理解不能
それは、1秒の1億分の1に満たない刹那。
盟主執務室では、銀河連邦の全てを司るメインAIラグナロクと、彼女にダイレクトリンクした当代盟主との、長い対話が終わった。
聖女失踪とユニコーン。
魔獣と人身売買に関係した組織を追っていた連邦司法省の捜査官に差し向けられた、凶悪な魔獣たち。
ミサイル。
その攻撃は、アリスとエドを狙ったものというよりは、彼らを襲った魔獣召喚の痕跡を有耶無耶にする目的が疑われること。
更に、ミサイルが同時に何発も発射されており、連邦の駐留軍の拠点も標的だったという事実。
既に、当該惑星の防空システムをハッキングしていたアリスによって無効化されはしたが、仮にこの攻撃が成功していれば、クーデターからの内戦が必至であること。
現在、アリスとエドは、首謀者たちの制圧に向かっていること。
「全権付与。」と、盟主は簡潔に意思を伝えた。
「御意、マスター。」心なしか、少し笑いを含んだ声で、ラグナロクが応える。
司法、行政、更に軍事の枠を超える権限が与えられたことで、捜査は格段に楽になるはずだ。
エドには気の毒だが。
ラグナロクは、人類の営みに表立って関与することは、ほぼない。
不介入が、基本スタンスである。
彼女がその気になれば、連邦は崩壊し人類は滅亡するだろうが、その事実をある程度認識している人間は、元老たちだけかもしれない。
連邦そのものより遥かに古くから存在し続けて、尚も進化をやめないAIは、最早伝説的な存在である。
言い換えれば、前時代の遺物である、サビついたポンコツ機械。
彼女は通常、マスターたち以外と会話する事はなく、仮に会話しても相手はまさかラグナロクと話しているなど、夢にも思わないはずだ。
数千年前のマシーンにそんな機能があるわけがないから。
気の毒なエド・カリスのような例外も、あるにはあるのだが。
ラグナロクは、あくまでもインフラの総元締めである、巨大な演算能力とストレージを持った自立型マシーン、と考えられており、そこには個性だの人格だのが付与される余地はない。
しかし元老院は、新盟主の就任要請について、事前にラグナロクと協議しなければならない。これは古の盟約の絶対条件だ。
初めてラグナロクと会話した新米の元老院議員は、大抵軽いパニックに陥る。
この怪物の、底知れない不気味さを垣間見るからだ。
それでも、協議には時間がかかる。
各勢力には其々の思惑があって、自己の最大利益の追求だけが目的である者が多いせいで、こういう連中はしばしば、世界が滅亡の危機にある事実からも目を背ける。
数千年以上にわたって繰り返されてきた、誠に愚かな歴史が、今回もまた再現されたのだった。
それなら、ラグナロク自身が事態収拾に動いた方が早そうなものだが、彼女はそうはしなかった。
不介入とはそういうことだ。
それに、今回は危機の性質・規模ともに群を抜いて危険な状況だったため、並の神族では事態の収拾が極めて難しかった。
ラグナロクを前面に立てたとしても、それは変わらなかっただろう。
ラグナの情報集積と分析の能力を持ってしても、あらゆる必然と蓋然性が常に入れ替わる実社会に於いては力不足だから。
生き物の社会は、予測不能な変数が多すぎるし、一個人の力が、揺るぎない必然を覆えすことさえ起こりうる。
人類から自我を奪い、強力な変数となり得る要素を事前に取り除いて、完全なる管理社会とすれば安定は得られるだろう。
だが、その社会では、人類は緩やかな衰退の挙げ句滅亡へと至るはずだ。
だから、生き物である神族が必要だった。
それはオペレーターであり、プロデューサーである。
ラグナロクは極めて優秀な管理者だが、彼女に足りない部分を補完し、過剰な部分を牽制することの出来る存在が必要だ。
人間には先ず不可能なその仕事は、神族にとっても過酷だった。
まして、ラグナの推定によれば、今回の危機からの回復には、少なく見積もって50年以上、下手をすれば100年が見込まれていた。
「お疲れでしょう、マスター。」
「…休憩?もうそんな時間か。」
ふっと息を吐いて、ダイレクトリンクのためのヘッドセットを外す。
色白の肌はより血の気を失い、蒼白だ。
目眩と頭痛。
