石回廊にて
「冗談じゃねーぜ。どうなってやがる。」
自身を鼓舞するために、ひとりごとを呟きながら、ユージーン・マーレは石回廊を辿る。
建物の内部に通じるドアを探していたが、できるなら中には入りたくないのが本音だ。
さっきの光景が一体何だったのかは分からないが、どう考えても自分たちが歓迎されているとは思えない。
音、酒や香水の匂い、煌びやかな照明の反射など、あまりにリアルながら、現実でないのは確かだった。
それにしても、と首をひねる。
機械的な投影画像にしては、装置の類いが見当たらなかった。
あそこまで精密な立体画像の生成には、莫大な時間と費用がかかるはずだ。
そうだ、場所が場所だから、セキュリティのひとつかもしれない。
アリッサが見た首なし男もその類だったのだろう。
いくら精巧に出来てはいても、子供騙しの範疇だ。さっきは急な事に驚いてしまったが、あんなことが現実な訳がない。
映像データなら繰り返し使えるし、警備の人件費よりは安く上がるんだろうな。
そう結論付けたら、少し気が楽になった。
それ以外の可能性については、強いて考えないようにする。
この離宮に感じる何とも薄気味悪い違和感からは、無理やり目を逸らすことにした。
まずはリマーニエの娘だ。
それとも、ちらっとでもいいから盟主正妃の姿が見られれば、いや、一言でいいから、会話が出来たなら目的には十分。
あとは有る事無い事、面白おかしく尾鰭をつけまくってやる。
そんな事を考え、辺りに目を配りつつ回廊を歩き続けた。
いつしかとっぷりと日は暮れ、たまに吹き過ぎる風に揺れる龕灯のチラつく灯と、木々の葉擦れ以外に動きも音もない。
丹念にドアを探して歩いていた筈だが、一向にそれらしき物には行き会わなかった。
気がつけばたった1人、この廃墟めいた空間に取り残されたようで、心細さだけが忍び寄る。
しかし、奇妙だ。
もう随分歩いた気がする。
いくら離宮が広いといっても、こんなに歩いてまだ最初の扉にさえ行きつかないなんてことがあるか?
見落とした?
いいや、それはない。だが。
彼は立ち止まり、前方を見た。
緩やかにカーブした回廊の先は、闇に溶けている。
振り向けば、後方にも同じ光景が広がる。
片側は建物、反対側は鬱蒼とした木々が広がる庭園だ。
ともすれば何処からどこへ向かっていたのかわからなくなるくらい、同じ景色が続いている。
揺れる龕灯から漏れる金色の光の列。
回廊の柱は整然と並び、光の届かぬ先はただ闇に溶けていた。
ふと、疑念が兆す。
この長い長い回廊に沿って吊るされた無数の龕灯。一つ一つに灯る蝋燭。
非現実的過ぎないか?
夜になる度、この全てに火が灯るとして。
一体、誰がそれを付けるのか?
作業用のロボットだろうか?
蝋燭は消耗品だし、風で火が消えたりすることもあるはずだ。
だが、メンテナンスを行う自動機械の類には行きあわなかった。
これほど長く歩いたのに?
いや、待てよ、この景色自体が合成画像でないといい切れるのか?
疑心暗鬼のまま周囲を見回した。
足元は、確かに石の感触だ。
最寄りの柱、それに建物、全てがひんやりした石である。
では、龕灯は?
一番近いところにあるものに近づいて触ってみるが、それは確かに見かけ通りの質感を持つ実体だった。
「考えすぎだ、どうかしてるぜ。」
声に出して言ってみたのは、何か釈然としないものを感じたせいだが、さりとて周囲が実在する物体であるのは確からしい。
それなのに、なぜこうも不安なのか?
建物の入り口はまだ見当たらない。見つけたとして、中に入りたいかといえば否だが、目的のためには早く入り口を見つけるべきだ。
今は歩き続けるしかないだろう。
目的を果たしたら、後はとにかくここから出よう。庭園を突っ切り生垣まで行って、
そこから生垣伝いに歩けば、どこかから出られるはずだ。
そう思い目をやると、庭園は暗く葉擦れの音だけが聞こえてくる。
入り込んでしまったら、方向を知るのは困難かもしれない。
が、ユージーンは敢えて目を背けていた己の本音に気が付いていた。
もう、一分一秒たりともここには居たくないのだ。
今すぐ、あの暗い庭を突っ切り、出口を探したい。
ここは、おかしい。何がどうとかではなく、この場所はヤバい。
理性は半ば呆れている。
おいおい、マジか?
怖気付くようなオマエじゃないだろ?
あの程度の、子供騙しみたいな画像を見せられたくらいで何てザマだ?
だが一方で、悲鳴を上げ今にも遁走に移りたい自分がいる。
逃げたい。ここからただ逃げ出したい!
あの画像。
オレが目にしたものを、後の2人は見ていなかった。
着飾った骸骨の群れ。
髑髏の眼窩には何もない。
汚くもつれた、灰色の蜘蛛の巣みたいな髪の毛がへばりついた頭もあれば、一目でカツラとわかる盛りに盛ったヘアスタイルの者もいた。
瀟洒なグラスを持つ骨だけの手。
精巧な骨格標本みたいに、細かすぎる部分まで作り込まれていた。
黄ばんだり茶色がかった骨。いくつもの指輪で飾られているが、肉も皮膚もとっくに失われた、死んだ骨だ。
貴婦人の首に燦然と輝く豪奢な首飾り。
十重二十重に骨の手首を彩る金と宝石で出来たブレスレット。
考えてみれば、イアリングは一切なかったが、誰ひとり耳を持たないのだから当たり前か、と、今更ながら腑に落ちた。
では、アリッサとあのクソ野郎にはどう見えていたんだ?
2人にはアレが当たり前のパーティかなんかに見えていたらしい。
ドレスコードがどうだとか、バカなことを抜かしてやがった。
人によって違って見える画像?
そんなものがあるのだろうか?
我知らず、身震いした。
精神操作?それとも…
冗談じゃない。こんな場所からはとっととおさらばするに限る。
もう、十分だ。
月の宮を訪問した、その事実だけは確かだから。
そうと決まれば…
ユージーンは、出口を探して辺りを見まわした。
いや、待て、あれは…
回廊の先、50メートルばかりのところを
横切る人影に気付いて、心臓がドクンと大きく鳴る。
女だ。
部屋着だろうか、白い薄物のワンピースを纏った華奢な姿。
その背中にまっすぐ流れ落ちる長い黒髪。
ブリュンヒルデ妃!?
遠目で顔ははっきりしないが、その優雅な佇まいは、戴冠式の映像で見た正妃そのものである。
彼女は、回廊の手すりに両手を掛け立ち止まった。視線はまっすぐ前を見ているらしく、こちらには気づいていない。
これは千載一遇のチャンスだ!
そう思った瞬間に、体内のアドレナリンが爆発した。
この場所に感じた違和感すら一気に雲散霧消する。
足音を忍ばせて、更に近づいてみる。
護衛の姿はない。
ああ、あの横顔。永遠の少女の彫像のように、端正で繊細な…
そう、間違いなくあれはブリュンヒルデ妃その人だ。
ユージーンは更に距離を詰めようと、彼女に向かって進み始めた。
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