謝罪の時間
「お願い。お願いだから…」
息遣いが荒くなる。
思わず唇を噛むが、長くは続かず、新たな喘ぎが漏れてしまう。
四肢がまともに動かない。必死に動かそうとしてみても、相手の力と体格の前にはどうしようもないのだ。
あまりの無力さに涙が出そうになる。
うつ伏せにベッドに押さえつけられた身体は、意に反して熱くしなる。
素肌に触れる、彼の手の動き一つ一つに反応してしまう自分をどうすることも出来ないなんて。
本当に情けない。だけど、彼は彼女の身体の隅々までを知り尽くしている。
こんなの、ずるい!
楽器の名プレイヤーが、自在に望みの音を奏でるように、彼女の五感を操り、蹂躙して。
「お願いだから、もう許して…」
身も世もなく身をよじり、無様に哀願したって、返ってくるのは、愉しげな含み笑いだけ。
天鵞絨の声。
聴覚への福音。
天上の音楽であり、音律の黄金比。
ああ、また…
だけど、どうしてこんなことに?
これよりかなり前。
本宮病院の個室。
床の上には、奇妙なメンツが座らされていた。
一番の巨体は、青のユニコーン。
元々青というより、薄い水色に近いのだが、なぜか今は更に青ざめている。
その隣に、小さな黒猫。
黒いから、青ざめているのは分かりにくいが、そのエメラルドの目は伏せられ、ヒゲの先がちょっぴり震えているようだ。
更に、華麗な紫の装身具と、シンプルだが肩と胸が大胆にカットされたドレスに身を包んだ女性、つまり盟主正妃。
その横は、月の宮の侍女、サーニ・ナルシオン・ダ=リマーニエ・カルルス。
神妙に居並ぶ彼らの前で、1人だけ椅子に座っているのは、医療技官の制服に身を包んだ当代盟主であった。
誰が見ても、これは叱責の構図である。
「お前たち、そもそも俺を何だと思っている?カイが気付いたことにも気付かないとでも?」
黒猫が上目遣いで言った。
「あのう…」
「何だ、カイ?」
「不敬は重々承知してますが、ご主人さまの普段の行動を拝見してますと、この場合極端な行動に出られるおそれが、まあ、多分に。」
「そうよ!やることが無茶なんだもの。」
「お前ほどじゃないが。」
ため息をついて、彼は続けた。
「今回の件は、俺も読みが甘かったな。まさかトリニア大神官があんな行動に出るなど、予想していなかった。だがな、成り行きとはいえ、巻き添えで死にかけた人がいる以上、謝罪は必要だ。彼女はまもなく目をさます。」
ベッドの上の小さな姿と、モニターにちらりと目をやり、彼は立ち上がる。
「別途、処罰は覚悟するように。」
床の上の2人と2匹は改めて青ざめた。
あの時。
オルタを刺したのは、大神官である。
傷は深く、即死してもおかしくはなかったが、彼女はどうにか一命を取り留めた。
近くに盟主こと神原医療技官がいたことが
彼女にとっては極めて幸運だったのだ。
何故なら、誰かが彼女の異変に気付くのは、非常に難しい状態だったから。
倒れる寸前、彼女には、隠蔽の魔法が働いていたのだ。
血の匂いは確実にユニコーンや、呪われたジュエリーであるパープルセットに届いていたけれど、オルタの姿は周囲の人間の目には見えなかった。
いや、見えなくされていた。
大神官が何を考えていたか、細部までは、まだわからない。
ただ、自らも隠蔽と隠形の呪物を、墨染の衣の下に忍ばせていたことは分かっている。
更に、会場の外に通じるポータル魔法陣を記した魔法スクロールを持っていた。
彼は、従者オルタを刺した直後、隠形を用いて盟主正妃に近づいたのだ。
道具立てからして、目的は正妃の拉致。
使用されたのは、稀に見るほど高度で高価な呪物である。
彼は目的の遂行に自信を持っていたはずだが、盟主正妃の側にはユニコーンがいた。
これは、計算外の事態だ。
神獣と称されるユニコーンに、呪物は効かない。
ならば、ユニコーンを正妃から引き離すしかないと、大神官は考えたのだろう。
しかし。
まさか、家族同然の従者にあんな真似をするなど、誰が予測できただろう。
トリニア大神官とオルタとの関係は最初から調べがついていた。
彼女は、大神官の養女であること。
又、彼女が、類稀な能力者であることも。
確かにユニコーンを誘き寄せるには最高の手段ではあるが…。
「千絵。大神官は?」
「この中。」
彼女は、ネックレスの中央に燦然と輝く、ひときわ巨大なパープルダイヤモンドを指差した。
「無限牢獄か。」
「うん。今も落ち続けてるって。」
それが、彼女が公式行事で不特定多数の人に会う場合、パープルセットを身につける理由である。
超弩級の呪物である所以の一つが、この権能だった。
パープルセットは、呪力に敏感だ。
どのような呪術的隠形も、彼女らには通じない。
パープルセットに関わった挙句、消息を絶つた人々は数多いが、そのうちのかなりの人数と同じ運命が、大神官を襲ったと見えた。
「尋問までは生かしておけ。」
冷たく言い放つ言葉は、正妃に向けたものではなく、直接パープルセットを牽制していた。
ダイヤモンドに囚われた虜囚の、生殺与奪はパープルセットに握られているのだ。
『りょーかいって言っといて、千絵。あの冷たい目!あーたまんない!』
『あーん良い男♡あんな木偶の坊のダミーアンドロイドなんか、ぜんっぜん目じゃないわ!』
きゃーきゃーとかしましい声を無視して、正妃は簡潔に答える。
「わかったって。」
盟主は頷いた。
椅子をベッドサイドに動かし、腰掛ける。
「患者が目覚めたようだ。」
ここはどこだろう?
