逆転の発想
「…と、いうことだ。したがって、今ここにいる君たちには迷惑をかけることになるだろうが、よろしく頼む。」
小食堂に戻った一行に、説明を終えた盟主が頭を下げた。
最初に口を開いたのは、大佐だ。
「しかし、姫はそれで良いのですか?」
「仕方ないじゃない、ルイ。まんまと乗せられた気はするけど。」
ジロリと紫の宮及びグラデエルファイラ将軍を睨み付けて、盟主妃が言い放った。
目付きが非常に剣呑である。
相手が誰でも、視線で殺せそうな位だが、睨まれた2人は、非常に嬉しそうだ。
「では、サインを。」
と、将軍が数枚の紙を差し出した。
「契約書?!ウソ…監督のサインまで…」
「二つ返事でしたよ。さすが巨匠、成すべきことには敏感でいらっしゃる。」
「絶対呪ってやる!裏切り者。」
なおも呪詛の言葉を吐きつつ、彼女はペンをとって、サインした。
紙が破れそうな勢いである。
何枚もの契約書にサインを終えて束ねると、バサっと音を立てて将軍の目の前に突き出した。
「結構。控えはこのまま持ってなさい、れいな。」
サイン済み契約書をブリーフケースに仕舞うと、将軍は立ち上がった。
不貞腐れてそっぽを向いてしまった、盟主妃の様子を気にする素振りはない。
サーニらが見守る中、彼は一礼して静かに立ち去った。
「なぜ、この成り行きがわかったんだ、サーニ嬢?」
「そう、ほんとに何故だい、サーニ?僕も知りたいよ。」
大佐とリューが小声で聞いて来る。
「あ、そんな、あの…私が思ってたのは、映画に関する事だけで、まさかこんな大変なことになるなんて。」
それは実感だった。
サーニが推測していたのは、映画「蛇神」
について、隠蔽ではなく逆に堂々と公開する方向になるのでは、という点のみだ。
盟主妃は誇り高く、強靱な精神の持ち主である。スキャンダルごときで右往左往するどころか、必要とあらばそれさえ華麗なドレスに変え、身に纏ってみせるだろう。
そう考えていたに過ぎないのだ。
そして、盟主にとっても、スキャンダルごときは空気より軽い。
盟主夫妻は連邦出身者でさえなく、配慮すべき家門も係累もなかった。
盟主の在任特権はほぼ全能で、その気になれば、娼婦だろうが極悪犯罪者だろうが、年齢性別さえ問わずに正妃とすることが可能である。
立場上若干の配慮が求められはするが、それはあくまでも「配慮のお願い」レベル。
強制力もなければペナルティもない。
だから、そもそもスキャンダルに怯える必要など微塵もない。
逆に、情報をさらけ出した方が実害は少ないだろう。
その映画で盟主が素顔を晒しているならば、かえって説明の手間が省ける。
神原龍一上級医療技官=当代盟主と知られれば、隠密行動は取りにくくなるが、どうせ一部貴族や元老院議員は承知していた情報である。
サーニは映画の内容をほぼ知らなかった。
だから正解に辿り着き易かったとも言えるが、仮に知っていたとしても少し考えれば同じ結論に達しただろう。
隠蔽でなく公開。
それが最善手である。
「さあ、忙しくなるな。サーニ、フランツ、君たちに繋ぎを取ろうとする身内や関係者は手段を選ばないだろうが、そっちはカイが対処する」
黒の宮の言葉に、黒猫が後足で立ち上がり一礼した。
「お任せを。必要がない限り手荒なことはしません。」
サーニとリューは顔を見合わせた。
「お手柔らかにお願いします、少尉。家族には警告しておきますから。でもサー二は、警告しないほうがいいと思うよ。」
リューの言葉に黒猫が頷く。
「そう、お父上にも、その愛人にもね。」
「はい?」
愛人?!何であの人が出てくるの?
