舞踏会の終わりと次なる宴の始まり
「サルラったら、悪趣味ね。」
「相手は死霊だ。しかも、なかなか芸が細かいな。」
「あの死霊の女性、叔父様の配下だったひとでしょ?700年前だと、女性官僚って少なかったんじゃない?」
「あの叔父貴が部下の性別など気にすると思うか?能力さえあれば、種族も生死も気にせずに登用しかねん。」
「あー、確かに。」
つまりワニに喰われて見せた女性は、月の宮の再封印時に昇天することを拒否した死霊であり、元々は黒の宮の配下の官僚だったのだ。
そういう者は数多い。
歴史上、最悪のサイコパス暴君と悪名高い黒の宮だが、彼に忠誠を誓い死を超越してまでも近侍せんとする者たちだ。
死霊は通常、この世界に留まり続けると、その人間としての個を失う。
しかし月の宮の結界内ならば、数百年を閲してなお、生前の人格を保つことが可能だった。
「次の曲が始まったぞ。」
「わ、サルラったら!」
怪物の尾がぐるりと翻る。
半回転したその軌跡の射程内にいた者たちは、胴や太腿の辺りを薙ぎ払われ、刈り取られていく葦のごとく吹き飛ばされた。
射程の中央にいたあの男だけが軽々と宙を舞い、容赦ない死の一撃を避けたが、彼を狙った更なる追撃は、3回を数えた。
怪物のステップはどこまでも軽やかで、優雅でさえある。
しかし、その威力は凄まじい。
鎧を纏った大蛇の如く、尾は床を砕き紳士淑女を容赦なく叩き潰す。
吹っ飛んだ者、床に叩きのめされ、胴体を両断された者。
手足、或いは首をもぎ取られた者。
飛び散る血と肉片。
砕け散る床と柱の破片。
パーティは、阿鼻叫喚の地獄絵図に様変わりした、はずだ。
だが。
一瞬、悲鳴と聞こえたのは、歓声だった。
両手があるものは盛大な拍手を惜しまず、
手も口も使えないものさえ、熱狂的な足踏みで賞賛をアピールする。
怪物は、ひらりひらりと攻撃を躱す男を追って右へ左へ、或いは前へ後ろへと華麗に転身する。
アリッサは、男の動きに釘付けだ。
大きく円を描くようにして、彼はホールの奥からアリッサたちの方へと移動したから、だんだんその顔がハッキリと見えてきたのだ。
彼女は興奮に我を忘れた。
何という美貌!
今まで、夢の中ですら見たことがないような完璧な顔だ!ああ、やっぱりこれは運命だわ。どうか、どうか消えないで…!
だがそのとき、陶然とする彼女の腕を掴んだ者がいた。
「アリッサ!!」少し掠れた耳障りな声。
誰よっ!邪魔するな!
悪鬼の形相で振り向いた彼女の目に、リマーニエの引き攣った顔が映る。
青ざめ色を失ったその唇、限界まで見開かれた目。
何か違和感がある。なんだろう?
ああそうか。リマーニエの顔半分に、何かの汚れがついているのだ。
赤い汚れ?イヤだ、まるで血みたい。
外見に人一倍気を使う男がどうしたこと?
濡れて、光って…、え?
みたい、じゃなくてこれは血だ!
なぜ血なんか、怪我をしてるようでもないけど?
背後で、ズシャッと湿った重い音がした。
同時に、飛び散る何かが彼女の肩や頭部に当たる。
鼻腔に広がる生臭さ、鉄錆の臭い、便臭。
え…?
反射的に振り向いた彼女が最後に見たのは、恐ろしい速さでこちらに迫ってくる怪物の、大きく開かれた口だった。
そして、世界は暗転した。
「まあ、こんなものだろう。」
「2人とも、あっけなく意識消失ね。これで舞踏会はお開きだわ。」
「物足りなさそうだな。」
「だって!サーニの気持ちからしたら、この程度じゃ納得出来っこないわ。」
「まあそうだろうな。」
実の娘を売り飛ばそうとした父親と、陰で糸を引いていた愛人である。
どっちも身勝手極まりない動機からだ。
「サーニとフランツ・リュートベリの婚姻届けは無事に受理されたから、父親はもう何も出来まい。彼女は既にカルルス家の一員だからな。」
「リマノ貴族流に言えばね。でも、あの2人に家門なんて関係ないよね。あーあ。」
「どうした?浮かない顔だな?」
「…普通の恋愛がしたい。」
「普通にしてるだろ。」
「どこが?!マジ?早くもボケたの?」
「随分な言われようだ。」
透明な酒のグラスを飲み干して、彼はそれをサイドテーブルに置く。
酒瓶に手を伸ばしたところで、その手は小さな手にそっと押さえられた。
「飲み過ぎ。もう3杯飲んだでしょ。」
「数えてたか。」
彼は酔わない。だが、アルコールへの依存性が全くないわけではなかったし、この酒は酒というか、ほぼ純アルコールに近い。
神族基準でも、ヘルシーな飲み物からは程遠いだろう。
「わかった。これでやめるよ。明日はXデーだからな。」
彼女はさあッと青ざめた。
Xデーとは、あの映画の大々的公開に先立ち、主演女優がネットで舞台挨拶のナマ配信をするイベントの開催日である。
「ええっ?!こんな早くになんて聞いてないっ!」
「俺も付き合うさ。明日は側にいる。」
「…。」
「大丈夫、お前なら出来る。準備なんか要らない。堂々としていろ。」
妻を背後から両腕で抱きしめる。
「俺は、映画のクレジット通りDDで通す。それ以外の名は使わない。」
「私は…水無月れいな。」
「そうだ。」
「…少し緊張してる。俳優のお仕事は久しぶりだから。」
「自分のキャリアを信じろ。誰が何を言おうとどうでもいい。好きに騒がせておけ、今はな。」
彼女は一つ頷いた。
仕事には誇りを持っている。
あのシナリオは今も気に食わないけど、人が求める役割を演じてこそのプロフェッショナルだ。
今だって、凡そ自分に似つかわしくない役を演じるために、ここにいるのだから。
どこまでも演じ切る。
それが当然であり必然だ。
だが、彼女はまだ知らない。
こののち、何でこうなった!? と、繰り返し自問する羽目になることを…。
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