから引き離すための手段だったのも事実ですが、どちらにしてもオルタを処刑されるよりは私の手で、と。」
処刑。それもあんな方法で。
「少尉、エルトリニアの死刑とはどのようなものなの?」
妃の質問に答えて、黒猫が口を開く。
「罪状によりますが、この場合、猛獣の餌とされるでしょう。生きたままで。」
その通りだ。
オルタをそんな目に遭わせるわけにはいかない。
「野蛮なお国柄なのね。家族というだけでそうなるの?」
妃の声に、冷たい鋭さが加わる。
「前時代的なのは確かですが、連邦各所で苛烈な連座制が適用されているのもまた事実。陛下は戦後処理と併せてその撤廃のため、非常に努力されています。しかしながら、内政干渉を喜ぶ国家はありません。」
乾いた笑いが、盟主の喉から漏れた。
「そして、悪法でも法は法だ。国民は、自国の法に従わざるを得ない。」
淡々と盟主が続けた。
「しかしトリニア大神官。こんな無謀な試みで死んだら、あなたはまさに犬死にではないのか?俺の妻は、惚れてもいない男に黙って嫁ぐほど従順な女ではないが?」
「それは…」
姿こそ見えないが、声の主が誰なのか、大神官は最初から疑問を持たなかった。
力は感じない。
しかし、自分にはオルタのような特別な力はない。
意を決して持論を述べる。今更取り繕うもなどない。
「神々は、人間には冷淡であられるからです。」
「だが、俺は神ではない。非常に嫉妬深い平凡な男に過ぎない。そして妻は、俺のただ1人の家族だ。」
「…!」
「だから、全力で守る。仮に、彼女が誰かに傷つけられたなら、躊躇うことなく生命を持って償わせるだろう。」
正妃が、勢いよく立ち上がって、彼を振り向いた。
「だからそれ、やり過ぎだわ!そんなことしたら離婚だけじゃ済まさないから、覚悟して!」
床の黒猫がしたり顔で加勢に入る。
「第一にご主人さまったら、本人の処罰だけで終わらせないじゃないですか。今回だって、姫さまが攫われでもしたら、エルトリニアを連邦地図から消したでしょ。連座制廃止に尽力されてながら、それじゃダブルスタンダードもいいとこですってば。」
2人というか、1人と1匹から責められ、盟主は黙り込んだ。
浮いた視線が、赤毛の侍女にとまる。
「サーニ、君もそう思うかい?」
サーニは、いとも真面目な顔で頷いた。
「はい。陛下ならそうなさるかと。」
「よく言ってくれたわ、サーニ。少尉、仮にりゅ、じゃなくて、陛下がそれを実行するなら、時間はどのくらいかかる?」
「はあ。そうですね、ボクだと、惑星ひとつなら、完全にチリにするまで30分くらいかなあ。だから、ご主人様なら3秒もあれば。」
「ほら!それじゃ後悔する時間すらないわよね、へーか。」
サーニとカイ、更にユニコーンにまで頷かれて、盟主は額に手を当てた。
まさに四面楚歌、の形だが…。
黙って成り行きを聞いていたオルタは、ここでちょっと首を傾げる。
先生、何だか、楽しんでる?
口元に、微かな笑み。
オルタにしか見えない目は、柔らかく微笑んでいる。
彼は、空いた手の人差し指をそっと自分の唇に当てた。
黙ってなさいってことだ。
オルタは微かに頷いた。
この人は、怖くない。オルタを馬鹿にしたりもしない。
それは初めからわかっていたから。
「カイ。」
少尉、ではなく盟主は名前で呼びかけた。
黒猫は、「御意」とのみ答える。
瞬間、トリニア大神官は、全身の脱力感が消えるのを感じた。
だか、起き上がれない。
大誤算、だったのだ。
自分の、命懸けの試みは、罷り間違えばエルトリニアそのものを破滅させるものだった。
全てが瓦解していく。
何という愚かさ!
オルタ……!
