アリスの想定外
静まり返るオークション会場に、金色の光がはじけた。
連邦司法省のシンボルである、黄金のドラゴンのエンブレムが展開されたのだ。これは単なる身分証提示ではない。
任意の範囲が物理障壁で隔離された合図でもある。
「責任者は?」
エドの声に応えて、カーテンからあのオークショニアが進み出た。
「私ですが、失礼ながらこれはどういうことか、ご説明頂けますか?」
慇懃無礼を絵に描いたような態度である。
だが、エドは彼を無視した。
代わりに、少年の前に屈んで、全身をざっと点検する。あちこちに小さな傷があるものの、目立つ怪我はなさそうだ。
だが、さっき少年の姿を見た瞬間、エドは我を忘れた。その原因というのが最悪だった。
少年の首には、金属製の首輪が嵌められていたのだ。
この種のものを、エドはよく知っている。
人身売買の現場で、何度も目にしたことがあるのだ。
「大丈夫か?」
少年はこくりと頷いた。髪と目はごく明るいブラウン。やや痩せ過ぎだが、精神に深い傷害を負ってはいなさそうで、少しほっとする。
エドが戦時中摘発した人身売買組織で商品として扱われていた子供達のうち、少なくないパーセンテージが心身に深刻な傷を持っていた。戦後4年目とはいうものの、回復の目処すら立たないものは多い。
時代のせいだが、つまりは人間のせい。
身勝手な大人たちのせいに他ならない。
「私を無視されるんですか、捜査官?これはどういうことかと、そうお聞きしているんですが?」
エドは男を見ようともしなかった。
「俺は、責任者を出せと言っている。」
冷たい鋼の声に、男は一瞬怯んだが、さらに慇懃無礼に食い下がった。
「ですから、私が…」
「黙れ。お前のような下っ端に用はない。さっさと責任者を出せ。」
こいつが責任者てないことなど、最初からわかっている。なるほど、押し出しこそ悪くないが、それだけだ。こいつは明らかに下っ端に過ぎない。エドの勘と経験がそう言っていた。
だが、この種のオークションではトラブルが付きものだから、ある程度の現場裁量権を持ったものが必ず近くにいるはずだ。
案の定。
「手違いをお詫びします。」
そう言って進み出たのは、あの案内係のコンシェルジュだった。
若く、軽薄なムードが持ち味と見える。
が、この場でのトップは、確かにこの男だろう。
「その子供は、私どもの被保護者でして、戦争孤児です。お客様の前に出る予定はなかったのですが。手違いと申し上げたのはそこです。無論、書類は揃っています。」
男は滑らかな口調で話しながら、エドを値踏みしていた。
金か、圧力か、どんな名前を出せばこの場を穏便に済ませられるか。
オークションでの禁制品の取り扱いはバレた訳ではないから、大したことにはなる訳がない、と、タカを括っていることは知っている。
少年に首輪を付けていた件についても、どうとでも言い逃れが効くと思っているだろう。
だが。
「書類、見せて貰おうか。」
「はい。只今。」
コンシェルジュの目配せで、オークショニアがカーテン裏に去り、間も無く数枚の紙片を持って来た。
エドは、目を通さずに、右から左へアリスに手渡した。
「戦争のためにデータが失われましてね、幸い原始的な紙媒体がまだ使用されている自治体で、助かりました。」
自信満々の様子だ。子供の出生記録と、養子縁組の書類一式だろう。
書類が真正なはずはないが、紙媒体しかないと照会に時間がかかる。
原本が戦火などで失われていれば、照会自体が不可能な場合もある。
眺めたくらいで何がわかる、と、男の表情が言っていた。
あんたにゃ気の毒だが、アリスにとっちゃそれが偽造かどうかなんぞ、簡単にわかっちまうんだ、と、エドは皮肉に思う。
「デュラハン監察官、どうですか?」
さらりとアリスにバトンを渡した。
案の定。
「これは偽物ですわね。この印章ですが、使用されていたのは10年以上前です。書類によればこの少年は5歳。従って、出生証明は虚偽ですわ。という事は、その後の書類は全て効果のない物です。」
「だとさ。」
男は明らかに怯んだが、まだまだ諦める気はないようだ。
「そんな馬鹿な!出生届は、この子が持っていた物です。どうしてそんなことになったかは、私どもで責任を持って究明しなければなりません。」
ほう、そう来たか。
なかなかの名演技だが、詰めが甘すぎる。
つまりは、絶対にこの子を手放したくはないということらしい。
ふと、疑念が兆した。
これは、単なる人身売買じゃないのか?
改めて少年を観察する。可愛らしい顔立ちではあるが、飛び抜けて美しい子供という訳じゃない。
特殊な遺伝形質を持っているか、身代金が期待できるとか?
理由は不明ながら、どうやらここでは非常に高価な商品と目されているようだ。
コンシェルジュは必死の演技を続けているが、目の奥には明らかに焦りが見える。
それと、恐怖?
この魔獣オークションはいい金になるのだろうし、当局の手が入る事になれば痛手には違いない。しかしながら、主催者にとっては致命的な程の打撃ではないだろう。
だが、それにしてはこの男の焦りと恐怖は尋常じゃない。
問題はオークションどころではなく…
エドの表情が引き締まる。
「監察官。連邦司法省法第198条第1項の適用を申請します。」
さあ、どうする?
これは、伝家の宝刀とも言うべき条文である。司法省特別捜査官が、連邦の秩序の根幹にかかわる緊急事態に直面した場合、省庁の枠を超えて緊急支援を要請できるという内容だが、滅多に使用されることはない。
空振りならば、良くても失職。
過失があると認定されれば、更に罰金や収監などのペナルティが科される。
「申請は受理されました。」
アリスが淡々と告げた。
一方で、コンシェルジュの顔は明らかに青褪めた。連邦法のその条文が意味するところは携帯情報端末が教えてくれたのだ。
そう、彼は非常に焦っていた。
追い詰められた野生動物のように。
もし子供を奪われるようなことがあれば、先ず自分の命はない。いや、自分の命だけで済むはずはないだろう。
そもそも、この子供は今回のオークションとは何の関係もなかったのに。
買い手は既に決まっており、金額交渉の間だけ預かる、とオーナーから言われていたのだ。
つまりオーナーより上の人物からの預かり物ということである。
こうなっては、どうせもう自分の命はない。
ならば。
男は目を閉じて、携帯端末のあるスイッチに指を掛けた。
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