蛇神の祟り
将軍は黒の宮と少し言葉を交わしたあと、盟主紫の宮に向き合った。
「龍一さま、おとりこみ中誠に恐縮ですが、本日はお話があって参りました。」
「何だ?」
「あの映画の件です。リマノの地下シアターで人気だとか。困りますねえ、当プロダクションに断りなく公開など。」
「何で俺に言う?」
「盟主と言えば行政トップ。国交がないので、直談判を。ウチの水無月れいなのイメージの問題もありますし。」
サー二とリュー、さらにカサンドラの3人は、互いに顔を見合わせた。
全く意味がわからない。
カサンドラは将軍を直接見知っていたし、後の2人も、その名を知らないはずはなかった。
なんだ?新手の軍事暗号か?
情報を求めて会話の当事者を見るが、盟主と将軍は当たり前の会話をしている様子だし、盟主妃も黙ってはいるが、違和感は抱いていないようだ。
黒の宮は我関せず。少尉も同じく。
大佐は、どことなく居心地悪そうだが、カサンドラと目が合うと、近寄ってきた。
なぜかこれ幸い、という様子。
「珍しい顔を見るもんだ。元気か?」
「お久しぶりです、大佐。あのう…」
彼はカサンドラに向かって一つ頷き、ざっと室内を見回した。
黒の宮がわずかに頷いて片手を上げる。
ここは引き受けた。そんな仕草だ。
大佐は会釈すると、サーニとリューに向き直る。
「君がサーニ、それと彼氏だな。2人ともようこそ月の宮へ。とりあえず、ついてきてくれ。カサンドラも。」
大佐が3人を導いたのは、小食堂に続く控えの間である。
「まずは座って。」簡単に自己紹介して、大佐は着席を促した。
自身も手近な椅子に座る。
「カサンドラ。大体の事情はカイから報告を受けた。運が良かったな。」
「恐れ入ります。」全くその通り。
「ほんとです。僕で良かった。」
カサンドラたち3人はギョッとした。
誰の声かは知っているが、姿はない。
大佐が天井を見上げた。
「まあ、君も座れ。」
3人が天井を見る。カサンドラは、さらにギクリとした。
控えの間の天井は、小食堂ほど高くはない。その中央あたり、古めかしいシャンデリア風照明器具の傍に生えた白い毛束が、ジワリと天井板から突き出し、垂れ下がってくる。
髪の毛?
そう気付くより早く、サルラの全身が天井からぶら下がった。
逆さまになったサルラの顔が、カサンドラの目の前にある。
ニッと笑った顔。足首は天井に埋もれたまま、頭を下に一瞬静止して、そのまま落ちた。
あっ、と思ったら、クルリと回転して、足から着地した。音もなく。
深宇宙の化け物、と少尉は言っていたが、これは確かに化生めいた何かではある。
「さて。あっちの話が終わるまで待つ間に、質問に答えるとするか。」
大佐の言葉に、人間たちは戸惑いを隠せない。
聞きたいことは沢山あるが、何から聞けば良いかわからないのだ。
「たいさー、そんなにザックリ言われても、皆さん困るんじゃないですかね?」
「あー、そうだな。」
大佐は少し考えるそぶりであるが、沈黙は長く続かなかった。
「俺は軍人だ。腹芸は苦手なので、ストレートに行かせてもらう。」
そう前置きして、彼は解説を始めた。
将軍は、サンクチュアリで芸能プロの社長をしていること。盟主妃は、そこに所属しているタレントであること。
サーニは朧げに知っていたが、他の2人は初耳だ。
いま、リマノの地下シアターで話題となっている映画について、将軍は権利侵害と、逸失利益の補償の直談判に来たこと。
何故ならば、それに盟主正妃が出演しているから。
これは、サーニ以外の2人の方が、いくらか知っていた。
ただし、よく似た女優が出ているらしいという程度のウワサ話だったのだが。
まさか本人⁈
噂でその映画の内容を知っていた2人は、思わず青ざめた顔を見合わせ、事情に疎いサーニは首を傾げる。
「あ、あのう、将軍?私が聞き及んでいる内容によればその、か、かなり…。」
言い淀むカサンドラに、大佐は応じた。
「大丈夫だ。シナリオがシナリオだけに、龍一さまが他の男に相手役など許すはずがないだろう。そうだな、サルラ?」
「そりゃそうですって。さっきの龍一様の顔、見ましたか?千絵さんからあんな風にアプローチされたら、もう骨抜きですからね。あそこまで執着するのは誰が見ても、もはや狂気でしょ。他の男に触れさせるなんて、あり得ませんよね。」
「!」
ということは…。
