ヲタク令嬢にメルヘンは似合わない!?
それは、ほんの一瞬。
サーニは、唇に硬い感触を感じた。
嘴、よね。これで、ミッションクリアよ。
なーんだ、なんてことないじゃない?
楽勝!・・・えっ?こ、これって?
硬い感触は、ほんの一瞬だったが、今彼女の唇が触れているものは?
や、柔らかい。
柔らかくて、甘い・・・?
開きかけた目が、自然に閉じる。
力強い腕が肩に回され、大きな手が後頭部を支えていて・・・。
ま、待ってっ!!
サーニは、反射的に両手を前に突き出した。相手を突き放したその反動で、自分が後方へ倒れ込む。あわやテーブルにぶつかる、と思ったその瞬間、力強い腕が彼女を掬い上げて、そのまま元の椅子にストンと着地させた。
「おじさま、お見事ですわ。」
妃がパチパチと拍手する。
サーニは、は閉じていた目を開けた。
そして、目を開けたことを後悔した。
な、な、何でハダカなの、リュー⁈
向かいの椅子に掛けていたのは、ナイチンゲールではなくて、間違いなくカルルス家の三男坊である。
サーニの幼馴染。
彼は、全裸だった。
柔らかそうな、ミルクチョコレート色の髪と、色白の肌。青い目・・・はい?
青?なぜ?そんなはずないじゃない!!
「リ、リュー、あなた目の色が変だわ。」
サーニは、思わず前へ出た。
全裸のリューににじり寄って、その顔を覗き込む。
おかしい、絶対おかしいわ。
リューの目の色は、赤よ。
綺麗なフサスグリの赤。大好きだった色。
それがどうしてこうなった?
「龍ちゃん、そうなの?」
妃の言葉に、盟主は頷いた。
「直接の面識はないが、カルルス卿の目の色は珍しい。一族の誰とも違っている。」
「叔父様、これって、どういうこと?」
首なし幽霊は、腕組みして椅子に凭れた。
「いくつか仮説はあるが、最も蓋然性が高いのは、コレクションだろうな。まあ、今のところ命に別状はないだろう。それより龍一、お前まさか、ラグナとダイレクトリンクを?」
ラグナロク、通称ラグナは、連邦のメインコンピュータのハードウェアそのものであり、更にAIの名称でもある。
それは自己改変と進化の能力を与えられたモンスターAIだ。その目と耳は事実上、リマノはもとより、連邦加盟国の至るところに張り巡らされていた。
公式には伏せられているが、ラグナロクは
リンク可能な全てのAIを完全支配することができる。つまりそれらのAIがコントロールする外部機器を、自在に操ることが可能なのだ。
だが、そのようなモンスターAIにダイレクトリンクするとはどういうことだろう?
意味がわからない。第一そんなインターフェースがあるはずもないが・・・?
「黙するか。それが答えだな。全く無茶をする。千絵を未亡人にするつもりか?いくらお前のような化け物でも、自殺行為だ。兄上がいれば許すはずもない。」
「俺が決めたことだ。貴方には関係ない、叔父上。」
「ほう?ならば、お前が死んだら、千絵は俺が貰い受けるのも自由。そうだな?」
「ふざけるな。」
低く呟いて、盟主は立ち上がった。
さっきから渦巻いていた剣呑な空気が、一気に物理的な波動を帯びる。それは、ほとんど目に見えるほど強力な力だった。
神気、こ、これが神気なの?
サーニは、なすすべなく震えた。
さすがの彼女にも、どうしようもなかった。息が苦しい。手足がいうことをきかない。皮膚がピリピリする。
威力が、次元が違いすぎるのだ。
魔法ではなく、神族のみが使えるという、超常の力。そのほんのカケラなのに。
盟主は、いつも飄々とした穏やかな人物だが、妃が絡むと、まるで余裕がなくなる。
それにしても、貰い受ける、だなんて!姫さまの気持ちはどうなるのよ!私だって腹が立つのに、龍一さまは、もっとよね。
突然、首なし幽霊が、笑いだした。
腹の底から可笑しくて堪らない、といわんばかりの呵呵大笑だ。
場の緊張がふっと緩む。
サー二には、一体何が起きたかわからなかった。物理的な圧力が緩んだのは、歓迎すべき事態だったが。
「お前たち、本当に面白い侍女を見つけたな。サーニ嬢、俺はこの2人の叔父で、タナトス・レヴァイアサンという。首なし幽霊、ではない。以後よろしく。」
やっぱり、7世陛下?!
