パープルセット
奥の扉から、盟主にエスコートされた正妃が入場した。
残念なことに、盟主はあの仮面と、簡素な白いローブ姿である。
人々の期待はひとまず裏切られた形だが、盟主夫妻の登場により、レセプションはようやく始まったばかりである。
今後に期待だ。
しかし、実物の立ち姿、動き、全てが映像で見るより遥かに美しいのは流石だった。
静かな佇まいなのに、まるで違う次元を滑るように移動する、残像を伴った白い影のような姿。
会場には様々なクラスの能力者がいたのだが、誰も彼からは何の力も感じない。
にもかかわらず、目が離せない。
いや、正確には、離すことが出来ないでいる。
冷たく整った外見は、非人間的かつ近寄りがたい威厳と権威そのものだった。
これと対照的に、彼にエスコートされた正妃は、その整いすぎる外見とは裏腹に、暖かく優しい印象を醸し出している。
神秘的な漆黒の直毛は、豪華なローブさながら彼女の背に流れていた。
アイスドールと形容される、小さな顔。
人々の視線は、彼女のティアラとネックレスにも注目している。
『パープルセット…』
そんな呟きが口から口へと渡って行った。
紫のダイアモンドをふんだんに使用したネックレスとティアラは、戴冠式のおり使用された物でもある。
実はこのセット、自らの意思を持つ呪われた器物であった。
伝説の古代王国を滅ぼしたと伝えられる凶悪な遺物で、異世界から渡来したらしいとの噂もあった。
不幸を呼ぶジュエリー。
その類型でも、最凶クラス。
紆余曲折の果て、現在は神皇家の所蔵品として知られていた。
だから、滅多に人目に触れる事はないはずなのだが、当代盟主の色である紫を象徴するという理由で、盟主正妃に贈られた。
というのは、表向き。
実は、この凶悪な遺物が彼女に懐いているというのが真相だ。
至極厄介な遺物なのに、極めて俗っぽく軽佻浮薄な性格で、華やかな場所が大好き。
だが、このセットに関わった女たちには漏れなく、悲惨な運命がついて回る。
だから宝物庫の奥深くに押し込められて、光を浴びることすらままならない年月が繰り返されたのだった。
そうなると、コイツらは人間を操る。
近くに来た者の精神を支配して盗みを働かせ、宝物庫や博物館から脱出するのだ。
それから、華やかな街の、より華やかな場所を求めて、更に人心を惑わせる。その結果、誰かが死のうが破滅しようが投獄されようが、知ったことではない。
だが、さすがに神皇家の所有となってからは、そんな悪さは出来なかった。
第一に、神皇家には精神操作が効かない。
通称はパープルセット。有名すぎる不吉なジュエリーだが、無論自力で移動する事は不可能である。
必ず人間、もしくは宝石に対して欲望を抱く他種族の力を借りねばならないのだが、精神を操る能力を遮断する、特殊な宝石箱も、神皇家の秘蔵物に存在していた。
その宝石箱には、他にも呪われた装身具が収められていた。
つまり、完全破壊か宝石箱という名の永生牢獄に住まうかとの選択肢を突きつけられたとき、選択を誤らなかった物たちが収納されている訳である。
言い換えれば、自らの置かれた立場を正確に理解出来た、ということだ。
呪われた器物の中には、呪いによってその本質までを蝕まれ、人間に例えるならば、社会復帰が不可能なまでに病んだケースが多かった。
そんなモノたちは、選択肢の意味すら分からないまま破壊されたので、宝石箱の中身は、ある程度理性的な、呪いのジュエリーのはずなのだが…。
『ねえねえ、千絵?アンタさ、あたしたちを着けたまま、寝室へ行かなあい?』
また始まった。
この声は、ジュエリーの持ち主にしか聞こえないのだが、彼女らときたらとにかく俗っぽいことが大好きなのだ。
そう。
性別に意味があるのかは不明ながら、彼女らはどう見ても女性でしかありえなかった。
無視していると、もう一方も喋り出す。
『それいい!ねえ、いいじゃん?アンタのダンナ、めっちゃアタシ好み♡ちょーセクシー!』
『やっぱ、サイコーだよねー!あんな綺麗な男、見たことないわよ。神族ってのがちょっとアレだけど、ホンッとにセクシーで、ちょーイケメンじゃん!この木偶人形とは、天と地だっちゅーのさ♡』
ーあ、わかるんだ。ふーん、さすがに最凶の呪物ね。
思わずそう返事した。
『あったりまえー!』
2人(?)は、ケラケラと笑う。褒められて嬉しいらしいが、やかましいことこの上ない。
『ねえねえそれよりさあ、ここなんかヤバくない?』
ーえ?なに?
