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月の宮異聞  作者: WR-140
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フサスグリの赤

「で、結局、サーニは彼を信じないと?」

夜明け間近。ベッドは闇に沈んでいたが、窓からは東雲の仄かなあかりが射し入っている。この離宮の部屋はどこも簡素な造りで、それが現在の主人と、ここを造営した黒の宮ことタナトス・レヴァイアサンの趣味にピタリと合っていた。

無論、居候こと神原龍一の趣味にも叶っていたわけで、盟主の本来の住まいであるはずの本宮には、夜間は主人がいた試しがない。だから、本来後宮が形成されるはずの、本宮内陣東のエリアは無人だった。

後宮と言い習わされてはいるが、そこで次世代の命が育まれることはない。

神族と人類は、姿かたちこそ似ているものの、生物学的には別種で、交配は基本不可能なのだ。

万が一、妊娠しても、臨月まで母体は持たない。現盟主は、だから極めて異例のハイブリッド種だ。

仰向けに寝た彼の片腕には、妃が抱かれている。

「それがね。すっかり混乱してしまったみたいなの。サーニは、なんとか一人で生きて行こうとしてるわ。恋愛感情なんかに邪魔されたくないんだと思う。その気持ちは分かるけど、勿体ないとも思うのよ。ドキドキしたり、ワクワクしたりして、恋愛に振り回される体験は貴重だわ。羨ましいくらい。」