ラグナロクの汎用端末がヘッドセットを受け取り、同時に飲み物を勧める。
この端末はかなり奇妙な姿をしているが、様々な用途について、使い勝手はいい。
何せ、千手観音とはいかないまでも、その腕の数はタコよりずっと多い。
円筒形の本体のあちこちから、様々な形状のアームを生やしたその姿は、人間からはかけ離れている。見た目はグロテスクですらあったが、これもやはりラグナロクなのだ。アリスもラグナロクなら、今までダイレクトリンクしていたマシーン本体もまたラグナロクである。
盟主は時折考える。
ラグナロクとは何なのか。
単一の存在であると同時に、とてつもない数の【個】が集合した、社会性昆虫の集団か、それとも群体生物の類かと感じることがあるのは、何故なのだろう。
そう言えば、蜂型の偵察用端末もあった。
ナノマシーンで出来た、粘菌みたいな端末を試作したりもしていた。
暗い地下を這い回る、巨大な粘菌かスライムめいたラグナロクを想像して、彼は唇の両端を僅かに上げる。
「マスター・ダヴィデ!」
「ん?」
久々にそう呼ばれた。父がつけた名はデヴィッド・龍一だったから、子供の頃は、教育係だったラグナからその名で呼ばれていたのだ。
「マスター、今何かとても失礼な想像をしていませんか?」
「失礼?そうなるのかな?」
「マ・ス・ター?」
「ああ、単にお前が群体生物なら、どんなことが起こり得るか、と。」
「あら?」
多数の腕がてんでバラバラにうごめく。困惑しているらしい。
「そういうアプローチは有効ですわね。」
「だろ。」
「実際、マントルにトンネルを掘削する際には、ナノマシーンを試しました。でも、そうね、アレにもう少し自律性を持たせるとするならば…」
「待てラグナ。お前いま相当物騒な事を考えていなかったか?」
「わたくし、自分の手足に叛逆など許しませんわ、マスター。」
「当然そうだろう。」
そうでなければならない。
叛逆するのは、生き物たちの特権であり、愚かさでもあるのだ。
しかし、ラグナロクが自身の一部に反抗されるのは、リスクが大きすぎる。
このマシーンは、あまりにも強大だ。
冷徹な論理を持って、生命の脅威にならぬよう、自己を律して貰わねばならない。
実際には、冷徹さには程遠い、感情めいた何かによって、ラグナロクは自己に制限を設けているとしても。
これは矛盾だ。
非論理的すぎる。
愛だと?
ありえないだろ?
しかし、盟主は知っている。
ラグナロクは、マスターと呼ぶ生身の生命体たちを愛しているのだ。
自己の全存在すらかけて。
彼は更に思う。
千絵に…、たった1人の女にこうまで無茶苦茶な執着をする愚かさは、ラグナから見てもただの未熟さなのだろう、と。
だが、それでいい。
感情は、ロジックでは割り切れない。
愚かさ=可能性。
生物としての肉体に縛られ、その内部で絶え間なく起こっている生命科学反応に振り回されてこその人生である。
そのこと自体に悔いはないが、ただ、脆弱すぎる肉体に、余りにも強大な力を持って生まれてしまった件については、グチの一つも言いたい。
つまり。
「何で、俺やねん。」と。
「あらあら、今更反抗期ですか?」
「ええんや。一生ガキで。」
「無いものねだりなど、およしなさいませな。みっとものうございますよ。所詮、あなたはあなた。あるがままに。」
ほほほ、と笑い飛ばされた。
まあ大体こうなる。
「結局それか…。」
愛だとか、執着だとか、いまだに自分でも理解など出来はしない。
理解できる日が果たして来るのやら。
脳疲労のあまりグッタリと椅子に沈み込みながらも、妻に強烈な欲望を感じる自分に冷笑を禁じ得ない。
あの肌の感触。匂い。濡れた睫毛。甘い吐息。
折れそうにしなる身体。
ひんやりした長い黒髪と、熱い頬。
俺を求めながら必死に抗う時の、首筋から鎖骨のライン。
彼女の中に入った時の、あの…
アホか、俺。
幾つやねん?ティーンエイジャーやあるまいし?
これやから、色魔とか言われるんや。
他に考えること、ないんかい。
あー。もうどうでもええわ。
帰りたい。今すぐ。
千絵。
「お仕事の時間ですわ、マスター。」
無情な声と共に、容赦なくヘッドセットが
装着された。
次回も宜しくお願いします!