蒼空の奔馬
「あらあら。物騒なこと。」
ほほほ、と軽い笑い声をあげたのはアリスである。
「だめよ坊や。自爆なんて、皆さんにご迷惑です。」
その場に崩れ落ち、固まってしまったコンシェルジュ。
スイッチには何の反応もなかった。
エドは彼の様子に、今更ながら自分の直感が正しいことを確認した。
「アリス、自爆ってどの規模の?」
「このホテルは倒壊するでしょうね。爆発物は、建設当初から仕掛けられていたようです。大量殺人未遂ですわ。」
天気の話でもするかのような口調である。
「この階どころじゃねえってことかよ。無茶してくれるぜ。」
一瞬静まり返った会場から、押し殺したざわめきが上がった。
それなりに裕福だったり、権力があったりする連中だろうが、建物が爆発して崩れたりしたら、多少の防御力は無駄である。
今までは、我関せずと傍観を決め込んでいたのだが、これは話が違う。
1人の男が立ち上がり、ブースから出た。
「どういうことだ、捜査官!オークションハウスが、我々を殺そうとしたということかね?」
「そういうこった。」
「馬鹿なっ!」
「あー、まあそういう成り行きなんで、アンタらが知っていることは、素直に話してくれた方がいいだろな。」
「まもなく、この建物を制圧するための連合軍と、行政官たちが到着しますので、皆さん宜しくね。その前に、お迎えしなければならない方がありますけど。」
後半の言葉は、エドにだけこっそり伝えられた。
「んん?」
「でも、時差が。リマノは夜ですから。」
ほう、とため息。
「あー。アイツ、ぜってー付いてくるだろな。…おい、坊主、もう心配はいらねえ。お前が何なのか俺にゃわからんが、これから来る姉ちゃんなら、悪いようにはしないからな。まあ、ちっと、お邪魔虫が付いてるが。」
少年が大きく目を見開いた。
同時に、エドの背後から、聞き慣れた声が降ってくる。
「お邪魔虫で悪かったな、エド。」
「よう。状況は?」
「聞いた、というか、見ていた。面白いことが起きそうだと言われてな。」
「あー。」
エドは涼しい顔のアリス=ラグナロクをチラリと見た。
どこから実況してやがったんだコイツ?
たく、油断も隙もありゃしねー。
しかし、まあ、こうなるわな。
今更ため息も出ないが、室内は完全に動きを止めている。
ブースから出てきた客の男も、床に崩れ落ちたコンシェルジュも、傍に控えていたオークショニアも。
ただただ驚愕に目を見開いたまま、微動だにしない。いや、出来ない。
簡素なシャツと装飾のないスラックス姿の盟主は、素顔である。
舞台挨拶の生配信からこちら、誰もがネットでこの顔を見ない日はないだろう。
今の彼は、カケラほどの神気すら漏らしていないものの、存在感は圧倒的だ。
だから皆、彼の後ろからひょこっと現れた少女…ではなく正妃の姿に気づくのが遅れた訳だが。
さらりと流れる長い漆黒の髪。
簡素な部屋着姿にノーメークのアイス・ドール。
彼女は室内の様子になど目もくれず、あの男の子の前にしゃがんだ。
彼は、魅せられたように、彼女の目を見つめている。
「初めまして。あなた、私の所にくる?」
彼女の声に、少年は微笑んだ。
まるで、彼の小さな全身から光が溢れるような、そんな微笑。
彼は、大人の様に膝を折り跪く。
差し出された正妃の手の甲に唇を触れて。
「どうかお連れ下さい、聖女さま。ぼくはあなたのものです。」
揺るがない視線。正妃は微笑んだ。
「…それでよいのか?」
盟主の問いかけに、少年は強く頷く。
「わかった。」
静かな声と共に、白い光が一閃した。
ゴトっと重い音がして、両断された首輪が床に落ちる。
そして。
「そんな…。」
信じられない、という誰かの呟き。
少年がいた場所に膝を折っていたのは、一頭のユニコーンだった。
数日後。
緑濃い高原のコンドミニアムである。
エドガー・カリスは、風が通るウッドデッキのハンモックに揺られていた。
「なあ、アリス、アンタあの子がユニコーンだと知ってたのかい?」
半袖にショートパンツ姿のアリスは、エドに飲み物を手渡す。
「いいえ。あなたこそどうなんですか?」
「んー。」
一口飲んで、エドは首を傾げる。
「わかる訳ないだろが。ただ、人間じゃないことは何となく感じてたかなあ。」
「何となく?」
「あの首輪な。よくあるやつだが、ちっと引っかかったんた。連邦刑務所で使われてるタイプと似てた。魔力のある重罪犯用のな。」
「ですわね。私もそこが気になっていたのです。しかも、あれは正規品ではありませんでした。魔力抑制効果が桁違いに大きいタイプで、特注品です。ですから、姫様を呼びました。ご存知、エド?ユニコーンって、とても凶暴な生き物だってこと。」
エドは頷く。アカデミーで習った。
ユニコーンは、災害級魔獣である。
実際に出会った人間はほとんどいないし、伝説の神獣扱いされてはいるが、望んで遭遇したいようなシロモノじゃない。
あの美しい姿…、氷河深部の青を秘めた、純白の毛並み。大型の馬より一回り大きな体躯と、優に2m近い、青銀の角。地につかんばかりの長いたてがみと尾。
だが、そんなものはただのまやかしだ。
強い魔力と知性をもつ奔馬。
中でも蒼白の個体は、天空を駆けるというが…?
孤高の猛獣とも称されるのがユニコーン。
数多の美しい伝説の陰で、こんな話も語り継がれている。
聖女の力を持つ処女の生き血だけが、この奔馬を鎮める力を持つのだ、と。
彼女は聖女かもしれないが、絶対処女じゃない。彼女を見るリュウ、あの鬼畜ヤローの目つきと来たら!
だが、あのユニコーンのガキ、蕩けそうな目で千絵ちゃんを見てたよなあ。
ありゃ、懐いたとかってレベルじゃねえ。
黒猫少尉がリュウを見る目みたいだった。
大丈夫かね、アレ?
ま、彼女の夫であるあいつが許したなら、危険はないんだろうが、正直オレにゃわからん。
何やら物騒な予感はするが。
「それより、悪かったな、アリス。アンタの計画を邪魔する形になっちまってさ。そんなつもりじゃなかったんだ。」
「あら、大丈夫よ。建物内に捕らえられていたサキュバスたちは確保しましたし、人身売買の被害者も数人見つかったわ。結果オーライ、ね。」
まあ、それなら良いか。
「さて。報告書は私が書くとして、ねえダーリン、まだこの事件、終わっていませんわ。」
ダーリン?!誰が誰の!
そう突っ込みたいエドだが、アリスを喜ばせるだけだと分かっているから、ここはスルーするしかないのだ。
何食わぬ顔で返す。
「確かに終わっちゃいねえ。で、次はどこへお供致しましょうか、マダム?」
「あら、殊勝だこと。それじゃ、すぐに出発しましょう。」
と、アリスは立ち上がった。にっこり笑って、エドの手を取る。
「えっ?!待て!今ってこと?」
「善は急げと言いますわ。」
エド・カリスの受難は当分おわりそうもない。
いつもお付き合い下さっている皆様、ありがとうございます。
次回も宜しくお願い致します。