患者、って?
病室、みたいだけど…
目の焦点が定まりにくい。身体が、何だか酷くだるい。
起きあがろうとして、彼女は眉をひそめた。
動かない、というより、動けない。
自分の体じゃないみたいだ。
「まだ起きない方がいい。」
優しい声がした。
顔の向きを変えることは諦めて、目だけそっちを見る。
あれ、あの人だ。
ゴーグルはないけど。
うわあ、やっぱり凄く綺麗なひと。流石リマノね。
「お医者さまですか?金色の波紋の…」
「やはり見えていたんだね。」
声に苦笑が混じる。
「宮殿の医療技官、神原龍一と言います。今は、君の主治医だね。宜しく。オルタ・サバラン・トリニア嬢。」
私の名前、知ってるんだ。
「あの、先生。私どうして?主治医っておっしゃいましたか?」
「そう。君は、怪我をした。重症だ。」
「怪我…」
あれは、夢じゃなかったの?
視線を自分の胸に落とす。今は薄い布団が
掛けられていて、直接見ることは出来ないけど、あの時、確かに胸から刃物の先が突き出していた。
改めてぞっとする。
あんな痛み、今まで感じたことがない。
背中に強い衝撃を感じたと思った途端に。
大神官さまの方を向こうとして…
「あ、あの、大神官さまは?」
このこと、ご存知なんだろうか?
きっと心配されているだろう。
ホントに、私ってダメだ。
いつも心配させて、迷惑かけて…
先生が、優しく微笑んでくれた。
「彼なら大丈夫だ。君は何も心配しなくていい。しかし、今回のことを招いた責任の一端は俺にある。謝罪を受け入れてくれるだろうか?」
「え…?」
意味がわからない。
だって、先生はお医者さん、だよね。
それに、主治医ってことは、私を助けてくれたひとだ。
命拾いしたのは、私だってわかる。
なのになぜ?
「…君は、俺が主催したレセプションのお客様なんだよ、トリニア嬢。だから俺には君の安全に配慮する義務があった。すまない。」
そう言って、先生は頭を下げた。
主催って、だってあれは、両陛下主催のレセプション、だよね。
あれ?先生がいま下から持ち上げたあれって、猫?
うん、黒い猫だ。だけど、なんだろう?
猫の気配じゃない。ていうか、何の気配もない。確かに生き物なのに?
気配のない生き物なんて、初めて。
「コレは、今回の警備責任者だよ。」
はい?どういうこと?
首の後ろを持ってぶら下げられている、この猫が、警備責任者って聞こえたけど。
「あの。ドラゴン騎士カイ・エミリオ・バルトです。この度は誠に申し訳ございませんでした。」
「はあ。」
猫みたいな何かが喋ったと言う事実にはあまり驚きはなかったけど、ドラゴン騎士ってあの大浄霊の時、結界を張ってたのもドラゴン騎士さんだよね。
トリニア大聖堂よりずっと大きくて、綺麗なドームみたいな。
「で、こっちが共同主催者。つまり、俺の妻だ。」
先生はそう言うと、猫をぶら下げたのと反対の手で、女の人を引き寄せた。
あれれ!
このひと、見たことあるみたい。
えっと、誰だっけ?
凄く綺麗な女。まっすぐな黒髪が
サラサラ揺れてる。こんな人、いくら私がバカでも、いっぺん見たら忘れるはずないんだけどなあ。
「盟主妃、ブリュンヒルデです。あなたが助かって本当に良かったわ。」
「……!!聖女さま?」
「そう言う人もいるみたいだけど、そんな大層なものじゃないわ。」
少し照れくさそうに、柔らかく笑う顔は、まだ少女みたい。
この方がブリュンヒルデ様なんだ。
大神官さまは、このひとを無理やり皇后にしようとして…
考えるより先に、オルタの口が動く。
「も、申し訳ありません!」
「え?」
正妃さまは、キョトンとした顔で首を傾げた。
思わず謝ってしまったけど、後の言葉が続かない。だって、大神官さまの無茶で失礼すぎる計画を話すわけにはいかないじゃない?そんなこと、絶対出来っこない!
あーっ!私の馬鹿!
気まずい沈黙が流れる…。
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