狂信者
少し前。
オルタの身長では、広い会場の奥まで見通すのは難しかった。
だけど、ユニコーンの歩みにつれて、彼女の視界を塞いでいた人混みは左右に割れて行った。
あれが、盟主陛下と、妃殿下。
わあ、すごいなあ。
何だかシュッとしてる。
立ってるだけで、絵みたいだ。
実際に見られるなんて、思ったことなかった。ディスプレイの向こう側の人たち。
本当に夢みたいなことばっかり起きる。
これ、現実かな?
ユニコーンと、両陛下と。
私なんかがこの場に居られるなんて、奇跡だよね。これも全部、大神官様のおかげ。
たしか教会に引き取られて3年目だった。
初めて大神官様とお会いしたあの日は、多分一生忘れない。
教義もまともに覚えられなかった私は、きっと厄介者だった筈なのに。
大神官様は、私なんかを「娘」って呼んで下さった。
「神に選ばれた、私の娘。」
あのときの声と、優しいお顔も、絶対忘れないわ。
大神官様は、時々女性みたいに柔らかな感じに見える。
宦官だからそう見えるんだってみんな言うけど、それだけじゃなくて本当に繊細で優しい人だから。
それに、とても、辛抱強い。
大神官様はいつだって穏やかで優しい。
あれからずっとこんな私を、本当の娘みたいに、いつも気にかけて下さった。
オルタは、チラリと大神官様を見た。
どうしたのかな?怖いお顔。
睨むような視線は、両陛下の方を向いて…
やっぱり、妃殿下を皇后にしたいってことかなあ?
だけど。
それだけは無茶だ。
大神官様は、聖女さまこそ皇后に相応しいって仰った。
ここ数代の間、本物の聖女さまが皇后になられたことがなかったから、エルトリニアは神様のご加護を失ったんだって。
それに、今の皇帝陛下が女性にだらしないことも、神トリニアのご機嫌を損ねているんだって。
だから、国がこんなにも乱れてるって。
でも、大神官様は、何か大事なことを忘れてる気がする。
神様が怒ったんだとしたら、それってみんなが勝手だったからじゃないの?
聖女とか皇帝とかは大事なんだろうけど、そんな人たちのことよりも、皇室の人や、貴族、大臣とかのお役人、神官や教会の偉い人たち、みんなが自分のことしか考えていなかったことが問題だと思う。
偉い人ばかりじゃない。
たぶん、みんな。それって、でも、普通のことなんだ。
聖女様が皇后になったって、人が勝手じゃなくなるはずはない。
じゃあ、どうしたらいいんだろう?
私は、あたまが悪いから、考えがうまくまとまらないんだ。
すぐにわけがわからなくなる。
一生懸命、考えてもだめ。
だから、もっとあたまのいい人たちに考えてほしい。意地悪でも、私よりずっとあたまのいい人はいっぱいいる。
意地悪じゃない人だって。
大神官様は、優しい。
優しくて、とても頭がいい。だけど…。
苦しんでるひとをみると、自分も苦しくなってしまわれる。その苦しさのせいで、考えのすじみちがおかしくなってる。
私みたいなバカでもわかるのに、それを上手にお伝えすることが出来ないんだ。
時々、自分がバカなのが悲しくなる。
みんなからバカにされるのは、今はそんなに気にならないけど。
大神官様のお役に立てないのが悲しい。
また歓声が上がった。
ユニコーンが正妃に跪き、更に立ち上がると、彼女を守るようにびったりと脇に侍したのだ。
青い瞳の煌めきが、オルタの場所からさえ見て取れた。
水の流れのような、長いタテガミ。
あちこちで、ため息が聞こえる。
神獣であり、幻獣とも称される生き物。
今そこに居るのに、とても現実とは思えない。
あんなにも美しく神秘的なものが存在しているなんて、なとという呟きも、ため息とともに聞かれた。
ただし。
正妃以外誰にも聞こえない、呪いのジュエリー、パープルセットの言葉を借りるなら、『凶暴な駄馬』で、実はこの方がより真実に近いのだが。
パープルセットはこうも言う。
『このショジョチューのヘンタイ駄馬。あいにく、アタシたちの千絵は処女じゃないわよ。他を当たりな!』
手があれば、中指を立てかねない、蓮っ葉な調子で吐き散らかす。
とにかく、姦しいというか、喧しいというか、相手にするのも馬鹿馬鹿しいので、正妃はいつも聞き流すことにしている。
でも変だなあ?