『いっぱい。』
『そうそう。アタシ達がいうのもナンだけどさあ、ここ、イカれてるの、多くない?呪物の反応だっていっぱい。』
『まあ、アタシたちほど呪われちゃいないけど、でも気をつけて。』
ーうん。あまりはっきりとはわからないけど、なんだかへんな感じはするわ。気をつけるね。
パープルセットは笑う。
『だからアンタが好きよ。』
『そうそう。アタシたちの可愛い娘。だからさあ、考えてみてよお。寝室の件。』
ーそれは却下!
『あーん、ケチ!つれないんだからぁ!』
会場にある呪具の反応は一つではない。
これはいつものことだ。
もともと呪いは、魔法とは違い、感知のしにくさに特徴がある。
今、正妃が感じている違和感の正体はたぶん、隠蔽。何らかの呪具に呪いを隠蔽する呪法が掛けられている気配。
だが、それがどの呪具かはわからない。
会場内では、呪いの発動自体を止めるのではなく、その力を抑えるシールドが張られている。
武器の火力に例えるなら、発射は可能だが、威力は抑制されるということだ。
各国の超セレブが集まる場とあって、呪詛に対抗する護符の類は標準装備だから、火力を制限された呪いでは大した効果はないだろう。シールドはあくまでも攻撃に対して働く。
ディフェンスは、なんら制限を受けない。
『千絵、あの子が来たよ。』
あの子。
まだ名前がないから、そう呼ぶしかない。
会場の人混みがゆっくりと左右に割れる。
その中央を堂々と進んでくるのは、青のユニコーンだった。
『柄にもなく澄ましちゃってんじゃん?いつまで保つかなあ?ケケケ。』
『ホントだよー。無理しちゃってぇ。』
ー大丈夫よ。あの子、注目されるのが大好きだから。あなたたちに似てね。
『ちょいと!あんな凶暴な駄馬と一緒にしないで。』
『そうだそうだ!』
その凶暴な駄馬、しずしずと歩み寄ると、惚れ惚れするほどの優雅さで、正妃の前に膝を折った。
差し出された彼女の手に軽く鼻面を触れる。
誰が見ても服従と愛着の仕草だ。
おお、と、どよめく人々。
青のユニコーンは立ち上がり、まるで妃をエスコートするかのように、盟主の反対側から彼女に寄り添った。
再度どよめきが上がる。
まるで、神話を扱った絵画そのものだ。
『うーん、これよ、これ!見られるってホント快感だわあ♡』
『アンタじゃないわよ!みんなが見てるのは、ア・タ・シ♡』
『はあ?まさか!何を根拠に?』
『アタシの方が、ダイアの数が多いわ。』
『はああっ?総カラット数はアタシが上だわよっ!』
『それが何なの?量より質だわ。見て!この輝き!この透明感!』
『あらあ?そのシミなに?インクルージョンってより、老人斑てヤツじゃなあい?』
『アンタ、アタシと同い年。最近アンタの方がシミ、目立ってるよ!』
『はあ?アンタ、目まで悪くなった?まあアタマはもともと悪いけど。』
『アンタ程じゃないわよ。』
などと、お互いの悪口の応酬になるのはまあいつものことだが。
『待って、千絵。』
突然、パープルセットの片割れの声に緊張感が滲んだ。
ー?
『血の臭いがする。』
ー?!
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