幼馴染み
南無三!
サーニは、両手を合わせた。
視界の大半は、大柄な幽霊の背中で塞がれている。彼は、ゆったりした動作で、一歩室内へ歩み入った。
「あら。」
何とも緊張感に欠ける、妃の声。
サーニは、ドア枠と幽霊の隙間に体をねじ込むようにして、首を伸ばした。
ゆったりした部屋着姿の妃。
彼女は、笑顔だった。
え?
と思うまもなく、妃が動いた。
ええっ!
幽霊に向かって数歩の距離を駆け寄る。
えええーっ???
そのまま、飛び込むようにして首なし幽霊に抱きついたのだ。
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幽霊は、彼女を抱きしめて、その髪をなでる。
「息災か、千絵?」
密やかな、そして優しい声だった。
ん?誰かに似てない、この声?
「ええ。レヴィ叔父さまは?」
ククク、と喉の奥で笑うような声。
「俺を心配するのは、お前くらいだ。」
幽霊は、彼女から身体を離した。
首がないのに、どうやって喋れるんだろう?幽霊って、器用なのね。
「ここのメンテナンスに来てみたら、今夜は新月だったな。失念していた。」
「叔父さまには別に問題ないでしょ。
それで、その方はどなた?」
妃の視線は、ナイチンゲールに向けられている。
首なし幽霊は、チラッとサーニを見た、ような気がした。
「お前の侍女の知り人だ。名は、フランツ・リュートベリ・カルルス。」
妃は、優雅に一礼した。
「ご機嫌よう、カルルス卿。千絵・ブリュンヒルデ・神原・イル・デ・ファシリクス・ド・ディーンズムーアです。ふう、無駄に長い名前ね。いまだに私の名とは思えないわ。」
ナイチンゲールは、くう、と鳴いて頭を下げた。
サーニは、言葉もなく立ち尽くしていた。
リュー?・・そんな、まさか。
リューは学者になったはず。
ナイチンゲールが、リュー?
ありえない。どういうことなの。
フランツ・リュートベリ・カルルスは、サーニの幼馴染である。
家は隣同士だったが、その経済状況は、天と地ほどかけ離れていた。
カルルス家の敷地は、サーニの実家の何十倍あるのか見当もつかない。
隣というが、道路に面した玄関側をのぞくと、残りの3面が全てカルルス家の敷地に囲まれているのだ。
空から見れば、広大なカルルスの屋敷の片隅に放置された、物置小屋のような建物がサーニの実家なのである。
カルルス家は、ダ=リマーニエ家ほどではないが、それなりに古い家柄で、階級はダ=リマーニエよりも上だった。
経済格差だけとっても、普通なら、両家に交流などなかったはずだ。
フランツ・リュートベリは三男で、生まれつきあまり丈夫な方ではなく、成人まで生きるのは難しいと言われていた。
跡取りとそのスペアは既にいたから、彼の両親は、病弱な末息子を、自由に過ごさせることにしたのだ。
敷地内にこぢんまりした別館と温室を建て、彼の住まいとした。
この別館の温室が、文字通りサーニの家の真横にあたり、彼女の部屋からは、温室の贅を凝らした作りと、珍奇で華麗な植物群がよく見えたのだ。
サーニは、今も昔もサーニだった訳で、温室への不法侵入を決行したのは、まあ、当然の成り行きだろう。
かくして、サーニはリューと出会い、すぐに打ち解けた。
サーニの存在はすぐにカルルス家の知るところとなったが、病弱な末息子が他の子供達と交流を持つのは難しく、サーニの身元だけは確かだったから、以後の訪問は公認となったわけだ。
サーニにとっては、カルルス家で振る舞われる極上のおやつとともに、子供時代の数少ない楽しい思い出だった。
だが、そんな交流は、2年ほどで終わりを告げる。サーニが9歳、リューが12歳になった年、彼は遠くの寄宿学校に入学が決まったのだ。
それまでカルルス家では、家庭教師の一軍を雇い入れて、末息子に必要な教育を託していた。
リューは勉学の面で、幼児期から兄弟で最も抜きん出た才能を示したが、学校に通うには健康面で問題があったためだ。
しかし、成長につれその懸念は薄れて、学校生活にも十分耐えられると判断された。
それきり、もう10年近くになる。
遠くから姿を見かけることはあったものの、会話することもなかった。
風の噂で、彼が飛び級で大学院まで修了して、動物生態学の研究の道に進んだとは聞いていた。でもすでに住む世界が違い過ぎたから、連絡をとることはなかった。
「リュー?あなたなの?」
サーニの呼びかけに、ナイチンゲールは片方の翼を上げて、軽く頭を下げた。
くう、と喉の奥で小さく鳴く。
言われてみれば、最初から何となく懐かしい感じはあった。
あれは、既視感だったのか?