「ま、まさか、総司令官閣下もご出演なさっているなんてことは?」
「その通りです。映画のタイトルにもなった、蛇神としてね。実質主演なんですけど、クレジット上はバーチャルアクターということになってます。あ、僕もエキストラ出演して、撮影に立ち会いましたから、ご本人が出演されたのは間違いないです。僕らは、眷属の蛇役ですけど♪
あの方のことですから、全画像が生成AIによる特殊効果としか見えないでしょうけどね。」
たしかに、生身の人間というには美しすぎ、絶対的な存在感がありすぎる。
彼ならば、人間には絶対不可能な動きも可能だ。
だが、盟主夫妻が出演しているなどと明るみに出ようものなら、反響はおそろしすぎる。カサンドラの記憶に照らしてみれば、これほどのスキャンダル、昨今未曾有に違いない。
それはさぞかし見応えのある映像であろうし、一度でも観たら忘れ難いだろう。
地下シアターで上映されるコンテンツは、情報の複製が出来なくなっている。
人間の視聴には問題ないが、電磁的複製を阻害する信号が組み込まれている。更に会場内からは、電波でも魔法その他の方法でも、通信が出来ない。シアター内に持ち込まれた記録媒体は、出口で強制的に初期化されるという、2重3重の安全策が講じられているのだ。
従ってもう一度見たければ、料金を払って再訪するしかないのだが、1回あたり高級ディナーに匹敵する料金にも関わらず、リピーターは後を絶たなかった。
「それで、将軍は不快に思われたんだろうな。地下シアターを運営していたオーナーは、別件で誰かの怒りを買って粛清されたらしいが、後継者が引き継ぎ、相変わらずの盛況だそうだ。」
大佐はやれやれ、と肩を竦めた。
「まあ、そんなわけで、善後策を協議するおつもりなんだろうが…」
カサンドラは、説明を聞いて、更に訳がわからなくなった。
説明内容は分かる。
だが、それはあくまで、ノーマルな人たちが当事者と想定した場合の話である。
あの総司令官閣下と妃殿下が?
将軍が芸能プロダクションの社長?
いや、それはないだろ。あり得ないわ。
権利を侵害された?
所属タレントのイメージがどうしたって?
正気じゃない。
「あの、お聞きしても?」
大佐とサルラに申し出たのは、魔獣生誕学者、フランツ・リュードベリである。
「どうぞ。」とサルラ。大佐も頷く。
「レヴィさまからお聞きしたんですが、将軍て、龍一さまを育てた方ですよね。」
「いかにも。」
「しかも、姫様のマネージャーで、所属プロの社長。ほぼご家族のような立場の方ということですよね。この件について、どのように処理しようとお考えなのでしょうか?」
もっともな疑問である。
将軍(いや、社長?)、あるいは育ての親、どういう立場でどういう落としどころを目指しているのか、考えるほど訳がわからない。
盟主と正妃に関するスキャンダルをもみ消すのなら、関係者を粛清して、シアターを解体し、データを完全に消去すれば良いだけの話である。
盟主にとっては造作もないことだろう。
データ流出の経路も遮断する必要があるものの、サンクチュアリである地球は連邦には加盟しておらず、国交も禁止され、いわば鎖国状態にあるから、経路の特定は可能だし遮断は容易い。
そんなことは、将軍は百も承知しているはずだ。
ではなぜ、こんな話の切り出し方になったのだろう?
これでは、まるで事を荒立てようとしているみたいに見える。
「それなんだが…実は、俺にはよくわからん。」
明らかに困惑した表情の大佐が首を捻った。
「ここへ来る途中、偶然将軍とお会いして、状況は聞いたものの、どうしようとされているかは謎でね。
将軍が何をお考えなのかは、俺に推測できた試しがないんだ。
それに俺は戦後処理の為、結構長くリマノを離れていたからな。」
「そうなんですか。」
リューとサーニは顔を見合わせた。
だから、大佐は何となく居心地が悪そうな様子だったのだろう。
「もしかして…」
サーニが呟いた。
「いえ、まさか、でも…」
「サーニ?どうしたの?」
「あの、まさかとは思うんですが、」
サーニの考えを聞いた大佐とリューは、異口同音に「まさか!」と叫んだが、サルラだけは淡々と頷いた。
「あり得ますね。僕はサーニさんに賛成です。まあ、すぐに分かることですよ。」
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