トラブルメーカーは触手がお嫌い
「はい?あのう、拾ったって仰いましたか、姫様?」
「ええ、サーニ。」
月の宮の小サロンである。
万事簡素なしつらえの部屋が多いこの宮だが、この部屋は誰が見ても豪華な造りである。品よくまとめられたタペストリーや絨毯、カーテンは、農紺と金を基調としていた。黒の宮が掛けた椅子もまた、同じトーンで、豪華な意匠に彩られていた。
ソファに座った正妃の膝に頭を預けているのは、例のユニコーンである。
青い宝玉の目は夢見るように閉じられ、長い尾とタテガミは、彼の身体から溢れ出た清水が、そのまま凍りついたかのごとく床を這っていた。
体毛の全てと、長大なツノは、僅かながら燐光をまとっている。
美と幻想を余すところなく体現したその姿は、目にしたものの至福ともなろう。
が。サー二は呆れた表情を隠さない。
ついさっき、この「ウマ」と一悶着あったばかりなのだ。
なんなの、コイツ!
綺麗なのは認めるけど!
拾った、てすって?
つまり、野良ウマよ、野良馬!
サーニは、かなり怒っていた。
だから野生馬、という普通の形容すら浮かばない。
今にも飛びかかりそうな目付きでユニコーンを睨みつけるサーニ。
そこへ、フランツ・リュートベリが息せき切って飛び込んできた。
「ユニコーンはこちらですかっ?」
「ええ、フランツ。あ、彼は基本男性が嫌いみたいだから、触ったらダメよ。」
「姫様、し、しかしながら!」
「やめとけフランツ。ユニコーンというのは実に凶暴だ。特にこいつはな。」
「レヴィさままで!」
興奮に頬を染めて、赤い目をルビーさながらに輝かせる彼。
ユニコーンに出会ってしまった魔獣生態学者を止められるものなどいない。
突っ立ったまま両手を握ったり開いたり、熱狂しながらも冷徹極まりない視線は、レーザー光線でも発射しそうである。
もしくは、レントゲン撮影さえ可能な勢いだが、ユニコーンは、チラリと彼を見て、バカにしたように目を逸らした。
お気に召してはいないようだ。
「リュー、ほんとに触らない方が良いと思うわ。」
見かねたサーニが声をかける。
「あ、居たんだサーニ。」
「は…?」
気がついていなかった?まさか?
た、たしか、私たち、結婚したんじゃ?
いわゆる新婚、じゃない?
ゆ、昨夜だって、あんなに情熱的に…
何か言いたいのに言葉が出て来ない。
「ちょっと、その言い方ないでしょ、カルルス卿!」
「姫様?」
何で怒られるんだろう、と、一瞬で我に返るリューである。彼は三男だが、リマノ貴族の権門の出で、公式の場ではカルルス卿と呼ばれる。しかし、普段正妃からはリューと呼ばれていた。
「あの…?」
「居たんだ、って何?サーニはあなたの妻よね?」
「あ…ご、ごめんサーニ。そんなつもりじゃなくて。」
正妃と、サーニを交互に見ながら、彼はようやく失態に気付いた。
どうフォローしようか?