オルタは、会場を見回した、
聖女様が、いない。
何となく能力を持っているらしい人はいるけど、大神官様が仰るような人は見当たらないのだ。
おかしいなあ?だってあの正妃殿下からは、何の力も感じられないんだけど。
遠目にも、とっても綺麗な人らしいのは分かる。
だけど、それだけだ。
特別な感じは何もしない。
護符とかをお持ちなのかもしれない。
能力隠蔽の護符。
こういう場所って、護符だらけだよね。
それを持ってる人が相手だと、大神官様は力がわからなくなるって仰る。
でも。
私には、わかるはずなんだけどな…。
私は、〈見鬼〉。
大神官様は、だから私を引き取って下さった。実際、今まで大抵の隠蔽は見破って来たんだけど。
あの大浄霊の時。優しい白と金色の、あの光の柱。
それと、ドラゴンの気。
すごいというか、凄まじかった。
お酒を飲んだらあんな感じになるんだって、大神官様が教えてくださったっけ?
私はすっかりフラフラになってしまったけど、気持ちよかったなあ。
大神官様が仰る通り、あんな特別なことが、偶然であるはずはない。
ということは、正妃様はよっぽど強力な護符を身につけておいでなのね。
大神官様は…
振り向こうとした、その時だった。
突然、オルタは背中に衝撃を感じた。
何が起きたか、分からない。
目を落とすと、自分の胸から、銀色の金属が数センチばかり突き出しているのが見えたが、それはすぐに背中側から引き抜かれたらしい。
凄まじい痛みとともに、胸から吹き出した血。
身体はそのまま、前のめりにくずおれた。
床に倒れた時、すでに彼女の意識はなかった。
人々の視線はユニコーンに集中していたから、最初、事態に気付いた者はいなかった。
音もなく床に倒れ伏した小柄な身体。
その下に、見る見る広がる鮮血。
いち早く彼女に駆け寄ったのは、1人の医療技官だった。
彼はオルタの状態を見て取ると救急チームを呼んだが、まさにその時、パープルセットが血の臭いについて、正妃に警告を発したのだ。
同時に、盟主正妃の側にいたあのユニコーンが動いた。
宙を跳ぶような非現実的な動きで、一瞬の内に惨劇の現場に駆け寄ったのだ。
人々にとって幸いだったことは、まだユニコーンが登場した時、人混みが二つに割れて出来た道が残っていたことと、急いでいたユニコーンがそこを突っ切らずに、その上を飛び越えたことだった。
もし、彼が人混みを突っ切っていたなら、確実に死者が出ていたはずだ。
それも、相当数。
ユニコーンの、ただ一度の跳躍により巻き起こった風は、周辺の来賓の足元をふらつかせ、尻餅をつかせるのに充分だったのだから。
さて、件のユニコーンだが。
そこではた、と立ち止まった。
あいつが、いる。
あの技官だ。
床にしゃがんだ姿勢のまま、彼は静かに呟いた。
「戻れ。」
と、一言。ユニコーンには目もくれないで、視線はただ負傷者のみを見ている。
現場に複数のアンドロイドと人間からなる救急チームが到着した。
同時に、ユニコーンはしおしおと引き返していく。
未練ありげにちらっと振り向いて、彼の大好物であるところの血液(しかも処女かつ強力な能力者の)の芳しい香りに鼻腔を蠢かせはしたものの、側にいるあの最兇の男に逆らう気はない。
命あっての物種である。
オルタの身体は速やかに運ばれていった。
惨劇の痕跡もまた、清掃アンドロイドがあっという間に消し去る。
ものの数分で床には何の痕跡も残ってはいなかった。
この時、密やかで鮮やかな寸劇が、もう一つ同時に進行していたことに気付いたものはごく少数だった。
ユニコーンの跳躍とは逆に、出入り口近くから会場の奥へと向かった、一つの影。
誰の目にもとまらず、注意を引くこともなく、それは人混みを縫って目標に肉薄する筈だったのだが。
目標まであと10メートル、5メートル、と、そこまでは何の支障もなかった。
隠蔽とスピードの護符は、その力をいかんなく発揮したから。
あとは目標を引っ掴んで、離脱するのみ!
怪鳥の如き影は、しかしその目的を達成することは出来なかった。
影を阻んだのは、不可視の壁だ。
強力無比な呪いの力である。
存在も認識できないまま、影はそれに弾かれ、落ちた。
だが、着地と同時に影は床を蹴り、再度目標に手を伸ばそうとして、今度も落ちた。
ただ、そこに床はなかった。
声ひとつ上げずに、影は落ちて行く。
どこまでも、どこまでも、ひたすらに。
落ちて…。
いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。
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