舞踏会
「何を言ってるんだね、アリッサ。どうかしているぞ。」
呆れ果てたと言わんばかりの口調でリマーニエが肩をすくめた。
この男はいつもこうだ。
他人を見下して偉そうに振る舞うことこそが、生まれながらにして自分に与えられた特権と信じて疑わない。
その仕草、鏡の前で練習したんだろうな。
全くご苦労なことだ、と、ユージーンは内心ため息をつく。
コイツから、根拠のない自負を取ったら何も残らないんじゃなかろうか。
ここまで空っぽな人間がいるものなのか。
まあ、貴族なんて、みんなこんなものかもしれないが、コイツは特にひどいんだろ。
手当たり次第に手を伸ばして、掴んだ物は全て我が物。
他人のポケットに手を突っ込むことすら、躊躇いもしなければ罪悪感もない。
だから、こいつを見捨てたり、最悪で始末しなければならない羽目に陥っても、後悔なく実行できるだろう。
まこと有難い限り。
が、アリッサは、場の雰囲気に流されてありもしないものを見るような女ではない。
首なし男だって?まあそれはないが…。
では何をどう見間違ったのだろうか?
彼女が本当は何を見たかが気になるところだが、今は目的があるのだ。
そんなことに構っているヒマはない。
まずはリマーニエの娘に会わねば。
会ったという既成事実さえ押さえれば、後は書きたい放題。
見てきたような嘘を書き散らすのは得意中の得意である。
その結果誰がワリを食おうが知ったことではないのだ。
ポケットにはしっかり録音録画機材を仕込んであるし(それも複数)、何をどう書くかはもう決めてある。
直接盟主妃に会うことは難しいだろうが、迷ったフリで宮の中を探索するのは簡単そうだ。普通あるはずの入り口でのチェックはなかったし、入ったあとも人っ子1人見当たらない。
だが、ふと疑問が兆した。
こんなセキュリティで、どうやって正妃の身の安全を守れると言うのだ?
いくらお飾りとはいえ、正妃こそが連邦のファーストレディである。
その身に変事あらば、命をもって贖う必要のある者がいるはずだ。
月の宮には様々な伝説がある。
そもそも、この宮を造営したのは第7代盟主と伝えられている。
そして正妃であったシーリーン妃は、ここで自害したと言われていた。
その後、長きにわたり盟主妃の住まいとなることはなかったが、不吉な噂はどの時代にも存在している。
互いに矛盾する伝承も多い。
ここに侵入しようとしても絶対成功しないという反面、侵入したものはそれきり行方不明になるとも言われていた。
生垣には恐ろしい姿の小人が住んでいるとか、月の明るい晩には巨大なドラゴンが上空を飛び、闇夜には得体の知れない影がいくつも宮から湧き出でて、音もなく周辺を彷徨うだとか、よくわからない話は無数にある。
だから人喰い廃墟だとか、呪われた離宮として、リマノの名所に数えられているが、
面白半分に侵入を試みた者は、誰も成功しなかった。
つまりは、根拠となる確かな情報や証拠は何一つないし、離宮側や宮殿側は沈黙を守り続けていたから、怪しげな風説だけが残ってきたのだ。
ユージーンは、頭を振った。
アリッサはそういう噂に惑わされて、何かを見間違ったのかもしれない。
現実主義者を自認しているユージーンでさえ、この場所にどうにも説明のつかない違和感を覚えているくらいだから、更に実利を愛するアリッサであっても、いくらかの影響を受けたのだろう。
無理やりそう結論することにした。
それにしても、この木っ葉貴族の鈍さは羨ましい、と、ユージーンはリマーニエを見る。
ここでいつも通りの馬鹿馬鹿しい尊大さをキープ出来るなど、これは単なる鈍感さを超えている。
というかこいつ、何かが確定的に欠けているんじゃなかろうか?