「まあまあ。フランツは、最初からそこの生き物しか目に入ってなかった。俺と千絵は、声を掛けたから返事はしたが、それでも俺たちの方はちらっとも見なかっただろう?」
「だから何?龍ちゃんが私にこんな態度とったら許さないわ。」
「だろうな。しかし、何故お前はそんなモノを拾ってくるかな?外見など、お前には大した意味はあるまい。」
彼女は、事物事象の本質を見る。
どんな擬態もその力の前には意味がない。
そして、この世にも美しい巨大馬の本質ときたら…。
「だって、この子行くところがないわ。」
黒の宮は、天井を仰いでため息をついた。
「だからといって。」
「あのまま置いといたら、自力で首輪なんか外してしまうわ。そうしたら、周囲に被害が出る。凶暴ってみんな言うけど、それがこの子の本質。」
「その通りだが、サーニが怒るのは当たり前だ。」
「石庭園をメチャクチャにしたこと?」
「それは構わん。あれはナノマシーンで出来ているから、自己修復する。」
「テラスも、石回廊の柱や手摺もそうでしょ?あ、サロンのドアも。」
ユニコーンは、ドアを開けるのが面倒だったらしい。今残っているのは、ぶち破られたドアの残骸だけだった。
「まあな。本来なら修復以前に傷つきもしないはずだが、そんな事はいい。こいつは災害級の魔獣だし、こいつの本性からすれば、これでも充分気を使ってはいるんだろうな。東屋を破壊して回った件もまあ大目に見るが、サーニの菜園を食い荒らしたのはやり過ぎだ。」
ユニコーンは、青い目を見開き、殊勝なフリをする。
黒の宮の力を把握しているわけではないものの、絶対に逆らっていけない相手なのは知っていた。ここは、そういう存在が多すぎる。
あの厄介な首輪を斬った男はもちろんだが、ちっぽけな黒猫とか、人型の金髪の男とか、光だか人だか蛇だかよくわからない、神出鬼没のアレとか。
ユニコーンとて、生き物である。
生存本能はしっかりあるのだ。
「ごめん、サーニ。また僕の悪い癖が出ちゃったね。だけど、あの菜園って、君が大事にしてたのに。残念だ。」
「リュー…」
涙が出そうになって、サー二はぐっとこらえる。
「また育てるわ。ここでしか育たないものが多いから。」
「サーニ…。」
黒の宮は、見つめ合う2人から、ユニコーンに視線を移した。
「破壊はもう充分だろう、おまえ。今度やったら、アビスプリンガーにお前の処理を頼むから、そのつもりでな。」
ユニコーンは、キョトンとした。
何、それ?
黒の宮はニヤリと笑う。
「池にいる、でっかい貝だ。全ての池は繋がって、異界に続く地底湖に続いているんだが、そこにヤツはいる。もう触手にはあったか?黒くて巨大なやつだ。そう言えば馬が好物だったかな。」
あいつ!あの触手!
ユニコーンは、ぞくっと身震いした。
アレは、やばい。軟体動物は大嫌いだ。
コクコクと頷いた。
あれが、貝?どんな貝なんだ?
とにかく生理的にムリ!
「あら、この子怯えてる。」
ブルブルと震えるユニコーンを尻目に、食いついたのは魔獣生態学者である。
「れ、レヴィさま!アレって、貝なんですか?」
「おや、知らなかったか、フランツ?」
「繋がってるとは思ってましたが…」
「前は一回り小さかったんだがなあ。エサのせいか、最近成長してな。」
少し遠い目で、黒の宮はため息をついた。アビスプリンガーは、ほぼ何でも食べる生き物だが、ここ数年は押し寄せる暗殺部隊の死体や、その装備が餌になることが多いのだ。
ガーディアンドラゴンたちは、アビスプリンガーを、便利な廃品処理係だと思っている。
「叔父様、あれって、ゲートキーパーなんでしょ?」
「そうだ。だが、トラブルメーカーの処理には長けているな。」
黒の宮の視線に、ユニコーンはさらに縮み上がった。凶暴かつ傲慢な生き物ではあるが、苦手なものはある。
「良い子ね。でも、おいたが過ぎたら、叔父様にお仕置きしてもらうわよ。」
にっこり笑った正妃にダメ出しされた。
彼の大好きな、唯一無二の聖女さまに。
もとより逆らう気などない。
理屈ではない、彼女は、彼の全てなのだ。
それがユニコーンという生き物の性であり存在意義なのだから。
だから、魔獣でありながら神獣とも呼ばれる。
「さあ、それじゃあなたも、ここのルールを守ってね。最初のルールはね…」
かくして、散々暴れまわった宮の新しい住人のレクチャーが始まった。
次回もお付き合い宜しくお願いします。