聖女と皇后
「聖女ブーム?」
「はい。」
昼前にようやく起きてきた盟主正妃は、テラスの椅子で半ばまどろんでいた。
そこで聖女ブームなる単語を耳にして、少し引っかかりを覚えたのだ。
今夜は久々に公式行事が入っているから、
その内容について、バルト少尉からレクチャーを受けていた。
重要部分は聞き終えていたし、来賓のあれこれについては、聞き流しても特に問題はない。
必要ならばその場で、彼女にしか聞こえないようにして、カイが教えてくれるのだから。
ドラゴンであり情報将校である彼は、膨大な情報と伝達手段を自在にあやつる。
人、場所、時間から、それらの表と裏の関連性まで。
必要ならリアルタイムでラグナロクから情報を得るのも簡単らしいが、その仕組みについては誰にもよくわからない。
「例のやらかし以来、ブームが続いていますので、〈聖女〉はトレンドコンテンツになっています。」
「あ…。」
頭を抱えたくなった。
やらかしと言われればその通り。
カイやエドにも迷惑を掛けたし、夫を怒らせた。
心配してくれたのは重々わかっているけれど、あの後しっかり{お仕置き}された訳で、思い出しただけで顔が熱くなる。
昨夜も彼は執拗だったし…。
「そ、それで、今夜のレセプションに何か関係があるの?」
「それをご説明しようとした所です。」
珍しく軍服姿の少尉は、淡々と続けた。
この姿では、アンドロイドと言われたら誰もが信じてしまいそうだ。
「今夜は来賓の1人として、エルトリニア皇国の大神官が参加します。
エルトリニア皇国では、聖女は信仰の対象です。国教であるトリニア教の影響が大きいため、代々の皇后には、聖力を持つ女性を冊立してきた歴史があります。」
「エルトリニアは、かなり国力のある国だったわね。連邦評議会にも代表を複数送り込んでいて、影響力が強いとか。」
「はい。その国が、現在の皇帝の皇后を探していまして。レセプションには、ブームにより昨今話題の〈聖女〉達が多数出席することから、今回特使として、トリニア教の大神官が参加することになったとまあ、表面上はそういうことです。」
候補者を見定めようというのだろう。
彼の国では、大神官は皇帝に匹敵するほどの貴き存在とされている。
「表面上もなにも、いっそ皇帝本人が来た方が早くない?」
極めて格式高い集まりである。
勿論、招待状を持たないものは参加出来ない。自薦他薦の〈聖女〉たちについても、かなり強力な後ろ盾を持つ者でなければ難しいはずである。
複数の有力な国家元首の参加が決定していて、公式行事嫌いの盟主までが顔を出さないわけには行かなかったのだが、参加するメンバーを見て、更に参加申し込みが殺到したのである。
彼は昨夜も、「時間の無駄」とか愚痴っていたけれど。
「姫さま、いくつかの国家で、自国の姫だとか、有力貴族の令嬢とかが、あのときリマノにいたと発表されたこと、ご記憶では?」
あの時。つまり、やらかしたというか、弾みと行きがかりで、大浄霊を行ってしまった時のことだ。
「ええ。サーニが怒ってたわね。」
まるで、自分こそがその浄霊を行った聖女であるかの如き振る舞いに、潔癖なサーニは呆れかつ怒っていたっけ。
「エルトリニアは大国です。現皇帝は即位したばかりでまだ若く、皇妃は複数いるものの皇后候補になるような〈聖女〉ではない。このチャンスに自国の〈聖女〉を送り込みたい勢力は多いでしょうね。」
「…」
政略結婚。
王や皇帝とまで行かなくても、富や権力が集中する階層ではごく当たり前な話。
いつだか、月の宮に侵入した、ロッシ財閥の令嬢に罵られたことを、正妃は思い出した。
彼女は、自分なら富と権力を与えられるのだから、卑しい女優風情に騙されるなと言っていたけれども…。
そう考えるように育てられたのだろう。
それが当然とされる世界で。
馴れ初めはどうあれ、結婚してから幸せになれたら問題はないとも思うけど、あちこちで聞く話は悲劇的なものも多い。
恋愛結婚なら、ダメになったら速攻さようなら、という手があるが、政略結婚ではそうもいくまい。
だから、夫婦どちらかが不審な死を遂げることもある。
或いは、双方が。
「大変そうね…。」
「そんな他人事みたいに。」
「?」
「まず、何故、皇帝本人が来ないか、という点ですが。」
「忙しいとか?」
「大神官も忙しいです。実はですね、この皇帝陛下、現在ある女性に対して熱烈な恋をしているとか。」
「あら、結構なことじゃない?」
所詮人ごとだし。
「彼はとにかく、聖女の力とか、身分門閥よりも外見至上主義なので、現在の皇妃がたも全てその基準で選ばれたそうです。好みの女性となれば、何が何でもモノにしなければおさまらない、と。これには周囲も手を焼いて、大神官とも深刻な確執があるとか。それで、大神官が直々に候補探しに乗り出した経緯があります。」
だからか。
身分を度外視するロマンチストと言えば聞こえはいいが、周りにしてみれば、義務をなおざりにする困った皇帝である。
皇帝本人がここへ来たりしたら、話がややこしくなるだけだ。
大神官がさっさと候補者を決めて、問答無用で押し付けてしまおうというのだろう。
「しかし…」
なぜか、カイはちょっと遠い目になった。
「どうしたの?」
「…トリニア教の大神官は、さほど強力ではないものの、本物の能力者です。しかもあの日、リマノに滞在していました。つまり彼は、あなたこそが聖女であると知っています。」
「ああ。まあ、そんな人もいるわよね。」
と、正妃は片手をひらひらさせた。
本物の力を持つ者は他にもいる。
どうせ、一部にはバレていることだ。
「しかし彼は、信仰に極めて忠実です。伝説級の聖女こそがエルトリニアの皇后にふさわしいと信じています。聖女とは、神によって、エルトリニアに遣わされた恩寵であり福音である。だから聖女は、産まれた瞬間から皇帝のものであり、俗世のいかなるしがらみも、皇帝から聖女を引き離す権利はない。従って…」
カイは、じっと正妃を見た。
「?」
「大神官は、あなたが本命だと決めているでしょう。」
見つめ合うことしばし。
「は?何言ってるの?意味わかんない。」
「だから。大神官は、どんな手段を使っても、姫様を皇后にしようと画策するはずです。」
「だ、だからそれが意味不明でしょ!?私、とっくに結婚してるのよ?」
「そんなことは、大神官の信仰に照らせば些細な問題でしょう。それにお忘れですか?龍一さまがご結婚されているにも関わらず、どれほどの縁談があったのか。」
「それは、だって…」
語尾が弱くなる。全部聞いたわけではないが、彼に妻との離婚を提案、というか、強要しようとした相手は複数いた。
「それに。世間では、いまだに、姫様が単なるお飾り正妃とみる者も多いのです。龍一様は神族ですから、人間の女性など所詮はひとときの慰み…」
「ストーップ!冗談じゃないわ!そんなことで龍ちゃんを怒らせたりしたら…!」
カイは頷いた。
「エルトリニアは、世界地図から消えるでしょう。跡形もなく。」
次回も宜しく♪