「君を売ろうとしていたのはお父さんだけど、どうやって、いつ、誰に売るか、入れ知恵したのは愛人の女性なんだ。」
「あ…」
いまさらだが、ショックでないと言えば嘘になる。
父に親しい女性がいるのは知っていた。
母の生前からそうだったし、その相手はよく変わったから、もう気にすることはやめていたのだ。
で、今の愛人の顔も名前も覚えていない。
まあ、その女性にとってはサーニなど邪魔な存在で、排除していくらか実利が得られるなら、誰にでも売り飛ばしたいところだろう。
しかし、父は、仮にも…。
憤りより悲しみよりも、ただ虚しさが込み上げる。
他人に唆されて、実の娘を売るか。
行き着くところまで行ったわけね。
「総司令官閣下、私達で本当によろしいのでしょうか?」
カサンドラは、この事態がまだ信じられないでいた。
「私達のような、出自も定かでない雑兵の寄せ集めを雇用していただけるなど、有難いお話ではありますが、しかし、我々がここにいる理由が理由ですから。」
暗殺者としてここに来た。
挙げ句返り討ちに逢って一網打尽だ。
情状酌量の余地は微塵もないし、力不足は絶対的に事実である。
「カサンドラ・ヘイス。君たち部隊の全員については、調べさせて貰った。その結果適任と判断したのは俺だ。先の戦争では、あまりにも多くの犠牲が出たし、今も復興に苦しむ地域は数多い。治安維持軍は人手不足で、優秀な兵士は常に歓迎している。何より君らはここに侵入を果たして、撤退を即断した。自ら優秀さを証明したな。」
にやりと笑った顔の、寒気がするほどの美しさに、カサンドラは言葉を失った。
「決して情実人事ではない。だからそう畏まるな。先ほど送ったデータの通り、雇用を拒否する者には一時金の用意があるから、条件は君から伝えてくれ。」
大佐が、頷いた彼女に笑顔を向ける。
「カサンドラ、先刻承知だろうが、総司令官閣下は人使いが荒いぞ。覚悟しろ。」
「ありがたいお言葉です。総司令官閣下、早速持ち帰って協議を。失礼します。」
カチッと踵をあわせる連邦軍式の敬礼をしたのは、ほとんど無意識だった。
相手は流れるように立ち上がって答礼した。
ただの略式答礼なのに、サーニが思わず見惚れるほどの華麗さである。
カサンドラは踵を返して退出した。
まるで映画のワンシーンのように、緊張感の漂う画面だ。
美的環境サイコー!ホントいい職場だわ!
「サーニ?」リューが小声で囁く。
「何?」
「あの、映画だけどさ、君は見ない方がいいかな、と。」
「え?悲劇のラブストーリーでしょ?」
あんまり好みじゃないけど、世間の人は好きそうよね、そういうの。
が、リューは何故かサーニから目を逸らして、少し赤面した。
「…かな。そういう解釈も…」
しどろもどろになるリューと、わけがわからない様子のサーニを見比べて、盟主妃が断定した。
「アレは、AVよ。」
「はい?あの、姫様それって、いわゆる成人向けコンテンツのことでしょうか?」
「いわゆるそれだわ。しかも、かなりハードな。」
「おいおい千絵、本番やった訳じゃないしあの程度で…」
「龍ちゃんは黙ってて!」
「はい。」
「うむ。龍一、前から疑問に思っていたが、ヤッてなかったのか、あれ?」
「当然でしょう。何言ってるんです叔父上?日本には映倫てのがあるんです。」
「だが、どう見てもだな、アレは…」
「2人とも黙りなさいよ!何でヒットしちゃったのあんな映画?」
「いやまあそれは、俺が出てるんだから当然というか。」
「大根役者!」
「そうだぞ龍一。千絵はプロだが、お前は素人だ。プロには敬意を払うべきだ。」
「へえ、あれ演技してたのか、千絵?台本にセリフがないシーンだと、そんな余裕、なさそうだったがな?」
「…。」
盟主妃は、赤くなって黙り込んだ。
「龍一、少しは言葉に気を付けろ。」
「千絵は俺の妻です。」
「俺の姪だ。」
「それが何か?」
3人の言い争いを聴きつつ、サー二は心に固く誓った。
絶対、観に行く!
握りしめた彼女の拳を、傍のリューが複雑な表情で見下ろしていた。
まだまだ連載頑張ります。
よろしくお付き合い下さい。
評価もよろしくお願いいたします。