家族会議
「自主規制のせいだろうな。」
小食堂で、盟主がため息混じりにそう呟いた。時刻は既に夜。集まっているのは、ここの住人と、何故か傭兵カサンドラ・ヘイスである。
家族会議という名目だが、メンバーからしてどこかズレているのは、召集したのが少尉だからだろう。
「自主規制ですって?便利な言葉よね、それって。」
と、皮肉たっぷりに応じたのは盟主妃。
「そう噛みつくな。古い話じゃないか。あれは俺が悪かった。反省している。」
「反省ね。それも便利な言葉よね。同じシチュエーションに遭遇したら、また同じことをするでしょ、あなたは。」
「当たり前だ。むしろあの程度では済まさない。」
「あーっもーっ!これだもの。龍ちゃん医者でしょ、助けるより殺す方が得意だなんて、恥ずかしくないの?」
「別に。あの侯爵、俺の患者じゃなかったし…」
「だからって、公衆の面前で首を斬り落とすの?」
「もう少し苦しめるべきだったか?」
ニヤリと笑った顔があまりにも美しく、凄みがある。
「姫、ちょっと落ち着いて下さい。整理すると、姫が正妃として柵立された、そのお披露目の席でご主人さまが、二大勢力貴族の片方の当主を処刑された、と。だから、その場にいた元老院の重鎮や、実力ある貴族たちは皆、神原家当主こそが15代陛下であることを知っている。そうですね?」
「ああ。千絵が俺を止めるために、正体をバラしたからな。」
「ああでもしなきゃ、何人殺す気だったの?!」
「半分くらいかなあ、あそこにいた。」
「何ですって!?」
妃が掴みかからんばかりに、夫に肉薄するが、盟主は涼しい顔だ。
黒猫が割って入る。
「まあまあ、それは置いといてですね。今はそのことを話し合っているわけではありません。第一ご主人さまが性格破綻者なのは、今に始まったことではないですから、今更言っても。」
「カイ、おまえ誰の味方だ?」
「ボクはご主人さまのペット、じゃなくて翼の騎士ですけど、それはそれ、事実は事実です。続けますね。
問題は、ジャーナリストを含むかなりの人数が、事実を正確に把握しているはずなのに、それが公になってないのはなぜか、です。」
「だから、それが自主規制だ。」
「じゃなくて、恐怖による脅迫の結果。そういうことよね。」
盟主は憮然たる様子。
「何とでも言え。お前にあんなことをした黒幕だぞ?血族から姻族までの全てを処刑しないなど、ありえないだろう。お前が助命嘆願などするから…」
大抵の場合淡々として、私情を出さない盟主だが、この件についてはそうもいかないようだ。サーニとリュー、カサンドラが事情を知らない上に、普通の人間であることすら忘れそうになっている。
僅かな神気がジワリと放たれた。
ただそれだけで、彼らは身動き一つ出来なくなった。
気道まで狭くなった気がするが、ただの思い過ごしではなさそうだ。
逆鱗に触れた。
カサンドラの脳裏にその言葉が閃く。
が、なすすべはない。
黒の宮が、重い腰を上げて介入しようとしたその時、妃はカサンドラの予想外の行動に出た。
盟主の膝の上に横座りになり、その首に両腕を回したのだ。
緊張がふっと緩む。
カサンドラは、盟主の表情を見て思考停止に見舞われた。
「……?」
ぞっとするほど美しい顔立ちはそのまま、色白の頬は上気し、甘くとろけそうな笑顔はまるで、ティーンエイジャー?!
ナニヲミセラレテイルンダロウ?
チラリとサーニに目をやると、呆れ顔ながらどこか想定内の様子。
その隣りにいた、魔獣生態学者だという青年もほぼ同じ表情である。
つまりこれは、いつものことらしい…。
「終わったことは忘れて。私はいま生きてるでしょ。助けてくれたのは、龍ちゃんだったよね。」
甘く囁く彼女の首筋に頬を寄せて、細い腰を抱き寄せ、長いまつ毛を伏せる彼は、凶暴な肉食獣というより、子猫のようだ。
完全に手懐けられている。
ありえない。ありえないけど、事実。
総司令官閣下、あなたどうなっちゃってるんですか?
確か、年齢は私と同じ位だったはず。
今更愛だの恋だのって、それどうなのよ?
結婚生活8年ということは、戦場であの凄まじい破壊力と、神がかった指揮能力で、敵味方問わず全将兵から恐れられていた時も、実はこうだったってことですか?
それはないんじゃないですか?
少し考えると、改めてゾッとした。
自分たちが暗殺しようとしたのは、彼の最愛の女性だったという事実に思い当たったのだ。
溺愛、という言葉は少尉からも聞いたけど、実態を目の当たりにすると言葉を失うしかない。
危なかった。紙一重で助かった。
「あー、はいはい、勝手にやってて下さいご主人さま。進めますね。」
黒猫が椅子からテーブルに飛び乗った。
「で、事実が知られていないってことが、結局、暗殺なんて無駄な試みを招き、つまらないスキャンダルが際限なく湧き出る元になっているわけです。龍一様はスキャンダルごときに一喜一憂しなければならない立場ではないですが、姫様やサーニさんにとっては決していいことじゃない。」
「それがどうした?俺たちはそう遠くない内にここを去る。サーニの職場は保証するし、就学の手伝いもする。歴史にスキャンダルが刻まれたとて、どうでもいい。
そうですよね、叔父上?」
「…なぜ俺に振る?」
「あることないことが、史実として独り歩きした700年間、あなたは別に困らなかったでしょう?」
全員が黒の宮を見た。
彼に関する史実と言えば、惨虐非道な所業の数々が真っ先に浮かぶ。
その卓越した業績が霞むほど、よく知られた逸話は多い。
夜毎、寝屋で新たな生贄を求め、朝には血に染まったベッドだけが残されていたとか、人体実験で数多の怪物を作り出し、毒薬や病原体の餌食にしたとか、その所業を憂いた正妃シーリーンが自害して果て、乳母もまた黒の宮の手に掛かって死んだ、とか。
「ほとんど捏造ですな。」
錆びた声が、そう断じた。
一同が入り口を見ると、2人の男がまさに入室しようとしているところだった。
前に立つのは、中背で痩せた初老の男。
ここでは異国風だが、地球でいうところのビジネススーツ姿だ。地味だが、仕立ては最高の品である。
先ほどの発言は、この男の口から出たものだ。
彼の後方には、長身を軍服に包んだ、中年のブロンド男が続く。
日焼けした顔に、陽気な緑青色の目。
虹彩部分が一風変わった不思議な色をしているが、光線の加減で、色が変わることをカサンドラは知っていた。
スーツの男は、黒の宮の前に進み、胸に片手を当てる古風な仕草で一礼した。
「お久しゅうございます、レヴィさま。」
「一別以来だ、ケルベロス。後ろはルイか。久しいな。」
「ドラゴン騎士ルイ・デュボア、殿下にご挨拶致します。」
連邦軍大佐、ルイ・デュボアである。
カサンドラが知るその正体は、巨大な黄金の竜だ。
彼を従える男にも見覚えがある。
1度だけ、近くで見かけた。
思わず脚がすくむ。まるで、新兵に戻ったかのような感覚だ。
連邦軍永世提督、ケルベロス・グラデエルファイラ将軍に間違いなかった。