信じられない、歴史上の人物だわ!
しかも、ご自身から名乗られた。
あわてて答礼しようとして、サーニはギクリとした。
え?
わ、わたし、これって?
「えーーっ!!!」
さっきの神気に当てられて、自分が何をしているか、完全に記憶が飛んでいた。
リューの目を覗きこんでいたことまでは、覚えていたが、気がつくと彼女はリューの膝の上に横坐りしていて、両腕は、しっかり彼にしがみついていたのだ。
言うまでもなく、彼は全裸である。
全裸って、裸ってコトよね?
ハダカ…?
そ、そんなことより、今は宮にご挨拶しなければっ!
そ、そうよ!
と、いうわけで、彼女はパッと立ち上がった。体のいい思考放棄である。
が、その頬は、真っ赤だった。
ソファーにひとり取り残されたリューが、ひどく残念そうな表情を浮かべていることにも気づかない。
黒の宮にお辞儀して名乗るサーニを尻目に、リューの表情に目を留めた盟主と妃は、視線を交わして頷いた。
妃が、バスローブをそっと彼に手渡す。
リューは赤面しつつありがたく受け取って、そそくさと身に纏った。
「ところで、叔父さま、良い加減その趣味の悪い仮装、おやめになったら?」
首なし幽霊改め、黒の宮は、両腕を広げて
困惑した様子だ。
「俺がやってるわけじゃない。新月の夜は、イタズラものどもが羽目を外すせいだ。
それで、以前の新月の晩に、カルルス卿も被害に遭った訳だ。そうだな?」
リューは頷いた、
「記憶が曖昧で、いつだったかははっきりしませんが、仰る通りその日は新月でした。特に気にしてはいなかったのですが、魔獣や妖物のたぐいは、満月や新月で活性化しやすいようです。」
だから、鳥に変えられた。まるで、メルヘンだわ。しかも、キ、キスで元に戻るだなんて、そんな。
ああダメ、しっかりして、私。
私にメルヘンなんて、似合わない!
それより、さっきから気になっていたことがあるじゃない。
「黒の宮さま、先ほど仰っていた、コレクション、とはどのような意味か、お聞きしても?」
相手は頷いた、ようだ。
「イタズラものの中には、自分が気に入ったものを集めたがる輩がいる。対象が人である場合、その全てを欲するモノもいれば、人体の様々なパーツから記憶や声といった形のないものまで、コレクションの範囲は広い。綺麗なフサスグリの赤、と君が形容した通りの珍しい色なら、興味を惹かれても不思議はないな。」
あれ?何かしら、さっきも引っかかったけど、何か大事なことを忘れているような気がするわね。
まあ、今は置いといて。
「さっき、今のところ命に別状ない、と仰いましたが、それは命にかかわる場合がある、ということでしょうか?」
「ある要素を奪われたということは、彼の一部が、誰かの手にある、ということだ。
知っての通り、魔法や呪術では、これは危険を意味する。」
「そんな・・・。」
サーニは絶句した。姿はほぼ元に戻ったけれど、彼の一部が魔物だか妖物だかの手にあるなんて、到底許せない!