「お前は女優だからな。しかし、それでは俺は恋愛対象外と聞こえるが?」

「あなたは、いつだって激しすぎる。隠してたって、全部わかるもの。私、できるなら普通の恋愛がしたい。無理だけど。」

盟主は軽く笑い声を上げた。

「感情を読む上、男アレルギーでは、恋愛は難しいだろう。俺は例外でいいが♪」

人や人ならざるものの感情を読み取る彼女の力は、知りたくないことまでわかるという負の側面がある。

幼い日から、自分に向けられる他者の欲望や怒り、羨望や、どす黒い悪意を、彼女は散々味わってきた。

年齢の割に老成し、人生を達観したような性格になったのはそのせいだ。

性的欲望や、食欲さへの嫌悪から、彼女に対して欲望を抱く者に触れられると、蕁麻疹などの身体症状が出てしまうようになったのも、当然か。例外もあるが。

窓から射し込む光は徐々に強くなる。

彼女の目には、夫の横顔が見えていた。

シャープで繊細だが、力強い輪郭。長い睫毛が、薄明をくっきりと切り取っている。

中性的でありながらも、男性でしかありえない稀有な美貌。彼女にとっては、懐かしく、最も身近な顔。ふと思う。自分はいつから彼と恋に落ちていたのだろう。

それは、穏やかとは言い難い日々だった。


能力ゆえ、彼の激情に何度も飲み込まれかけ、あまりの苦しさに耐えかねた。

戦場に向かう彼を見送り、無事を祈りつづけ、彼を失う恐怖に怯えて絶望し。

そして、今また、彼は死地にある。

叔父の指摘は正しい。

神族からさえ化け物扱いされる能力をフル活用し、自身の脳をモンスターAIとダイレクトに繋いで日々の業務に当たるのは、まさに自殺行為に他ならない。

そのような危険を犯す理由は、至ってシンプル。1人でも多くの人々を救うためというのが、唯一の目的なのだ。


この巨大な国家連合体は、つい最近、滅亡の危機に瀕した。

世界大戦である。

何百万隻もの宇宙空母が轟沈し、数多の世界が滅亡した。

数千億の人命が失われ、その10倍以上の人々の仕事が、生活が、健康が危機に瀕した。燎原の野火のように広がった戦火は、もはや誰の手にも負えなかったのだ。

幾度とない部分的停戦の試みは全て灰燼に帰した。

絶え間ない恐怖と絶望の時代が到来したのである。

リマノの最高意思決定機関である元老院は、人類世界を滅亡から救うべく、最後の手段として、神族への請託を決定した。


戦争そのものは、盟主の強権介入により終結したが、その後遺症は、今もまさに、多くの命を呑み込まんとしている。

1分、1秒でも早く戦後処理を進めなければそれだけ多数の力無き者が死ぬ。

単純かつ冷酷非情のロジックだ。

故郷地球で医師として生きてきた当代盟主にとって、生命を救うことは最優先事項である。その目的のためなら、自身の命すら投げ出すほどに。

モンスターAIとのダイレクトリンクが、最も効率が良いのならば、彼にはその選択しかなかった。

妻と、人外の側近以外は誰も知らない。

賞賛されることもない英雄的行為だが、代償は大きかった。

極限の脳疲労は、全身に耐え難い痛みと倦怠感を生む。指一本動かせないほどの苦痛。体内が煮えたぎっているような灼熱感と、四肢を苛む氷のような冷感に加えて、

絶え間ない頭痛と、内臓がよじれるような不快感は、拷問でしかない。

この日々の責苦を、狂うことなく耐え抜くために必要なもの。

それは…。

「フサスグリの赤か。あれは、美しい色だな。だが、俺にとっては、禍々しくもある。お前の血の色だ。俺の弱さと、罪の色でもある。」

淡々とした口調に、深い苦悩が滲む。

彼の指先が、そっと彼女の首筋に触れた。

指先は頸動脈の規則正しい拍動を感じ、

その真上に走る、消えかけた一筋の傷跡をなぞった。ほんの2時間前、彼自身が付けた傷である。そこから溢れた、耐え難いまでに蠱惑的な芳香。

舌に残る甘美な味わい…。 

あれは。

「すまない。」彼の声は掠れていた。

「今更ね。私の血なら、いくらでもあげるわ。龍ちゃん無茶をしすぎるんだもん。

でも叔父さまは、このことを意図なさってたのかしら?神原の先祖にご自身の遺伝情報を組み込んだ時から?」

「いや。恐らくここまでは。ただ、神族にとっては神原の巫女が、最高の人身御供になることまでは予期したはずだ。実験が聞いて呆れる。あの鬼畜、倫理感などというものは、持ち合わせていないからな。」

彼女は、コロコロと笑った。

「叔父様、龍ちゃんにだけは、言われたくないかもね。」

「ずいぶんだな。俺は何なんだ?」

「アル中の変態色魔でしょ、それから人格破綻者、ついでに救いようのないワーカホリック。」

「だが、万能の天才だ。」

「煩悩の天災の間違いでしょ。あーあ、どうして龍ちゃんなんか好きになっちゃったんだろ?」

「運命?宿命?」

「必然。」

「当然だな。さて、少し休め。」

「ん。」

腕の中の彼女がすぐに眠りに落ちると、彼は小さくため息をつく。

フサスグリの赤が脳裏から消えない。

禍々しい罪の色が。


同じ頃。

サーニは眠れないまま、自室の窓から白んでいく空を見ていた。

 リュー。フサスグリの赤。

彼の目は、なんて綺麗な赤なのかしらね。近くで見たのは、久しぶりだったけど、あの色は全然変わっていなかった。

突然、彼の目が青から赤に戻って、まもなく龍一さまがお戻りになったわ。

何があったかは詳しく仰らないけれども、龍一さまにとっては取るに足りないことだったみたい。

「解決したようだな。」そう仰って、黒の宮さまはご自身のお部屋に行かれたわ。

あの開かずの間が、あの方のお部屋だったのね。黒の宮さまと会えなければ、リューはずっとあの東屋から出られなかったと聞いたら、あの方にどんなひどい伝説があったって、感謝せずには居られない。

鳩時計の鳩みたいに縛りつけられていたなんて、絶対に許せない。龍一さまがそいつに十分な罰を与えて下さったことを期待しよう。

リューは、予備寝室ね。とても疲れていたみたいに見えた。それなのに、まだ私に何か言いたそうだった。

全部、気の迷いなんでしょ?

後で後悔するようなこと、言わないほうがいいわ。だって、あり得ないもの。

彼が私を…好きだなんて。

あんなに素敵なリューが私に興味を持つなんて絶対にないわ。

彼は鳥の姿だったとき、誰を想って鳴いていたのかしら。綺麗な唄だった。

もう聞けないのがちょっぴり残念ね。

姿が戻って呪縛がとけたから、彼はもうここから出ていけるはずよ。そしたら、きっと、誰か素敵な人が待ってる。

 キスのこと、その人には内緒にするんでしょうね。

うん、それでいいのよね。

私も、一生言わない。

ほんの偶然で、わずかな時間、彼と私の道が交差しただけだから。

元から違う世界に住んでたの。

リューはまた、彼本来の場所に戻るだけ。

さあ、明日から私も目標に向けて頑張らないと。

学費と、受験勉強と。

だけど…。

どうしてこんなに胸が痛くなるの?

おかしいわよ。こんなのって私じゃない。

しっかりしなさい、サーニ!

私まで新月に騙されてるの?

情けないわよ。

1人で生きて行くって、決めたのに?

なにを迷うことがあるのかしら。

バカだ、私。救い難い馬鹿たわ。

胸がざわつく。苦しくて、痛い。

どうしても彼の目が浮かんでくるから。

フサスグリの赤。

私の大好きな、ずっと大好きなあの色。


それぞれの想いのうちに、朝焼けが空を染めていく。

新月の夜は、終わりを告げたのだ。


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