正妃殿下はご機嫌ななめ
舞台挨拶の翌日。
行政府であるところの、通称[宮殿]から帰宅した紫の宮は、珍しいことにサーニとリューに出迎えられた。
「お帰りなさいませ、龍一さま。今日は何か変わったことはありませんでしたか?」
「今のところ何もないが?」
「なら…」
サー二とリューは顔を見合わせた。
目顔で、お互いを牽制しあっているのを見た紫の宮は、はてと首を傾げる。
「どうした、何かあったのか?」
「正門に、行列が。」
「いつもの謁見待ちじゃないのか?」
盟主正妃ブリュンヒルデが、映画[蛇神]の主演女優・水無月れいなであると発表された後、なぜか彼女の人気は逆に高まっているようだった。
元々多い面会希望者が少し増えても、特段の問題はない。
1日に面会を許可する人数は僅かで、身元調査と本人特定は極めて厳格である。
何故なら、それはカイとラグナロクの共同作業だからだし、仮に面会者が突発的な精神錯乱に陥って暴力行為に及んだとしても、カイことドラゴン騎士であるバルト少尉を突破するなど不可能だ。
盟主は、正妃がらみで気になることがあった。それで仕事も早々に切り上げての、早い帰宅となったのだが。
何せ、最愛の妻が、昨夜から口を聞いてくれなかったのだから。
「いえ。あのう、謁見希望というか、結婚希望、というか…」
「…?千絵にか?なぜそうなる?」
若い2人は、再度顔を見合わせた。
リューが代表して答える。
「いいえ。龍一さま、あなたにです。」
「つまり、俺の愛人希望者だと?」
2人は頷く。
「くだらない。その手合いは昔から多いし。」
2人は再び揃って頷いた。そうでしょうね、と顔に書いてある。彼の並外れた美貌なら当然だ。
「それよりサーニ。千絵はなぜ口を聞いてくれないんだろう?俺の愛人希望者トラブルなど、慣れているはずだが?」
サーニは頷いた。
「それで怒っていらっしゃる訳ではないと思います。昨日の舞台挨拶が原因かと。」
「まあ、そうなんだろうなあ。しかし理由はわからん。教えてくれないか。」
サーニは頷いた。ちらっとリューを見て、何故か目を逸らす。頬が赤い。
ああ、この子達は結婚したんだったな。祝いに何を贈ろうか、と微笑ましく思った紫の宮だったが、まずは妻の機嫌が直らなければプレゼントの相談すら出来ないことに気付いてため息をつきたくなった。
神族としてはまだまだ未熟な彼だが、人間としては充分に成熟した大人である。
それが、親子ほど歳の離れた妻の機嫌ひとつに振り回されている。
みっともないし、情けない限りだけれど、
彼にとっての優先順位は揺るがない。
だから、彼女のためならば誰にでも率直に頭を下げる。
彼はかつて、取り返しのつかないミスを犯した。そのせいで彼女は死にかけた。
ストーカーに全身を切り刻まれて。
発見された時、まだ息があったのは奇跡である。
彼女の生命力と強靭な意思、更に先祖から受け継いだ黒の宮由来の遺伝子の潜在的な力が、その奇跡を可能にした。
「姫様は、悲しまれていると思います。」
真っ直ぐに紫の宮の目を見て、サーニは断言する。
「恩知らずな、私たち人間のことを。」
紫の宮は微笑して頷いた。
「ああ。そうだな。だが、それで良いんだよサーニ。俺は化け物だからいいんだ。」
「龍一さまはそう仰ったと、姫様から伺いました。でも私だったら、やっぱり納得出来ないと思います。大好きな家族が、他人の身勝手極まりない感情の生け贄みたいに扱われるなんて、許せません。」
「…俺は医者だ。だけど神族として人々に恐れられる方が、ずっと多くの命を救える。千絵も知っていたはずなんだが。」
「はい。」
サー二は首肯する。
「ですが、今まで側室をもたれなかったことで、女性に興味を持たないお方と思われていた龍一様が、その…映画では、情熱的に女性と関わっておられたことで、攻略対象として認知されたわけですよね。」
「攻略?俺をか?女なら1人で十分だ。俺は金輪際、浮気などしないと思うが?」
サーニは首を横に振る。
正直、じれったい。
「姫様は俳優です。演技をする職業の方ですよね。そのせいもあったのでしょうか、姫様によれば、会場にいた人たちは、誰も姫様の言葉を信じようとしなかったそうです。自分たちに都合の良いこと以外は。」
「つまり?」
「彼らは、姫様が龍一さまにとって、一種のアクセサリーだと解釈したのでしょう。美しい有名女優で、リマノではそのことが知られていなかったから、契約関係で正妃を演じるのに都合が良かった、と。」
「意味がわからない。」
サーニは、少なからぬ苛立ちを覚えた。
ニブすぎですわ、龍一さま!
