黄昏時の訪問者たち
「ここか。ずっと木ばかりだ。離宮なんてあるのかね?」
「ここで間違いないですよ、リマーニエ卿。」
「まあ、いいじゃありませんの。遅れないように入り口を探しましょうよ。」
離宮月の宮の生垣にそう道。
生垣はびっしりと密生していて、透かしみることはできない。
高さは4mはあるだろうか。鬱蒼と茂った木々の上に、残照の微かなオレンジ色が消え残っている。
中天は既に濃い藍色で、そこから紫のグラデーションがオレンジ色に向かって続いていたが、その微かな暖色も、あとわずかで消え去りそうである。
夕焼けから夜に向かう刻限。
聞こえるのは川のせせらぎのみ。
星が光り始めるもの寂しい時間帯。
黒黒とどこまでもそびえる生垣の木々は、次第に暗闇と一体化していくようだ。
路上には彼ら3人以外人影はなく、間遠な街灯が、暗い光を投げかけている。
見ようによっては趣のある風情であった。
だが、路上の3人は、そんな情趣に惹かれる感性など、ハナから持ち合わせてはいなかった。
3者3様の思惑を胸に、ただひたすら約束の時刻に遅れまいと道を急ぐ。
先頭に立つのは、やや長身の男。
30代後半だろうか。
かつて役者を目指しただけのことはあって、それなりに整った容姿の持ち主である。
この世界、下手な役者なら、AIが合成する完璧な美貌と演技力を持つバーチャルアクターに敵うはずはない。
映画だろうが舞台だろうが、バーチャルアクターは全てのメディアに進出を果たしているのだ。
より完璧な外見、より完璧な演技力。
より圧倒的な魅力。
その中で生身の人間が出来ることとなると、限られていた。
歌手やダンサーについても、事情は同じだ。肉体的制約のある生身の人間が、技術でかなうはずはなく、唯一無二と万人に認められる才能なくして、バーチャルミューズたちの上に立つことはできない。
だから、その業界で生き残ることは諦めた。
同じように挫折した、役者崩れの女とともに芸能界に見切りをつけたのが2年ばかり前のことだった。
同時に始めたのが芸能記者である。
生身の芸能人だけではなくて、バーチャル専門のプロダクションについても、それを運営しているのが人間である以上、スキャンダルネタはいくらも転がっていた。
優秀なプログラマーは芸術家と見なされ、裏方としてだけでなく、表舞台でも多大なる人気を集めている。
買収、裏切り、痴情のもつれから、個人の犯罪歴や反社会的行為の数々など、戦後日が浅いこともあって、ネタは多かった。
が、ほとんどは所詮小ネタに過ぎず、必死に取材して書き散らしても、望むほどカネにならなかった。
そんな中、共に役者に見切りをつけた女がたらし込んだ、ロクでもないリマノ貴族の男の娘が、月の宮に就職したという、耳よりな情報を掴んだのだ。
こいつはカネになる。
いや、してみせると直感した。
大衆は、貴顕淑女が大好きだ。
彼ら絡みのスキャンダルはさらに大好物だし、それもえげつないほど食いつきがよいときている。
リマノの高位貴族の私生児に関する話題程度でさえ、数年はメシが食えるのだ。
ましてや、盟主絡みならば、一生モノの記事と名声をゲット出来るかもしれない。
だから、必死で情報を集めた。
高い金を払って、地下シアターで話題の映画も見た。
男優は間違いなくバーチャルだろうが、あの女優は生身の女だろう。
その顔が盟主正妃に瓜二つときては、何をか言わんやである。
バーチャルと実写の絡みシーンの場合、画像吹き変えを行うためには、生身の人間同志で実際に絡む必要がある。
それ以外の方法もあるにはあるが、あれほど長尺のシーンを、例えばストップモーション的手法で撮った日には、それだけで数年がかりだろうし、あんなに自然な絡みになるわけがない。
つまり、あの映画の女優は、誰かとアレに近い濡れ場を演じたことになる。
しかも、バーチャル男優の顔は、ブリュンヒルデ妃が月の宮で同居している兄とそっくりらしく、物議を醸してもいた。
これはチャンスだ。
盟主は、全く正妃に興味を示していないとはいえ、妻と酷似した女が他の男とあんなシーンを演じたと知ったら、決して良い気分ではなかろう。しかも、相手役の顔が妻の兄そっくりなのは、冗談にもならないくらいグロテスクな話ではないか。
まさに大衆が喰いつきそうな、ドロドロしたネタである。
公になればまず廃妃は確定だろう。
その上で更に処罰があるに違いない。
そんな女を正妃として差し出した元老院もタダではすむまい。
そうとも、粛清の嵐は避けられないはずだ。未曾有の大スキャンダルである。
大勢が死ぬだろう。
そう思っただけでゾクゾクした。
体の芯から歓喜が突き上げる。
今に見ろ、もっともらしいツラで俺をバカにしやがった役者どもや、プロダクションの奴ら。
あの女優が実際誰だろうと関係はない。
ブリュンヒルデ妃があれに出ていないことを証明するなど、逆に至難のはず。
それにしても、いい女だった。
今なぜか付いてきているこの女とはえらい違いだ。この件が片付いたらコイツとは絶対縁を切る。
リマーニエ卿に紹介してくれたことは感謝しているが、邪魔になるようなら、強制的に排除するのをためらうほどじゃない。
それにしても、ブリュンヒルデか。
あの顔が恐怖と絶望感に歪むのを実際に見たら、最高だろうぜ。
舌舐めずりしたくなる。
「今に見てろ。」
と、思わず声に出して呟いていた。
「何か言ったかね?」
ああ、このバカも居たのを忘れていたな。
だが、まだこいつが必要だ。
離宮の中に入るまではな。
だから立ち止まって、前方を透かしみるフリをした。
「あの先、ちょっと生垣が切れてるみたいなんですよ。」
「おお、確かに。」
「行きましょう。」
いそいそと先を急ぐ男たちを見て、女は苛立ちを感じた。
どうして男どもはいつもこうバカで単純なのだろう?
