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月の宮異聞  作者: WR-140
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贖罪の時間①

突然、天鵞絨ビロードの笑い声が、沈黙を破った。

「トリニア大神官の計画なら、知っていたよ。君のせいじゃない。」

「先生、あの、いつから…」

「出席の申し込みの頃かな。こまかいことは省くが、大神官は俺の妻を拉致しようとしていた。そうだね。」

それが質問でなく、事実確認に過ぎないことは、オルタにも分かる。

知ってたんだ。全部バレてた…。

ん?

俺の妻、って?

オルタは、遅まきながら気付く。

聖女ブリュンヒルデ様が、妻?

目だけ動かし、よく見ると、先生は片腕でしっかり正妃さまの腰を抱いていた。

それが当たり前のことみたいに、落ち着いた様子で。

「先生が盟主陛下、ですか…?」

「ああ。そういうことになるかな。」

低く笑って、彼は黒猫を放り投げ、指をパチンと鳴らす。

何かが近づいてきた。あれは…

「ユニコーン…」

「彼がいたことが、君の怪我の原因だが。サーニ、来なさい。」

赤毛の女性がおずおずと近づいてきた。

「紹介しよう。妻が拾ってきたユニコーンと、妻の侍女のサーニだ。ユニコーンがあの場に現れたのは、サーニの発案だった。」

「ごめんなさい、本当に。こんなことになるなんて、想像もしていませんでした。」

侍女とユニコーンが、シンクロしたように頭を下げた。

拾ったって?ユニコーンって、拾うもの?

ど、どこに落ちてたの?

「謝って済むことではないが、彼らには罰が用意されている。それで許してもらえるだろうか?」

「そんな、許すも何も…私に謝って頂くことなんて、何もないです。ただ、大神官さまはどうなりましたか?あの、決して許されないことを計画していたのは本当ですが、それには訳が…」

とは言っても、上手に説明できる自信なんてない。舌足らずのオルタが、何かをまともに伝えられたことなんて、未だかつてないのだから。

焦ったい。今何より心配なのは、大神官さまの身の上だけど、それを持ち出すのは、図々し過ぎるだろう。

大神官さまが、とんでもないことをしようとしたのは事実だし、幸い未遂だったみたいだけど、全部バレてた。

陛下は、公正で厳格な方だと聞いている。

この優しい先生が陛下だなんて。

あの金色の波紋を見てなければ、絶対信じられなかった。

あれは…神力の、ほんのわずかな木霊こだまみたいなものだったと思う。

「大神官のことを心配しているのね。」

唐突に、正妃が言った。

「大丈夫、彼は無事よ。ただ、自由は奪わせて貰ったわ。」

「あ…」

涙が溢れて流れ落ちる。

拭おうにも、手が動かせない。

生きておられた、それだけで…。


「大神官は、二つの罪を犯したと、俺は考えている。一つは、妻を拉致しようとしたことだが、これは最初から成功するはずもない試みだから、不問としよう。しかし。」

医師は、真っ直ぐ患者の目を見た。

「龍ちゃん、それは…」

ハッとしたように、正妃が何か言いかけたが、彼はオルタの目を見たまま、微かに首を横に振る。

「君は、知らなければならない、トリニア嬢。君には、その権利と義務がある。」

深い眼差し。長い睫毛。

オルタはこのとき、何となく、彼の次の言葉を察していたのかもしれない。

「君を刺したのは、大神官だ。」


衝撃がなかったといえば嘘になる。

一瞬、呼吸を忘れた。

ああ、やっぱりか。

心の中で納得すると共に、得体の知れない感情が一気に押し寄せる。

あの時、オルタの後ろにいたのは、大神官さまだけだった。

何より、あの刃先。

オルタの胸から突き出した、あの細い刃物の刃先に刻まれていたのは、神聖文字。

トリニア教の大神官が、錫杖と共に代々受け継いできた、細身の短刀にあるのと同じ祈りの言葉。

神聖文字は苦手だけど、あの形は覚えてる。

見間違うはずはない。

「君を殺そうとしたわけではないだろう。彼は、ただユニコーンを妻から引き離そうとしたのだろうね。しかし、その手段は許されないものだ。俺は、この罪を重大だと考えている。」

「あ…。」

言葉が出て来なかった。

理由については、完全に納得したが、それでも悲しさと悔しさは感じる。

大神官さまがそう望まれるなら、殺されるのは仕方ない。

ただ、ひとこと教えて欲しかった。

何のためにそうするのか。

オルタから見ても無茶苦茶な理屈だし、そもそも最初からバレていたなら、死んだって無駄死にだろう。

それでも。

せめて、大神官さまが信じる大義のために死ねって言って下さったら、こんな思いはしなかったに違いない。

それが悔しくて、悲しくて、どうしようもないのだ。

自分は、やっぱりそれだけの存在だったんだと思う。家族だって、娘だって言って下さったのに…。


「龍ちゃん、じゃなくて陛下。私、トリニア大神官に直接聞きたいことがあるの。」

妻のその囁きに一つ頷き、彼は先ほど放り投げた黒猫を振り向いた。

「少尉。」

「御意。全てお任せ下さい。」

「まだ何も言っていないが、まあいいか。パープルセット、お前たちに命じる。虜囚をこれへ。」

『はいはーい♪勅命おっけーよ♡』

いとも軽いノリの返事は正妃以外の誰にも聞こえない。

しかし、次の瞬間、床の上に忽然とあらわれたのは、大神官の姿だった。

這いつくばるようにうつ伏せになったまま、半ば気を失っているようだ。

見たところ、外傷はなさそうだった。

そして確かに生きていた。

オルタからその姿は見えなかったが、存在を感じる事はできる。


「トリニア大神官。妻が君に尋ねたいことがあるそうだ。」

盟主が静かに声を掛けた。

低い呻きが床に伏す大神官の口から漏れたが、起き上がるには程遠い様子だ。

無限に落下し続ける数時間は、よほど強靭な者の精神にも強い負担を与える。

落ちていく最中はいかに足掻こうと、何一つ出来ない。

落下している事は分かっても、上下前後左右、どこを見たって何も見えはしない。

無限牢獄は、真の闇。

そして、落下が止まる時に思いを馳せれば、そこには恐怖しかあるまい。

叩きつけられ、潰される。

虫ケラのように。


誰かが自分の前に立った。

体の下には堅牢な床。

辺りは明るいようだが、なぜか目を開けることができず、身体を動かすこともままならない。声すら出ないのだ。

周りに誰かいるのか?

わからない。

その時ふわり、と風を感じた。

優しい花の香りが鼻腔をくすぐる。

すぐそばで、誰かが屈んだ気配。

「トリニア大神官、私は盟主妃ブリュンヒルデと言います。あなたにお聞きしたいことがあります。」

ふと、喉の辺りの強張りが緩んだ。

「せ、聖女さま…」

掠れた声が出る。

「私は、そのような者ではありません。あなたが、私をどうするつもりだったかにも興味はないのです。ただ、あなたはなぜ、彼女を刺したのですか?」

「あ…」

オルタ。

オルタ、たった1人の家族。

どこから話せば良いのか。

しばし沈黙の時が流れる。

一気に読んでくださる方、アップのときに読んでくださる方々、ちょっと覗いて下さる皆さまに感謝を。

次回もよろしくお願いします。

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