そう言いそうになる彼女の背中に、つとリューの手が触れる。
こんな時になんなの、と無言で彼を睨んだら、落ち着けとでも言うように、少し困った視線が返ってきた。
それでとりあえず解説を続ける。
「あの映画は、かなりインパクトのある内容だとか。連邦の人たちは、龍一さまが姫様をお育てになった事実は知りません。そこで目の前に、その映画で非人間的で超自然の力を持つ[蛇神]を演じた人物と、その相手役女優が現れたなら、どうしてもお二人の関係を役柄になぞらえてしまうでしょう。まして、龍一さまが紫の宮さまであるならば、姫様は、まさに生贄。
…そうよね、リュー?」
突如話を振られたが、リューは動じることなく頷いて、話を引き取る。
「力関係の問題なのです、龍一さま。誰1人として、龍一様に直接、ご身分やお立場を確認した者はいなかった。恐怖のため、出来なかったんです。」
「そうだろうな。」
「僕は、あの映画を見たことがありますが、姫様が演じたヒロインは、完全に支配されているように見えました。〈蛇神〉によって。」陵辱し続けられ、最後は〈蛇神〉と共に悲劇的な死を迎えるヒロインは、あまりにも美しかったけれど、無力な存在だった。
「たから、千絵が俺の完全な支配下にあるように見えた、と?」
リューは頷く。
「それ以上でしょう。奴隷、という言葉は嫌いですが。」
「千絵はあのシナリオを嫌っていた。」
「姫様なら当然そうですわ、龍一様。だって、お二人の本当のご関係とは違いすぎますから。」
映画の彼は、明らかに愉しんでいたように見えた。だが、これは触れてはならない事実である。
何せ、被害者(?)は、彼のことを、サディストの変態色魔と形容して憚らないし、サルラも似たようなことを言っていたのだから。
「姫様が職業俳優であるから、つまり巫女姫ではあり得ない、と、これも根拠のない誤解ですが、大半の者がそのような印象を受けたはずですわ。まとめると、紫の宮様は女性が嫌いではないが、便宜上、女優に正妃を演じさせている上、超絶美形である、ということになりますわね。映画を見たリューの意見では、とんでもない身体能力をお持ちらしいですし。」
リューか慌てて否定しようとしたところを見れば、その身体能力とは主に性的側面で発揮されるものらしい。テクニックなのか体力なのか、あるいは肉体的造形であるのかは、定かでないが。
「それで求婚者か。面倒だな。」
「でしたら、なぜ記者達の前で姫さまにキスのひとつもなさらなかったのですか?」
「ん?あいつは、俺が人前でそういう振る舞いをすることを嫌ってるからだが…まさか、それが?」
はい正解、とばかりにサー二は頷く。
「時と場合によります。それが姫様がお怒りの原因ですわ!」
「う…。」
「見せつけるべきでしたわ、今回は。そうなさっていれば、この騒ぎにはならなかったでしょうし、こんなの氷山の一角です。龍一さま、ソーシャルネットでもご覧になればいいのに。」
「さ、サーニ、もうそのくらいで…」
「何を狼狽えてるの、リュー。私は事実をお伝えしただけだわ。」
「…そうだな、サーニ。ありがとう、参考になったよ。」
ふう、とため息を一つ、それから世にも華麗な笑みを浮かべて、紫の宮は片手を上げた。そのまま、妃の部屋の方へ向かった後ろ姿が見えなくなると、リューが大きく息を吐いた。
「全く、君にはビックリだ、サーニ。」
「え?私、何もヘンなこと言ってないわ。だいたいね、龍一様ったら、朴念仁に過ぎるのよ。信じられないわ。だってあの外見、あのスペックで!」
「だとしても、それをあの方に指摘するのはきっと君くらいだ。」
「?」
「不思議そうな顔だね。いいんだよ、君はそれで。」
リューは彼女の額にキスして柔らかく笑う。
透き通った赤い目に、楽しげな煌めきが揺れた。
お付き合い頂きありがとうございます!
前作も宜しくお願いします。