女は、リマノから少し離れた惑星出身だ。
故国では、一応貴族階級に属していた。
とはいえ、他国の王族すら歯牙にも掛けないリマノ貴族から見れば、全く取るに足りない身分にすぎない。
女には野心があった。
いつか連邦の中心で名を轟かせたい。
平伏し、かしずく者たちに君臨したい。
そのためにはちっぽけでつまらない故国になど、絶対居られない。
だからリマノへ来た。
折から戦乱の兆しは連邦各地を呑み込みながら四方八方へと広がっていたのだが、そんな不穏な時代も彼女の目には映っていなかったのだ。
気がつけば戦争は終わり、故国は滅亡していた。
家族はどうなったかわからない。
彼女自身生きるのに必死な時期が長く続いていたから、家族と連絡をとることも少なくなっていたのだ。
風の便りに、王国が共和国と名を変えだと聞いたが、その過程で多くの血が流されたことは間違いない。
家族の反対を押し切ってリマノに来たからこそ、彼女は命を永らえたわけだ。
しかし、一流の女優になるという目標は、敢えなく潰えた。
才能の壁。容姿の壁。
完璧なバーチャルタレントと闘うには、力不足であると早くから自覚はしていた。
それでも、ある種のバラエティ枠とか、イロモノ枠、又はバーチャルタレントを毛嫌いする人々向けコンテンツには、たまにお呼びがかかっていたから、完全に見切りをつけるには少し時間があったのだ。
だが、バーチャルタレントと違って、人は歳をとる。
そうなれば、生き残るにはより特別な個性や才能、それに運が必要だ。
彼女にはどれもなかった。
そこそこ恵まれた容姿、演技のノウハウ、
芸能界で揉まれた経験だけが残された全てだ。それと、ろくでもない俳優崩れの男とパトロンを気取る、バカなリマノの木っ葉貴族と。
ああ、男なんて、所詮こんなモノよね。
もう飽き飽きだ。
しかし、リマノ貴族の肩書きだけは、どうしても手に入れたかった。
結婚を迫る度のらりくらりとかわされて今に至る訳で、信頼に足る男とは言い難いだけでなく、下衆なクソ野郎と呼ぶ方がしっくり来るが、それでもコイツを逃したらリマノ貴族への手づるは絶えてしまう。
彼女は30代半ばである。
次の男を手に入れるのはだんだん難しくなってきた。
ましてやリマノ貴族の男など、彼女の生活圏には他にいない。
だから、手放せない。どんなカス男であろうともだ。
そこへ今回の情報である。
サーニとかいう娘は、彼女にとって邪魔者だった。
会ったこともなかったが、結婚計画の障害になるのは目に見えていたから、まずは追い出しを画策した。
若い女に目がない男に、娘を高値で売りつけることは失敗したものの、家出したなら目的は達成したようなものだった。
ところがその就職先があの月の宮だなんて!
万にひとつもない僥倖である。
高位のリマノ貴族すらおいそれと足を踏み入れられない、最高の格をもつ場所。
ボンクラで下衆い男の娘が、まさかそんな場所へのパスポートになるなんて!
そうと決まったからには、リマーニエ卿などどうでもいい。
いや、娘を手に入れるためには必要なカードだが、それだけのこと。
リマーニエ卿は相当に困窮しているから、娘に月の宮という荘厳で神秘的な箔をつけて、より高値で売る計画に大乗り気だ。
母を失い、財産もなく、あるのは若さと由緒ある名前のみ。
男手ひとつて育った娘だから、まともな淑女教育も出来てはいないだろう。
その場合、若く美しい継母の存在は、有利に働くだろうと吹き込んでおいた。
かなりその気になっているのは確かだ。
父から蔑ろにされて育った10代の娘など手懐けるのは簡単だろう。
まず、リマーニエ卿と結婚する。
頃合いを見て娘と養子縁組みをすれば、あとはどうとでもなる。
リマノ貴族は、女性にも称号の継承が認められているから、父親のリマーニエをこの世から抹殺したっていい。
まだ10代の娘の方が、父親より操り易いはずだから。
そしてもう1人の下衆男である芸能記者は、スキャンダルに目の色を変えていたから、女の意図が何だろうと気にもしないだろう。
万が一コイツの存在が計画の邪魔になるようならその時は…
そこまで考えて、女はニィッと唇の両端を吊り上げた。
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