「龍ちゃん、お願い。それと、他に欠損はないわ。」
妃の謎めいた言葉に、盟主は頷いた。
「では、行ってくる。千絵、俺が出たら、念のため結界を。」
「はい。やり過ぎないでね。」
「やれやれ。明日も仕事なんだが、俺より妖物の心配か?」
彼は素早く妻にキスすると、軽い足取りで部屋を後にした。出しなに、叔父を睨みつけるのも忘れなかったようだ。
「あの目付きはないだろう。仮にも実の叔
父に。俺だって傷つく。」
「私を口説こうなんてするからでしょ。」
「冷たいな、姪よ。あいつがああなるのは仕方ないが、それにしても、異常な執着ぶりだ。夜は寝かせてくれないだろう?」
妃の頬に、サッと紅が差した。
黒の宮は、甥とよく似た、優雅かつセクシーな動作で妃の前に屈んだ。
「おお。美しいな。さすが俺の最高傑作だ。なんともそそられる。」
彼女の髪のひと束を指先に絡めて、毛先に軽くキスした、らしい。
間髪入れず、妃の繊手が、黒の宮の頬(?)に飛んだ。
そこには、何もないはずだが、パァンと小気味良い音が響く。平手打ちが命中したようだ。
ど、どうなってるの?
サーニには、何が何だかわからない。思わずリューを見たが、彼もまた、呆気にとられた表情で固まっていた。
神族とは、元々謎に包まれた存在であるが、黒の宮については多くの伝説がある。
彼の在位中、捧げられた命は、歴代盟主中最多だ。彼らの死についてのおぞましい伝説は酸鼻を極めていた。
人類と神族との契約の証として、在位中の盟主は如何なる犯罪行為についても免責されるだけでなく、望みのままの財貨や人間は速やかに提供される。
話半分としても、黒の宮によって奪われた命は数多あった。歴史家は、彼を天才的な為政者であり、凶悪なサディストと言う。
その人物を、平手打ち?
あまつさえ。
妃の両眼にみるみる溢れ出す涙。
彼女の隣に掛けた黒の宮は、その華奢な身体を抱き寄せた。
「分かっている。あいつの無茶は誰にも止められない。お前は自分を責めているが、そんな必要はないんだ。たまには泣け。いつでも付き合ってやるから。」
諦めを滲ませる優しい口調。
彼らには、サーニなどが預かり知らない、深い事情があるのだろう。
まるで、実の親子のよう。
ふと、サーニはそう思った。
「親子、か。そうかもしれないな。千絵と龍一の先祖である神原の一族には、俺の遺伝子が組み込まれている。その遺伝情報が作り出した最高傑作が千絵だから、彼女は俺の娘だとも言えるな。」
と、黒の宮。
なるほど。そんなことが。
あれ?ち、ちょっと待って、私、今、ま、まさかまたっ!!
「あー、それな。この宮の意思だ。君のモノローグは、実に面白かった。」
「わ、わた、ワタクシ、まさか、また考えが口に出てたんでしょうか?」
「そういうことだな。」
黒の宮は、悠然たる仕草で妃の髪を撫でた。
「!!!!」
サー二はまたまた固まった。
悲鳴は声にならない。
つまり、全部、聞かれていた。
リューにも。
全部。
「ご、ごめんね?何かごめん、サーニ。そんなつもりじゃなかったんだ。」
オロオロしているリューをチラリと見て、サーニはソファーにくずおれた。
オワタ。
「そうですわ。私にメルヘンなんて、土台向いていませんもの。」
「そ、それでも僕は君に会えて嬉しかったんだ。ありがとう、サーニ。本当に、僕は君が、君のことが。」
サーニは目を閉じた。
「それは、錯覚よリュー、吊り橋効果だか、お化け屋敷症候群だか、何かそういう類いの。」
「それは違う!僕は、ずっと君が好きだったんだ。君とまた会えて、どんなに嬉しかったか、ねえ、サーニ。」
「ハイハイ。明日になれば、そんなこと言った自分がきっとイヤになるわよ。真夜中のラブレター効果よね。」
「サーニ!そんなわけないよ!」
黒の宮と姪は、顔を見合わせた。
「ふむ。これは前途多難だ。」
「でも、羨ましいわ。青春って感じ。」
頷く2人と、不毛な水掛け論を繰り広げる2人。
新月の夜は、そろそろ真夜中を迎えようとしている。
面白かったら、次回もお付き合いよろしく。