「何をしている、マーレ。あそこにドアがあるぞ?」
正に尊大な態度で、リマーニエが前方を示した。
下僕扱いか。調べてこいってことだよな。
「はい。」
とだけ答えて、ユージーンは回廊に入る。
確かに、建物本体にドアがあった。
石造りの建物ではあるが、ドアは木製だ。
両開きの、かなり分厚い重厚な作りで、各扉は一枚板で出来ているようだった。
緻密な木理に、華美ではないが繊細な彫刻が施されている。
この材質このサイズで一枚板となると、それだけで随分と高価なものだろう。
流石に随一の格式を誇る離宮だけあり、全ての建材には最高級品を選りすぐってあることが見てとれた。
それでいて、チープな華麗さや尊大さとは縁遠い。
偉そうなだけのリマーニエとは対極にあるような建物だな、とユージーン・マーレは皮肉に声なく笑った。
背後の2人にはその表情は見えない。
「ノッカーがあります。」
古風な金属製ノッカーが、扉に取り付けられていた。
呼び鈴や、門にあったような魔法陣型のスイッチは見当たらない。
普通の邸宅に付きもののセキュリティ関連機器は、ここにも一切なかった。
「さっさと試さんか!」
苛立ちを隠そうともしない声である。
内心舌打ちしつつ、ユージーンはノッカーに手を掛けた。
そのまま、ノックする。
1回、更に2回、3回。
ノッカーの乾いた音が回廊に響いた。
反応はないようだ。
「もっとだ!」
リマーニエの声に、更に苛立ちが滲む。
ユージーンは、もう何度かノックを繰り返した。
反応なし。
2人を振り向こうとした時、ピッタリと閉ざされていた扉の合わせ目に、すっと光の筋が現れた。
ドアが開いた?
同時に、物音が押し寄せる。
ユージーンは奇異の念に打たれた。
今の今まで、扉の中は確かに静まり返っていたのだ。
防音されていた?いや、そんな筈はない。
背後のアリッサがヒュッと息を吸い込む音がした。
彼女も何かを感じたようだ。
最初、幅2センチにも満たなかった光の帯は音もなく広がり、光の洪水とともに扉の中から華やかな音が溢れ出す。
音楽だ。
弦楽器と管楽器が、軽やかな舞曲を奏で、
扉の向こうのホールでは、折しも華やかな舞踏が繰り広げられていた。
ユージーンは言葉を失った。
古めかしくも華やかな衣裳を翻し、ひと組の男女が踊りながら眼前を過ぎる。
衣擦れの音。香水の香り。
笑いさざめく声。グラスが触れ合う音。
歴史物の舞台を演じたとき、ユージーンもこんな衣装を着たことがある。
数百年も昔の衣装。しかし…、しかし!
これはどうなっている!?
ユージーンは、真っ青な顔で背後を振り向いた。
扉は大きく開け放たれ、アリッサとリマーニエにもホールの光景はつぶさに見えているはずだ。
だが、2人の表情は、ユージーンの予想を裏切る物だった。
「素晴らしい!舞踏会にお招きいただいたのか!」
「まあ、私こんななりでどうしましょう。ドレスコードを知らなかったなんて残念ですわ。なぜ教えてくださらなかったの?」
「いや、ドレスコードの指定はなかったのだが。マーレ、いつまで突っ立ってるんだ。さっさとどかんか。」
リマーニエは、乱暴にユージーンを押しのけ、扉を潜る。
アリッサをエスコートして。
華やかな雰囲気に酔ったかの如く、2人の顔は上気していた。
ユージーンは一瞬声をあげようとしたが、そのまま黙って2人を見送った。
ホールに入る気はさらさらない。
誰があんなところへ!
あの2人、正気じゃない。
ユージーンは2人の後ろ姿を一瞥して踵を返した。背後で音もなく扉が閉まるのを感じながら。
まあ、とにかく、ここに入るという目的は達成した。
リマーニエの娘を探そう。
それとも、彼女はあそこにいたのだろうかと一瞬思うが、いやそんなはずはない、と自ら打ち消す。
仮にそうでも、探しようがないだろ?
あそこにいた連中は、絶対人間じゃない。
閉まった扉を一瞥してユージーンは歩き出した。
ホールで華やかに笑いさざめく人々は、彼にはみな同じにしか見えなかったのだ。
なぜなら彼らは全て、着飾った骸骨の群れだったのだから。
次回もよろしくお願いいたします!