エドの受難
「へえ、そんなことがねえ。」
夕暮れの曠野である。
手近な石に腰掛けたエドと、対するはアリスであった。
今回はドレス姿ではなくて、マニッシュなピンストライブのスーツに大きめのサングラス。
黄色っぽい金髪はシニョンに結い上げられて、オレンジの夕日に染まっている。
周辺には見渡す限り、人工物らしきものはない。
エドは有質量弾を使用するタイプの銃器を分解清掃中である。銃身はようやく作業が可能な程度に冷えてきていた。
過熱の原因は、2人の周辺に転がった魔獣の死体が物語っている。
想定内とはいえ、まあまあ激しい戦闘ではあった。
2人だけで、バックアップはない。
アリスがいれば、他の戦闘要員は却って足手まといだろうが、事後処理にはどうしても人員が要る。だから、待っているのだ。
地元の連邦駐留軍を。
この辺りは戦争で崩壊した秩序が回復せぬままに、今も危なっかしいポリティカルバランスに翻弄され続け、駐留軍を引き揚げることができない。
現地警察も軍もまともに機能していないから、駐留軍はそれらの仕事も兼務していたし、援助物資の配布作業も継続中だ。
だから、軍は忙しい。
リマノから来た司法省監察官の要請でも、こんな人里離れた場所まで来るには時間がかかる。
疲れて物憂げな態度のエドとは対照的に、アリスは平常運転中である。
徒然の雑談の話題は、あのユニコーンが月の宮で仕出かしたあれこれで、もっぱらアリスが話していた。
「しかしよアリス、そんな物騒なユニコーンを、どうやってとっ捕まえたんだろうなあ?」
「それなんですけれど。ある伝説に依れば、ユニコーンは聖力をもつ女性の血を口にすると、酩酊状態に陥るとか。」
「なんだそりゃ?」
「少し気になることがありますの。」
「おお?」
アリスことラグナロクが気になると言うならば、何かある。何か良からぬことが。
「そういやあの坊主、訳がわからなくなって、気が付いたら首輪をつけられていたとか言ってたらしいな?」
そこまではエドも聞いていた。
「そうですわ。それでねエド、あの聖女騒ぎを覚えてるでしょ?」
「ああ。」
エド自身、完全に無関係とはいえない騒ぎだった。かつての疫病に倒れた死者たちと司法省モルグに収容されていた遺体のうち、推定15000人分以上の霊が昇天した件である。
犯人、というか、それを仕出かしたのは盟主正妃だが、その事実については当局は沈黙を守っている。
「あの時、自称他称の聖女とやらが大量に出現しました。」
「あー、湧いたなあ。」
どんなメリットがあるのかイマイチ分からないが、雨後のタケノコよろしく聖女が大勢現れたのだ。
「その聖女達の失踪が続いてましたの。」
「…何人だ?」
「私が把握している数で、10人。」
ということは、自薦他薦の聖女とやらだけで10人。
「アリス、その失踪者の中に本物の聖女はいるのか?」
「本物と形容すべきか分かりませんが、ある程度以上の聖力の持ち主が失踪していますわね。無論、姫様とは比較になりませんけど。」
「能力は弱くても、数がいりゃ使い道があるってか?」
アリスは頷く。
聖女と名乗る者は、連邦全土ならば数百人以上はいる。
これは一種のブームである。
当初はリマノ界隈の、ピンポイントのブームだったのだが、あっという間に連邦全土へと飛び火していった。
たった数百人では、連邦の巨大な人口からすると、大海にこぼれた一滴の水ほどの量にもならない。しかも、それなりに力を示すことが必要だから、詐欺でもある程度の仕込みが要る。
聖女を名乗る動機の大半は、売名だとか、宗教団体の箔付けのためだろう。
それでも申し訳程度の能力がなければ、初めから聖女を名乗るには無理がある。
詐称がバレて大恥をかいたり、社会的に抹殺されるのは、まだいい方だ。
聖力を崇め奉る土地柄ならば、神聖冒涜と看做され、生命を持って償わなければならないことさえある。
連邦は広大だ。
未だに古の信仰が息づく地方は多い。
だが。
「失踪した聖女達は、どうなったと思うんだい、アリス?」
「あなたの考えと同じよ、エド。」
いやます疲労感に、エドはふと笑う。
面白さなどかけらもない笑いだ。
「運が良けりゃ生きてるかも、か。当然運が悪かった者もいるはずだよな。」
「あの坊やはね、災害級ユニコーンの中でも群を抜いて危険な個体だそうよ。それを捕獲するには、よっぽど強力な媚薬を用意したのでしょうね。」
「ああ。」
エドは天を仰いだ。
生き血を抜いて濃縮したのか?
月の宮なら、どんな危険な動物も飼い馴らせようが、シャバではそうは行くまい。
全く、何でまた魔獣を捕えようなどと考えつくのだろうか。改めて人間という奴の罪深さを感じる。
金のためなのは既に調べがついているが、関係した組織の洗い出しは端緒についたばかりだった。
ユニコーン用媚薬の件も、そのうち証拠が挙がるかも知れないが、最悪は迷宮入りとなる恐れがあった。
どっちにしても、死んだ者は還らない。
「しかし、アリス、千絵ちゃんは大丈夫なのか?あの坊主はそーとーヤバいウマなんだろ?」
「問題なくてよ。龍一様が仰るには、あの坊やは自ら進んで隷属のくびきを付けたのだから、絶対に姫様を裏切ったり、傷つけたりする事はないのですって。」
「あー。理屈は知らんが、アイツがそう言うならそうか。」
「多分ね。あら?」
アリスが、人間みたいに首を傾げた。
「ん?駐留軍か?何も聞こえんが。」
「…巡航ミサイル、かしら。」
「はああっ?」
エドは武器のストラップを肩に引っ掛けて立ち上がる。
冗談じゃねえっ!こちとら、大概疲れ切ってんだって、ああもう、勘弁して!
しっかし、ミサイルだと?
ありえねーわっ!けど。
まあ、アリスが言うならそうなんだろな。
「ミサイル自体は無力化したけど、地方行政府その他で何か起きているみたいね。緊急ゲートオープン。至急、ここの首都に向かいますわよ。」
「へいへい。」
もう、どうにでもしてくれ。
オレっち、休暇中だったよなあ、確か。
まあな。連邦司法省は、加盟国の全てにおいて捜査権があるよな。
けどよー、ミサイルってな軍の管轄だろ?
駐留軍は何やってんだってハナシ。
まあ、コイツにゃ言うだけムダだがな。
エドの受難はまだまだ続きそうだ。
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