「結局、俺にも罪がなかったわけではないな。そうだろう、少尉。」
「陛下が主催者でいらっしゃる以上、そうなるかと。事故防止義務は、レセプション主催者にありますから。」
「そうね。私にも責任がある事故だわ。」
「そうなるな。幸い、死者は出なかったが。立ちなさい、トリニア大神官。」
大神官は、はっとして顔を上げた。
死者は出なかった?
どういう意味で?
落下から解放されて初めて目を開いて、周囲を見回す。まだ這いつくばった低い姿勢だが、正面にはベッドの足と、その前の椅子に座る人物が見えた。
医療技官の制服にはユニコーンのエンブレム、つまり、宮殿の医師だ。
ここは、病院…?
「さて。死者は出なかったが、重症者はここにいる。君は、責任ある者の処罰を求めるかね、トリニア嬢?」
答えは最初から決まっている。
「いいえ。」
「君の寛大さに感謝する。」
大神官は、フラつきながらも、立ち上がった。めまいがしたが、そんなことはどうでもいい。
今の、声は…!
「オルタ…。」
ベッド上の小さな姿が目に入る。
いや、それ以外、何一つ見えないという方が正確だった。
「大神官さま。」
顔をこちらに向けるのさえ大変そうだが、彼女は確かに生きている。
微笑んでいる。
生きて…
涙が溢れた。生きていた。生きていてくれた。
「面会は手短に、大神官。」
「は、はい。」
「よろしいんですか、これで?」
ポツポツと会話を続ける怪我人とその家族を尻目に、カイが耳打ちした。
「まあな。事故で処理を頼む。」
「了解です、ご主人様。」
「僕はもう帰っていいですか?」
と、ユニコーン。
「ああ。今日のところはな。だが、罰は用意してあるから、楽しみにしていろ。」
「はい?あの?」
「ウチには色々と奇妙な古い品物があるんだが、その中にユニコーン用の馬具一式がある。試させろ。」
「……オニ…。」
「あの、龍一さま、私は…?」
「サーニ、君は免除。結婚祝いの一部だ。カイは、分かっているな?」
「あー、ハイ。士官学校で戦術論の講義1学期ですよね。承りました。大根にされるよりはマシですとも。」
「結構。で、おまえだ、我が妃よ。」
「な、何よ?」
流れるような動作で、盟主は妻を抱き上げながら、ドレスの裾を膝まで捲る。
「この靴はやめろと言ったはずだが?」
「…?!」
サーニが駆け寄った。
「姫さま!何故またこの靴を?バランスが悪くて、お身体を傷めると申し上げましたが?」
「だ、だって!サーニみたいに背の高い人には分からないわよ。私、チビだから…」
最後の方は聞き取りにくいほどの小声になる。そう、彼女には、身長コンプレックスがあるのだ。
ギリギリ平均あるかないかなのだが、長身の夫と並ぶとまるで小学生のように見えてしまう、と、彼女は考えている。
レセプションで彼女をエスコートしたのはダミーアンドロイドだが、その身長はもちろん盟主本人と同じであった。
ホンモノの盟主がオルタと共に病院に去った後、彼女は何ごともなかったかのようにレセプションをこなし、晩餐会の始まりまで会場に留まっていたのだ。
合わないハイヒールを履き、決して笑顔を絶やさずに。
「先ずは、マッサージだな。」
「や、やめて!あれ、痛いのっ!」
「我儘は聞かない。では、あとは任せた、カイ。」
「はいはい。」
そんな訳で、2人とオマケのユニコーンは病室から立ち去り、事後処理にカイとサーニが残されたわけであった。
少し後、月の宮の妃の寝室。
「さて。身体は大体ほぐれたかな千絵?」
「だめ。もうダメだよー、龍ちゃんのサディスト!」
「合わない靴でミエ張ってどうする。馬鹿なことをするからだ。さてと、お楽しみはこれからだな。」
「は…?あっ!ち、ちょっと待って!」
「覚悟はいいか?まあ俺はどっちでもいいがな。」
更に愉しげな含み笑いが寝室に響く。
結局、こうなるのよね。
ため息と共にそう呟いて、彼女は身体の力を抜いた。
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