首のない男
「ほら、やっぱりここみたいです。」
生垣が切れた一角に門があった。
門の高さは生垣の木々と同じくらいだ。
鬱蒼と茂った枝葉からは少し奥まった位置だったから、近くに行くまでそこに門があるのは見えない。
携帯ナビでは、離宮の入り口については情報が出ないから、とりあえず門らしき物に到達したことしかわからなかった。
つまりそれが正門なのか通用門の一つなのかは知りようがない。
門は高さの割に幅が狭かった。
正門ならばもう少し堂々としていそうなものだが、数百年の昔に建てられた遺跡のような建造物である。
現在の常識では測れないものもあるだろう。
門の扉は凝った唐草模様の鋳鉄製で、まだ新しく見えた。
セキュリティ用の配線もしくは無線ユニットの類は一切ない。
隙間を透かしてみても、門の奥にはさらに生垣があって、建物などは少しも見えなかった。門灯の類いはなく、もう少し暗くなれば、扉の存在も定かでなくなるだろう。
丹念に門を調べていた記者、ユージーン・マーレは、門の支柱に小さな刻印を見つけた。
古風な丸い形の図形である。
ごく小型の魔法陣のような形で、うっすらと発光しているようだ。
古代文字?
ユージーンは、リマーニエ卿を振り向いた。
正式に許可されている訪問者はコイツだ。
「とにかく、あたってみて下さいよ。」
刻印を示すと、リマーニエは首を傾げながらも人差し指を近づけた。
直接押すまでもなく、ぼんやりした光が強くなる。
キイ、と小さな軋みとともに門扉が開いた。
3人ともが戸惑いながらも順番に門をくぐると、背後で門が閉じた。
入る事を許されたと解釈すべきなのだろうが、案内の人影は見当たらない。
「まあ、進むしかなさそうだな。」
リマーニエの言葉に他の2人は頷く。
何となく居心地の悪い思いを胸に、しかし引き返すという選択肢はないから、3人は見当をつけた方向へと歩き出した。
生垣は何列か続いているようで、その間に曲がりくねった石畳の道が通っている。
足元は既に闇に溶けていた。
石畳の微かな発光がなければ、到底道を辿れなかっただろう。
そう、石畳は、僅かながら光っていた。
門柱に刻まれた魔法陣と同じ、冷たい光である。
暗闇に灯る蛍の灯か、海のさざなみに揺れる夜光虫のため息か。
どことなくこの世ならざる明かりに導かれて、どれほど進んだだろうか。
出し抜けに、建物が目に入った。
「ここが?」
「そうみたいね。ずいぶん…古そうな建物だわ。」
古そう、の真意はボロボロかつみすぼらしい、である。
それは、女優崩れの彼女、アリッサ・シエルのみならず、男たちの受けた第一印象とも一致している。
彼らが度し難い俗物揃いなのはさておき、ぼんやりした明かりをまとった月の宮は、どう見ても人が住んでいるようには見えなかった。
時間に忘れ去られた静謐。
格式ある離宮というよりは、苔むした廃墟に近い印象である。
実際石材はどこも崩れてはいないし、どんなに目を凝らそうとも、苔も雑草も一切見当たらないのだが。
薄ぼんやりとした明かりは、石造りの回廊に吊るされた、異国風の古風な照明器具に灯されている。
古い神殿などに見られる様式の器具で、カンテラのような角ばった金属製だ。
抽象化されたアラベスク模様は一部が透かしになっていて、そこからゆらめく弱い灯が見え隠れしているのだ。
ひどく古風で幻想的な光景である。
だがしかし、ここは連邦首都リマノに冠たる、格式高い離宮のはずだ。
連邦ファーストレディである、第15代連邦盟主正妃の住まいである。
そこで今どき、これは何なのだろうか?
光源が蝋燭?
まさか、この時代に?
チラチラ瞬く光は、風に散る無数の小さな花びらを思わせる。
しんと静まり返る回廊に揺れる灯は、奇妙に物悲しい。
石造りの建物は、無人の回廊にぐるりと取り囲まれているようだ。
折からざあっと吹き抜けた突風に、明かりは一斉に大きく揺れ、またたいた。
何かを恐れるように。
身を捩って、その恐怖から逃れるように。
そんな時。
「ヒッ!」
突然、アリッサが、引き攣った悲鳴を発した。
「どうした?」
「あ、あれ、あそこに!」
男たちは、彼女が指差す先を見るが、そこには何もない。
ただ照明の届くギリギリの位置で、樹木の枝が不自然に揺れているのみだった。
「どうしたというんだね、アリッサ?」
ことさら尊大さを誇張して、リマーニエ卿がアリッサを振り向く。
普段なら鼻につくその態度だが、今のアリッサはそれどころではなかった。
青褪め引き攣った顔を、他とは違う向きに揺れる枝先に向けたまま、唇から言葉を押し出す。
「男が…」
「男?」
「あ、あそこに居たの。昔の衣装で…」
「それが何だと言うんだ。これほどの場所なら使用人もいるだろうし、お仕着せは古めかしくて普通じゃあないかね。」
露骨に馬鹿にした口調である。
しかし、彼女の表情を見たユージーン・マーレは何かを感じた。
これは、芝居ではない。
簡単に取り乱す女じゃないはずだが…?
「シエルさん、落ち着いて。何にそこまで驚いたんですか?」
いつも通り他人行儀な口調で訊ねる。
リマーニエの前では、あくまでもただの知り合いで通してきたのだ。
「昔の、貴族みたいな…服装の男が、そこを横ぎったわ!」
昔の貴族みたいな服装だって?
まあ、この舞台背景には自分たちより似合いそうだが。
「そんなに驚くようなことですか?」
アリッサはユージーンを凝視した。
「ええ。だってその男、首がなかったんですもの。」
一瞬沈黙が落ちる。
気がつけば、既に黄昏れは過ぎて、月の宮は夜の刻限に移行しつつあった。
冬場お化け屋敷は流行りませんが、リマノは初夏の気候でしょうか。
次回もよろしくお付き合いいただければ幸いです。