「リュー、どうして?」
ナイチンゲールは、緩やかに首を振った。
途方にくれた仕草だ。
なぜこうなったのか、彼自身にもわからないらしい。
「とにかく、皆さん座って。」
と、妃。「叔父様、こちらへ。」
首なし幽霊の腕をとる。まさにその時。
呆然としていたサーニは、ドアが開いたことに気付かなかった。
ふと、風を感じた瞬間。
「り、龍一さま?」
あとの言葉が続かない。
盟主は、抜き身の剣を構えていた。
その切先は、ピタリと幽霊の喉元付近に突きつけられている。微動だにしない剣と、ゾッとするほど冷たい表情。
こんなお顔、見たことない。なんて厳しい表情なのかしら。あら、だけど、首がないのに、どうするおつもり?
「落ち着け、龍一。俺はこの宮のメンテナンスに来ただけだ。」
「なぜ、千絵の部屋へ?」
「やめて、龍ちゃん。叔父様は、この方を連れてきて下さったの。」
少し怒りの混じる妃の口調。盟主はふっと息を吐き、剣を引く。
「俺はただ・・、その。失礼した、叔父上。」
「謝罪は受け入れる。」
双方冷ややかな口調である。
龍一さまの叔父さまって、確かお一人だけのはずだけど。でも、そのお方は、7代盟主、通称は黒の宮さま、よね?
なぜ首なし?どうして幽霊なの?
ああ、今はそんなことどうでもいいわ。
リュー、彼に何があったというの?
「とにかく、みんな座りましょ。」
有無を言わさぬ妃の態度に、全員が着席した。
ナイチンゲールも、首なし幽霊の肩からスツールに降りる。
「私がわかるところまではお話します。間違っていたら、仰ってね。」
曖昧に頷く一同。
再度カルルスの三男についての紹介の後、
盟主が続けた。
「その名は覚えがある。俺達がここに来る前、数名の行方不明者が出たが、その中にあった名だ。・・・そうか、日付けか。カルルス卿、君がその状態になったのは、新月の夜ではなかったか?」
ナイチンゲールは、頷いた。
それから何事か囀るが、サーニにはクルル、クルルとしか聴こえない言葉に、盟主と妃は耳を傾けている様子だ。
首なし幽霊もまた、彼の言うことを理解しているのだろう。時々、短い質問を差し挟んでいる。
それに答えるさえずり。
うなずく盟主と妃。
わからないのは私だけ?
じれったいが、今は口を出しても邪魔なだけだろう。大人しくしているしかない。
しばらく話し合いが行われた後、妃がサーニに向き直る。
「ということは、サーニ、あなたの出番のようだわ。」
意味不明の彼女の言葉に、盟主は頷き、首なし幽霊もまた賛同した様子。
ナイチンゲールは、何故か両方の翼で顔を隠していた。
あれ?少し色が濃くなってる?
見間違いじゃないわね。薄いパステルピンクのはずが、普通にピンクだわ。
まるで、赤面したみたいに。
「私に、何かできることがあるのでしょうか、姫さま?」
妃は、厳粛に頷いた。
「あなたにしか出来ないことよ、サーニ。
彼に、キスして。」
「???キス?って、あ、あの、俗にいうところの、キス、と言いますか、せ、接吻、といいますか、そのアレですか?」
「そう。それのことよ。彼を元に戻すためには、乙女のキスが必要なの。」
サーニは、ナイチンゲールを見た。
彼は、顔を隠したままだ。
え、もっとピンクが濃くなってる?
ナイチンゲールはリューで、彼を元に戻すのに、わ、わたしの、き、キスが!?
そんなおとぎばなしみたいなことって、あるの?いえ、ここならあっても不思議じゃないのかしら。
相手が只の鳥なら、サーニはここまで混乱しなかっただろう。だけど、リューだと聞かされたいま、彼女は途方に暮れる。
だ、だって、リューって、凄くカッコよくなってて、背も高くて、私とはぜんぜん釣り合わないのよ?
あんなに小さくって弱々しい女の子みたいだったのに、アレはサギだわ。
サギって、鳥よね?だから、リューが鳥になっちゃったの?
ま、待って、落ち着くのよ、サーニ!
何を言ってるんだろう、しっかりして、自分。18にもなって、何を動揺してるの!
た、たかがキス。
ふ、ファーストキスだからって、それが何よ!ええ、鳥よ、相手はトリ。
全身鳥だわ。く、唇じゃなくて、嘴!
「や、やらせていただきますわ。」
ミッション、これはミッション。
妃は頷き、盟主が音もなく立ち上がって、ナイチンゲールの背後に回る。
顔を隠していた両手、ならぬ両翼をそっと外しつつ、彼の体を固定した。
リューはなすすべなく硬直している。
目は潤み、顔はピンクを通り越して赤い。
妃に促されて、サーニは立ち上がった。
動悸が激しい。息苦しいような気がする。
普段意識していない、心臓の存在を嫌というほど感じる。
頬は赤い。
少し浅黒い肌でも隠しようがない程に。
2人の距離は少しづつ近づく。
そして。
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