ロイヤル・キス
アリスに言われて着替えたエドだが、何とも居心地悪い思いを禁じ得なかった。
第一に、この種のフォーマルウェアは着たことがない。
第二に、アリスの用意した衣装はあまりにもジャストフィットしている。
昨今ありふれた、マシーンメイドのオーダー品にはありえないほどの完成度。となれば、その価格は恐ろしいほどに違いない。
これから荒っぽい展開が予想されるというのに、汚したり破れたりしたら?
どうやって採寸したかなど愚問であるが、一体どこで縫製したんだ?
「私の手造りですわ。」
「はあ?」
「専用工房がありますの。」
ということは、地下にあるというマシーンの王国のファクトリーには、縫製部門もあるのだろう。
調理専門の部門があるのは知っていたし、月の宮で供される食事を受け持っているのは知っていた。だから、住み込みだった料理人夫妻が引退しても問題なかったと聞いている。
で、この衣装か…。
まあ、オレじゃ何着たって知れたモンだが、流石だせ、アリス。
椅子の上に片足を乗せて、古式ゆかしいガータベルトにストッキングを固定するアリスの姿は、なんともお見事の一言に尽きた。
これは、見せるための身体である。
「私たち、これからこの建物の地下に向かいますわ。ホムンクルスのオークションに参加するためにね。それ自体は違法な催しではないのですが、これと抱き合わせで少し問題のあるオークションが行われているようですの。」
「どの程度の問題だい?」
「取り扱い商品次第ですわね。魔獣が対象ですから。」
その種のオークションや闇取引は、少し大きな都市では半ば公然と行われている。
エドが生まれ育ったリマノのスラムには、常設の市場まであった。
そこで取引される膨大な種類の動植物については、違法かどうかの線引きが難しい。
既にこの世界で野生化し、世代を重ねて繁殖している種は多かった。仮に毒性があっても、地方によっては昔から、毒抜きして食用に供されてきたものもある。
戦時中、それで命を永らえることができた人々は数多く存在した。
凶暴さで恐れられる魔獣も、ある民族にとっては神の使いだったりする。
だから、異世界からもたらされたという理由で禁止することは現実的でないのだ。
が、厳然たる線引きはある。
知的生物の取引は禁止だ。
対価が金銭だろうと物々交換だろうと、である。
知的か否かとの定義はこれまたややこしいが、例えば以前、月の宮を襲って紫の宮に退治された吸血の妖物は、完全に知的生命体である。
又、エドは知らないが、月の宮の横を流れる川に住んでいる大鰻、シャルもまたこの範疇に属する。川漁師の少年を庇護している、臆病だが力強い生き物である。
ザックリ言って、地球のゴリラとかチンパンジー辺りから上の知力の持ち主ならば、禁制項目に該当しそうだ。
後は、存在自体が甚だしく危険なモノも禁止されている。
空気に触れただけで大爆発を起こしたり、強力な毒素を出す植物。
常に高圧帯電状態で、周囲をプラズマに変えてしまう、一見兎みたいな外見の動物。
全てを焼き尽くそうとする生きた火の玉。死体に入り込み動かして、手当たり次第生あるものを貪る、小さなお玉杓子のような生物。コイツに至っては、繁殖力も爆発的で、一つの村や町を壊滅させた例が良く知られていた。
「私は、リマノの高級娼婦アリス・ゾラ。あなたは私の愛人のエド。宜しくて?」
愛人?下僕だろ、下僕。
「はいはい。承ったぜ、マダム。」
このホテルの地下が会場なら、当然ホテル側がオークションに深く関わっているはずだ。そして、アリスは事前にオークション参加を申し込んでいた。
ならば客室内の様子もビーチでのあれこれも、監視対象だろう。
電磁的監視、か。無意味この上ない。
コイツはその方面じゃ、女神にも等しい存在だ。
皮肉にニヤリとしたものの、その女神だか悪魔だかにいいように扱われている我が身が情けない。
今更傷つくプライドもないが。
「行きますわよ。」
「仰せのままに、マダム。」
真紅のドレス姿に一礼して、エドは彼女をエスコートする。
とはいえ、アリスは長身だ。
更に、10センチはあるピンヒール。
側から見たら、自分は大人の女にぶら下がる小僧っ子にしか見えないだろう。
まあ、いいか。
年齢の差は、それどころじゃない。
遥か古のご先祖様がアリス、いや、ラグナロクにまみえたことがあったかもな。
アリスはフロントのアンドロイド嬢から一枚のカードキーを受け取った。
かなりの高級モデルだが、エドは彼女が人間だとは一瞬も思わない。だが、このクラスにでも騙される人間は多い。
ホムンクルスは更に美しい外見と、性的機能に特化したモデルだから、それと疑似恋愛関係に陥る者もいる。
罪作りな話だが、結局それを造ったのは人間だ、と彼は密かにため息をつく。
カードキーをエレベーターで使用すると、回数表示のなかった場所に光点が現れる。
お決まりの仕様である。
アリスがそれに指をかざす。
エレベーターは、降下を始めた。
ドアが開くと、そこは廊下に面していた。
客室階と同じ幅の廊下だが、正面に客室のドアはなく、代わりに壁面は透明な材質だった。その先は、階数にして1階分ばかり低い広間のようだ。見下ろすと中央に少し高いステージがあり、それを囲むように客席が配置されている。
待ち構えていた案内係に先導され廊下を進んでいく。
透明な壁に透明なドア。そこを抜けて緩やかな階段を降りると、客席の外れである。
案内された席に座る。
周囲の席は、三分の一ばかり埋まっていたが、どの客も金を持て余した連中かその連れのようだ。
連れは愛人がアクセサリーか、アンドロイドもチラホラいる。だがまあ、アリスはやはり別格である。明らかに彼女に見惚れる視線は多い。
ついでにエドを見て、訝しんでいるのが丸わかりだ。
あの美女が、なんだってあんな冴えないのをつれてるんだ、とまあ、わざわざ聞くまでもない感想を視線に込めて。
ああ実につまらん。
見上げると、ステージのずっと上には巨大な立体スクリーンがある。今映し出されているのはこのホテルの宣伝映像のようだ。
ロビーや客室、プール、ジム、バー、プライベートビーチ。
ぼんやり眺めていると、突然、見慣れた顔が映し出され、エドはギョッとした。
「ニュースですわ。」
落ち着き払ったアリスの声に頷く。
まあ、そうだろうな。しかし…。
客たちがざわつく。
今まで、スクリーンになど全く注意していなかった客の大半が、今は上を見上げていた。アリスがこの場で別格の美貌の主ならば、それを超える圧倒的な美。
短い映像が終わり、人々は夢から覚めようとする人のように首を振り、連れと目を見交わしていた。
信じられない、と呟く者。
あれが。まさか。何という…。
「あの野郎、人間離れして器用なんだが、とことん不器用な奴だと思うのは、俺だけかいマダム?」
「いいえ。その見方は正しいと思うわ。」
アリス=ラグナロクの声は微笑を含んでいる。まるで幼子を慈しむ聖母のように。
人々はたった今目にした、盟主とその正妃とのキスシーンの夢から、中々覚めがたい様子である。
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